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聖女は秘密の皇帝に抱かれる  作者: アルケミスト


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「ツェリル殿!」


「……っ?」


(ナメルっ?)


 王都にいるはずのナメルの声が耳に届いた時、ドゥラコンはこの混乱の中で自分が錯乱しているのかとさえ思ってしまった。


 しかし、次の瞬間、目の前の土嚢の山を登る小柄な姿を見た時、ドゥラコンはもう走り出していた。


「ツェリル!」


 必死の声もツェリルの耳には届かなかったらしく、その姿は川側へと消えていく。


 当然のごとくその後を追うドゥラコンをネツが呼び止めた。


「ドゥラコンっ、これを持て!」


 投げ渡されたのは長い綱の端だ。


 受け取ったドゥラコンは腰にそれをしっかりと巻いて川側へと下り、濁流にのまれたツェリルの姿を見た途端、躊躇いなく自らもその中へ飛び込んだ。


 細い腕を掴むまで、生きた心地がしなかった。


 戦で剣や槍の前に立ったどんな時よりも恐怖を感じ、失うことを想像して肝が冷えた。


 濁流から引きあげられた時も、まずはその命が助かったことを喜びたかったのに、先に「馬鹿」という言葉が口から出てしまった。


 それほど今回のツェリルの行動は無鉄砲で愚かな行為だとわかって欲しかった。


 もちろん、ツェリルが向かわなければ子供は助からなかったかもしれない。


 それはわかっているのだが、どうしてもツェリルを失うことを想像した自分の気持ちを持て余してしまったのだ。


「ドゥラコン」


「ナメルっ、お前……っ」


 どうしてこんな危険な場所にツェリルを連れてきたのだと、ナメルの襟元を掴んで問い詰めようと思ったが、静かな相手の表情を見ているうちにその気持ちが萎えた。


 多分、どんなにナメルが止めたところで、ツェリルが自分の意思を曲げることはなかっただろう。


 己の故郷を見捨てる者などいない……そういうことだ。


「……無事でよかった」


 ようやく、本当に言いたかったことが口をついて出る。


「怪我はないか?」


「……はい」


「お前は?」


 側に呆然とした表情で座り込んでいる子供に問いかけると、タガが外れてしまったらしく大声で泣き始めた。


 ちょうどそこに、父親らしき男が駆け寄ってきて、ドゥラコンとツェリルに向かって土下座して礼を言ってくる。


「本当に、本当にありがとうございましたっ」


「いや、無事ならばいい」


「ドゥラコンさまっ」


「早く休ませてやれ」


「はいっ」


 男が子供を抱いていくのを見送り、ドゥラコンは改めてツェリルを見た。


 旅装束らしい服は泥水のせいで真っ黒に汚れている。


 それだけではない。


 綺麗な黒髪も肌も、汚れ放題だ。


 よく見れば、腕や手のひらに傷がある。


「早く身を清めて傷の手当てを……」


「いいえ」


 ドゥラコンが近くにいる兵士に命を下そうとすると、ツェリルはふらふらと立ち上がった。


「私も、ここにいます」


「お前……」


「いさせてください」


 固い決意を込めた声に、それでも駄目だとドゥラコンは言えなかった。


 昼夜問わず人海戦術で積み上げた土嚢は何とか功を奏したらしく、川の氾濫は防げた。


 徐々にだが水位を下げていく川の様子に内心安堵する。


 大雨のための田畑や住居への被害は雨がやんでからの調査になるが、それでも誰一人として命を落としていない結果は十分な成果と言えた。


 その夜、ドゥラコンとネツは村長の家に宿泊することになった。


 まだ川の氾濫に神経を尖らせなければならないので、場所が近い村長の家は好都合だった。


 それでもようやく一息つけるまでになっていたが、ドゥラコンは客間の窓辺に立ったまま外を睨みつける。


 雨は完全にやんでいて、久しぶりの月が見えていた。


「どうした?」


 床に横にならないドゥラコンに、横になったネツが視線だけを向けてきた。


「少しでも休まないと体力がもたんぞ」


「……ああ」


「ナメルのことが気になっているのか?」


 暗に口にしていなかった名前を出され、ドゥラコンは腕を組む指に力を込めてしまった。


(気になるどころではない……っ)


 ナメルはツェリルと共に、ツェリルの実家に世話になることになってしまった。


 普通に考えれば、神殿で一番高位の大司教、ナメルが、聖女としてあがっているツェリルの日々の生活ぶりを家族に話すのはまったく不思議ではない。


 しかし、ナメルは男としてツェリルに興味を抱いていることをドゥラコンは知っている。


 そんな二人が同じ屋根の下で休むなんて、簡単に受け入れられることではなかった。


 一方で、家族との久しぶりの再会を果たしたツェリルの表情は、ドゥラコンが知るどの表情よりも自然だった。


 聞けば、七歳で家を出てから一度も里帰りはしていないらしい。


 幼い子供に対して何と酷いことだろうと思うものの、送り出した家族も、ツェリル自身もそれを受け入れていたので、ドゥラコンだけが怒ることはできなかった。


「あの娘、ここまで来たとはな」


「女にしておくのはもったいない」


「それだけ、故郷が大切だったんだろう」


「それでも、実際に行動する人間は少ないんじゃないか?」


 感心したように言うネツの、それは最上の褒め言葉だ。


 ナメルだけではなく、この男にまで気に入られたというのには苦笑するしかない。


「ドゥラコン」


「ん?」


「いいのか?」


「……」


 それは、ネツの優しさからの忠告だ。


 権力の座を嫌い、ツェリルの次期皇帝探しを一方的に拒絶したままで、この先後悔しないのかと正面から問題をぶつけられる。


 しかし、今のドゥラコンにそれを口にする資格があるとは思えなかった。


 言葉のあげ足をとるように二度、その身体を抱いたが、まだ肝心な思いも、言葉も、何も伝えていない。


 十七歳のツェリルは、この先もっと良い女になるだろう。


 聖女としても、女としても、誰もが憧れ、欲しがる存在に成長できる素養がある。


 その時、ドゥラコンは今の自分の決断を後悔しないだろうか。


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