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それから三日後。
満月の夜に、ツェリルは祭壇の前までやってきた。
皇帝の信任を得る前に、しなければならないこと。
それをを行うからと言われたからだ。
ここに来る前に身を清め、白い聖女の衣装に裸足のまま、ツェリルは待っていたヤッフェの前に歩み寄った。
「……大きくなったな」
「ばあ……ヤッフェさま」
「ばあばでよい。
お前にはそう呼ばれた方が嬉しいしな」
「……はい」
「夜を凝縮した黒い髪も、瞳も、お前の純白な心を際立たせている」
朝からの緊張感が僅かに緩み、ツェリルはほうっと息を吐く。
その時機を待っていたかのように、ヤッフェが祭壇の中央に飾られていた御神体である紫水晶の一片に触れた。
「あ……っ」
すると、奥の石壁の一つが動き、ぼんやりと光が差す空間が現れる。
今までそんな空問があったことにまったく気づかなかったツェリルは驚くが、ヤッフェに促されて恐る恐る中へと足を踏み入れた。
「凄い……」
壁一面が、御神体と同じ淡い紫の光を放っているそこは、思ったよりも狭い空間だった。
がらんとした何もない中に、中央に大きな水瓶が置かれている。
「ツェリル」
「は、はいっ」
「ここは、代々聖女しか足を踏み入れることができない聖域だ。
ここで聖女は神託を受け取り、バラッハ帝国のためにそれを役立てなければならない」
ヤッフェの言う意味はわかるが、どうやって神託を受け取るのかがわからない。
ツェリルの戸惑いがわかったのか、ヤッフェは水瓶を指し示しながら続けて言った。
「その中に入っているのは、バラッハ帝国が建国されてより代々受け継がれてきた聖水だ。
その中に、聖女が問う答えが映り出る」
「水に、ですか?」
「今宵、お前が神に問うのは何だ?」
「それは……」
三日前、ヤッフェの跡を継ぐとはっきり告げた時に伝えられたこと。
まだ自分の力に自信のないツェリルにはとてつもなく大きな任務だったが、これをやりとげなければヤッフェの跡を継ぐことなどできないこともわかっている。
ツェリルはもう一度大きな深呼吸をしてから、腹に力を込めて言った。
「次期、バラッハ帝国の皇帝を指名すること、です」
「そうだ」
バラッハ帝国は建国以来、代々の皇帝を神託によって決めていた。
一つの血族が国を支配することなく、その時代に真の力がある者が上に立つことでこそ、国が繁栄すると言い伝えられているからだ。
新しい皇帝を決める神託を告げるのはもちろん聖女で、今回はヤッフェの跡を継ぐツェリルがその役を担うこととなった。
「……ばあばさま」
「案ずるな。
お前ならば、きっと神の意思を見ることができる」
「……」
(本当に、できるのかな)
神託が見えないのも怖いが、間違ってしまうのも怖い。
大国の未来を全部自分が背負うのかと思うと、その重圧に押し潰されそうにもなった。
だが、この重圧にヤッフェは長い間ずっと耐えてきたのだ。
年老いたヤッフェに、これ以上の負担はかけられない。
覚悟を決めなければと、ツェリルは重い足を引きずるようにして水瓶の前に立った。
自然に手を合わせて目を閉じ、目に見えない神に祈る。
(バラッハを守りし神、神竜よ、どうか次期皇帝を我に告げよ)
神への言葉に決まりはなく、自分の言葉で訴えるようにと言われた。
ツェリルは今の自分の言葉が正しいかどうか自信はなかったが、それでも一心に祈った後、意を決して水瓶の中を覗き込んでみる。
中にあるのは聖水、だが、それは水のはずだった。
しかし、覗き込んだツェリルの目に映ったのは、まるで鏡に映っているかのような鮮明な人の姿だった。
「ツェリル、何が見える?」
ヤッフェに問われ、ツェリルはさらに目を凝らすように水瓶の中に身を乗り出す。
「人の、姿です。
でもっ」
「でも?」
「顔は……後ろ姿で、背中しか……っ」
水瓶の水にははっきりと人の、それも若い男の後ろ姿が映っているが、それは背中から腰にかけた、容貌などまったくわからないものだった。
せめて髪の色や長さくらい知りたいと思ったが、そこはじれったいくらいぼんやりとした影しか見えない。
あとは、綺麗に筋肉のついた背中しか……いや。
「……赤い、痣?」
背中というより、腰の少し下ぐらいに、赤い痣が浮き出ていた。
その文様はバラッハ帝国の紋章に間違いない。




