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突然割り込んできた声にはっと振り向けば、扉の前に旅装束のままのアリイェが立っていた。
(今、アリイェさまがおっしゃったこと……え?)
混乱していた思考がゆっくりと正常に動きだし、ツェリルはやっと自分がヤッフェに騙されたことを知った。
ヤッフェはツェリルの口から「聖女になる」という言質をとりたいがために、わざと倒れ、自身の命が危ういという状況にしたのだ。
ヤッフェを思う自分の気持ちを利用されたのがわかったが、ツェリルはそれでも怒る気持ちにはなれなかった。
そんなことよりもヤッフェが元気で、まだ自分の側にいてくれるのだと思うと嬉しくてしかたがない。
目じりに浮かんだ涙を手で拭っていると、部屋の中に入ってきたアリイェにそっと頭を撫でられた。
「ツェリル、ヤッフェさまがなさったことは少々人道に反することですが、それもすべてお前のことを考えた上でのことです」
「私、の?」
「以前から、そろそろ聖女になるようにと言われませんでしたか?」
確かに、ツェリルが十五歳の誕生日を迎えた頃から、ヤッフェには事あるごとに次期聖女として正式に跡を継いで欲しいと言われた。
素質は十分にあり、これまで修行してきた実績もあると。
しかし、まだまだ聖女になることに自信がなく、何より目の前に力がある、立派な聖女のヤッフェがいることで、ツェリルはなかなか頷くことができなかった。
多分、逃げているツェリルを強引にでも頷かせるために、ヤッフェはこんな小芝居までしてみせたのだ。
結局、ヤッフェにそんな真似をさせたのは自分自身だと思えば、ツェリルは何も言えずに俯くしかない。
「ツェリル」
下を向くツェリルの視界に、小さな足が見えた。
初めて来た時、小柄ながらもツェリルよりも大きかったヤッフェは、今や自分よりも小さい。
こんな小さな身体で大国を守ってきたヤッフェを早く楽にさせてやらなければならなかったのに、どうして今の今まで逃げていたのか。
「ばあば、さま」
他の者がいる場では、けして口にしない呼び名。
だが、ツェリルがそう呼ぶと、ヤッフェはいつも嬉しそうに目を細め、目じりの皺をますます深くさせていた。
おずおずと顔を上げると、その記憶通りの表情をしたヤッフェが目の前にいる。
「もう、よいな?」
「私に、できるでしょうか」
聖女の素質と言われても、ツェリル自身はそれがどんなものかはいまだにわからない。
だが、ツェリルの不安を一気に振り払うようにヤッフェがきっぱり言い切った。
「私がお前を選んだ。
そしてお前は、そんな私を信じているのだろう?」
「……はい」
「ヤッフェさまの押し切りですね」
「ア、アリイェさまっ」
そう言えば、ここにはアリイェもいたのだ。
最近では大人になったねと褒めてもらっていたのに、今の混乱ぶりはまだまだ子供にしか見えなかったはずだ。
しかし、アリイェは焦るツェリルを安心させるように笑みを向けてくれた後、ヤッフェに静かに切り出した。
「ヤッフェさま、引き継ぎはどのように?」
「皇帝の信任式はせねばならぬだろうが、その前に一つ、未来の聖女に早急にしてもらわねばならぬことがある」
「それは、次期皇帝の?」
「そうだ」
「しかし、それはヤッフェさまに委ねられたことではありませんか?
確かにツェリルはあなたの跡を継ぐ者ですが、まだそんな重い責のあることをさせるのは……」
「私の跡を継ぐ者だからこそ、できるはずだ」
(な、何を言ってるの?)
ツェリルを挟んでヤッフェとアリイェが意見をぶつけ合っているが、その意味がわからない。
どうやら、ヤッフェは何かをツェリルにさせるつもりらしいが、アリイェにはそれが時期尚早に見えるらしい。
「ツェリル、良いな?」
二人の間で決着がつかないまま、ヤッフェはツェリルに向かって同意を求めてきた。
ヤッフェは信じてくれているのだ、ツェリルの聖女としての素質を。
逃げてしまうことは、もしかしたらまだ可能かもしれない。
それでも、そうなってしまうとヤッフェはまた老体に鞭打って働かなければならないのだ。
そして、今度は本当に身体を壊してしまうことにでもなったら……。
先ほど感じたヤッフェがいなくなってしまう喪失感と比べれば、死に物狂いでやってやれないことはないと思えた。
「……はい」
まだ少し不安はあるが、それでも自分を見出してくれたヤッフェを信じたい。
しっかりと頷いたツェリルに、ヤッフェは満足げに頷いた。




