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聖女は秘密の皇帝に抱かれる  作者: アルケミスト


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3/63

 静寂が支配する神殿。


 神に仕える神官と聖女しか足を踏み入れることができない奥の祭壇で、ツェリルは跪いて朝の祈りを棒げていた。


 次期聖女として神殿にあがってから十年。


 毎日繰り返される朝、昼、夜の祈り。


 はじめは足が痛くなり、長い時間じっとしていることができなくてヤッフェに叱られてばかりいたが、今ではこの時間があるせいで心が落ち着くと自覚している。


 そもそも、神殿に仕える身としては、神に祈ることこそが生活なのだ。


 華美な装飾はつけないが、それでも清潔で身綺麗にして神の前に立つ。


「……」


 祈りが終わり、ツェリルは立ち上がった。


 今日はバラッハ帝国の南、ダロム地区に視察に赴いていたアリイェがひと月ぶりに帰ってくるのだ。


 歓迎の宴とまではいかないが、それでも慰労の意味を込めたささやかな席を用意し、満面の笑顔で「お帰りなさい」と伝えたい。


「ツェリルさま」


 祭壇がある部屋から出たツェリルは、神官の一人に呼びとめられた。


「何用だ」


 ツェリルは規律である性別を感じさせない口調で応える。


「ヤッフェさまがお呼びです」


「ヤッフェさまが?」


 こんなに朝早くから何の用だろうか。


 ツェリルは一言わかったと返事をし、衣の裾をさばいて向きを変えた。


 走らず、それでも歩く速度よりは速く。


 昔はその違いがわからずに走っては、ヤッフェに大声で叱られたものだ。


 初対面では優しく、どこか神秘的な存在だったヤッフェは、共に暮らすようになるととても口うるさい祖母のような存在になった。


 挨拶から食事の仕方まで事細かに教えられ、田舎暮らしだったツェリルにはそれらは上流階級の習慣だとしか思えなくて、何度もできないと泣いてしまった。

 

 しかし、ヤッフェは宥めることなく、さりとて馬鹿にすることもなく、辛抱強く教えてくれた。


 今ではツェリルも、礼儀作法を教えてもらったことには感謝している。


 十年間、一度も生まれ故郷に帰ることも家族に会えることもなかったが、その地から次期聖女が選ばれたということで、アルシェクには多大な報奨金がもたらされたことにも満足していた。

 

 次期聖女と言っても、まだまだヤッフェが現役で、いつになったらツェリルが跡を継ぐのかはわからない。


 それでも、今の生活は既にツェリルにとっては大切な日常になっていた。


「ヤッフェさま、ツェリルです」


 やがて、ツェリルはヤッフェの私室の前に着き、軽く扉を叩いた。


 ツェリルに限り、中から返答がなくてもそのまま入ることができるようになっている。


 今回もいつものように何気なく扉を開けて中に入ったったが、


「!」


 その瞬間、床に倒れている小柄な姿を見つけた。


「ばあばさま!」


 反射的に駆け寄ったツェリルは、震える指先で首筋の脈を確かめる。


(生きてる!)


 元気だとはいえ、ヤッフェはもう高齢だ。


 実際の年齢は教えてもらっていないが、最近は休むことも多くなっていたので、ツェリルは内心では一度医師に診てもらった方が良いのではないかと気を揉んでいた。


 アリイェが戻ってきたらそのことも相談しようと思っていたのに、その前にヤッフェが倒れてしまつた。


 ツェリルは急いで人を呼ぼうと立ち上がろうとしたが、突然その手首を掴まれる。


 息をのむほど驚いたが、すぐに振り返ると自分の手をヤッフェがしっかり握っているのが見えた。


 気がついたのかと、ツェリルは再びその場に跪いた。


「ばあばさまっ、大丈夫ですかっ?

 どこか痛いですかっ?」


 一緒に暮らした十年間の間にヤッフェが大きな病気になったことはない。


 そのせいで、この先もずっとヤッフェは側にいてくれると漠然と思っていた。


 それなのに、倒れてしまったその姿を目の当たりにしてしまい、ツェリルは自分一人が置いていかれるかもしれないという大きな恐怖に襲われていた。


 同時に、今の今までヤッフェの身体の不調に気づかなかった自分を責める。


 もっと早く、せめて昨夜でも気づいていれば……ツェリルは泣きそうになりながらヤッフェを抱きしめた。


「今人を呼びます、お気を確かにっ」


「……ツェリル」


「はいっ」


 不思議と力強い声がツェリルを呼んだ。


「そろそろ、そなたに譲る時が来たらしい」


「こんな時に何をっ。

 ばあばさまはまだずっと長生きなさるんですから、私に譲るなんて考えないでください!」


 即座に訴えれば、ヤッフェの頬が緩むのがわかる。


「ばあばも、この歳だ。

 ツェリル、どうか聖女を引き継ぐと言っておくれ。

 お前が諾と言えば、私ももう安心だ」


「ばあばさま」


 今まで見たこともないヤッフェの弱々しい姿に、ツェリルはただ頷くしかなかった。


「わかりました、私、私、聖女を継ぎますっ。

 だから、ばあばさま、どうか安心して治療を受けてくださいっ」

 

 大国、バラッハ帝国の未来を一手に背負う聖女の責任がどんなに重圧か、ツェリルは側で見てきて少しはわかっているつもりだ。


 そんな責任のある地位にまだ未熟な自分が就くということには不安の方が大きいが、それでもヤッフェに安心して治療を受けてもらうためには引き受けるという選択しかない。


「もうすぐアリイェさまがお帰りになりますから、ばあばさまっ、しっかりして!」


「アリイェなら、もう着いておる」


「……え?」


 それまで、今にも消えてしまうのではないかと思うほど弱々しかったヤッフェの気が、みるみる生気に漲っていくのがわかった。


 そればかりか、軽々と身体を起こして跪いているツェリルの前に立つ。


「ばあば、さま?」


「ヤッフェさま、ツェリルは本当にあなたを心配していたのですよ。

 今のやり方でとった言質は無効ではありませんか?」


「!」


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