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「何が怖いですか?
ドゥラコン?」
「……だ、大司教、さま」
「神?」
「そ、な……っ」
「ああ、快感が、ですか?」
「違う!」
即座の否定は肯定と同じで、ナメルに笑われてしまった。
「懸念することなど何もありません。
あなたは自身が聖女であるゆえ、身体に感じる快楽に厳しい目を向けてしまうのかもしれませんが、神は性愛についてとても寛大です。
人間の持つ欲を否定する神などいるはずがないでしょう」
滑らかに告げるナメルの話は一見とんでもない空言に間こえるが、反面、すんなりと心の内に入ってくる。
それは、ツェリルの敬愛するヤッフェがよく言う言葉と同じ意味に聞こえたからだ。
『人にとって一番大切なのは生きる力と、欲だ。
もちろん、過ぎた欲望は堕落にも繋がるが、欲がなければ人間は生きていけない』
ナメルが例に出す性欲というものは、本来聖女には必要のないものだ。
しかし、人間ならばその欲を感じることは間違いではない。
そう言われた気がした。
ツェリルは改めてナメルを見る。
昨夜、ドゥラコンと一緒になって自分を迫い詰めたこの男のことをとても聖職者とは思えなかったが、祭壇の前に立つナメルの姿は神々しいまでに清廉な気をまとっていた。
(もう少し、ちゃんと話したら)
きちんと頼んだら、この男はわかってくれるのではないか。
そんなツェリルの心境の変化に気づいたのか、ナメルがゆっくりと近づいてきた。
やはり昨夜のことがあって、無意識のうちに身体が逃げそうになる。
しかし、ナメルはまったく気にする様子はなく、やがて目の前まで歩み寄ってくると、身を屈めてツェリルの視線に合わせてきた。
「私に何か言うことはありませんか?」
その言葉に、ツェリルはとっさに言ってしまった。
「あなたの身体を見せてくださいっ」
ドゥラコンは駄目だったが、それならば先にナメルの身体を確かめることができるのなら。
彼に痣があればそのまま次期皇帝として公表できるし、なくても残り二人に確かめればいいだけになる。
ツェリルの発言が意外だったのか、ナメルは僅かに目を瞠ったが、すぐに楽しげに笑いながら軽く自身の腰に触れた。
「残念ですが、女性に対して肌を見せることはできないんですよ」
「ど、どうしてですか?」
「恥ずかしいですから」
「はあ?」
ナメルの言動からもっともかけ離れた理由に呆気にとられたツェリルは、思わずまじまじとその顔を見上げる。
ツェリルの胸を堂々と触り、ドゥラコンとの行為を微笑みながら見ることができたナメルが、たかが服の裾を捲るだけのことに羞恥を感じるとは思えなかった。
「……ですが」
しかし、どうやら話はそこで終わったわけではないらしい。
意味深にナメルは話を継いだ。
「ドゥラコンにしてみせたように、あなたが私を魅惑的に誘ってくださったら、羞恥など消えてしまうかもしれませんね」
「そ、それは……」
まさか、ナメルにも同じように抱かれろと言っているのだろうか。
「ドゥラコンにしか抱かれませんか?
彼が皇太子だから?」
「関係ない!」
ツェリルはけしてドゥラコンが皇太子だから抱かれたわけではない。
あくまでも彼が出した条件をのむ形で、結果的にあんなことになってしまっただけだ。
「では、私相手でも問題はないわけですね」
「い、いえ、あの、それとこれとはっ」
いつの間に自分がナメルの申し出を受けた形になってしまったのかとツェリルは焦って拒否しようとしたが、ナメルはまったく聞き入れてくれなかった。
「昨日の今日では疲れているでしょう。
日を改めてじっくりと私を誘惑してくださいね、聖女殿。
「……っ」
聖女と言われ、ツェリルは何も言えなくなった。
自分の使命が改めて目の前に突きつけられた気がしたのだ。
ヤッフェの跡を継ぎ、聖女になる。
その一番はじめの仕事が、次期皇帝を見つけることだ。
その方法まで神は教えてくれない。
もちろん、ヤッフェも助言はしてくれない。
ツェリルが一人で考え、実行しなければならなかった。
そして、その結果が昨夜のことだ。
今さらドゥラコンを責めるなど、責任逃れをするつもりはない。
自分の身体を賭けることで、ツェリルは知りたい答えを引き出そうとしただけだ。
「私……」
「深く考えることはありませんよ。
あなたはあなたのやり方で、目的を遂げればいいだけです」
静かにそう言ったナメルは、頭を下げて部屋から出ていった。
その姿が扉の向こうに消えた瞬間、ツェリルはどっと襲ってきた疲れに足もとがふらついてしまう。
自分では気づかなかったが、相当な圧迫を感じていたようだ。
ツェリルは振り返り、もう一度御神体を見た。
しばらくそのまま動けなかったが、やがておぼつかない足取りで側に行き、自分の手をかざしてみた。
「……!」
前回は、聖女であるヤッフェの力で開いた扉。
それが、今日はツェリルの力でも開いた。
もう、自分の力ではこの扉は開かないかもしれないと思っていた。
ツェリルの中では聖女というものは清い存在であり、欲をもって異性と身体を重ねれば、二度と神託を受けることは叶わなくなると思っていた。
だからこそツェリルは、ドゥラコンの提案に乗った時点では最後までするつもりはなかった。
しかし、結局は身体の奥に男を受け入れてしまい、最悪の覚悟をしなければならないとさえ考えていたが、突きつけられた現実はツェリルが思っていたものとは違った。
もしかしたら聖女という存在は、人間では計り知れない神の庇護のもとにあるのだろうか。
言葉だけだった聖女を継ぐということが、改めて現実としてツェリルの前に突きつけられた気がした。
意を決して狭い部屋に入ると、あの水瓶が大きな存在感を持って鎮座している。
ツェリルは側に歩み寄り、祈った。
(バラッハを守りし神、神龍よ、どうか次期皇帝を我に告げよ)
以前と同じ祈りの言葉を捧げた後、大きく深呼吸をしてその中を覗き込む。
すると、澄んだ水にはっきりと影が浮かんだ。
「……同じ」
水鏡に映ったのは以前見たのと同じ男の後ろ姿だ。
その腰には、やはり赤いバラッハ帝国の紋章がある。
改めて、自分が受け取った神託に間違いはないのだと確信が持てた。
そして、きっとそれは、あの三人のうちの誰かだとも。
ツェリルは深く頭を下げて部屋を出た。




