第七話 暗躍するもの
ヴァンデッシュやヒューデリカの弁明は通じず、ヒューデリカは王宮の地下牢に投獄された。
「だから、用心してくださいって言ったじゃないっすかぁ~」
「…すまない」
鉄格子を挟んだ状態で、ぐったりした様子で文句を言ったヴァンデッシュにヒューデリカは謝るしかない。
「まあ、でも俺も同罪っす。坊ちゃんが危害を加えられる可能性は考えても、まさかマゼイラ公爵が殺される可能性は考えてなかったっすからねえ」
「そうだな…」
そうだ。だから一体なにが起こったかまだわからない。
「だが、あのマゼイラ公爵一派の貴族たちは公爵の死因が呪いだと、公爵に触れもしないでわかっていた」
「そっすね。つまり、マゼイラ公爵が呪いで死ぬことは奴らにとって予定調和…?」
「しかしマゼイラ公爵が亡くなったら奴らにとって本末転倒じゃないのか?」
「そこなんすよねぇ」
そう、マゼイラ公爵とその一派に罠にかけられた可能性は考えられる。だが問題は、そのマゼイラ公爵自身が殺されてしまったことだ。だから一気にわからなくなる。
「それより、例の手紙は?」
「ここに。今から陛下に渡してきます」
「頼んだ」
ヴァンデッシュが懐に忍ばせているのはあのマゼイラ公爵からの手紙だ。
マゼイラ公爵が呼び出したという揺るがない証拠。これがあれば、少なくともヒューデリカが公爵を殺すためにあの部屋に行ったという奴らの主張は潰せる。
衛兵に渡したのでは国王の手に渡る前にもみ消される可能性があったため、ヴァンデッシュに頼んだのだ。
「では、俺は調べてくるっす」
「ああ、頼む」
現在は人払いをしているとはいえ、ここでの会話は誰に聞かれてもおかしくない。だからヒューデリカは徹底してヒューザリオンの口調で話している。
「…坊ちゃん」
格子から身を離したヴァンデッシュが不意にじとりとした目でこちらを見た。
「くれぐれも、無茶しないでくださいねぇ?」
「しないよ。嫌だな」
「どうだかぁ」
しないよ。本当に。
確かにヒューデリカの護法の風の力なら、ここから抜け出すなんて簡単だけどしない。
ヴァンデッシュがその間延びした口調で話している間は、安全だって思っているから。
王宮を出たヴァンデッシュは、王宮の門の前で視線を巡らせる。
「ヴァンデッシュ」
「アンリ先輩」
不意に声を掛けてきたのは艶やかな短い黒髪の美青年だ。
ヴァンデッシュと同世代の青年に駆け寄って、ヴァンデッシュはへらっと笑う。
「お久しぶりっす~」
「お前、そのしゃべり方相変わらずだな」
「嫌っすねえ。俺は元々こうでしょぉ?」
「はいはい、お前のしゃべり方はどうでもいい」
「言い出したのアンリ先輩なのにぃ」
慣れた調子で話しながら王宮の前から移動すると、王都一番の大通りにさしかかる。
人々や店の客引きの声で賑わう中を歩きながら、露店で揚げたパンを買って近くの公園のベンチに腰掛け、アンリは小声で問いかけた。
「で、例のお嬢さんはどうなってる?」
「王宮の地下牢に軟禁されてます」
「マゼイラ公爵家じゃなくて幸いだな」
アンリはそう返してパンをかじる。中に挟んだ肉汁が咥内に広がった。
「さすがに奴らもそこまでは出来ないっすよぉ。事件の場所が王宮なんすから」
「そうだな。無理にマゼイラ公爵家に連れて行くと騒げば自分たちの首を絞める」
「そっすそっす。だから今のうちにどうにかお嬢を連れ出す作戦を──」
「お前、かなり焦ってるだろ」
唐突に言われて、ヴァンデッシュは紙に包んだパンを手に持ったまま固まった。
「え」
「撤回する。相当焦ってるな」
アンリは冷静な面持ちではっきり断定した。
「な、なに言ってんすかぁ? どっからどう見てもいつものヘイゼルちゃんでしょ?」
「お前は自分のことを『ヘイゼルちゃん』なんぞとふざけた呼び方したことは一度もない。
普段通りに見えるが、早口だし挙動に落ち着きがない。
そんなに大事か。そのお嬢さんが」
責めるではない声音で言われて、ヴァンデッシュはパンを手に持ったまま瞳を細める。ヒューデリカを思い出すように。
「……………そりゃあ、もう」
その思い出の中の彼女をなぞるように、囁いた。
「可ぁ愛くて可ぁ愛くて、どーにかしちゃいそう」
「うわぁ、お前のそんな蕩けた顔、僕はじめて見た」
蜜を溶かしたようなその表情と声に、アンリが目を瞠る。
「感動したぁ?」
「なんでだよ。引いた」
「ひどっ」
と言いながらもヴァンデッシュに傷ついた様子はない。
気心の知れた友人同士のようなやりとりだ。
「いいから集めた情報を伝える。
まず亡くなったのはマゼイラ公爵で間違いない。死因はヴァイジャヤの呪い。
問題はそのことを公爵派がすぐにわかったってことだ。
そして最初から予定していたようにお嬢さんに濡れ衣を着せてきた」
「普通に考えて呪いなんて禁術、早々使えるわけがないって考えないんすかねえ?
ほかの奴らも」
「少なくとも国王はそのお嬢さんがやったとは思ってないが、ハミルトン辺境伯を潰したい奴らはこの機会を逃すほど馬鹿じゃない」
「で、しょうねえ…」
悩ましげに眉を寄せ、ヴァンデッシュはパンをかじる。その横顔を見つめて、アンリはひそめた声で問うた。
「お前、大丈夫なのか?」
「そりゃ、お嬢の身は心配で…」
「そうじゃない。お前もヴァイジャヤの呪いにかかったんだろ。
あれはそこらの神官に浄化出来るもんじゃない」
その言葉にかすかにヴァンデッシュが息を詰める。
「お前、まだ呪いに蝕まれてんだろ?
それ、お嬢さんにも言わないで、大丈夫か?」
「……………大丈夫っすよぉ」
沈黙はあったが、すぐにヴァンデッシュはへらっといつものように笑う。
「俺、死ねないんでぇ」
そう、わかりきったことのように。
「でもね、ちょっと思うんす。
俺が死んだら、お嬢は泣いてくれるかなぁ」
「そういう、縁起でもないことは言うな」
夢想するような表情で呟いたヴァンデッシュに、アンリはため息を吐いてこつんとその頭を小突いた。
「とにかく一朝一夕で処刑とはならないはずだ。
お嬢さんの身元がばれるのはまずいからオレルアン公爵は頼れないし動けないだろうが、ほかの公爵家の力は借りられる。行くぞ」
「はぁい」
パンを食べ終えて立ち上がったアンリに、ヴァンデッシュもパンを手に持ったまま笑った。
さて、暇だ。
地下牢の中でぼうっとしていたヒューデリカはそう思った。
考えることは山ほどあるが、結論が出ない。どうしたものか。
そう考えた矢先だ。コツン、コツンと地下牢に続く階段を下りてくる靴音が聞こえた。
これは男の靴音じゃない。女の靴音。しかしこんな場所に女性が来るとは思えない。
格子に近寄って通路を覗いて、ヒューデリカは息を呑んだ。
階段を下りて通路に姿を見せたのは、ふわふわの亜麻色の髪の少女。
(ビビアナ!?)
どういうこと? ビビアナは王都から離れた離宮にアーノルドと一緒に行っているんじゃないの?
「こんにちは。とらわれの王子様」
ビビアナは驚くヒューデリカのポーカーフェイスに騙されたように、にっこりと微笑んでそう挨拶した。
「…あなたは」
いけないいけない。今の自分は辺境伯の跡継ぎ息子。ビビアナとは初対面。
「失礼致しました。わたし、リオン男爵家のビビアナと申します」
「そのビビアナ嬢が私になにか?」
「ここから出たいですか?」
「…は?」
意味が本気でわからなくて、間抜けな声を漏らしてしまった。
「わたしなら出して差し上げられますよ?」
「ま、まさか、私はマゼイラ公爵の殺害容疑で…」
「そのマゼイラ公爵と、わたし親しいですから」
ますます意味がわからない。
ビビアナがマゼイラ公爵と親交があったことは聞いた。だが、今もう既にそのマゼイラ公爵は亡くなっているのに。
「…なぜ、出会ったばかりの私にそこまで?」
「わたし、美しいものが好きなの」
探るために尋ねたヒューデリカに、ビビアナはうっとりした口調で手をこちらに差し出す。
「あなたは美しいから、わたし好みだわ」
そしてヒューデリカの頬を優しく撫でた。
「だから、ね、わたしのものになって?
わたしの麗しい王子様」
「王子様ではありませんが…」
よくわからないが、情報を引き出す機会だ。
「私は、あなたを可憐に思う」
そう囁いて、ヒューデリカはビビアナの白い手を取ると手の甲に口づけた。
「まあ」
喜色の声を上げたビビアナだが、すっと手を引き抜いて背後に下がる。
「では、あなたの態度次第ね。あなたにはまだ効いていないようだから」
「え…?」
「わたし、わたしのことが大好きで仕方ない美しい王子様がたくさん欲しいの。
だから、また会いましょう」
そう妖しい微笑を浮かべて、ビビアナは背を向けると階段へと向かう。
そのまま立ち去ったビビアナを見送って、ヒューデリカは口元に手を当てると思い切り拭う。
「よくわからないけど、汚い真似をしたわ」
あの女に口づけるなんて、本当に汚い。
そう心底思って、念入りに唇を袖で擦った。
その翌日だ。
マゼイラ公爵に呪いをかけたのは別の人物である可能性が出た、とマゼイラ公爵一派が言い出し、突然ヒューデリカは解放された。
訳がわからないまま、ヒューデリカはヴァンデッシュと一緒にハミルトン領に帰ることとなったのだ。