第六話 マゼイラ公爵の罠
「すんませんでした」
その翌日の朝、別邸の宛がわれた部屋を出るなり、ヴァンデッシュが待っていて頭を下げてきた。
突然、というかまさかそんなことすると思わなかったのでヒューデリカは驚いて固まってしまう。
「ど、どうしたの?」
「いや~、昨日のことっすよぉ。
公爵令嬢に対してとんだ無礼を働いちゃったなぁってぇ。
お嬢が呪われてたと思ったらついカッとなっちゃって、反省してまぁす」
「………反省している口調ではないけれど」
その言葉にまたわずかに心臓が騒ぐ。
そうか、心配、してくれたんだ。我を忘れるほど。
家族以外の人に、そんなに心配されたことがあっただろうか。
『お前は出来すぎて可愛げがないな』
そう、いつだったかアーノルドに言われた。少なくともアーノルドに心配された記憶はない。護法の風の力は隠していたが、アーノルドや普通の男性は見るからに庇護欲をかき立てる、ビビアナのような女性が好みなのだろう。
「もう、しないならいいわ」
「あ、それは保証出来ないっすぅ」
「保証しなさいよ!」
いつもの間延びした声で即答されて、つい大声を出してしまう。
だがヴァンデッシュはへらっとした顔で、
「何度だって、お嬢の危機だったら身体が動いちゃいますよぉ」
そう、なんのてらいもなく言うのだ。
ああ、胸の辺りがむずむずする。こんな感覚、今まで味わったことがない。
「どうしても?」
「どうしてもっす」
「じゃあ、一個だけ約束して」
へらへらした顔だったけど、ヴァンデッシュはきっと意志を曲げない。そんな強い決意に見えたから、言葉を変える。
「死なないでね。絶対」
これも約束出来ないって言われたら殴ってやろう、くらいには思っていたけれどヴァンデッシュは細い目を瞬いた後、嬉しそうに微笑んで、
「はい、お嬢に誓って」
と答えたのだ。
そして王宮でのパーティ当日、ヒューデリカは国王に呼ばれ、賓客室のソファに腰掛け待っていた。程なく国王が入室してくる。
立ち上がって一礼をする。今は当然ヒューザリオンの姿なので、淑女の礼は出来ないが。
国王は片手で礼をやめるよう合図して、席に座るよう促した。
ヒューデリカが腰を下ろすと国王も向かいに腰を下ろす。
「ハミルトン伯爵のご様子はどうだったかね?」
「私はハミルトン伯爵をよく存じ上げません。少なくとも今回、このお役目をいただいてお会いするまで遠目にしか目にしたことがございませんでした。
その私に尋ねられるなら、陛下がお知りになりたいのは伯爵のご様子ではなく、ご容態でしょうか?」
「…その通りだ」
国王は重苦しく肯定する。当然だ。ハミルトン辺境伯が落ちれば辺境の守りも落ちるのだから。
「率直に申し上げれば、ご容態は悪いようでした」
「…そうか」
「しかし、病だというのには疑念を持っております」
ヴァンデッシュが呪いにかかって、ふと気づいたのだ。
病でも毒でもないなら、じゃあ呪いの可能性は?
ゆっくりと身体を蝕み、弱らせて死に至らしめる呪いがないとは言い切れない。
あのとき教会の神官も、そのような呪いがないと否定はしなかった。
「陛下はヴァイジャヤの呪いはご存じでしょうか?」
「もちろん知っている。恐ろしい呪いだ。それを防ぐため、我々王族は呪いから身を守る護法具を身につけてきた」
「先日、私の護衛がその呪いを受けました。幸いすぐ教会で浄化されたため、無事でしたが。そのような恐ろしい呪いを、進行を遅らせて病のように見せかける方法があるのではないかと疑っています」
「…なるほど。呪いか」
ヒューデリカの言葉に国王は顎に手を当て、考え込む。
ちなみにヴァンデッシュは部屋の外で待機している。室内で一緒に話を、と言ったら「ただの護衛がそんなことしちゃまずいっすよ」ともっともなことを言われたのだ。
「そもそもヴァイジャヤの呪い自体が遅効性の呪いだ。
ほかの呪いだとしても、病に見せかけることは可能だろう。
その可能性を考えておこう。して、ヒューデリカ嬢」
「もちろん、伯爵の症状が呪いであった場合、解く術を必ずや見つけてごらんにいれましょう」
「頼もしい。さすがはヒューデリカ嬢だ。
全く、このように立派な王妃に相応しい淑女を婚約者として持ちながら、あんな小娘に籠絡されたアーノルドの情けなさに腹が立つ」
「…ちなみに陛下、アーノルド殿下は」
ヒューザリオンの姿は細身の優男とはいえ、ヒューデリカより体格も良く顔立ちも男らしい造作だ。あのアーノルドが同性の顔をまじまじ見るとも思えないし対面してもバレない自信はあるが、出来れば避けたい。
「安心しなさい。アーノルドは今夜の夜会は欠席だ」
「左様ですか。ちなみに理由を聞いても?」
「例の令嬢に王都から離れた都市にある離宮に行こうと誘われ、喜んでついて行ったよ」
国王は沈痛なため息を吐いてそう答えた。それは頭が痛い。
国の守護神たる辺境伯の跡継ぎが参加する夜会となれば、会って交流を深めるのが王太子の役目だろうに。
「ヒューデリカ嬢、私はアーノルドの廃嫡を考えている。
最早、そなたと婚約していた頃の聡明さはすっかり失った。
あの小娘に籠絡され、見る影もない。
あの小娘もお家取り潰しの上修道院送りというところだが、今少し待ってもらいたい」
「なにか理由が?」
この期に及んでアーノルドとビビアナに温情をかけるというのはない。ならなんらかの理由があるはずだ。
「件のビビアナ嬢が、どうやらマゼイラ公爵と親しくしているようだ」
「ビビアナ嬢が…!?」
「ああ、最近接近した可能性もあるが以前から親交があった可能性もある。その場合、アーノルドを籠絡したことも…」
「マゼイラ公爵の策である可能性がある、ということですか」
「左様だ。だからこそ、今マゼイラ公爵に繋がる糸を断ち切ってしまうわけにはいかない。マゼイラ公爵一派を潰すまで、泳がせるしかない」
国王の言うことはもっともだ。ここでアーノルドとビビアナを処罰したところで、マゼイラ公爵には届かないだろう。おそらくマゼイラ公爵にとってアーノルドとビビアナは王室に介入する手駒程度の存在。己の策など見せるはずもない。
「承知しました。私は引き続き、ハミルトン伯爵の調査に努めます」
「うむ、頼んだぞ」
立ち上がり一礼をしたヒューデリカは、そのまま扉へと向かう。
「ヒューデリカ嬢」
ふと背後からかかった声に振り返ると、国王が微笑んでいた。
「私はアーノルド廃嫡後、別の王子を王太子にする。
そこでその王子の妃に、そなたになってもらいたい」
「…私が」
「ああ、私が認めた次期王妃はそなただけだ」
そうか。そうなるのか。アーノルドは四人兄弟。ほかの三人のうち誰かが自分の夫に、そして自分は8歳の時に決まった通りに次期王妃になれる。
それは喜ばしいことのはずなのに、なぜ、胸がちくちくするのか。
未知の感覚に戸惑うヒューデリカに、国王は笑う。
「安心しなさい。そなたの身は、ヴァンデッシュが守ってくれる」
そう、信頼しきっている口調で告げた。
そして始まったパーティ、当然以前のハミルトン領での夜会に参加出来なかった貴族たちはヒューデリカに群がり、本当に伯爵の実子かと疑いの目を向けながらも眉目秀麗な跡継ぎに女性たちは魅了されていた。
ヒューデリカはそれらをうまく躱しながら、向こうに佇む壮年の男性の様子を伺う。
白髪がちらほらと覗く頭髪をまとめた髪型の渋い──現代風に言えばナイスミドルという容貌の──男性こそが、マゼイラ公爵だ。
こちらの視線に気づいたのか、マゼイラ公爵がこちらに近寄ってきた。
ヒューデリカを囲んでいた貴族たちも、公爵に気づいて道を空ける。
「これはこれは、マゼイラ公爵。お初お目にかかります。
ヒューザリオンと申します」
「こちらこそ、お会い出来て嬉しく思うよ。ヒューザリオン殿」
頭を垂れたヒューデリカを感情の読めない目で見下ろし、マゼイラ公爵は低く渋みのある声で告げる。
ヒューザリオンの肉体は身長が170㎝あるが、それよりも高い。
「国防の問題に直結する故、ハミルトン伯爵の跡継ぎが本当にいるのか疑ってしまっていたが、貴殿のような立派な嫡男がいるのであれば無用の心配というもの。
国境をよろしく頼む、とお父君に伝えてくれたまえ」
「は、有り難きお言葉」
「では、私がいてはご子息もゆっくり話せまい。年寄りは失礼しよう。
どうやら飲み過ぎてしまったようだ。私は少し部屋で休む」
そう口にしたマゼイラ公爵が身を引く。そのままワインの入ったグラスを手に遠ざかっていく姿を見送り、ヒューデリカは手袋を嵌めた手の中の紙を握った。
そのあと、ヒューデリカはどうにか会場を抜け出すと、王宮内の廊下を歩いていた。
その後ろをヴァンデッシュがついていく。
「本当に行くんすか? 坊ちゃん」
「向こうから誘って来たんだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず」
「はあ…。少し怪しい気がするんすけどねえ~」
ヴァンデッシュはわずかに警戒を覗かせている。
ヒューデリカの手には、一通の紙。中には達筆な字で「客室でお待ちしている」というマゼイラ公爵からのメッセージ。あの邂逅の時に、周囲の目を盗んでヒューデリカに握らせてきた手紙だ。
「さすがに王宮で私を殺しはしないさ。自分が犯人ですと言うようなものだ」
「まあ、確かに」
「では、外で待っていろ」
マゼイラ公爵がいるはずの客室の前まで来ると、ヴァンデッシュに言って扉の前に立つ。
「マゼイラ公爵。ヒューザリオンです」
ノックをして声を掛けたが、返事がない。
「マゼイラ公爵?」
もう一度。だがやはり応答はない。ノブをひねってみると鍵は開いている。
ゆっくりと扉を開けて、ヒューデリカは息を呑んだ。
床に倒れて動かないのは、
「マゼイラ公爵!?」
思わず大声を出し、駆け寄ってしまう。
「マゼイラ公爵! しっかりして…!」
その身体を揺さぶって、不意に気づく。その胸元になにか見える。
そっと衣服をくつろげると、胸元には漆黒の痣のような薔薇の刻印。
「これは…」
「なにをしている!?」
不意に響いた声に我に返る。振り返ると、戸口に数人の貴族が立っていた。
「マゼイラ公爵! この刻印は、ヴァイジャヤの呪い!
貴様がやったんだな!?」
「お待ちください! ヒューザリオン様には呪いを行使出来る力はありません!
そもそもなぜあれがヴァイジャヤの呪いだと!?」
「見ればわかる! 衛兵!
殺人犯を捕らえよ!」
マゼイラ公爵一派の貴族の声に衛兵が走ってくる足音が聞こえる。
ヴァンデッシュの焦った顔が見えた。
自分が危害を加えられる可能性は考えた。だがこれは想定外だ。
マゼイラ公爵が、殺されるなんて。




