第四話 動き出す人々
「剣術指南?」
ヒューデリカがハミルトン領に来て、半月が経った。
あれからヒューデリカ、もといヒューザリオンはひっきりなしに夜会に誘われるが、「領地経営を学ぶため忙しい」という建前で断っていた。まだ疑っているというよりは、跡継ぎであるヒューザリオンに近づきたいのだろう。
そんなある日、ヴァンデッシュに剣術指南を頼み込んだヒューデリカにヴァンデッシュも意外そうに目を瞬いた。
「そうよ」
ハミルトン伯爵家の本邸の広い庭、やや気恥ずかしそうに頷いたヒューデリカをヴァンデッシュはまじまじと見つめてくる。
なにしろ自分の剣術は剣道が基礎だ。西洋の剣術とは異なる。今までは護法の風の力でどうにか誤魔化していたがそうはいかなくなる時も来るだろう。
「う~ん、構わないんすけどぉ、俺、手加減はしないっすよぉ?」
「それで構わないわ。本気の剣術を学びたいの」
「本気、ねえ?」
ちなみにヒューデリカはハミルトン領にいる間、基本ヒューザリオンの姿だ。いつマゼイラ公爵一派が訪ねてくるかもわからないし、監視の目がある可能性もある。
ヒューデリカの言葉にヴァンデッシュはなにか言いたげに瞳を細めた。
「なにか言いたいことが?」
「その割には、お嬢は剣術の基礎が出来ていたように思うんすけどねえ?」
「あ、あはは、あれは気のせいよ」
「俺の目はごまかせないっすよぉ?」
顎に手を当てて、ヴァンデッシュはこちらに歩み寄ってくる。
「お嬢の立ち振る舞いは、剣を振るう者の佇まいっすよ」
そう囁いて、ヴァンデッシュはヒューデリカの腕に軽く触れた。
「お嬢って、本当何者?」
「聞いてなかった?
オレルアン公爵家令嬢」
「それは知ってるっすけどぉ、いまいち腑に落ちないって言うかぁ…。
ま、いいや」
内心冷や汗のヒューデリカに不意に追求の手を止め、ヴァンデッシュは腰に差していた剣を引き抜く。
「相手、していいっすよ」
「本当?」
「ええ。お嬢にヘマされて困るのはこっちも一緒なんでぇ」
「ありがとう!」
快諾したヴァンデッシュに思わず破顔してしまう。それにヴァンデッシュは目を見開いた。
「どうかした?」
「いいえぇ? 本当にお嬢、そうやって笑ってたら可愛いのにねえ?」
「わ、悪かったわね。普段は可愛くなくて」
ついどもってしまったのは、ヴァンデッシュの言葉にも笑みにも嘘がなかったからだ。ヴァンデッシュはいつだって嘘がない。軽薄な口調とへらへらとした笑みとは裏腹に真摯だ。それがわかってきたからこそ、今の「可愛い」も嘘じゃないと信じられる。
それでも恥ずかしくて憎まれ口を叩いてしまったが。
「なに言ってんすか。いつもは可愛いんすよ。でも笑ったところは、もっと可愛い」
「…っも、もういいから早く剣術指南をして!」
「はいはぁい」
軽い口調で頷くと、ヴァンデッシュは剣を持ったまま地面を蹴って背後に跳び、距離を取る。その身のこなしだけでも普通の武人でないのはわかる。そして自分は、そんなヴァンデッシュの本気を引き出せていない。出会った日のものは、不意を突いたからだ。
「じゃあ、行きますよぉ?」
「どうぞ」
ヒューデリカも腰に差した鞘から剣を抜き放つ。構えたヒューデリカの視界で身を低くしたヴァンデッシュが草原を蹴った。
一気に接近してきたヴァンデッシュの剣を自身の剣で防ぐ。だがすぐに上に弾かれ、剣を手放しそうになる。どうにか必死で握って、振り下ろした剣から素早くヴァンデッシュが逃げた。
「本気を、出してくれないかしら。手加減出来ないんじゃなかったの?」
「俺がいつ手を抜きましたぁ?」
「さっきの、剣を弾かれた時にあなたが攻撃をする隙は充分あったわ」
呼吸を整えながら言ったヒューデリカに、ヴァンデッシュは目を瞠ったあとすぐにっと笑う。
「さすがお嬢、そうこなくっちゃ♪」
瞬間、ヴァンデッシュが一気に接近した。ヒューデリカのような魔法の力ではない。並外れた脚力で地面を蹴ったのだ。
避ける暇はない。思わず反射で身体の前に構えた剣はすぐに弾かれた。吹っ飛ばされた剣が宙を舞う。意地で振り上げた足でヴァンデッシュの側頭部を蹴ったが、まるで手応えがない。白い手が、ヒューデリカの足を軽々押さえている。
「ざんねん♪」
「…っ」
その足を掴まれ、バランスを崩して背後に倒れ込む。草原に散らばった黒髪の隙間を縫うように、ヴァンデッシュの剣が地面に突き立てられた。
「はい、俺の勝ちぃ」
自分の身体にまたがって顔の横に剣を突き立ててにぃと笑ったヴァンデッシュに、目を瞠った後にヒューデリカは悔しげに顔をゆがめる。
「やっぱり、手加減してたわね。あのとき」
「いや手加減って言うかぁ、油断してたって言うかぁ」
「ムカつく」
「お嬢って意外と口が悪いっすよねぇ~」
「安心しなさい。あなたの前でだけよ」
はっきり言い切ったヒューデリカに、ヴァンデッシュがぱちくり、と目を丸くした。
「俺の前でだけぇ? ご両親は?」
「両親の前でこんな口調使うわけないでしょ」
「じゃあ、元婚約者の…」
「なおさら、そんな口調使わないわ」
きっぱり言い切ったヒューデリカにヴァンデッシュは普段細められている瞳をまん丸にする。そうすると可愛く思えて、ヒューデリカはつい笑ってしまった。
「お前も、案外可愛いわ」
そう言ってヴァンデッシュの胸を押すと起き上がる。ヴァンデッシュはヒューデリカの上から退きながら、「あ、あの、お嬢、可愛い、って」とうわずった声を発した。
「俺、胡散臭いとしか言われたことないんすけどぉ」
「安心なさい。私から見たお前は充分可愛いわ」
「…えー、それ複雑ぅ。ていうか『お前』って」
「そう呼びたくなったの。だって、お前、私の護衛でしょう?」
草原の上に座ったまま片腕を伸ばし、ヴァンデッシュの首に回した。
「つまり、私の『もの』なのよね? お前」
「~~~~~タチ悪ぅ、お嬢…!」
「お前もいい勝負よ」
そう笑って立ち上がった矢先だ。屋敷のほうから使用人が走ってきた。
「クラレンス男爵のご令嬢がいらっしゃっています」
その報せにヒューデリカはすぐ屋敷の中に戻った。
客室で待っていたクラレンス男爵令嬢、マリンはにこにこと笑ってソファから立ち上がると淑女の礼をし、ソファの前に置かれた紙の束を見せた。
「ご覧ください、ヒューザリオン様。
ご所望の父の不正の証拠ですわ」
「よくこんなに持ち出せましたね…」
ヒューデリカは向かいのソファに腰掛け、書類の一枚を手に取る。
「ヒューザリオン様のおかげですわ。
ヒューザリオン様がなにか父にしてくださったのでしょう?
おかげであれ以降、父が私を虐げることがなくなって、義母と妹もその様子を見てか大人しいですわ」
「しかしこれだけの書類の写しを持ち出せたのはあなたが普段から領地経営の書類を任されていたからでしょう」
「はい、父はまともに領地経営の仕事をしていませんでしたから、代わりに私が」
「そのおかげだ。ありがとうございます」
ざっと見ただけでわかる。マリンが持ち出した書類の写しには、クラレンス男爵の不正の証拠だけでなく、マゼイラ公爵一派の不正の証拠もある。
これはいいカードになる。
「さて、約束を果たしましょう。マリン嬢は証拠を充分に集めてくださいました。
あとはこの証拠を元に男爵を告発し、マリン嬢をクラレンス男爵家から連れ出します」
「…本当に、あの家から出られるのですね」
「ええ。ハミルトン家の親族に娘がいない家があります。その家の養女としてマリン嬢を迎え入れる準備を進めていますよ」
「ヒューザリオン様、本当にありがとうございます…」
微笑んで告げたヒューデリカに、マリンは感激の涙を零した。
最初から仕組んでいたわけではないが、マリンの父親がマゼイラ公爵一派の一人とわかった時点でこの方法を考えていた。不正の証拠を集めるだけ集めさせ、その後はマリンを家から救出する。これがベストだ。
「マリン嬢。私はあなたの想いに報いることは出来ないが…」
「いいのです」
マリンは明らかに自分に好意がある。だからこそその好意を利用した後ろめたさはあった。だがマリンは涙を拭って笑う。
「あなた様は私の境遇に心を寄せ、救ってくださった。
その真心だけで、私は充分ですわ」
そう微笑んだ彼女は美しかった。あの日の夜会よりも遙かに。
「マリン嬢は帰られましたか?」
「ええ、どうかしたの?」
マリンを屋敷の外まで見送って、彼女が乗った馬車が去るのを確認してから屋敷の中に戻るとヴァンデッシュがエントランスホールで待っていた。
「お館様がお呼びですよ」
いつもの軽い口調ではない。ならなにか深刻な事情があることか。
そういえばハミルトン伯爵の病はどうなっているんだ? ただの噂なのか?
そう考えながら伯爵の自室の前まで来る。ヴァンデッシュはついて来なかった。
「ヒューデリカです」
「入れ」
「失礼致します」
扉をノックして相手の返答を待つと、扉のノブをひねって入室した。
伯爵はソファに腰掛けていたが、その前に空になった薬の袋と水が半分ほど入ったグラスが置かれている。
「…伯爵、どこかお加減が…」
「前置きは良い。儂が病だという噂を聞いているのだろう?」
「…はい。では」
やはり噂は真実だったのか、と考えたヒューデリカだがすぐに、
「儂は病ではない」
と伯爵は否定した。
「しかし、」
「これは毒だ」
「毒…!?」
はっきり断言した伯爵に思わず大声が出てしまう。
「何者かが儂に毒を盛ったのだ。それも遅効性の毒。すぐに死に至らしめては自身が疑われるからとそうしたのだろう」
「心当たりが、あるのですか?」
「医師は毒ではないと言っていたが、これは毒よ。儂は病ではないのだ」
その発言にヒューデリカは「んん?」と思った。
「医師は毒ではなく病だと?」
「ああ、だが儂の身体のことは儂が一番よくわかっている」
それは、病を病でないと主張する老人ムーブでは?
とちょっと思ったが、この幾度となく隣国の軍を退けてきた用心深い国の守護神がそう言うなら、全くなんの根拠がないとも思えない。
「そこで、頼みがあるのだ」
「…私に出来ることならなんなりと」
「陛下から王都で行われるパーティの招待状が届いた。
それに参加し、儂に病をかけた人物を見つけ出して欲しい」
そうハミルトン伯爵は一通の封筒を差し出して告げた。