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第十話 名前で呼んで

 腕の中でくずおれたヴァンデッシュの肉体が重たい。

 でも、まだ温かい。

 そう理解した瞬間、ヒューデリカは風に乗って宙に舞っていた。

 そのまま一気に最高速度で公爵へと迫る。

 だがその攻撃は公爵の手前で防がれた。水のバリアだ。

「甘い! 私の加護の力には…!」

 不敵に笑んだ公爵だが、自身とヒューデリカを隔てる水の障壁に罅が入る。

「な」

「よくも」

 涙が散る。瞳ににじませ、ヒューデリカは怒りの表情で叫んだ。


「よくも、ヴァンデッシュを殺そうとしたわね!」


 その主人の怒りに応え、風の力が大きく震える。水の障壁が弾け飛ぶ。

 即座に公爵は自分の前で剣を構えた。

「串刺しになるが良い!」

 風の力で加速したヒューデリカの身体は止まらない。だが突然、剣が吹っ飛んで破片が散った。

「甘いっすよぉ」

 息を呑んだ公爵は、ヒューデリカの向こう、立ち上がった男の姿に息を呑む。

「お嬢が戦ってるのに、男が寝てらんないんでぇ」

 血まみれの身体で、足に力が入らない状態でも立って、不敵に笑んだヴァンデッシュが叫ぶ。

「行け! お嬢!」

「死にさらせぇ!」

 振り上げたヒューデリカの足が公爵の頭を蹴り飛ばす。そのまま吹っ飛んだ公爵の身体は、壁に叩きつけられ、意識を失ったその身体は床へと落ちた。




 王都の教会の寝台の上に寝かされていた男が、小さく声を漏らす。

 その閉じていた瞼が開いた。

「ヴァンデッシュ!」

「お嬢…? ずっと、そばにいたんすか…?」

 あのあと、すぐにヒューデリカは重傷のヴァンデッシュを抱えて飛び、教会へと運んだ。ヒューデリカの風の力でマゼイラ公爵の存命と罪を知らされた国王は即座に憲兵を送り込み、マゼイラ公爵は逮捕された。

 そしてヒューデリカはずっと教会で、出血多量で意識を失っていたヴァンデッシュに付き添っていたのだ。

「当たり前よ!」

「大丈夫、っす。ちょっと、休めば」

「馬鹿言わないで! あんな怪我して、挙げ句、こんな呪い…」

 ヴァンデッシュは寝台に横たわったまま笑うが、その表情は弱々しい。

 その胸元が開いたシャツから、漆黒の痣が覗いていた。

「大丈夫っすよぉ」

「なにを、根拠に…」

「根拠はあるっすもん」

 そう自信たっぷりに言って、ヴァンデッシュは「ふふ」と嬉しそうに笑う。


「惚れた女を守って戦うのは、男の本懐でしょぉ?」


 そう、得意げに。

「だからね、お嬢が勝つまで、俺は死なないって決めてるから。

 だから大丈夫なんすよぉ」

「…馬鹿」

 その笑顔がにじんで、ヒューデリカはうつむく。その頬を透明な雫が伝った。

「あ、あれ、なんで泣いて、…お嬢?」

「違うわ」

 震える声、勇気に変わって。

「今だけでいいの」

 泣きながら、ヒューデリカは起き上がったヴァンデッシュを見つめて告げる。


「名前で呼んで」


 その潤んだ瞳の中で、ヴァンデッシュの顔が愛おしげにほころんだ。


「ヒューデリカ」


 その男らしい手が、ヒューデリカの頬に添えられる。顔が近づいた。


「愛してます」


 そう、囁いてそっと、唇が重なった。




 その翌日、王宮の国王の私室を訪れたのはアンリだ。

「マゼイラ公爵には双子の兄がおり、足が不自由なため冷遇されていたと。存在も秘匿されていたようです」

「あの遺体は兄のものか」

「はい。ハミルトン伯爵にヴァイジャヤの呪いをかけた痕跡も見付かりました。

 大元から呪いの元を絶てば、呪いは消えます」

 アンリの言葉にわずかに国王は安堵の息を吐く。

 だがその顔から憂いは消えない。

「よくやった。だが」

「はい。ヴァンデッシュの呪いは…」




「お嬢、そんな顔しないでくださいっす。

 すっかり元気になりましたよぉ」

 教会のベッドの上、にこにこと笑って言ったヴァンデッシュにヒューデリカは泣きはらした顔で「嘘つき」と詰る。

「嘘じゃないっすぅ」

 屁理屈をこねるヴァンデッシュの身体を押し倒したヒューデリカに、ヴァンデッシュが焦った声を上げる。

「ちょ、お嬢、こういうのは夜になってから…!」

 その胸元をはだけさせて、ヒューデリカはまた泣きそうな顔になる。

「呪い、解けてないじゃない」

「…ああ、これはまあ」

 そこにある刻印は、消えないままだ。

「痛くないの」

「はい」

「苦しくないの」

「はい」

「嘘つき」

 また瞳を潤ませて詰ったヒューデリカの頬に、そっと手が添えられる。

「嘘じゃないんすよぉ。

 ね、お嬢。泣かないで」

「泣いてないわ」

「大丈夫っすから、ね?

 でも、嬉しいっすよぉ。

 そんなに、俺のこと好き?」

 嬉しそうに笑ったヴァンデッシュを見上げて、

「…そうだって言ったら、真面目に考えてくれるの?」

 と問いかけた。

 狡い男は、

「そうだって言ったらどうしますぅ?」

 なんてふざけるのだ。

「そういう返し方、嫌い」

 ドン、と胸を叩いて、その服を掴んで額を埋める。

「嫌い。嫌い嫌い。

 私のために、無茶するヴァンデッシュは、きらい」

「じゃあ、どんな俺が好き?」

 そっと自分にしがみつくヒューデリカを抱きしめるようにして、優しい声が尋ねた。


「…ずっと」


 叶うなら、いいのに。なにを差し出しても、いいのに。


「ずっと、そばにいて」


 お願い。そう祈ってきつくそのたくましい背中を抱きしめる。

「それは、…難しいお願いっすねぇ」

 困ったようにヴァンデッシュはヒューデリカを抱いて苦笑した。

「でも惚れた女の子の願いだったら、叶えたくなるのが男なんすよねぇ」

 そのくせ、幸せそうにそう言うのだ。

「ね、お嬢」

 そっと顔を上向かせて、まだ濡れている瞳を見下ろして彼は笑う。

「もういっかい、キスしていい?」

 その言葉に返ってきたのは、泣きそうな真っ赤な顔。


「その顔、イエスだって受け取るっすからね」


 そう少しだけ意地悪な顔で言って、ヴァンデッシュは顔を寄せた。


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