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▼第五十四話「屈強なる戦士の眠り」ウプウアウト過去編⑥




 アメミットの勝ち誇った叫びは、ハラサの死を確定させた。真実の秤とともに現れた暗雲のなかで、秤は一気に傾いていった。いまにも死の境界を振り切ろうとしたそのとき、ハラサが叫んだ。


「アメミット様、私は父たる資格もない、偽の父です。しかし、この息子のためなら、私の命など、いくらでも投げ捨てられます。どうか、どうか願いを聞き届けてください。この子の代わりに、私の心臓でご容赦ください」

「アメミット!! 父に手を出すな、俺を食え!! 父を見逃してくれ!!!!」ウプウアウトは鎖に縛り付けられた狼のように、もがき暴れながら叫んだ。

「親より先に死のうとする馬鹿に育てた覚えはない!!!!」とハラサは泣きながら怒鳴った。「アメミット様!! 私は第八位階です!! 私の心臓の方をお選びください!!」


 アメミットは不気味そのものの低い地鳴りのような笑いを鰐の口から漏らした。


「馬鹿め、二人とも神域に侵入したのだ。どちらの心臓も美味しく食べるに決まっておろうが——」


 そのとき、真実の秤が動きを止めた。最後の一線で、止まったのである。

 アメミットは腹を空かせていたので、真実の秤に対して暴言を吐いた。


「まったく、融通の利かない……!! おい貴様ら、真実の秤が最終弁論の機会を与えてくれるそうだ。とっとと語って死ぬがいい」


 宙に浮いた二人は、顔を見合わせた。


「父さん!! なんで家で寝てなかったんだよ!!」

「かわいい子供が窮地なら、父親なら誰でも、空を飛んでだって助けに来るさ」ハラサは強がって笑った。「それに、愛する息子を二度失うことなぞ、俺に耐えられるものか」

「俺は父さんさえ生きていてくれたら!!」

「お前、あんな話を聞いてもまだ、俺を父さんと慕ってくれるのか」


 ウプウアウトは一瞬の迷いもなく、言い切った。


「当たり前だろ!! 父さんは、どんな父さんだって、父さんじゃないか!! 父さんがどんな悪人でも、俺には、かけがえのない父さんなんだよ!!!!」


 そのとき真実の秤が光を放った。あまりの眩しさに、全員が目を瞑った。光が収まって目を開けると、真実の秤も、空に立ち込めていた暗雲も、すべてが消え去っていた。


「……秤が、貴様らを許した」アメミットは、至極残念そうに肩を落とした。寂し気に胃の辺りを抑えている。どうしても彼らを食べたかったのだ。「侵入の罪は、即刻退去すれば許す。生命の実はやれんがな。ほら、とっとと去ね。でないとお前たちを食べてしまう」


 二人は顔を見合わせて唖然とした顔をした。そして身体の金縛りが解けた。二人は、宙で抱き合った。ウプウアウトは、かつては鋼鉄のように鍛え抜かれていたハラサの身体が、やせ衰えていた衝撃を感じたが、この細い身体の感触を、生涯忘れまいと誓いながら両腕に力を込めた。


「立派になったな、我が息子よ」

「全部、父さんのおかげだよ」



 湿原の傍の岩山にある洞窟で、ハラサはウプウアウトに見守られながら、横たわっていた。その顔は、至極安らかだった。息子に秘密を明かせたこと、そして、許されたこと、この二つが、彼の死を幸福な色で彩った。


 最後に、彼は愛する息子に忠告を残した。


「ウプウアウト、息子よ……。九年間、お前のおかげで、幸せだった……。ありがとう」

「俺もだよ!! 俺だって、父さんがいてくれたから幸せだった!!」

「貧しい暮らしをさせてしまって、お前には申し訳ない気持ちでいっぱいだった……」

「そんなこと!!」

「最後に父の忠告を聞いて欲しい……」息を荒くして、ハラサが言った。もはや、生命の灯は、尽きようとしていた。ウプウアウトは耳をそばだてた。「難しいだろうが、憎しみを忘れろ……。憎しみに囚われると、他人に心を縛り付けられた人生になる……。だが、お前は、そんなものに囚われず、お前自身の人生を生きるのだ……!」

「……父さん、約束するよ」

「私が死しても、お前を永遠に見守ろう……。お前は私の誇りだ、ウプウアウト……


 ハラサの一生は、苦難に満ちた人生だったが、いま、そのすべての重荷を下ろした。

 屈強なる戦士は、幸福のただ中で、眠りについた。


 ウプウアウトは父の死を見届けると、歯を食いしばりながら涙を流し、激しく嗚咽した。


(ごめんね、父さん。俺は最後の最後にあなたに嘘をついてしまった。——俺は、母を殺し、父さんの息子を殺し、父さんを討とうとしたセトを、許すことはできない。セトよ、なぜ数多の人々を殺した。すべての元凶は、セトだ。俺は、……セトを殺す)



 ウプウアウトはメンネフェルの大神殿の前で、過去のことを一瞬思い出し、激しい怒りで狂わんばかりになったが、敵地の真ん中で不審な挙動をするほど愚かではなかった。ウプウアウトは顔に感情を出さぬよう努め、平静を装って歩いた。

 それから、大神殿の両脇にそれぞれひとつずつある兵舎の、向かって右側の兵舎に何食わぬ顔で入っていった。この時代のメンネフェルの軍制は、常駐軍ではなく志願兵を都度募るかたちであった。だから見知らぬ顔がいてもとくに不審がられはしない。ウプウアウトは兵士たちと雑談し、彼らと打ち解けた。

 メンネフェルの貧しい民衆たちは、平時はパンとビールだけの粗末な食事を取ることがほとんどであった。しかし、祭事や式典のときには、特別に肉や魚などの豪華な料理が振る舞われることになる。民衆たちはこれが楽しみで生きているようなものだった。ウプウアウトの役目は、数日後の式典で振る舞われる料理を、誰が、どこで作るのか、という情報を探り出すことであった。そしてウプウアウトは、敵地の真ん中で敵兵と交わりながら、その情報を盗むことに成功した。ウプウアウトは、消えることのない憎悪の炎を宿しつつ、楽し気に語らうという、異能の力を持っていた。この巧みな感情の制御は、セトの血の為せる業であろう。ウプウアウトはたちまち彼らと打ち解け、抜け目なく巡回のルートなども聞き出した。それから、兵舎のあちこちを自然に見て回り、兵舎の内部構造を把握したのち、隙を見て各所にある仕掛けを施した。



 アヌビスとメジェドは、油屋に扮し、ロバが引く荷車に山ほどの油壺を積んで、大神殿の入り口にいた。二人は長い髪を頭巾の中に隠し、化粧で顔の印象を変えている。


「注文されていた油の納入に参りました」とメジェドが恭しく言った。アヌビスよりもメジェドの方が芝居がうまいので、矢面に立つのは彼の役割だった。

「ご苦労。さっさと済ませよ」

「御意に」


 荷車から油の壺を下ろすと、彼らは巨大な石の階段を、油壷を背負って登りだした。一見細身の少年たちが、あまりに易々と油壷を背負うので、兵士たちは本当に油が入っているのか、怪しんだ。


「待て! 油壺を改めさせて貰おう!!」


 しかし、兵士たちは拍子抜けした。すべての油壷を確認したが、どれもなみなみとひまし油が入っている。とすると、ただただ少年たちの腕力が人並み外れているということになる。兵士たちは愕然とした。それはふつう、成人男性が二人か三人がかりで運ぶものだからである。あの細い腕でどうやって、と兵士たちはざわついた。だが、アヌビスはすでに第二位階九成に達していたし、メジェドも火吹き蜥蜴(サラマンダ)の血肉のおかげで第三位階二成に達していたので、これくらいの重量であれば、一人でもどうにか運べるのだ。驚く兵士たちに、メジェドは「重いものを運ぶにはちょっとしたコツがあるんですよ。我が油屋の秘伝なんですがね」と弁解せねばならなかった。


 そしてどうにかその油壺を神殿内に運び入れることができた。アヌビスは安堵の息を漏らした。その油壷には細工が仕掛けてあり、ほぼ透明な顔料で魔法陣が描かれていたのだった。もしも中身ではなく外側を詳しく調べられていたら、光の加減によってはその魔法陣が見つかっていた可能性もある。だが、どうにか中に入りこめた。

 荷車と貯蔵庫を往復して油を運び入れる最中に、二人は道に迷ったふりをしてあちこちを歩き回った。メジェドは困った顔の演技をしながら、葦のペン先に透明な顔料を塗ったものを用い、目立たない場所、壁の下部分や、柱の上側などに、魔法陣を次々に描いていった。


 しかし、その動きが、監視魔法で動きを追尾していた警備班を刺激した。


 報告を受けたのは、レンシュドラが盗みに入った家の家主であり、神殿の長老株・十狼頭のドゥスウルトゥだった。彼は浅黒い肌をしており、豊かな暮らしで身体中に肉を付けていたが、目つきだけは野生の獣のように鋭かった。どれほど飽食しても満足せぬ、貪欲なる獣である。


「おい、奴らを神殿から追い出せ。これ以上うろつき回らせるな」


(つづく)

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