▼第四十三話「紅の瞳」メンネフェル大神殿編②
一同は黙り込んだ。アヌビスの言うことにも一理あったからだ。たしかに、目の前の機会を試しもせずに死ぬのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。こうなれば、死中に活を求めるか、とウプウアウトは意志を固めて顔を上げた。この男、十四歳ながらに生い立ちの複雑さゆえに死線を何度も潜っているだけのことはある。
ウプウアウトはほかの三人と視線をかわした。レンシュドラは行く気である。十二歳なのに、どうしてなかなか、肝が据わっている。アヌビスは好奇心に浮かされているだけだが、レンシュドラは死を見据えたうえで、ぽんと軽く覚悟を終えた目をしていた。ウプウアウトとレンシュドラは見つめ合いながら頷いた。
メジェドはどうにも腰が引けている。どちらの選択もしたくないのが本音だった。逃げ出したい、隠れたい、僕だけ見逃してくれ、と心の中で願った。恥ずかしいこともわかっていたし、は許されぬことであるのもわかっていた。だが、メジェドは十二歳らしく、死ぬのを怖がった。ぶるぶると震えている。
「ディラ、行きたい奴だけで組むんじゃダメか?」とアヌビスがメジェドを慮って訊ねた。
「それはならん。ここに足を踏み入れた時点で、一蓮托生なのだ。そもそも、このようなラーの秘庫に入った時点で命を捨てる覚悟は出来ておったろうに」
メジェドはその言葉を聞いて、はっと出発前の自分の姿を思い出した。そうだ、僕は勇気を一度振り絞ったんじゃないか。自信の持てなかった僕が、自分で決めた、ほとんど最初の物事だったじゃないか。
青天の霹靂のような衝撃があると、性格の癖が反射的に頭をもたげてくるのはよくあることだ。とくに、十二歳のメジェドならなおさらだ。
しかし、ディラの言葉を聞いて、メジェドは目が覚めた。
ここにいるのは、誰のせいでもない。自分の選択の結果なのだ、とメジェドは捉えなおすことができて、目が変わった。メジェドは、被害者のままの弱い子供の自分を、はっきりと自覚できた。
「アヌビスくん、気を遣ってくれてありがとう。でもね、やっと思い出したんだ。僕は、自分の意志でここに来たってことをね。これは誰のせいでもない、僕の選んだすえの試練なんだ。ディラさん、ありがとうございます。おかげで目が覚めました。僕も行きます。……いや、行かせてください」とメジェドは頭を下げた。「僕は、弱いままの自分は、嫌だから……」
「メジェド」とアヌビスはメジェドの肩に手を置いた。弱気で自信のない奴だと思っていたけれど、やはり、男なのだ、とアヌビスは感銘を受けた。ウプウアウトも「まったく……」と口では言っているが、少し見直したようだった。
「ああ、当然来てもらうに決まってるだろ。お前には任せたい仕事もあるしな」とディラは平然と言った。
インプトは、意を決して問うた。
「ねえ、改めて聞くけど、分け前はもらえるのよね?」
「ここにはラーの秘宝のほかに、たくさんの財宝があると聞く。私の狙いは、<紅の瞳>だけだ。それ以外の宝は、私が八割もらうが、残りの二割だって莫大な財産になるはずだ。お前たちでそれを分けろ。金の心配するな、これは本当にどでかい山なのだから」
「なら、私は行く」とインプトが言った。こちらも強い覚悟を決めた目をしている。少女は、おのれの自由を勝ち取るために、死線へと敢えて飛び込む決意を固めた。
「では、お前たち、腹は括ったか。ラーの秘庫で出会った私たち六人は、きっとラーの導きによるものだと私は信じる。私たちなら、きっと出来るはずだ。さあ、計画の詳細は今から詰めていこう。貴様らのアイディアも採用するかもしれんぞ。ははは、楽しいな! ああ、大筋のアイディアはあるから心配はするな」ディラはつらつらと一気呵成に言いたいことをまくしたてた。彼女は孤独な生き方ゆえ、子供たち相手といえど、「仲間」という存在ができて、望外に嬉しかったのだ。仕事をするうえでは冷酷無比なこの女が、こうまで感情がたかぶるなど、じぶんでも意外だった。「そして、ラーが導いたこの六人だからこそ、ゆめゆめ抜けることは許されん。脱走を企てた者は、盗道不覚悟として斬り捨てさせてもらう。さらに、私の指示に従わぬ者も、盗道不覚悟として斬首の刑に処する。ああ、そうだ、安心しろ。死に化粧は美しくしてやるからな。この私に任せておけ」
なにひとつ安心できないフォローの内容に、アヌビスは乾いた笑いを出すしかなかった。
「そないに物騒なところにわざわざ盗みに入るんやから、その<紅の瞳>っちゅうのは相当なお宝なんやろなあ」
「ふん、もともと瞳は一対だろう。ラーの秘庫に眠っているのは片目のみだからな。揃えなくてはならんだろう?」
アヌビスはラーをちらっと見た。
「揃えたらなにか魔法みたいなことが起こるのか?」
「起きるとしてもお前に言う訳ないだろう。俺だって学習したんだぞ? お前は絶対に首を突っ込みたがるからな」と幼児フォルムのラーが言った。
「起きるんだな」「起きない」「いや起きる」「起きないったら起きない」
アヌビスは小声でひそひそ独り言を言っているように見えて、ディラは少しおかしい子なのか、と納得した。だから命知らずなのだ、と。
「いや待て。おかしいだろ。そもそも、ただの宝石を狙ってメンネフェル大神殿とラーの秘庫なんてド危険な場所に、入ろうと思うか? お前、なにか俺たちに隠してることがあるんじゃないのか」とウプウアウトが言った。
「鋭い奴だ。ただ、それには事情があるのだ。それはお前たちの知るところではない。だが……」
ディラは黒曜石の仮面を手で抑え、高飛車に言い放った。
「もっと私を褒めてみろ。いい奴だとか、フェアだとか、料理上手だとか、画才があるとか、そういう感じのコメントで私を気持ちよくしてみろ。そうしたら口の滑りもよくなろう!!」
「あんたどんだけ欲しがるねん!!」とレンシュドラが思わず突っ込んだ。
インプトはディラがじつは喋りたくてたまらないのだと、女の勘で理解した。そのあふれんばかりの聞いて欲しい欲が、生臭いにおいとして、鼻先に突き付けられているかのようだった。アヌビスも厄病神と忌み嫌われていた生い立ちだったので、そのあたりの機微をはっきりと察した。いままで誰かに話したことがなくて、こんな風に照れ隠しのようなコミニュケーションになってしまっているのだ、ということも、自身の経験から理解していた。
逆にレンシュドラはそれがわからず、無邪気にディラとの会話を楽しんでいる。それはそれで、ディラは嬉しかった。これが、渇くほどに求めていた軽妙な会話である。
レンシュドラは苦し紛れにあれこれと褒めたが、ディラはからかうようにもっともっとと求める。ウプウアウトは誉め言葉など見つからぬ、と参加を諦めている。賢いくせに不器用な男だった。
「さあ、もっと褒めろ! ん? この美しい顔にもふれてコメントしてみろ。どうだ、美しいだろう」
「もうええわ!」
ディラは笑った。暖かい笑いと、冷たい笑いとが混ざっていた。その冷たさは、自嘲である。
——いくら美しくとも、だれの目にもその姿は映らない。
そんな透侵怪盗の鬱屈とした気持ちが、宝物庫に眠る宝石への、モノとヒトとを超えた共感をもたらすのであった。
「そこまで縋られては仕方あるまい。一蓮托生のお前たちだから言うのだぞ」
ディラの記憶は一歳からあった。早熟で、物心がつくのが速いなんてものではなかった。二歳ですでにヒエログリフを覚えて読んでいたのだから、神童と言うほかない。そんなディラにも、母の記憶はなかった。母は、産後すぐに息を引き取ったと父のクロムテから聞かされた。産後に肥立ちが悪くて死ぬことは、珍しいことではない時代である。
ディラを育てた父クロムテも名うての盗賊で、初代透侵怪盗はこのひとであった。透侵怪盗は正体を誰にも知られていない。だからこそ、二代目が現れても、同一犯だと思われたのだ。
クロムテは、手塩にかけてディラを育てた。大切にし、いつも甘い言葉をかけ、かわいがってやった。目に入れてもさほどの痛痒感も感じなかっただろう。甘い果汁をふんだんに注ぐかのような愛し方だった。時代が時代なだけに、武功を教えるときは真剣だったが、それもこの子のためを思ってのことだった。しかし、熱意の注ぎがいもある。ディラには、蒼流で名の売れた武人のクロムテでさえも驚きを隠せぬほどの武才があったからだ。クロムテは珠を磨くようにして、愛娘を慈しんだ。ディラは父が好きだった。母親はいなくとも、それでもかまわないと思えるほどに父は愛してくれた。父は言った。「お前がこの世に生まれてきてくれて、本当に嬉しいよ。生まれる前からお前に会いたかったみたいだ」ディラは父さえいれば、ほかになにもいらぬ、と子供心に強く思った。
その父クロムテがかつて狙い、そして、その命を散らした財宝こそ、紅の瞳であった。
ディラの悲しみようは筆舌に尽くせぬ。ひと月もふた月も泣き叫び、喉は枯れ、食事も喉を通らず、もはや枯れ枝のようになった。毎夜、天に浮かぶ月に拳を突き立て「なぜ父を連れていったのか」と地面を転げまわってこの世界を拒絶した。
ディラは八歳で天涯孤独の身となったが、その後も父の教えを忠実に守り、世から離れて暮らした。
というよりも、守りたかった。
反対にクロムテは、普通の女の子として生きる道もある、と何度も諭したが、ディラは頷かなかった。
愛する父と母の生業を、どうして継ぎたくないと思えるのか。
ディラは盗賊として生きたい、と誇りを持って決めていた。いまやディラにとって、盗賊とは、父と母との絆そのものである。
そして、それと同時に、この盗賊という職業は、愛する父と母を失わせしめた呪いでもあった。
ディラは、父の仇を討ちたかった。しかし、実力がとてもではないがセトには及ばない。そこで、十二か年計画を立て、ディラは自身を鍛えることにした。せめて、一矢は報いられるように。せめて、命と引き換えにしてでも、父の無念を晴らせるように。
八歳の少女にして、この遠大な計画を発想し得たのは、まさに天才である。
そして、若干二十歳でマスダルの教師級である第六位階に達したのだった。
——時は満ちた。
「私は父の仇を討つ。父と母が手にしたいと望んでいたものを、この手中に収める。そのとき、私はこの生き方とはじめて向き合えるだろう」
(つづく)
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