▼第十五話「第二位階と妖艶な薔薇」
アヌビスの水晶が光るとともに、ハウランが叫んだ。「そこまでッ!!」
アヌビスは呆気に取られていた。
(ようやく自分と和解したっていうのに、もう試験が終わっただなんて……!?)
周りの受験生たちは肩を落として泣いている。四つん這いになり、地面を叩いている者や、頭を抱えて叫んでいる者もいる。ここに受かるかどうかで人生が変わるのだから、無理もない。
無論、アヌビスもがっくりとうなだれた。ラーの期待を裏切ってしまったな、とため息をつく。
しかし、清々しい気持ちもあった。試験には失敗したが、大事な気付きがあったのだから。
(それに、強くなる手段なら無数にあるだろう――)
アヌビスはいまや、一つの失敗ですべてが終わったと思う、ゼロか百かという思考の癖から抜け出し始めていた。
そのとき、演武台の上にいるハウランが、アヌビスに向かって手を振りながら大声で言った。
「おいアヌビス!! 何やってんだ、第二試験はこっちだぞ!!」
(い、いまの言葉、どういう意味だ??)
アヌビスは戸惑った。自分かハウランかのどちらかに致命的な誤解があるのではないか。頭が混乱してくる。
「お、俺、合格なんですか!?」
「そうとも!!」ハウランは首肯した。
アヌビスは、世界のすべてが、ふわふわしているように感じた。
まわりをきょろきょろと見回し、普段と世界の見え方が変わっていることに奇妙な楽しさを覚えた。
(いま、夢の中に、いるみたいだ――)
「しかし、なんだあれは!! 試験中に何か悟りよったな!!」ハウランは豪快に笑った。「お前の成長スピードには驚かされてばかりだ!! もう第二位階だとはな!!」
今度こそアヌビスは耳を疑った。
(俺が、あの、廃品と呼ばれていた俺が、第二位階だって!?)
アヌビスは胸が熱くなるのを感じた。
そして、ハウランの声が大き過ぎるあまり、否が応にも周りに全部聞こえてしまっていた。
すると、人々はアヌビスに注目しだし、あれこれと好きかってことを口さがなく話す。「どう見たってまだ十二歳かそこらだろう? もう第二位階だって?」「大方、どこぞのエリートなんじゃないか?」「あーあ、やっぱ天才じゃないと入れないんだな」「てかよく見たらすっげえかわいい子だな」「馬鹿、男だろ」
それらの声を聞いて、アヌビスの耳が赤く染まる。自分の噂話が、こんなに嬉しいものだったなんて。
いままで陰口しか経験がなかったアヌビスには、何もかもが新鮮で、そして恥ずかしかった。
「誇れ、アヌビス。胸を張って顔を上げろ。お前はやり遂げたんだ。チャクラに触れてわずか一か月なのだぞ。ほかの貴族連中と違って、特別な霊薬だって飲んでない。それで合格したんだ、お前自身を誇れ」とラーが肩にちいさな手を載せた。
アヌビスは赤面しながら頷いた。
(そうか、これ、俺がやったことだって誇っていいんだ)
アヌビスはようやく喜びを受け止め、胸が爆発するほどの大きな達成感を得た。
そして恥ずかしそうに顔を上げ、周囲の顔を見た。
みな、自分を見て驚いている。そこには優れた者に対する嫉妬だけでなく、純粋な好意らしきものも見受けられた。
アヌビスは、初めて周囲から受け入れられるという体験をした。疎まれて育った彼にとって、それは不思議な感動を伴った。アヌビスの表情が、心なしか頼もしくなった。
「第二試験も頑張れよな!!」とハウランはアヌビスの背中を軽く叩いた。それでもその尋常ならざる膂力は、アヌビスの身体を数歩ぶんもよろめかせた。
「だ、第二試験もあるんですね!?」
「おうさ。戦いは内功だけで決まるものではない。体術面も見なくてはな」
アヌビスはちら、とラーを見る。ラーは、心配するな、と頭を振る。
「ハウラン将軍、正直第一試験だって受かる気はしませんでした。だから、だめで元々、精一杯やってみます!」
「お前の気持ちはわかったぞ!! 俺は、お前が合格する方に賭けるからな!!」
「しょ、将軍っ!! 生徒の合否で賭博とかしていいんですか!?」
「ふん、青いな。どんな些細なことであれ、人生の選択のすべてが賭博なのだ。お前がマスダルにわざわざ来たのも人生の賭博であろう? 選択が賭博である以上、生きる事はすなわち賭博の連続よ。賭博のなかに人生があるのだ」
「一理ある」とラーも頷いている。
どうしようもない大人たちだ、とアヌビスは引きつった笑顔にならざるを得ない。
ハウランは生来の大声であり、その声は遠方の教師陣にも聞こえている。
「あの子かわいそうに……。ハウランに目を付けられてしまったのね」と女教師が嘆く。
「奴の賭けが当たっているのを、未だかつて見たことがないからのう」と白髭の教師が首を横に振る。
講堂に足を踏み入れると、外の灼熱の暑さと打って変わって、ひんやりとした空気が肌に触れた。
高い天井の下には巨大な石灰岩の梁が交差しており、この学院の権勢を表しているようにアヌビスには感ぜられた。講堂上部には開口部がいくつも開いていて、そこから太陽の光が斜めに注ぎ入れられ、講堂内部を柔らかな光で満たしている。
講堂の奥には、石で作られた高台があり、そこに一人の女が立っていた。年のころは恐らく三十代の半ば。アヌビスにはいちばん眩しく見える年ごろだった。アヌビスは母性に縁のない人生を過ごしてきたため、”年上の女”というものに憧れを持っていた。
その女は青い髪を顎のラインあたりで切りそろえており、気の強そうな顔に、とても似合っていた。唇は分厚く、暗い色の口紅が色気を引き立たせていた。妖艶な薔薇のようだ。
「なにをぼーっと突っ立っている? 君が最後だ。空いている席に座りなさい」とその女が言った。
周りはくすくすとアヌビスを笑っていた。アヌビスは赤面しながら空いている席に座った。
「全員揃ったな。私はセルケト。教員兼、医局長をしている。君らがけがをしたときには、私が処置をする」と青髪の女が言った。
また子供たちがざわざわと蠢きだす。セルケトはテーベでも稀なほどの美貌だった。俺わざと怪我しちゃおっかなーなどという不届きな声も聞こえてきた。
「良家の子女といえどもガキはガキだな」とアヌビスは独り言ちる。
「何言ってんだ、お前だってあの女の色香に立ち尽くしていただろ」とラーがつっこんだ。
「馬鹿、俺はいいんだよ俺は」アヌビスにはそういうところがある。
第二試験の内容は、広大な運動場にコースを作り、限られた足場を飛び移りつつ、飛んでくる球に「破」と書いてあれば斬り、「避」と書いてあれば避け、ゴールまで走るというものだ、とセルケトが説明した。
「これは走破時計を競うものではない」とセルケトは言った。「無事にゴールできればよい。ただし、球に書かれた指示を三回間違えたり、身体に当たったりした場合は失格とする。また、足場を踏み外し、落下した場合は即失格だ」
その試験の概要を聞いて、アヌビスは驚いた。いつも夢でラーとやっている七星歩法の修練方法とまるっきり同じだったからだ。
「これ、偶然じゃないよな?」とアヌビスは小声でラーに言った。
「当たり前だ。試験対策はもう十分にしてある。世界唯一の第十位階の俺が、毎晩直々に稽古をつけたんだ。なんの不安もない。お前はいつも通りやれ」
アヌビスは拳を固く握り締めた。やってやろうじゃねえか。
(つづく)
▼主要登場人物一覧
・アヌビス…父・母に会うため、また、生き延びるために修練する十二歳の少年。絶世の美形。
・ラー…アヌビスの祖父。思念体としてアヌビスを導く。古今唯一の第十位階。終末戦争を防ぎたい。
・ホルス…父オシリスの復讐のために生きる美少年。冷酷。ラーの孫であり、アヌビスの近親。十二歳。
・セベク…ホルスに仕える大柄な少年。高位貴族。十四歳。
・インプト…没落した家門の美少女。自由を勝ち得るために生きる。十四歳。
・ハウラン…龍炎獅牙の別号を持つ第七位階の将軍。豪放磊落。体も声もでかい。自称賭博師。
・セルケト…美女医。妖艶。
・アイシャ…ジャウティの墓守。アヌビスに命を救われ、助力する。
・オシリス…ホルスの父。テーベの先王。セトの謀略によって死す。
・セト…メンネフェルの王。戦場でアヌビスを見つけ、呪い殺そうとする。動機は不明。
・イシュタル…アヌビスの母。美と戦の女神。アヌビスの力を封印して捨てた。動機はいまだ不明。




