27-4
今日の夕方、シンシア先生に会う。
先生と会うことにここまで緊張したことはない。
魔法士としての試験を何度か受けたが、あの時でさえ緊張した覚えはない。
「エレナ。大丈夫か?」
昼食時、ライアが心配そうに尋ねてきた。
彼女は、私を気遣ってくれているんだろう。
「問題ない」
「ないようには見えないが…」
私は彼女の視線から逃れるように、黙々と、味がわからないまま昼食を口に運んだ。
「僕が言うべきことではないが…いつも通りの君であればいいと思う」
「ええ…ありがとう…」
ライアには礼を言ったが、いつも通りの自分とはなんだ?
わからない。
シンシア先生と会うとき、私は一体どんな顔をすればいいのだろう。
昼食を食べ終え、自分の部屋に戻る。
いつもなら、午後はノワール様からいただいた書を読み解く時間に当てているが、全く身が入らない。
今日は全く集中できない。文字は視界に入っても、その意味が頭に入ってこない。頭を素通りしていく。
「はあ…」
何度目のため息だろうか。
「エレナ様、どこか体の具合が悪いのではありませんか?」
カリィが心配そうに声をかけてくる。
「いいえ」
「そうですか?…具合が悪くなりましたら、すぐに先生に診てもらわれたほうがいいです」
「ええ」
メイドにまで気を使われるとは…。
刻一刻と予定の時間が迫ってくる。
時の流れが早く感じるし、遅くも感じる。
「エレナ様」
戸口にナミが現れた。
「そろそろ…」
「ええ」
廊下に出て、一旦執務室に寄って、ウィル様とリアン様に挨拶をする。
「少々出かけて来ます」
「うん」
「エレナ。笑顔よ。笑顔が一番」
「はい…いってまいります」
笑顔か…。
私に心からの笑顔ができるだろうか。
広場には、ヴァネッサが佇んでいた。
「待たせた」
「いや」
彼女は普段の服装と変わらない。
鎧は着ておらず、剣すら持っていなかった。
そのあまりにも普段通りの姿が、違和感を覚える。
「その格好で行くの?」
「そうだけど?」
「剣は?」
「剣持っていってどうすんの…」
「いや…わからないけど…」
「行って帰ってくるだけなんだよ」
まあ確かにそうだ。
「もう向かったほうがいいのではないでしょうか」
ナミが空を見上げている。
西の空は赤みが増していた。
「だね。じゃあよろしく」
「お願いします」
「ええ」
リカシィに向かうのは、私とヴァネッサ、ナミの三人。
「足が埋まっていませんように…」
ヴァネッサが、祈るように空を見た。
「最近は、調子がいい」
「どこか改良したんですか?」
「いいえ」
「…そ、そうですか」
ナミは苦笑いを浮かべた後、深呼吸を何度もしている。
「ではリカシィへ転移する」
転移魔法を発動させた。
足下に魔法陣が淡く輝き、瞬く間に光が強くなる。
閃光が視界を真っ白に染め上げ、音も色もすべてが消え失せる。一瞬の静寂の後、目を開ければ、そこはリカシィの丘の上だ。
「きゃ!」
ナミが悲鳴を上げた。
「足が…うわ…」
ナミの足が、足首あたりまで地面に埋まっていた。
驚きでバランスを崩し、後ろに倒れそうになる。
「おっと…」
私が手を差し出すよりも早く、ヴァネッサがとっさにナミを支えた。
「大丈夫かい?」
「はい、ありがとうございます…。なんで、私だけ…」
「申し訳ない」
魔法で地面を操り、ナミの足を抜く。
「ありがとうございます」
「いいえ」
ここは、リカシィの港町全体を見渡せる小高い丘。
眼下には、たくさんの船が停泊しているのが見える。
夕日が、海を赤く染めている。
シンシア先生はまだ来ていなかった。
「いつものリカシィかな?」
ヴァネッサが腕を組み、そう呟く。
たくさんの船が停泊しているのが、見える。
「シファーレンの港もこんな感じなの?」
彼女はナミに尋ねた。
「リカシィよりも大きいです。倍以上はあるかと」
「へえ」
私は二人の会話を聞きながら周囲を気にする
まだか…。
「シファーレンで竜騎士見た?」
「竜騎士は見ていません。一度も」
「え?一度も?」
「はい」
「シファーレンって竜騎士いるよね?」
「いると思いますけど…」
二人は私を見る。
「私にはわからない」
「だよね…」
そんなことに興味はない。
太陽が水平線に差し掛かってきた。
「来ないね」
「ええ」
「今日で間違いないと思いますけど…」
「今日、来なかったら、明日…」
ヴァネッサが言い終わる前に、丘が一瞬の閃光に包まれる。
閃光の後に、人物が現れた。
シンシア先生と…ディナトス様だ。
ディナトス様まで…。
シンシア先生は大きな手提げカバンを持っている。
「来たね…」
「ええ」
久しぶり見るシンシア先生。
遠目に見る限りは、変わった感じはしない。
あの頃と変わらない、優しげな雰囲気をまとっている。
私が小さく会釈する。向こうも会釈をした。
「後ろのおじいちゃん、誰?」
「おじいちゃん…」
「あの方は、前所長のディナトス様」
「すごく高名な魔法士じゃなくて…魔道士様です」
「あ…そう…黙っててよ。おじいちゃんなんて言ったこと…」
ヴァネッサは、少し緊張している様子。
私はもっと緊張していた。
お二人がゆっくりと近づいてくる。私達も歩き出す。
二歩ほどの距離をあけて、立ち止まった。
「お久しぶりです。シンシア先生…」
私の声は、震えていた。
「ええ。ほんとに…」
シンシア先生は柔らかな笑顔。
その笑顔は、私が知っている先生の笑顔そのものだった。あの頃と変わらない、暖かく包み込むような笑顔。
「ディナトス様。お久しぶりでございます。このような所までご足労いただきまして…」
「うむ。わしもお前の顔を見たくなってな。変わりないようだ」
「ディナトス様もお変わりないようで」
「なんとかな」
そう笑顔で頷く。
「話したいのは、わしではなく、シンシアだろう?」
そう言うとディナトス様は、私とシンシア先生から離れていく。
ナミが挨拶に行った。
「ディナトス様、お久しぶりでございます」
「うむ。久し振りだな、ナミよ。ん?腕はどうした?」
「これは…転んでしまいまして…」
「大事にせいよ」
「はい」
「エレナ…」
「はい」
シンシア先生は、私をじっと見つめる。
先生の表情は、穏やかで、優しく、私がずっと会いたかった顔だ。
だが、その顔にはあの頃にはなかったシワが増え、頭髪にも白いものが多くなっていた。
それだけ時間が経過したのだ。経過してしまった。
そう思うと、胸に何かがこみ上げてくる。
目が熱くなり、視界が滲み出す。
私は、シンシア先生に、このみっともない顔を見られたくなくて顔を伏せた。
「どうしたのです」
「申し訳…ありません…別に…」
シンシア先生が近づき、私の肩に手を乗せる。
「あなたの涙を見るのは、孤児院に来た時以来ですね」
そうだろうか?。
「お兄さんと別れの時、泣きじゃくっていたのを覚えています」
よく覚えていらっしゃる…。
「お兄さんと再会できたようね。ナミから、シファーレンを出た後のことを聞きました。苦労もしたみたいね」
「私の苦労など、シンシア先生に比べたら、砂粒です」
私は、涙を拭った。
「その言い方、変わらないわね…」
顔を上げ、シンシア先生を見ると、彼女も涙を拭っていた。
「安心しました…どこかで倒れているのではないかと…」
「私ひとりでは、生きては行けませんでした。運良く、いい人たちに出会えたので」
「ええ。後ろの方も、その一人かしら?」
「はい」
ヴァネッサが前に出てくる。
「お話し中、失礼します。はじめまして、シンシア・レーヴ様。わたしは、セレスティア王国シュナイツ領、竜騎士隊隊長ヴァネッサ・シェフィールドです。以後お見知りおきを」
彼女はそう言って、敬礼する。
「はじめまして、シンシア・レーヴと申します。シファーレン魔法研究所の所長を務めさせていただいております」
シンシア先生も挨拶する。
「エレナが、お世話になっています」
「世話になっているのはこちらです。彼女の魔法で、シュナイツは成り立っています」
「そうですか」
先生は笑顔で頷く。
「言い過ぎ」
「間違ってないから」
「貢献度でいえば、竜騎士であるあなたが一番貢献している」
「当たり前でしょ…」
ヴァネッサはため息を吐く。
「あんたを、立ててるの。そう言っておけば、安心するでしょ?レーヴ様は」
「なるほど…」
「ふふふ」
先生が笑っている。
いや、笑いを堪えていると言ったほうがいいか。
「良い友人を得たようですね」
「良いかどうかはわかりません」
「あんたね…」
ヴァネッサが頭を抱え、シンシア先生は、また笑った。
その笑顔に、先生に会えなかった時間、日々を取り戻した気がした。
Copyright©2020-橘 シン




