26-41
「失礼します」
所長室の重厚な扉を開け、一歩足を踏み入れると、そこにはレーヴ様やディナトス様、そして数名の上級魔法士たちが集まっていた。
部屋の中は、期待と緊張が混じり合った、独特の空気に包まれている。
「やっと見つかりました。お待たせして、ごめんなさい」
「いいえ。探してくださった職員の方々に深く感謝いたします」
私は、心からの感謝を込めて、職員達に頭を下げた。
「あれを見せられたら、見つけたくもなる」
「もっとすごいのがあるかもしれなからな」
全身ホコリまみれの魔法士が、楽しそうに話す。その言葉に、他の職員たちも頷いた。
「おなごにいい所を見せたいだけかと思っておったわ」
「ち、違いますよ」
ディナトス様がほほほと笑う。その笑い声は、この場の緊張を少しだけ和らげてくれた。
「ナミ。こちらに」
「はい」
カレンおばあちゃんが書いた研究書は、レーヴ様の机の上に、まるで鎮座するかのように置かれていた。その存在感に、私の心臓は高鳴る。
「これが…」
表紙と裏表紙ともに厚めの黒い革製。
使い込まれた革の表面には、傷や擦れがあり、長い年月を経てきたことを物語っている。
留め具までついている。
私の胴体くらいありそうな大きさ。
厚みは拳一つはある。
「開いても?…」
私は、恐る恐るレーヴ様に尋ねた。その声は、少しだけ震えていた。
「どうぞ」
レーヴ様の許可を得て、私は震える指で留め具を外し、ゆっくりと表紙を開いた。
古びた紙の匂いが、ふわりと鼻をくすぐる。
最初に目に飛び込んできたのは、力強く、しかしどこか優しさを感じる筆跡で書かれた文字だった。
『治癒魔法に関する考察』
『概要と体系について』
と、書かれていた。
「間違いない。カレンの文字だ」
「はい」
私は、その言葉に深く頷いた。そして、さらにページをめくる。そこには、序文のようなものが書かれていた。。
この書の作成にあたり、先賢たる全ての魔法士に感謝を申し上げます。
おそらく、この研究は日の目を見ないでしょう。
それでも、足跡一つ残せた事だけが、小さな誇りです。
この書を開いた者に、一言。
できる事なら、この書を世界に広めてください。
治癒魔法が世界中の人々の助けになる事を願っています。
「カレンおばあちゃん…」
力強い筆跡に胸が熱くなる。
文字の一つ一つから、カレンおばあちゃんの情熱と、誰かの役に立ちたいという強い願いが伝わってくるようだった。
自分のためではなくて、誰かのために書かれたもの…。
自分の子に憎まれながら、それでもカレンおばあちゃんは、これを書いたんだ。その覚悟と、途方もない苦労を思うと、目頭が熱くなる。
私は、言いようない重圧を感じて、書を閉じた。
「ナミ?」
「申し訳ありません…私には重すぎて…」
その重みは、物理的なものではなく、カレンおばあちゃんの願いと、それに伴う責任の重さだった。
私はとんでもない事をしようとしている。
私がこれを受け取ってどうする?カレンおばあちゃんの意思を引き継ぐ?なんて大それた事と言っていたんだ…。私の心は、不安と恐怖でいっぱいになった。
「すみません!」
「ナミさん?」
私は、衝動的に廊下に走り出た。
壁に背中を預け、大きく深呼吸をする。
肺いっぱいに空気を吸い込んでも、胸のざわめきは収まらない。
「ナミさん。大丈夫?」
心配そうなソニアさんの声が、すぐ近くで聞こえた。
「ソニアさん…」
「どうしたの?」
私は震える声で答えた。
「カレンおばあちゃんの書を開いた瞬間、おばあちゃんの思いが、私の中に入ってきた気がして…」
「思い…」
「それで怖くなって…カレンおばあちゃんの意思を引き継ぐなんて言って…軽い気持ちじゃないんですけど…あの書は、私には不相応です…持ち帰るなんて、とても…」
カレンおばあちゃんの壮絶な人生と、その研究に込められた深い願い。それを目の当たりにして、自分の未熟さを痛感した。
「ナミさん…考えすぎじゃない?」
考えすぎ…かもしれない…。
私とカレンおばあちゃんは違う。状況も環境も。
おばあちゃんは家族を犠牲にしてまで、研究をした。その覚悟が、あったから。
でも…私にできるの?。
自分に問いかける。
わからない…違う。自信がない…。
「ナミ」
レーヴ様が廊下に出てきた。
「レーヴ様…」
「どうしたのですか?」
レーヴ様の問いかけに、私は再び言葉を詰まらせた。
「カレンおばあちゃんの意思みたいのを感じて…怖くなってしまいました…」
「なるほど」
レーヴ様は、特に何も言わない。
「物には時として、持つ者の意思が宿る事があります」
「そうですか…。やはり、私が感じたのは、カレンおばあちゃんのものなのでしょうか?」
「それは、わかりません。わかりませんが、そう感じたのなら、あなたはやはり特別なのです」
「特別?私は特別でもなんでもないんです。治癒魔法が使えるというだけで…」
「それこそが特別なのです。誰でもない、あなただけの力。それを生かすも殺すもあなた次第」
私次第…。その言葉が、私の心に重く響く。
「カレンさんは、強制しているわけではない事は、わかっていますね?」
「はい。わかっております。でも…カレンおばあちゃんの意思を継がないと…それができるかどうか…カレンおばあちゃんのような強い意思が私には…」
レーヴ様が私の肩に手を乗せる。
「もっと肩の力をお抜きなさい。あなたはまだ駆け出しの魔法士なのですから、気張る必要はないのですよ」
「レーヴ様…」
「ナミさん。背伸びをしても届かないんだから、届く所で頑張ればいいんじゃない?」
「ソニアさん…」
二人の言葉に涙があふれる。
ディナトス様に言ったんだ、私の歩みで、私らしく と。
「真面目だな。やはりカレンに似てる」
「ディナトス様…」
私は、慌てて涙を拭いた。
「治癒魔法に限らず、魔法士の道は険しい。大成する者はおらん、わしを含めてな」
「ディナトス様は、ご立派に魔法士として成し遂げています…」
ディナトス様は首を横にふる。
「わしは何も成し遂げてはおらんよ…。若い時は、やってやると意気込んでいたが、妥協と折り合いをつけねばいかん時が来て、今がある。お前はまだ、始めてもおらんじゃないか」
「はい…」
「五十年早い」
そう言って、ディナトス様は笑う。その笑い声は、私を励ましているようでもあり、どこか諭しているようでもあった。
五十年か…五十年たったら、何か見え方が変わってくるのかな。
「すみません。お見苦しい所をお見せしました…」
「構わんよ」
カレンおばあちゃん…私に、一歩踏み出す勇気をください。
私は両手をぐっと握り締めた。
その時、どこからか、優しい声が聞こえたような気がした。
…大丈夫よ…
カレンおばあちゃん?おばあちゃんの声が聞こえる。
…あなたなら、できる…
おばあちゃんのような才能は私にはない。
…才能ではないの。強く思う心が大切…
強く思う心…。
…治癒魔法は癒やしの魔法…
…誰かを助けたい。それが、始まり…
助けたいと思う心…。
…そうよ。優しい心を持ってるあなたになら、きっとできる…
自信がない…できるかどうか…。だいたい何から始めればいいのか…。
…私の書を読み解きなさい…
読み解く?それだけ?
…読み解き、理解する事…
…そうすれば、おのずとしなければいけない事が見えてくる…
本当?。
…わたしが嘘をついた事があったかしら?…
ない、ないよ!。おばあちゃんは嘘つきじゃない!
…でしょ。迷っていても、一歩踏み出せば、変わる…
…踏み出さなければ、そのまま…
そのまま…。そのままは、嫌…。.
…大丈夫。あなたの道は行き止まりではないわ…
うん。やってみるよ、カレンおばあちゃん…。
…がんばりなさい…
…ごめんね。こんな事しかできなくて…
謝らないで。私は嬉しいよ。久し振りにカレンおばあちゃんの声が聞けて。
…ありがとう、ナミ…
「ありがとう…カレンおばあちゃん…」
「ナミさん?」
ソニアさんが、私の顔を覗き込んでいた。その表情には、心配の色が浮かんでいる。
「大丈夫?なんかぼーっとしてたけど」
「大丈夫です」
私はレーヴ様とディナトス様を見る。お二方も、心配そうにこちらを見ている。
「申し訳ありませんでした。もう大丈夫です」
「そのようね」
私の心は、まるで嵐が去った後のように、穏やかになっていた。
カレンおばあちゃんの声が、私の心に確かな光を灯してくれたんだ。
私達は所長室へと戻る。
所員達が、カレンおばあちゃんの書を見ていた。
「ごめんなさい。ほったらかししまって」
「いえ…」
所員達が書から離れる。
「それで…治癒魔法の処遇をどするかという話になるのだけれど…」
レーヴ様の少し時間をおく。
「非常に難しい問題で、何度も話し合いした結果…カレン・カシマ氏の書は渡す事はできないという結論に…」
「待ってください!」
そう言ったのはソニアさん。
彼女の顔は、怒りで紅潮している。
「渡す事ができないって、どういう事です?こっち散々苦労してここまで来たんですよ?」
ソニアさんが異議を唱える。
彼女は激昂していた。
「ソニアさん、落ち着いてください」
私は、ソニアさんの腕を掴んだ。
「落ち着いているって」
そうは見えないんだけど…。
彼女の怒りは、私への思いやりから来ている。それが、痛いほど伝わってきた。
「ここに置いていたって、宝の持ち腐れでしょう?」
「もっともだな」
ディナトス様は同意する。
「宝の持ち腐れだが、所有権はこちらにある」
「所有権がこちらにある以上、こちらに指示に従ってもらう」
所員がそう話す。
確かに所有権はシファーレンの研究所にある。それは、揺るぎない事実だ。
でも、持ち帰る方法が残ってる。
「ソニアさん。たぶん、話しの続きがあると思います」
「え?…続きもなにも…」
「レーヴ様、まだお話は終わっていないのではありませんか?」
「ええ」
レーヴ様が笑顔で頷く。
「ああ…そう?…」
レーヴ様は咳払いをしてから、再び話し始めた。
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