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レーヴ様は、エレナ様からの手紙をゆっくりと読み進めている。
私は、ソファに座りながら、その様子をじっと見つめていた。時折、レーヴ様は小さく頷いたり、ふっと口元に笑みを浮かべたりする。
エレナ様が、遠い異国の地で、確かに元気に過ごしているのだという証拠が手紙の中にある。
「エレナは元気にしてるようですね」
そう言いながら、読み終わった手紙を封筒に戻す。
「はい」
「エレナの事は、心配していました。国外追放以降、情報は入ってきませんでしたから」
エレナ様からレーヴ様へ手紙は今回は初めて。
この手紙が、どれほどレーヴ様にとって待ち望んだものだったのか、その言葉の端々から伝わってくる。
「何かトラブルのようなものに巻き込まれたようで、王国から彼女について問い合わせはきたけど、無関係だと返答したのみよ」
レーヴ様はそれくらいの事しか知らず、特に調べもしなかった。
「なぜ、お調べにならなかったのですか?」
「知ってしまえば、どうしてもやきもきしてしまう」
そう言って胸を押さえる。その仕草に、エレナ様への深い愛情と、それゆえの苦悩がにじみ出ているように感じられた。
「なるほど…」
私はようやくその真意を理解した。
知ることで、余計な心配や感情の波に囚われてしまう。
「わたしの精神状態を保つ意味もあります。全くわからないのも、大変だけれど」
エレナ様の事、本当に心から心配していたんだ。
「エレナの事については、また後で伺います」
「はい」
「あなた達は治癒魔法を調査しに来たそうね」
「はい」
これまでの経緯をレーヴ様に説明する。
事の発端から、この研究所へ来るまでの出来事を言葉を選びながら、できるだけ正確に話した。
「…という、事がありまして…」
「そして、今こうして話していると。ここまで来るのに、かなり苦労したようね」
「はい…まあ…」
レーヴ様は苦笑いを浮かべる。
苦労はしたが、こうして研究所に着き、レーヴ様とも話している。
その事実が、私の胸に達成感をもたらした。これまでの苦労は、決して無駄ではなかったのだ。報われた、そう強く感じた。
「レーヴ様は治癒魔法についてはご存知でしょうか?」
「ごめんなさい。治癒魔法があった、程度しかわからないの」
「レーヴ様がお謝りなる事ではないです」
それだけ、治癒魔法が主流ではない、珍しい魔法だということなのだろう。
「魔法に関する知識はあると自負していたのけれど、まだまだという事ね」
そう言って、レーヴ様は小さく微笑んだ。その微笑みは、自分の無知を認めることへの謙虚さと、それでもなお探求心を失わない研究者の顔が混じり合っていた。
「今、調べてもらっています」
「そうですか…」
「あなたのひいおばあさんに関しても」
それはありがたい。
ひいおばあちゃんの情報も少ない。
私が知っているのは晩年のみ。
どんな人物だったのか、どんな魔法士だったのか、ずっと知りたいと思っていたから。
「わたし自身は、カレン・カシマという魔法士を知らないの。年齢などから考えて、会っていてもいいはずなのけれど…入れ違いかしらね」
確かにそう。
「研究所で研究していないのかもしれないわ」
「ここで研究せずに、どこでするのですか?」
ソニアさんがそう尋ねる。
「どこでもできますよ」
レーヴ様は、当然のように答える。
「そうですが、曽祖母は都で研究してたようです」
「資料という観点から見れば、都がいいでしょう。研究所の蔵書が役に立ちますし」
資料か。
何もなしに研究はできない。膨大な知識の蓄積が、研究の土台となるのだろう。
「非常勤だった可能性がありますね」
そういう人もいるんだ。
「曽祖母が書いた研究書が一冊あるようなのですが、それについても…」
「ええ。もちろん、それも調べています。ですが、時間がかかるかもしれません」
「そうですか…」
「ここの蔵書保管室は地下二階分ありますから」
「地下二階分…」
私は思わず、言葉を失う。想像を絶する広さ…。
「もう、無駄に広くて…あ、こんな事、所長のわたしが言ってはいけないわね」
そう言って小さく笑う。
「実際、多すぎてわたし自身も把握しきれてないの。もしかしたら、治癒魔法に関する書物が、意外に多くあるのかもしれないわ」
カレンばあちゃんは、その膨大な蔵書の中から、治癒魔法に関する書物を見つけ出したのかもしれない。
レーヴ様との雑談は続く。
何名か経過の報告に来たが、それ以外に動きはなかった。
私は、この聖域のような場所で、レーヴ様という偉大な魔法士を前にしているという事実に、いまだ緊張感が抜けずにいた。
「はあ…」
「大丈夫ですか?」
「え?ええ…大丈夫です」
ヨウカンを少し食べて、お茶を飲む。
「あの…」
「なにかしら?」
「私が、治癒魔法を披露しなければならないですよね?…やはり…」
「ええ。ぜひ見せてほしいわ」
ぜひ、ときた。
「今、披露するというはいかがでしょうか?調査に時間がかかっているようですし」
治癒魔法を披露するのが、一番緊張する。
今はレーヴ様だけで、ほかの魔法士はいない。
研究所前にいた集団の前で、披露しろと言われたらうまくやれる自信がなかった…。
私の小心さが、そう訴えかけてくる。
「今じゃなくても大丈夫よ。所内の主だった者達の前で披露してもらいます」
「そうですか…」
主だった者達ってどれくらいの人数なんだろう。
「すみません。ちょっと聞きたいことが…」
ソニアさんが手をあげる。
「このヨウカンって、買ってきたものですか?それともここで作ったものですか?」
ソニアさん!?今、それ聞くんですか!?。
私の心の中で、大きなツッコミが入った。この緊張感の中で、まさかヨウカンの出所を尋ねるなんて…。
「これ?」
「はい」
「さあ、わからないわ」
「そうですか」
「気にいったかしら?」
「はい」
「そう」
レーヴ様は、にこやかに頷いた。
「誰か、ヨウカンのおかわりを頂戴」
「はい!だたいま!」
メイドがすぐに駆けつけ、新しいヨウカンを運んできた。
「どうぞ」
「ありがとう」
「このヨウカン、どこで手に入れたものかしら?」
レーヴ様がメイドに尋ねる。
「このヨウカンは、城内で作ったものでございます」
「だそうよ」
城内には菓子職人が、日々新しい菓子を研究しているのだとか。
出来上がったものは、レシピを公開し広く普及させてもいる。
「門外不出にして特産品として売れば、収入になりませんか?」
「そうね。でも、公開するする事で、他者にひらめきを与える事ができるのではなくて?」
「なるほど」
「それに独自のアレンジや改良が行われるかもしれない。元のレシピ以上のものが誕生する可能性もある」
「確かに言われて見れば…そういうの世の中たくさんありますよね」
あれ?深い話になってきた?ただのヨウカンから、こんな哲学的な話に発展するとは。
「魔法に関しては、逆ですよね?」
今度は私が尋ねる
「ええ、そうね。わたし個人としは、公開していいと思ってるの。理由は今言ったとおり。でも、当研究所としては、できる限り非公開としています」
「攻撃的、破壊的はもの以外もですか?」
「ええ」
そうなんだ…。
「という事は、もし曽祖母が書いた研究書があった場合、それをいただく事はできない…ですよね?…」
恐る恐る尋ねる。
「それは…そうね」
当たり前か…。
研究所の貴重な資料を、簡単に渡してくれるはずがない。
もらう事ができないなら…。
「写しを貰う事はできませんか?」
「写し…写本ね?」
「はい。原書を貰う事はできない。それはわかります。当然の事です。ですから、写させてください。写本の魔法を覚えて来たんです。エレナ様から…」
私は焦ってまくし立てた。言葉が、次から次へと溢れ出す。何としても、ひいおばあちゃんの研究書を手に入れたい。
「落ち着いて」
「あ…はい…すみません…」
「あなたの気持ちはわかったわ。善処します。王国の研究所からの紹介状もある事ですし」
「よろしくお願いします…」
手ぶらで帰るわけにはいかない。
頭を下げ、深くお願いする。手ぶらで帰るわけにはいかない。
「写本の魔法ってどういう物か、教えていただける?」
「はい、もちろん」
レーヴ様の言葉に、私はすぐに鞄を漁った。
「その魔法、エレナが作ったの?」
「いいえ。…あった。これです」
「そう…」
レーヴ様は首から下げていたメガネをかけた。
写本の魔法陣を興味深げに見る.
「なるほど…考えたわね」
笑顔で写本の魔法を見ていた。その表情は、まるで難解なパズルを解き明かしたかのような、知的な喜びで満ちている。
「ふふ…」
笑いを漏らすレーヴ様。
「どうかされました?」
「ええ、ちょっとね…」
そう言いながらレーヴ様はお茶を一口飲む。
「魔法陣というわね、作った人の癖が出るの」
「へえ。そうなのですか」
「この魔法陣、古い友人が作ったものよ。向こうの所長でしょう?」
「はい、そうです」
すごいなあ。見ただけでわかるんだ。エレナ様が教えてくれた写本の魔法陣が、レーヴ様の旧友が作ったものとわかるなんて…。
「お互いに、所長をなんてやる日が来るなんてね」
レーヴ様は目を細めて写本の魔法陣を見つめていた。
Copyrightc2020-橘 シン




