26-19
「話しすぎですよ…」
出発の朝。いや、早朝。
眠気が覚めきらないまま、荷物をまとめる。
「あんなに興味津々できかれたら、話したくなっちゃうわ」
ソニアさんは、少し困ったような、けれどどこか楽しげな苦笑いを浮かべていた
彼女の気遣いを受けていれば、もっと早く寝ていた可能性が高い。
それでも、話し込んでしまったのは、この家の温かさや、話を聞いてくれる家族の存在が心地よかったからかもしれない。
「朝食は食べていくのよね?」
お母さんが屋根裏に顔を出す。
「食べていくから」
「もうできてるから。準備ができたら降りてらっしゃい」
朝食の、香ばしい匂いと出汁の優しい匂いがふわりと漂ってきた。
昨日の昼間に準備は済ませておいてあるけど、一応確認する。
「こっちは終わったわ」
「私も終わりました。ふぅ…」
「もう一日、伸ばす?」
ソニアさんが冗談めかして言う。その声色に、この場所の居心地の良さが滲んでいるのを感じた。
「いえ。今日出発します」
だらだらと、引き伸ばしになるのはいやだ。
「居心地良くて、居座りたくなっちゃうんですよ」
それは本心だった。暖かくて、安心して、守られているような感覚。
「実家だのもね」
本当に里帰りじゃないんだから。
荷物をもって一階へ。
「おお。中々凛々しいな」
お父さんが私達を見てそう言う。
「三日前に見たでしょ…」
「そうなんだけど、なんか印象が違うなって」
なんか…。
そんなに違う?。
どう見ても三日前と変わったようには見えないのだけど。
ソニアさんはショートソードを腰に下げているから、凛々しいかもしれないけど。
朝食は昨日の夜とは、うってかわって非常にシンプルだった。
ご飯とお味噌汁。それに焼き魚、お漬物。
「いただきます」
ソニアさんは魚が苦手だったけど、シファーレンに来てから好きになったみたい。
「美味しいです」
「そう?」
「干物は生臭い印象が強くて…」
「下手な人だったんじゃないかしら。うちのは自家製よ」
お母さんが自慢気に話してる。
自家製というけど、村中で協力して漁をして作っている。
私も干物は好き。骨が多い魚は苦手だけど。
朝食を食べ終え、荷馬車の用意をする。
馬は、毛並みに艶があり、瞳は澄んでいて、調子が良いのが見て取れる。
「帰りも頑張ってね」
ソニアさんがそう声をかけて馬体を撫でる。
馬は応えるように、小さく鼻を鳴らした。
「これ、お昼に食べて」
お母さんから竹の皮に包まれた物を受け取る。
「もしかしてオニギリ?」
「そうよ」
お母さんはにっこり笑った。
私からは、一言も頼んでいない。それなのに、わざわざ早起きして作ってくれたのだ。その心遣いが、じんわりと胸に染みる。
「ありがとう…お母さん」
「気をつけてね」
お母さんと軽く抱き合う。
「お母さんも体大事にして…」
「ええ」
今起きてきたおばあちゃんとも別れの挨拶をする。
「おばあちゃんも元気で」
「ああ。分かってるよ。ナミもね」
「はい」
「しっかりやりな。あなたならできる」
「うん、ありがとう。行ってくるね」
おばあちゃんは優しく頬を撫でてくれた。
「おーい!待ってくれぇ!」
そう言いながら、走って来る人がいる。
ベッキーのお父さんだった。
「まだ準備中だぜ」
「そうか?よかった…」
ベッキーのお父さんは肩で息をしながら、安堵の表情を浮かべた。少し呼吸を整えてから、上着のポケットから何かを取り出す仕草をする。
「これをベッキーに」
「手紙ですね?」
「ああ」
「必ず、渡します」
手紙を受け取り、鞄にしまう。
「正直、何を書いていいか迷ったよ」
「でも、ちゃんと書いたんですよね?」
「一応な」
と、少し照れたように応え、大きく頷いた。
「言葉足らずな所もあるかしれないが…」
「大丈夫ですよ。ベッキーなら分かってくれます。私からも伝えておきますから」
「ああ。恩に着るよ」
ベッキーのお父さんは心底安堵した顔になり、深く頭を下げた。
準備が整い出発となる。
「いい?」
「はい」
短く応える。ソニアさんが馬の手綱をしっかりと握る。その手つきは慣れていて、迷いがない。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
「無理…するなよ」
「うん…お父さんもね。体に気をつけて」
「ああ…」
お父さんの顔をちゃんと見た。
心配気な表情。
私は。精一杯の笑顔を向けた。大丈夫だよ、と伝えたくて。
お父さんは何も言わず、ただ、何度も何度も力強く頷くだけだった。その一つ一つの頷きが、言葉にならないエールのように感じられた。
お父さんは何も言わず、何度も頷くだけ。
「ソニアさん。娘をお願いします」
「はい。お任せを。では、行ってきます」
馬がゆっくりと歩き出す。
だんだんと我が家と家族の姿が遠ざかっていく。
私は、その姿が見えなくなるまで、ずっと後ろを向いていた。
ベッキーとともに村を出た時とは、違う気持ち。
あの時は不安な気持ちのほうが大きかった。
今回は、淋しい気持ちのほうが大きい。
久し振りに家族に会えたからかな?。
「また会えると分かっていても、どうしてもね…」
ソニアさんが、私の気持ちを察したように優しく声をかけてくれた。
「はい」
いけない。こんなことくらいで落ちこんでいてはダメだ。顔を上げ、大きく深呼吸をする。
まだ先は長いんだから。
心細くはない。
一人じゃないから。
もし一人だったら、ここに留まっていたかもしれない。
前を向いて手綱を握るソニアさんの背中が、一層逞しく見えた。
「ん?どうかした?」
「いいえ」
私は精一杯の笑顔を作り、首を横に振った。
大丈夫。私は大丈夫。
わたし達はナイワッカの町へ戻ってきた。
村からは五日でくる。雨にならかったのか幸いだった。
荷馬車を返し、料金を支払う。
着いたのが夕方だったので、宿で一晩過ごす。
「さてと…次は都行きの船を探さないとね」
「あるといいですね」
陸路を行く事も当然出来るが、どうしても日数かかる。
最低でも十日はかかると、手に入れた情報から推算した。
食事代と宿代を考えたら、海路が良いという判断に至る。
船代で、高くつく可能性もあるけど、日数を減らせるなら、多少高くついてもいい。
まずは港の管理事務所へ向かう。
朝にも関わらず管理事務所は人の出入りが多く、活気がある。
「こっちの書類にサインくれよ!」
「こっちが先だっつうの!」
「まだ荷物届いてねえってどういう事だよ!…空のまま出ろってか?」
「番号札配ったでしょ?順番守ってください!」
「荷主が料金未払でトンズラしたんだけど…」
「さっさと許可出せや!こら!」
「活気があるというか…」
「半分くらい喧嘩腰ですね…」
そんな事務所のわたし達も入っていく。
とりあえず客船の料金と出港日を確認。
「料金は…え?リカシィとナイワッカの三倍近くあるわ」
「ですね…お金持ち専用でしょうか?」
「そんな事はないと思うけど」
事務所に聞いたけど、一般向けだそうだ。
さらに高い料金を取る客船もあるとか。そっちは、完全に金持ち向け。
「やっぱり貨物船に便乗するしかないわね」
「そうなりますか」
もう初めてじゃないから、慣れたものだ。
貨物船の船着き場に向かった。
「すみませーん!都まで乗せてくれませんか?」
「お願いします」
そして微笑む。
「人乗せる余裕なんかねえよ」
「邪魔だよ。どいてくれ」
「すみません…」
邪険にされる。これも初めてじゃない。
「わかってたけど、ムカつく…」
ソニアさんが拳を握る。
どこの船も忙しそうだ。だからといって諦めるわけにはいかない。
比較的暇そうな船に声をかけてみた。
「すみません。ちょっといいです?」
「ん?あー船乗り志望か?船長呼んでくるから待っててくれ」
「え?いや、違いますけど…」
若い船乗りが足早に行ってしまう。
「行っちゃいましたね」
「まあ、いいわ。船長さんに直接交渉できるし」
わたし達は船長を待つ事にした。
Copyrightc2020-橘 シン




