桜の待ち人
季節は春近く、麗らかな陽気の下で駿河晴海はまだ慣れない町を地図を片手に多恵子と叔母を探していた。
晴海は父方の祖母──駿河多恵子の認知症が悪化した事もあり、桜木町にある叔母──平方君枝の家の工事をする間、手伝いとして暫く居候する事となったのだ。
「──お母さんもう帰りましょ?」
「嫌よ! まだ来ないの。もう少し待つわ」
神社の近くまで来ると君枝と多恵子の話し声が聞こえ、晴海は駆け寄った。
「叔母さん、どうしたの?」
晴海が君枝に尋ねると困った様に微笑んだ。
「お婆ちゃんがね、此処で友達を待ってるって言うのよ」
「待っても誰も来ないのにねえ」と叔母は微かに溜息を吐いた。目元には隈が出来ているのであまり睡眠も取れていないのだろう。
「最近物騒だから心配で」
『──撤去反対!』
言っている側から遠くで騒々しい声が聞こえてくる。プラカードを持った人々が通り過ぎ、君枝が心配するのも頷けた。
これは町の神社にある一本の桜の木が原因だ。
この桜の木は樹齢300年と言われており、既に町の象徴となっていた。しかし、昨年の検査で桜の木の一部が腐っている事が判明、大木なので倒れれば被害が大きくなるという事もあり、撤去される事になったのだが……。
『撤去反対! 町のシンボルを守れ!』
こうして一部の住民が反対しているのだ。数人の少々過激な一派は拡声器やらプラカードを持ち寄って、町内──主に神社周辺──を練り歩く姿が度々見られるようになった。
「──あら? 近藤さんだわ」
君枝が一人の老人を指して言った。その男性は前列でプラカードを掲げている。
「近藤さんはこういう事なんてしない人だと思ってたのに……。意外だわ」
──余程その桜の木に思い入れがあるのね。
君枝から漏れた呟きを晴海はそんな軽い気持ちで聞いていた。
◇◇◇
「──晴海ちゃん、お婆ちゃん見ててくれないかしら? どうしても外せない用事出掛けなければ行けなくて……」
申し訳なさそうに言う君枝に晴海は「大丈夫!」と言い切り、まごつく君枝の背中を押した。元々晴海はその為に君枝の家にやって来たのだ。役に立たなければ意味がない。
晴海は君枝が出掛けると多恵子の部屋に向かうと、彼女は縁側にある椅子に腰をかけてじっと外を見ていた。
「お婆ちゃん、何してるの?」
「あら、晴海ちゃん?」
晴海が声を掛けるとにこにこと微笑んだ多恵子に内心ほっとした。
──今日は私の事が分かるみたい。
正直な所は多恵子とはここ数年会っておらず、認知症を患う多恵子と二人きりになるのは晴海も心配だったのだ。
「今日は天気も良いし、お散歩にでも行く?」
「あら良いわねぇ」
君枝は多恵子をよく散歩に連れ出していたが、ここ数日は雨の日が続いた為、出掛けていなかったのだ。
晴海が声をかけると多恵子も乗り気のようなので、手早く支度を済ませると多恵子を連れて散歩に出掛けた。散歩と言っても家の周辺を軽く歩く程度だ。多恵子に歩調を合わせゆっくりと進む。雨上がりの土の匂いは心地よかった。
神社までやって来ると多恵子はピタリと足を止めた。
「和音ちゃん……」
多恵子の呟きを耳にして晴海はどきりとした。晴海が彼女の方を見るとぽんやりとした表情をして神社の鳥居を見ている。
「お婆ちゃん?」
晴海は認知症の症状が出たのではないかと慌てたが、どうやら違うらしい。
「──昔ね、此処で待ち合わせしていたの。でも、私は遅れてしまって、彼女はいなかった。最初は怒って帰ってしまったのかと思っていたのだけれど……それ以来、居なくなってしまったの。もし、あの時待ち合わせに送れなければ……」
多恵子のそれは独白に近かった。
◇◇◇
──お婆ちゃんはきっと和音さんの事が心残りなのね。どうして、和音さんはいなくなってしまったのだろう?
家に帰ってから晴海は一人の悶々としていた。
──引っ越しでもしたのかしら? なら、探せば会える筈。
「晴海ちゃん、どうしたの怖い顔して?」
眉間に皺を寄せていた晴海に君枝が不思議そうに尋ねた。晴海は君枝に今朝の出来事を話してみた。
「あの和音さんの事かしら?」
君枝に話を聞くとどうやら心当たりはあるらしい。
──50年前の事。
まだ多恵子が女学生だった頃。多恵子の友人で三村和音という少女がいた。
彼女はある日多恵子とあの神社の鳥居で待ち合わせをしていたが現れなかった。心配した多恵子が和音の家に連絡をしてみると彼女は出掛けたまま帰っていないと言う。その後も戻らず、彼女はそのまま忽然と姿を消した。
その頃丁度強盗殺人事件が起こり少女失踪事件はその影に隠れてしまったのだという。
「──和音さんのご両親は必死で探していたけれど結局見つからなかったらしいわ」
「じゃあ、和音さんは……」
晴海は次の言葉は出なかった。
──翌朝、晴海はあまり眠る事が出来ず、早朝の散歩に出掛けた。散歩コースはは昨日多恵子と歩いた場所だ。知らず知らず、晴海も神社へと足が向いていた。
早朝の神社は何処か荘厳な空気を纏っていた。神社の奥の桜の木は天高く伸び、桜の花が疎らに咲いている。
ただ、その桜の木の周囲は例の『撤去反対』の文字が書かれた板や赤い三角コーンが置かれており、その雰囲気を台無しにしていた。
「?」
晴海は木の近くにキラリと光る物を見つけた。手を伸ばして掴むと錆びた校章の様だった。
──誰かの落とし物かな?
「──何をしている!!」
不意に後ろから怒鳴り声がして晴海は身を竦めた。振り返るとそこに居たのは君枝の言っていた『近藤さん』だった。シャベルを手にした彼の表情は鬼気迫る物があり、とても恐ろしかった。
「此処で何をしているんだ!」
「ひっ、ごめんなさい。この桜の木伐採される前にちゃんと見てみたくて」
晴海は咄嗟に言い訳を口にした。すると、「そうか」と近藤は少しだけ表情を和らげたが、晴海はそのまま逃げる様に家に帰った。
◇◇◇
「これ……どうしよう」
晴海は神社で拾った校章をどうするか迷っていた。うっかりそのまま持って帰ってしまったのだ。年代物で軽く拭き取っても錆は取れず、片側が欠けていた。
「あら、晴海ちゃんそれどうしたの? 女学校の校章じゃない。お婆ちゃんのを見つけたの?」
「お婆ちゃんの? 神社で見つけたのよ」
「神社で?」
「不思議ねぇ」と君枝は首を傾げた。
「お婆ちゃんの通っていた女学校ってお婆ちゃんの卒業する年に他校と併合して校章も無くなっているの。ご近所さんのかしら? お婆ちゃんなら分かるかしら」
そう言って君枝は机の上のこうをつまみ上げた。
「それでね、私神社であの近藤さんって人に会ったの。なんだか怖い人だね」
「近藤さん? あら、大人しい、親切な人よ。どちらかと言えばあの抗議運動を主導する八田さんの方が怖いわ」
──大人しい? 親切?
君枝の言葉がピンと来ず晴海は首を傾げた。
「君枝?」
二人で話し込んでいると多恵子が顔を出した。
「あっ、お婆ちゃん!」
「ごめんなさい。お母さんどうしたの?」
「君枝それ!」
多恵子は君枝の手を凝視し、いきなりがしりと掴んだ。
「どうしたのこれ! 和音ちゃんのよ!」
「お、お母さん!?」
「お婆ちゃん!? どうしたの!?」
暫く多恵子は興奮した状態だったが、少し落ち着いて話を聞くと神社で拾った校章はあの和音ちゃんのものだという。流石に晴海も君枝もその話は信じられなかった。
「神社で見つかったなんて……。今までどんなに探しても見つからなかったのに」
けれど、多恵子は頑なに君枝のものだと譲らなかった。
その夜、晴海は校章を見ながら考えた。
──本当に和音さんのだとしたら、どうして神社にあったのかしら?
もし多恵子の言う様に和音の物なら今まで見つからなかったのはおかしい。
『──8時のニュースをお伝えします。
○○市で所在不明となっていた骨董品が発見されました。昨日の大雨で埋められていた一部が浮き出で来ていたようです。
発見者の──』
不意に飛び込んできたニュースに晴海は釘付けになった。
──埋められていた物が……雨で?
確かにここ数日、雨が続いていた。
──雨で土の中のものが出て来た? まさか和美さんは……。
そこまで考えて、晴海は首を左右に振った。自分の脳裏に浮かんだ想像にぞっとしたのだ。
──なら犯人は近藤さん? いやいや、流石にそれは……。
その光景がシャベルを持っていた近藤と結びつき、嫌な想像をしてしまった。自分の想像が流石に飛躍し過ぎだと思い晴海は再度頭を軽く振った。
「──晴海ちゃん!!」
そんな事を考えていると君枝の慌てた声がした。
「お、叔母さん? とうしたの?」
「お婆ちゃんがいないの!」
少し目を離した隙に多恵子がいなくなたのだそうだ。家の中を探してもおらず、裏口の扉が空いていたらしい。
「叔母さん、お婆ちゃんはきっと直ぐに見つかるよ。私外にいないか見てくるわ! 叔母さんは近所の人に聞いてみて!」
そう言って晴海は家を飛び出した。
とはいえ、晴海は何時もの散歩コースしか思いつかない。一応路地の隙間なども懐中電灯で照らして確認した。
──もしかして、お婆ちゃんまたあの神社に行ったのかも。
先日も多恵子が神社へ行っていた事を思い出し、晴海は直ぐに神社に向った。神社に辿り着くと、夜の神社は明かりもなく非常に不気味だ。しかし、晴海は多恵子を探す為と意を決して足を踏み出した。
桜の木の辺りまで来ると、
──ガッ、ガッ
と何かを掘り出す音がして、晴海はぶるりと震えた。先程の想像が脳裏を過る。
──こんな時間に誰だろう?
晴海は懐中電灯の明かりを消し、気付かれない様にその人影に近付いた。
「和音ちゃん!」
人影まで後数歩と言うところで晴海は背後から声を掛けられた。慌てて振り向くとそこには多恵子がいる。多恵子は大きな声で「和音ちゃん」と呼んでいた。
──あれは誰? まさか、近藤さん?
晴海が人影に自然を戻すと人影はピタリと動きを止めている。晴海が慌てて多恵子の方へと走るとなんと人影も追いかけて来た。
──お婆ちゃんを連れて逃げないと!
晴海は咄嗟にそう思った。多恵子の腕を引っ張ろうとするが彼女はなかなか思うように動いてくれない。その間にも人影は迫ってくる。
晴海は懐中電灯をその人影に向けた。
明かりに照らされて浮び上がった顔は──近藤ではなかった。その手にはシャベルが握られ今にも振り下ろそうとしていたのだ。
「ひっ……!!」
晴海は声にならない悲鳴を上げた。しかし、そのシャベルが振り下ろされる事は無かった。
「け、警察を呼んでくれ!」
男を取り押さえる近藤の姿があった。近藤が鬼気迫る顔で男を羽交い締めにしていたのだ。
◇◇◇
「──近藤さん、ありがとうございます」
後日改めて3人で近藤に礼を言いに行った。
あの後、桜の木の下から白骨化した和音の遺体が出てきたのだ。
「ずっとここにいたんだな」
実は近藤は失踪した和音の兄だそうだ。結婚して姓が変わったらしい。彼は和音が失踪した時は既に他県で就職していたそうで、晩年になってから両親の意志を継いでこの桜木町へと戻ってきていたらしい。
近藤は桜の木が伐採されるという話が出た時、伐採反対運動一人の男──八田を訝しんだそうだ。八田は和音が失踪した際に起きた強盗殺人事件が起こった屋敷によく出入りしていた男なのだ。
事件後、八田は桜木町を長らく離れていたが、この桜が伐採されるニュースを見て戻って来たのだ。因みに先日出て来た骨董品のニュースの犯人も八田だそうだ。
彼は抗議運動の傍ら何度も桜の木の周辺で怪しい動きをしていた。それに気付いた近藤は彼を見張る為に抗議運動に参加していたのだ。
晴海が先日会った時怖い顔をしていたのは、八田に危害をくわえられないか心配してとのことだった。
「──これで両親に報告が出来ます」
そう言った近藤の目には涙が浮かんでいた。
「和音はきっと此処でずっと誰かが見つけてくれるのを待っていてくれたんだと思います。この桜はきっと和音の為に犯人を呼び寄せてくれたんでしょう」
そう言って花を桜の根元に置き、手を合わせた。晴海も君枝も多恵子も同じ様に手を合わせた。
「──和音ちゃん待たせてごめんね」
と言った多恵子の言葉は和音に届いたのだろうか、返事をする様に桜の花びらが散った。
数日後、桜の木は切られてしまったが、その切り株は今も神社の敷地内にある。もしも、この切り株から再び新芽が芽吹き天高く聳える大木となったならば、この桜の木は花見にやってくる人々を待つのだろう。