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ノウレッジ・ヘックス


 最初からどうなるかなんて、トリウィアには解っていた。


 ヴィンター帝国七大貴族のうちアンドレイア家とフロネシス家。

 帝国貴族における婚姻の形。

 過去からの伝統と未来への布石。

 それを加味すればトリウィア・フロネシスとディートハリス・アンドレイアの婚姻は当然というべき結果だった。


 だからそれはいい。


 解りきったことにトリウィアは時間を割かない。

 知りたいと思うことに、他人の十倍は時間をかけて学び、何度も失敗を繰り返して求めるものを手に入れる。

 それが彼女の在り方だ。

 他人よりも要領が悪いという自覚があるから、効率が悪いやり方しかできない。

 部分的な知識だけが必要なのに、それ関連の全てを知らないと気が済まない。


 フロネシスの呪縛。

 全く困ったものだ。

 それは彼女にとって逃れられない、自らの魂に架せられた十字架で。

 それによって自分は多くの意味のないものを得て、多くの意味あるものを失うと思ってきた。

 得られるものは大半が、自己満足の知識。

 失うものは本来帝国七大貴族の長女として果たさなければならない責務。


 帝国の文化やその建前や、政治戦を疎んでいるトリウィアだが、しかし貴族としての責務を放棄するつもりはない。

 彼女の知識は、七大貴族であるフロネシス家だからこそ得られたものだ。


 例えばトリウィアが、その生来持つ気質をそのままどこか別の国の平民の農家に生まれたとしよう。

 もしそうなら、どうなっていただろうか。

 簡単だ、本一冊手に入れることさえ難しく、無限に等しい知識欲求を抱えていくのだろう。

 それどこか、文字の読み書きさえろくに学べないかもしれない。

 戦闘、魔法技術も研鑽することはできず、文化の多様さは知ることさえできない。

 偉大な先人たちが残した知識に触れられず、ずっと一人で抱えて、誰かと結婚して、子供を産むことになる。

 それはきっと、不幸ではない。

 ごくごく普通の、ありきたりな、けれど尊い幸福だ。


 でもそんなありきたりでは、トリウィア・フロネシスは満足できない。

 

 彼女が望むのは叡智の深淵であり、ついでにいうと波乱万丈で、かっこいい―――そう、ロックな生き方なのだ。

 知識の呪いに縛れた彼女は、生まれたその瞬間から、そういう生き方でしか満たされなくなってしまったのだ。


 そんな、魂まで雁字搦めになってしまった呪いを。


「――――先輩」


「どうも、後輩君」


 彼は、祝福と呼んでくれたのだ。







 雨が降りそうな鈍い曇り空だった。

 数羽の鳥がステージの頭上を旋回して羽ばたいている。


「久しぶりですね」


「この二週間、まともに会ってくれなかったじゃないですか」


「色々と立て込んでいたので」


 二人が久しぶりに顔を合わせたのは学園に八種ある闘技場の内の一つ、第三闘技場という訓練場だった。

 円形コロシアムのようであり、戦いとなる舞台は足首ほどまでの水深の広いプールとなっている。

 昔、ウィルと御影が戦ったのは第一闘技場。

 魔法学園にはこういう各属性の魔法使用を補助する闘技場が用意されているのだ。

 広い水面には風に吹かれて届いたのか、赤くなった葉っぱがいくつも浮かんでいた。

 模擬戦で使用率の高いのは特に効果のない第一だが、最近ここは使われていないらしい。

 

「座りません?」


「……はい」


 観客席から水上フィールドを眺める様に二人は並んで座る。

 武骨な、階段状に並んだ背もたれもない椅子に、3人分ほどの距離を空けて。

 トリウィアはいつものように煙草を吹かし、足を組みながら。

 ウィルは足元と彼女の二つに視線を映らせながらだった。


「話、とはなんでしょうか」


 休日の昼下がり、彼を呼びだしたのは他ならぬトリウィアだった。

 黒の皮手袋に包まれた細い指で煙草を挟んだ彼女は、鈍い秋空を仰ぎながら答える。


「此処二週間、話せてなかったですからね。私はちょっと商談とか家のあれやこれで忙しかったですし。……後輩君はどうでした?」


「……僕は」


 息を吐きつつ、ウィルも曇り空を見上げた。

 風は冷たい。 

 制服に肩幕だが、そろそろコートを引っ張り出すべきだなと思う。


「ここ一週間は……ディートハリスさんにあちこち連れまわされましたね。観光名所とか劇場とか、何故かアレス君も一緒になって食べ歩きとか」


「へぇ」


 先週、大聖堂に行ってからも。

 彼は生徒会の仕事もそっちのけで放課後にウィルを誘い王都散策に誘ってきた。

 意外にもというべきなのかそうでないのか、あの従兄はウィルに対して非常に友好的で、博識でもあり、貴族だからと権力で無理を通そうとはしない男だった。

 人気の屋台の行列にも当然のように並び、立ったままだろうが、手づかみだろうが気にせず食事を楽しんでいた。

 それでも服は汚さず、手の汚れは最低限、どころか優雅さまで感じさせるのは大したものだろう。

 アレスは何故僕が、とかぼやきながらもついてきていた。


「まあ、悪い人ではないですよね。帝国でも彼は憧れの的だったそうですから」


「……ですか」


「はい」


 それから少しの間、特に意味もない雑談が続いた。

 フォンが毎日王都を飛んで、ちょっとした噂になっているとか。

 御影とディートハリスが顔を合わせたらお互い完璧な作法で挨拶をしたとか。

 カルメンがまたアルマに絡んで怒られて、パールは笑っていたとか。

 ぼんやりとした空気が流れる。

 トリウィアが煙草を吸いながら空を見上げ、ウィルは横目で彼女をたまにちらりと見る。

 別に意味のない会話を嫌う二人ではなかったけれど、しかし重い空のせいか、或いは二人の心持ちのせいか妙な気まずさを、少なくともウィルは感じていた。

 そして、


「後輩君」


「……はい」

 

「――――私はディートハリスさんと結婚します」






「――――」


「急な話……でもないですかね。まぁ、最初からそうだと解っていましたし。フロネシス家とアンドレイア家の今後を考えれば、むしろそれが最善なわけで。元々私は嫁入り相手もまるで見つかりませんでしたが、ふたを開けてみれば随分と大当たりに―――」


「先輩は」


 その声は、無理やり絞り出したかのような声だった。

 気持ちを押さえつけていて、それでも言わずにはいられない、そんな言葉。


「それで……満足なんですか?」


「………………ふぅぅー」

 

 応えはすぐにはなかった。

 吐いた白煙が鈍色の雲に吸い込まれていく。

 そして、


「満足なんて、してるわけないじゃないですか」


「……!」


 ウィルが立ち上がった。

 けれど彼女は動かない。

 眼鏡で反射して青と黒は見えなかった。

 それでも、言葉だけは明確だった。


「でも、仕方ないんです。これが私の血に架せられたものであり、否定はできません。帝国貴族はこれまでこうやって発展して来たのだから、私もそれから逃れられないし、逃れるつもりは――」


「それは!!」


 それは。

 そんなのは。

 あのトリウィア・フロネシスが。

 ウィルに現実で直面する問題への対処方法を教えてくれた彼女が。

 自分に未知の歩き方を教えてくれた彼女が。

 そんな風に。

 望まぬ道に進むなんて。

 それは、


「《《理不尽》》じゃあ、ないですか……!」


 ウィル・ストレイトが最も嫌い、許せないもの。

 握りしめた拳が軋み揺れる。

 

「…………君は、そう言いますよね」 

 

 ふらりと、彼女が立ち上がった。

 そう言うと解っていたから、こんな所で待ち合わせたのだ。


「それが帝国のやり方だとしても……僕には、認められません。他ならぬ貴方が、先輩が、思うように生きられないなんて……っ、今からでも! ディートハリスさんや先輩のお母さんのところに行って……!」


「ダメですよ、後輩君」


「―――――」


 ウィルの両目が見開かれ、言葉も体も止まる。


「せん、ぱい?」


 トリウィアが左の太ももから引き抜いた銃を―――ウィルに突き付けていたから。


「それは、帝国貴族(わたしたち)が積み重ねたものを否定する言葉です。わがままを言わないでください……なんて。君に言っても無駄ですよね。だから、賭けをしましょうか」


 彼女は左手で銃口を向けたまま、右手の指で煙草を足元に捨てる。

 煙草の煙の臭いが、ウィルにまで届いた。

 ブーツで踏みつぶし、


「せっかくこんな所にいるんですからね。模擬戦、しましょう。思えば、私、後輩君と本気で戦ったことなかったですしね」


「先輩! 何を言って……!」


「私が勝ったら、私を諦めてください」


 銃口は揺らがない。

 二色の瞳は眼鏡と前髪のせいでよく見えない。

 

「君が勝ったら……まぁ、好きにしてください――――では」


「先輩!」


 ウィルが詰め寄ろうとした時、既にトリウィアは左銃を抜いていた。

 そして。


「≪魔導絢爛(ヴァルプルギス)≫――――≪十字架の深淵ヘカテイア・アブグルント≫」


 至近距離で究極魔法をぶち込んだ。







 究極魔法で観覧席を吹っ飛ばしたトリウィアは、銃を握った手で器用に新しい煙草を咥え、魔法で火をつける。

 そして視線は、水上フィールドに。


「お見事」


 そこに虹色の残光を腕に宿したウィルがいた。

 何をしたかは分かる。

 ≪シィ・ウィス・パケム・パラベラム≫。

 かつて御影の究極魔法を無効化したもの。

 相手の魔法に用いられる系統と全く同じ系統を用いることで相殺・無効化する対大規模攻撃用防御。

 それをあの一瞬で展開し、大きく弾かれながらもトリウィアの究極魔法を防いだ。或いは、一瞬のことゆえに衝撃を殺しきれずフィールドまで吹っ飛んだのかもしれない。


「――――先輩! どういう、つもりですか!」


「言ったでしょう。模擬戦だって。……まぁ、それも本気ですし。言ったでしょう? 私は君に、本気と全力の私を見せたことがない」


 初めて出会った時はそれこそ竜に対して無意味に恰好付けて究極魔法を放っただけ。

 建国祭の時の魔族殺し自体は余裕があったし、ゴーティアに同じく究極魔法をぶっ放しただけ。

 

「だからちゃんと戦ったらどうなるか―――《《知りたい》》」


 《《カツン》》と、ブーツを鳴らしながら階段をゆっくり彼女は降りていく。

 だらりと両手の銃を垂らしながら。

 そしてぽつぽつと、堰を切ったように雨が降り出して行く。

 彼女が階段を下りて水上闘技場に足を踏み入れる頃には、雨足は強くなり、互いの髪に雨粒に滴っていた。


「…………先輩。落ち着いてください。僕だって……怒りますよ。滅茶苦茶じゃないですか」


「―――――くすっ」


 ウィルの押し殺した声に、しかし彼女は笑った。

 頬を引きつらせたような、普段は見せることのない酷薄とした笑み。


「えぇ……えぇ。そう、困ったことに、私はもう一つどうしても気になってしまったんです」


 ウィルは考える。

 彼女が今の状況で自分に戦いをしかける意味を。

 分からない。

 全く以て分からない。

 彼女は、こんなことをするほど好戦的な人間ではないはずなのに。

 

「聖国で、あなたは理不尽を認められないからという理由で戦いに挑み、自らの幸福である御影さんを救いに行きました。素晴らしい、羨ましいですね。かっこいいですし。――――でも、ちょっと思ったんですよね」


 しかしだ。

 トリウィア・フロネシス。

 「知りたい」という呪いに囚われた彼女は。



「《《君の幸福が》》――――《《君を拒絶したら》》。どうなるのか、どうするのか、助けて欲しくないって言われたら。知りたいって、思っちゃったんですよね、私は」



 それだけの理由でウィルと本気で戦う人間かと問われたら。

 否、とは言い切れない。

 むしろ――――彼女なら、やりかねない。


「ウィル・ストレイト君」


 彼女は嗤う。

 雨に濡れながら。

 青と黒に暗い光を灯し。

 呪いのような欲望に突き動かされて。

 頬を紅潮すらさせてとろけるような笑みで、


「さぁ―――――私に、君を教えてください」


 悪魔は引き金を引いた。




 


トリウィア

君の好きな人が君を否定したらどうなるか知りたいな!

とかメンヘラみたいなこと言いだした。悪魔か?

どうかしちゃってるの最終形態


ウィル

意味が解らんが……この人なら、やりかねない……!


次回、ウィルVSトリウィア

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