ディートハリス・アンドレイア――青き血の義務――
劇場は断続的な揺れに襲われていた。
王都北西、その中心部寄りの歌劇場だ。
主にオペラや舞台劇が公演され、貴族たちにとっては社交場になるような場所でもある。
防音が施された巨大な直方体の箱、というべき建物。
普段は高雅な歌と優雅な演技を見ることができるはずの舞台は、
「ど、どうすればいい……!?」
「ここに立て籠もっていいのか!? 衛兵は何をしている!」
「外で守ってくれているさ! だけど……魔族の数が……!」
壇上の手前。観客席の最前列に十数人の大人たちが焦りの汗を浮かべながら言葉を交わしていた。
舞台上にいるのは女や子供、それに老人。
半数は劇場の出演者であり、半数は観客でもある。
「……初動が良くなかったな。よもや襲撃が始まったと同時に歌姫の声に聞きほれているなど……」
「仕方あるまい、春の新作。それも今日この日に合わせたものだ。舞台以外に意識を持っていくのはな……」
「微かな振動や最初の魔族の知らせに飛び出して行った者達はどうなったか……無事にシェルターや騎士団の詰所に辿りつけられればいいのだが」
「なんてことだ……我々は歌劇至上主義故にここで果てるのか―――――それも悪くないかもしれんが」
「縁起でもないことを言うな!」
話の1人が叩かれた。
彼らは観劇に来ていた貴族たちだ。
会話に上がった通り、劇場内の人々は襲撃開始の時点で動きが遅かった。
高い防音性により、外の状況が伝わってくるのが遅れたのだ。
真っ先に出て行ったのは逃げるためか、或いは勇敢にも魔族と戦いに行こうとしたのか二択でありそれが大半。
僅かに逃げ遅れたのは、素早く動けない老人や純粋に状況判断が遅れた演者たち。
それに、
「―――だが、彼ら彼女らを見捨てるわけにはいかん」
誰かが呟き、誰もが重々しく頷いた。
残った者達はこの劇場の常連達だ。
時に恋人と、時に妻と、或いは家族や友人と。
新作の度に初日に観劇し、その後も数度訪れる筋金入りのファンたち。二十を超えた若者もいれば口元にひげを蓄えた中年までいる。
「どうだ、むしろここを避難場所にするというのは」
「難しいだろう。外の魔族が多い。あと、音が響かなさ過ぎて危機を察知しにくい。逃げるならばシェルターが良い。まぁ、シェルターの次点としては……無くもないのだろうが」
「出入口は魔法で封印しましたが、持たないでしょうか。それなりの強度はあると思うんですが」
「若いのは知らんか? 魔族は最初の方倒した小型以外にももっと大きいのも出るんだ。上級とか大型とか呼ばれてたが……それだと厳しいだろな。衛兵でもだ。騎士団や『二つ名』持ちが必要になる」
「館長、なんか武器になりそうんなのないか? 残った俺たちは通常の魔族ならなんとか倒せるくらいなんだが……」
「はぁ……そうは言われましても所詮劇場ですし……今日の講演で初披露させるはずだった人間大砲くらいしか……それも大きくジャンプできる程度のものですし」
「………………なに? そんなの使うのか、誰を射出するんだ」
「そっちの隅にいる金髪の子です。まだ幼く端役ばかりの子役ですが……」
「なんと!」
歌劇ファンたちの反応は劇的だった。
舞台上の端で縮こまっていた少女は突然自分の名が上がったことに肩を震わせる。
「彼女は……そうだ、秋にデビューした子だな。その時は踊り子Cだったが」
「だがまさか新設備の披露を担うとはな……大きくなった……」
「私は最初から伸びると思っていましたよ」
「嘘つけ……!」
「なんだと……!」
言葉を交わしていた二人の間に軽い取っ組み合いが発生し、
「そんなことしてる場合じゃないだろ!」
周りが叫んだ瞬間だった。
「―――――あ?」
天井が崩落した。
●
「きゃああああああ!?」
絹を裂く様な響きを新人歌手見習いの少女は上げた。
良い日になるはずだった。
これまで主役の後ろで歌うだけだったが、春に入り新作ではちょっとした役を貰うことができた。といっても、歌のクライマックスで人間大砲で打ち出されながら歌声を伸ばすというよく分らない役だったが、自分だけの役には間違いないので良いとする。
冷静になると良く分からないし、案を出した演出家はちょっと頭がおかしい気もするが。
それでも役は役だ。
張り切っていたのに魔族の襲撃。
そして、
「天井の瓦礫が!」
誰かが叫んだ通りに。
防音設計となっているために劇場は全面が分厚い石造りであり、音が反響するような半円状の天井だ。歌劇場故に装飾も多い。
それらが一息に落ちて来た。
「いかん、防護を!」
残った観客の誰かが叫び、それに続いて頭上に魔法陣が浮かぶ。
大小含め、様々な瓦礫の破片が降り注ぎ、展開された防護障壁が受け止める。
だが、全てを防げたわけではなく、
「きゃあっ!」
いくつかの大きな瓦礫が観客席に、障壁を潜り抜けた小さな破片もまた舞台上に降り注いだ。
痛みに叫ぶ声がいくつか上がる。
「あ、っつ……!」
少女もまた小さな破片が足を裂き、血を流していた。
急所や顔でないだけ良かったと咄嗟に思ったのは役者としての根性だろうか。
同じように怪我をしたのは数人で、致命傷のような大きな傷を負ったようなものはいなさそうだ。
けれど問題はそこではない。
どうして天井が崩れたか。
答えはすぐに。
「こいつは、さっき言っていた……!」
「不味い、大型だ……!」
空いた穴から顔を覗かせるのは瘴気を纏う五メートル近い猿型の魔族だった。
穴に手を掛けた手は大きく、それを以て天井を砕いたことが良く分かる。
顔らしい顔は無かった。
怪しく光る赤い相貌と口らしい陥没があるだけ。
明らかに、この世に生きるものではなかった。
「ひっ……!」
少女の喉が引きつる。
まだ10になったばかりの彼女に対するあまりにも明確な死の具現。
少女だけではなく他の演者も、客たちもそれを感じていた。
時間が止まる。
目に見える死を前に、思考が止まり、
「――――やれやれ、人のお気に入りの劇場を何だと思っているのか」
死に、光が差し込んだ。
●
それは室内を覗いていた猿型魔族。
その首に走った線だった。
一瞬の後、頭部が横にズレ、
「――――あ」
瘴気が一斉に霧散する。
その霧の中から、飛び込んでくる影が三つ。
軽やかに観客席の中央に着地した。
大柄な獣人族の従者と小柄な獣人族の侍女。
二人を従えるように軍靴を鳴らす男。
帝国の軍服姿。
手には戦杖を持ち、逆の手でオールバックの髪をかき上げる。
おおっ、と男たちの誰かが声を上げた。
「アンドレイア殿……!」
「如何にも、ディートハリス・アンドレイアだ。俺を覚えているとは結構、王国貴族諸君。判断は遅かったが記憶力は悪くないようだな。だが歌劇愛好家として最低限のことはできているだけ悪くない」
気障に笑う伊達男。
彼のことを、少女も知っている。
半年ほど前、少しの期間だが劇場に通っていた帝国の大貴族だ。
もう一度、おおっと声が上がった。
「この棘がある物言い……!」
「まさしくアンドレイア殿!」
「判断は間違えたけど、役者たちを守っていて偉い! ということですな!」
「ふっ……あまりそう解説するものではないよ同士諸君!」
腕を広げて笑うディートハリスは、残っていた客たちとは旧知らしい。
そういえば半年前にこの歌劇について彼らと語り合っていた姿を見た気もする。
「それに」
彼は目を細め、歌劇場内を見回す。
「ここで防衛ということ自体は悪くないが、しかしやはり遅かったというべきだな。収容人数はそこそこあるが、如何せん防衛準備が間に合わなかった。天井も壊れた以上、早急に脱出するべきだ」
「しかしアンドレイア殿、この人数で移動するには危険では?」
「ふっ……何のための俺が来たと思っている!?」
「おぉ……!」
彼らだけで盛り上がっているが微妙についていけなかった。
そもそも彼らは貴族であり、大半の劇団員には遠い存在だ。
その上ディートハリスは他の国の大貴族の次期当主。
別の世界と言っていい。
ただ、
「……私たち、助かるの?」
その理解だけが、少女から零れ落ち、
「ん――如何にも、若き歌姫よ」
「ひゃ、ひゃい!」
ディートハリスは少女の小さな呟きに答えた。
彼は軽い動きで壇上へと上がり、彼女の前に膝をついた。
「遅れてすまなかったな、恐ろしい思いをしただろう。だが、もう大丈夫だ」
「あ、えと、その……そんな、お立ちくださいお貴族様! そんなことをなされるなんて……!」
「何を言うか……ふむ? いかんな、怪我をしている。―――どれ」
言うや否や。
ディートハリスは自ら着ていた軍服の裾の一部を引きちぎり、少女の脚の傷に巻き付けた。
「ぃひぃ……!?」
引きつった声が漏れる。
周りにいた同僚も似たような反応だった。
ディートハリスのような大貴族の服なんて、今の自分が一生働いて稼げるかどうかというレベルだと聞く。
王国はそこまでではないが、帝国貴族はとにかく金を使いたがるらしい。
「お、お貴族様がどうしてこんな……!」
「ふっ……これが貴族の義務だからだとも」
少女には分からないことを言って。
それこそ彼は舞台のワンシーンのような笑みを浮かべた。
舞台俳優になって主役を勝ち取れそうな甘い笑みに、思わず少女の胸は高鳴り、
「若様! なにをしていらしているのですか!」
「止めるなアデーレ。これまた貴族としてせねばならぬ――」
「なぁーにがせねばならぬですか! ここ来るまでどんだけ魔族倒して瓦礫退かして救助して来たかお忘れですか! そんな衛生的に問題しかない布を傷口に当てるんじゃないですよ! 痛み傷になって腐ってしまいますよ! はい、どいて! 舞台から降りてください! 熱消毒だけしますから! 他の人も、さっきの崩落で怪我をしていたら教えてください、応急処置を行います! ローマン、手伝って!」
「ウス、姉さん」
「若様はあっちの方々と脱出についての相談を!」
「…………………………すまぬぅ」
「い、いえ……その、お気遣いありがとう、ございます?」
アデーレという侍女に貴族であるディートハリスは怒られてシュンとしていた。
「すみません、うちの若はこういう人でえぇ。やはり未来永劫私が侍女兼愛人として世話を焼かないとダメですね」
何やら凄いことを言いながらアデーレは懐から取り出した紙を少女の傷に巻かれた布に貼る。
本に挟むような栞のそれは、
「っ……」
「少し我慢を、熱で穢れを払う魔法符です」
あらかじめ魔法が刻み込まれた魔法具の一つだ。
高価なもので、庶民が触れることはほとんどないが当然の様に使っているあたり財力の違いを感じる。
「これで一先ずは。止血と消毒だけですので、詰所かどこかに行ったら処置をされると良いでしょう」
「は、はい! ありがとうございます!」
「いえ、当然のことですから」
軽い一礼をしてアデーレはすぐに別の怪我人の元に駆けよっていく。
弟らしいローマンという大男も同じように符を使って手当を行っていた。
「……なんか、思ってたのと違うな」
王国の貴族というのはほとんど役人のようなものだ。
なので無暗矢鱈に偉そうということはないし、そういう横柄な貴族を取り締まるのも衛兵の仕事の一つでもある。
だが帝国貴族は昔ながら身分の差が激しいと聞く。
アンドレイアといえば少女のようなまともな学がない身でも知っているような大貴族。
なのに、彼は平民である自分を気遣い、侍女に怒られ、そして今王国の貴族と脱出の段取りを話し合っていた。
その事実に、少し笑みが零れそうになって。
失礼かなと背後を向いて。
「―――――え?」
異変を見た。
●
その現象を少女は全く理解できなかった。
だからただ、起きたことを事実としてその目に焼き付いた。
振り返った背後。
壁が分解されたのだ。
正確に言うのなら背後の壁に掛かっていた垂れ幕だ。
舞台の裏は演劇の為の舞台装置や劇団員の入れ替えをする為のスペースになっており、そのさらに後ろがいわば壁だった。
そのはずだったのに。
一瞬、それら全てが小さな立方体に分解され、外の景色が見えた。
「――――ローマン! アデーレ!」
鋭く厳しい声を上げたディートハリスが少女の前に立つのと、立方体が動きを得たのは同時だった。
立方体同士が集まり、形を得たのだ。
槍だ。
それも数十本。
その場にいた全員を貫いて余るほどの量。
斉射された。
「ッ……!」
ディートハリスの手が跳ねる。
手にしていた戦杖に光を宿しながら、指で弾き、回転を生みながら前方に投げる。
ステッキに宿った光が長さを倍にし、回転しながら盾になった。
槍の雨が、光の盾に降り注ぐ。
「ちっ……!」
高速で射出し、人一人を容易く貫通する槍衾の六割はディートハリスの盾がはじき返し、三割はローマンとアデーレがその爪を以て殴り飛ばした。
残りの一割、数本は、
「―――ごほっ」
ディートハリスの体に突き刺さっていた。
「若様!」
「構うな! すぐに全員を逃がせ!」
「ッ―――」
「――――あーらら。相変わらず甘いわねぇディートハリス様」
音があった。
声と靴が鳴る音。
分解され、空白になった舞台奥から現れたのは女だった。
長身豊満。炎のような赤い髪、艶めかしい右目元の泣き黒子。
シンプルなシャツとジャケットにスラックスという出で立ちながら妖艶さを漂わせる。
彼女を前に、ディートハリスは口元から血を零しながら吐き捨てた。
「…………ヘファイストス! 貴様、逃げ出していたか……!」
「えぇ、勿論。この場の混乱に紛れてねぇ」
ヘファイストスと呼ばれた女は、ディートハリスをせせら笑い、
「それにしても、そんなにまでなって平民を守るなんて。それが貴方の言ってた貴族の義務とやらかしら? 大変ねぇ、そんな体になってまで」
「ふん……貴様のような誇りの無いものには分からんよ」
彼は嘆息し、
「――――諸君、全力で逃げたまえ!」
掲げたステッキから強烈な光が発生した。
「ん―――」
目くらましの閃光。
あまりの光量にヘファイストスも目を閉じた。
だけど。
逃げられるはずないと、少女は思った。
こんな状況で動ける訓練を受けているわけではないし、そもそも逃げろと言われて逃げられなかったから劇場に籠っていたのだ。
恐怖と戸惑い。
純粋極まりないただその感情が、行動力を奪う。
少女だけではなく、周りにいる劇団員も、残ってくれていた観客さえも。
動けなかった。
なのに。
『≪外典系統≫―――≪|我、勇気を以て背を押す者也≫』
声が響いた。
「――――え?」
なのに、気づいたら足を動かしていた。
少女だけではなく、その場にいた全員が。
動いたと気づいた時には、すでに走り出している。
アデーレとローマンも槍衾によって得た傷に構わず、逃げる人たちを守るように共に駆けていた。
まるで誰かが背中を押してくれたような。
まるで心の中で燻っていた勇気に火を灯してくれたような。
そんな感覚を誰もが共有していた。
一瞬だけ、少女は振り返る。
膝をつき、血を流す彼は右手を掲げていた。
手の甲に槍と盾を組み合わせたような紋章を浮かべながら。
彼は笑っていた。
その笑みが、少女の目に焼き付く。
そして、誰もが劇場から飛び出した。
●
「…………へぇ、それが貴方の」
ヘファイストス・ヴァルカン。
かつてディートハリスと共に行動を共にし、しかして裏切り、数か月王国に拘留されていた女。
本来ならば今日、彼女は各国王たちの前で尋問と処遇が決定されるはずだったが、混乱に紛れて逃亡したのだろう。
逃げ出した演者や客たちは追わず、形のいい眉を上げて膝をつくディートハリスに問いかける。
「如何にも。我が≪外典血統≫、≪|我、勇気を以て背を押す者也≫。中々悪くないものだろう?」
傷口に治癒魔法をかけて止血をしながらディートハリスは苦笑気味に返した
血統による系統の派生進化。
≪|我、勇気を以て背を押す者也≫。
「他対象、複数。行動の命令―――いえ、支援かしら?」
「ふっ……どうだかな」
合っていたのでびっくりしたがとりあえず笑っておいた。
ヘファイストスの指摘通りだ。
複数、最大数百人規模を対象とした精神への『鼓舞』。
言ってしまえば他人を勇気づける、というものだ。
それだけと言えばそれだけだが、戦場においてあらゆる精神負荷を超えて肉体の最大効率の発揮と冷静な判断を可能とするというのは非常に大きい。
アンドレイア家は帝国において軍部を司る故に。
血筋の中でもディートハリスの≪外典血統≫は大人数に特化した異能である。
これによってこの劇場に辿りつくまでも、片っ端から民衆に対して『鼓舞』を行い、避難を手助けしていたし、だからこそ帝国皇帝レインハルトも自らの下を離れることを許した。
だが、問題はとディートハリスは思う。
対個人においてはあまり向いていない。
さらに言えばこの≪外典血統≫、自分を対象にはできないのもちょっと問題がある。
「…………ま、己の心くらい、自ら奮わせろということか」
苦笑し、立ち上がる。
最低限の止血は済ませた。
「よかったのかしら、1人だけ残って。貴方の奴隷にも置いてかれたけど」
「無論だ。優先すべきは彼らだからな。アデーレとローマンには避難を命じ、それに応えた。それから、二人は奴隷ではないよ。契約と報酬によって成り立つ雇用関係だ」
「ふぅん、相変わらずご立派ですこと」
けれど、と女は笑う。
「この状況よ。どうするのかしら、私の靴でも舐めてくれる?」
「―――ふっ、確かに俺は他人の靴を舐めることに何の躊躇いもない男ではあるが」
だがなと、男も笑った。
「貴様のような誇りを持たぬ見下げ果てた下衆の足など舐めん」
握った戦杖を付きつける。
「或いはこう考えよう、お前のような危険人物を俺が引き付けているのだ。むしろ御の字ではないか? 貴様一人と俺一人、聊か天秤の傾きが激しい気もするがその能力は危険だし良いとしよう」
「酷い言い草ねぇ」
意図的に吐いた毒舌だったが、ヘファイストスは動じなかった。
むしろにたりと嫌らしい笑みを浮かべ、
「一人、というのは勘違いじゃないかしらぁ」
「――――!」
振り返り、気づく。
観客席に男と女がいることを。
●
先ほど崩れ落ちてきた瓦礫の中。
無事だった観客席に二人。
水色の二尾髪に三白眼と鋭く並んだ歯を持つ女。
蜂蜜色の髪と伸びた背筋の男。
女は右の、男は左の前髪がそれぞれ長い。
どちらも同じ仕立てのスーツ姿であり、女はブラウスだけ、男はネクタイとベスト姿。
≪ディー・コンセンテス≫の兄妹。
アポロン・ヘリオスとアルテミス・ルナだ。
「おいおい糞兄貴、オレたちにも矛先が向いたぜ?」
アルテミスは前の座席に足を延ばしてだらしなく座り、どこで拾ったのか観客向けのポップコーンを齧り、
「そのようだ。どうやらヘファイストスの茶番に付き合わされるかもしれんな。めんどい」
アポロンは背筋を伸ばしつつ、足を組みながら、やはりどこかで拾ったであろうワインを、態々グラスに注いでいる。
どう見ても観客の姿勢だ。
「……って何してんのよアンタたち! 手伝いなさいよ!」
「えー、めんどいぜ」
「逃げ出したところを合流したのに、そこの貴族を見かけて復讐すると息まいたのはお前だろう? なら自分でやればいいのではないか?」
「空気を! 読みなさいよ! ちょっとは! ドスを聞かせるとか! 他の連中が逃げてたのも無視してたし!」
「別に放っておいても死ぬだろ。外には魔族がわんさかいるしよぉ」
妙に緊張感のない会話が繰り広げられているが、しかしディートハリスは聞いていて内心穏やかではない。
この二人が≪龍の都≫を襲った二人組であるということは彼も知っている。
良くない。
実によくない。
顔には出さず、しかし内心頭を抱える他ない。
正直ヘファイストス一人でもディートハリスの手には余るというのに。
彼女をあっさりと倒していたトリウィアやウィルが並外れている。
「…………楽しい時に済まないが」
ディートハリスは三人に問いかける。
「君たちで一番弱いのは誰だ?」
「そいつ」
「彼女だ」
「ちょっと!」
「なるほど」
即答でアポロンとアルテミスがヘファイストスを指を示す。
ヘファイストスは抗議の声を上げたが、無視されたし、ディートハリスも静かに頷く。
良い情報は目の前のヘファイストスが一番弱いということ。
狙い目だ。
悪い情報は目の前のヘファイストスを倒せる可能性が結構低いということだ。
ディートハリスは部下を指揮し強化するタイプなので決闘には向いていない。
「…………ふっ」
困ったのでとりあえず笑っておく。
そう、それが大事だ。
ちょっと考えてみれば別にすぐに負けることもないだろう。
逆に考えれば危険人物、推定この襲撃を行う者達の幹部を3人引き付けているのだ。
まぁちょっと負担が重い気もするけれど。
その分人々が辛い思いをしなくて済むかもしれない。
こういう時の為に、自分は高度な教育と訓練を受けていたのだから。
「いいだろう! ディートハリス・アンドレイア! お前たち三人相手してやろうではないか! 言っておくが私は! 仲間がいれば結構強い!」
「あ? オレらも入ってる?」
「仲間いないではないか」
「本当の所はどうなのかしら?」
「死ぬ気で頑張ってお前たちを良い感じに足止めしたら! 誰か助けに来てくれることを願っている、切実にッッ!」
「人生で最も格好悪い啖呵でしたが、まぁいいでしょう」
●
声は劇場の入り口から。
ディートハリスのように空から降ってくるわけでも。
ヘファイストスのように能力で壁を崩してくるわけでも。
アポロンとアルテミスのようにいつの間にか席に座っているわけでもなく。
観客席外周中央の出入り口から普通に入って来た。
天井で崩れたせいで生まれた影。
そこからまず靴音と金属音が響く。
イヤリングと胸に掛かる十字架の音。
次いで闇の中で小さな灯が燻る。
「――――ふぅ」
現れたのは煙草を蒸かす白衣姿のトリウィア・フロネシスだ。
彼女は常の無表情で、ゆっくりと観客席から舞台へと向かっていく。
春に入り、肩に落ちるくらいまで伸ばした髪が揺れる。
青の中に混じる黒。
「来たか……!」
アポロンはワインを飲みほしてから立ち上がる。
かつて敗北した相手に対し雪辱を晴らす為に。
本当は、ヘファイストスの回収と彼女の我がままがなければ探し回りたかったところだ。
「……アンタ、外はどうしたんだよ」
アルテミスは体を起こしながら、横を通り過ぎようとしているトリウィアに問いかけた。
「いっぱいいただろ、魔族がよ。逃げてる連中も」
「周囲1ブロックは掃討しました。避難も問題ないでしょう」
「―――」
さらりと告げられた言葉にアルテミスは口を噤んだ。
「…………はは」
ディートハリスも思わず渇いた笑いが出てしまう。
周囲1ブロックなんて言うが。それだけの範囲にどれだけ魔族がいたか。数十では効かないし、十メートル前後の大型だって二ケタ以上いた。ディートハリスが劇場に飛び込んで五分も経ってないのに。
けれど。
この女は、やる。
「会いたかったわよぉ!」
「―――」
ヘファイストスが叫ぶ。
端正な顔を歪め、自身を倒し捕まえた女へと。
約半年投獄されていたのだから、恨みが積もり積もっているから。
「アンタを見返す時を、この半年どれだけ……!」
「あの」
トリウィアは煙を吐きだしながら眉をひそめ、
「―――――誰でしたっけ」
●
「ぶはっ! おいおい兄貴、あの女おもしろくね?」
「それは否定してないでおこう」
「―――――アポロン、アルテミス! やるわよッ!」
トリウィアは明確にヘファイストスの怒りが頂点に達したのを見ていた。
「…………冗談だったんですけど」
「いや流石にそれは無理があるぞー」
肩を竦めていたら、そそくさと舞台袖に避難していたディートハリスの声を聴いた。
いつの間にと思うが、その方が助かるので良いとしよう。
そのあたりの判断は流石と言える。
「トリウィア・フロネシス―――半年前は負けたけど、生憎私たちもそのままじゃあないのよ!」
「ふむ、ヘファイストスの言葉に乗るのは不本意だが同意しよう。敗北は受け入れた、ならば次は勝利を奪い取ろう」
「ま、こいつ三人で囲んでぶっ殺してオレも鳥畜生んとこ行くとするかねぇ」
三者は舞台上と観客席でトリウィア中心とした三角形を作りながら囲んでいる。
そのまま膨大な魔力を解放し、変化の言葉を紡ぎ、
『Omnes Deus |Romam ducunt―――――』
異界の神性をその身に降臨させた。
『打ち鳴らせ――――≪鐵鋌鎬銑≫!』
『―――――日輪を回せ、≪桂冠至迅≫』
『かき鳴らせよッ、≪凶禍錘月≫ッッ!!』
吹き荒れる魔力は柱のように収束し、三人の姿を変貌させる。
その様を見て、僅かにトリウィアは目を細めた。
ヘファイストスとアポロン、既知であるはずのそれが自分の見たものと違ったからだ。
ヘファイストスのそれは蛸を模し、生物的な変化だった。
アポロンは獅子を模し、装飾の施された重鎧だった。
アルテミスにしてもアポロン似た兎を模した軽鎧だと聞く。
だが、それらとは明確に違った。
それまでのように蛸、獅子、兎を模しているのは変わらない。
ただ外装の様式が全く違う。
共通して張り付く様な薄い素材のスーツ、その上にそれぞれ全身に装甲が加わり、武装を形成している。
トリウィアが見たことのないような金属は無駄の無い鋭角的なラインでありながら、各部が発光を生むもの。
ヘファイストスに至っては背から四本、鋼鉄の触腕が生えている。
「――――ふむ」
様式が違う。至るまでの技術と文明も違う。
或いは、《《時代が全く違う》》。
いつか見たマキナのパワードスーツのそれに近い。
アルマがSFとか呼んでいたジャンルのものだ。
アース111では生まれるはずのない、生まれるとしたら数百年は先のオーバーテクノロジーにしてサイバーテックスーツ。
それを前にして、トリウィアは煙草を蒸かす姿勢を変えなかった。
「驚いたかしら? 時代にして数百年! 別のアースの技術を取り入れた完成された≪神性変生≫よ!」
「いえ別に。別次元、それも進んだ文明の技術を取り入れるのは考えればむしろ当然でしょう」
「このっ……!」
「えぇ、正しい。――――《《私も似たような結論に至りましたから》》」
「………………は?」
「なんだと?」
「あ? こいつなにを―――」
変生しながら疑問を口にした三人にトリウィアは答えなかった。
しかし三人の変生に応える様に、
『≪魔導絢爛≫――――』
その言の葉を紡ぐ。
『―――――≪境界超越≫』
新たに切り開いた魔導の究極を。
暗い光が爆ぜた。
深く、重く、されど華々しく。
光は収束し、黒と青の魔法陣となって彼女の周囲を駆けた。
それはトリウィアの全身を包み、何もかもを変えて行く。
纏う服はただのブラウスとレザーパンツから軍服へ。タイトスカートからガーターベルトが伸び、ニーソックスに繋がり、重厚な軍靴へと至る。
太ももにあった二丁拳銃は両腰に収まりながら、その銃身に短くも鋭い刃を追加した。
象徴的な白衣ははためきながら黒いコートへと変化し全身を包みながら、襟が高く立つ。
胸と耳の十字架、眼鏡も装飾を増やしより重々しいものへ。
変化はそれで終わらなかった。
二つの魔法陣。
一つはトリウィアの頭上で軍帽に。
もう一つはそのさらに上で形を得る。
円から重なり、突き出た十字架。それが頭上に浮かぶ。
まるで、天使の輪のように。
右の瞳には、揺らめく陽炎も宿る。
それを以て、変身は完了した。
故に告げる。
『―――――≪十字架の祝福≫』
それこそが。
トリウィア・フロネシス。
《《四つ目の究極魔法》》に他ならない。
「足りないなら、別の世界から引っ張ってくる。えぇ、その思考は全く正しい」
ヘファイストスも、アポロンも、アルテミスも。
全く思っていなかった変身に思考が止まる。
だからトリウィアは言葉を重ねた。
新たな姿になっても、そのままのを蒸かしつつ、
「私の場合、アルマさんからアカシック・ライトを学んでまず実践したのは幻術でした。これはわりとすんなりいきましたね。その次は移動、転移門だったんですが……」
肩を竦める。
「これは難しい。座標対象は無理だし、個人対象ならできるんですが脳への負担が激しすぎて吐きまくって一日近く寝込みますし。中々上達しなかったので……やることを変えました」
即ち、
「《《足りないものを補う》》」
そう、それだ。
トリウィア・フロネシスに足りないもの。
アース111最強と最賢を関して尚届かない領域。
「――――七つの要素。二十七系統を保有する私が、しかし得られなかったもの」
加熱、燃焼、焼却、爆発。
液化、潤滑、氷結、活性。
流体、気化、伝達、加速。
硬化、生命、崩壊、振動。
帯電、発電 電熱、落下。
拡散、反射、浄化、収束。
吸収、荷重、斥力、圧縮。
それがトリウィアの保有系統。
同時に耐熱、鎮静、風化、鉱物、誘導、封印、時間の七系統を持ち得ていない。
「てめぇ、まさか……!」
「えぇ、アカシック・ライトでそれらの要素を引き出しました。これはマルチバースから力を引き出すものですから」
アルテミスの声に律儀に解説する。
故に≪魔導絢爛・境界超越≫とは。
三十五、全系統を用いた究極魔法に他ならない。
ウィル・ストレイトが持ち、けれどまだ使いこなせないものを。
アルマ・スぺイシアが持ち、使いこなした彼女のように。
足りないものを補った。
それがトリウィアの新しい力。
「貴方達がアップグレードしたのなら、私だってするに決まっているでしょう?」
肩を竦め、吸いきった煙草を指先に宿した黒光で消滅させつつ、新しいものを口にする。
当然のように勝手に火が付いた。
吸い込み、
「あぁそうそう。お三方、何をこいつはべらべらと解説しているのだろう思っていることでしょう。まぁ別に知られたところで困らないものなんですか」
吐きだす。
種を語った理由を。
「全部解説した上で――――圧倒したほうが恰好良いでしょう?」
ピシリと、空気が軋んだ。
明確な挑発に、ヘファイストスだけでなくアポロンとアルテミスも悟ったのだ。
舐められていると。
「さてと……そろそろ始めますか。せっかくの劇場ですしね」
腰から形を変えた両刃銃を引き抜く。
三方に囲むは異界の神性。
彼らのそれは知らないが、トリウィアが知る知識で名付けるなら、
「演目は――――神々の黄昏」
両手を振るう。
リボルバー同士がぶつかり合い、蒼黒の火花を散らした。
それが合図だ。
人が偽りの神を終わらせる物語。
青と黒の相貌は輝き、告げた。
「――――――開演」
ディートハリス
変わらぬ間男
靴を舐める相手は選ぶ
外典血統が自分を対象に含めないあたりキャラクターに出ている
劇団少女
無事に生き残って歌手として名をはせてから
数年後帝国に渡ってトリウィア妹と修羅場を繰り広げる
復活のヘファイストス&アポロン&アルテミス
変身がアップデートされてSFバトルスーツ風にパワーアップ
ファンタジー世界の明確な異物感
トリウィア・フロネシス
エクセレントトロピカ……ではない。
白衣から軍服+天使の輪
アース111最強を更新中
何を持ち合わせてないんだお前は