一日に五十九秒の天の川
今日は、七月七日である。七夕である。
俺、天宮流は、今日も五十九秒だけ好きな人に会える。この電車で、駅と駅の距離が一番近い駅。その一駅の間だけ、好きな人と電車に乗っていられるのだ。
それにしても織姫と彦星って、会える時間的には俺より恵まれているのではないだろうか。一年に一日会えるらしいが、丸一日会えるのだろうか。仮に二十四時間丸々会えるとしたら、俺より長いぞ。
俺は一日に五十九秒しか会えないわけで、一ヶ月で三十分。いや、休日なんかは会えないし、平日も必ず会えるわけではない。そうすると一ヶ月に二十分もない。一ヶ月に二十分ということは、三ヶ月で一時間だから一年で四時間。しかも、繋がった四時間ではなくぶつ切りだから、会話は続かない。――などと下らないことを考えていたら、好きな人が乗ってくる駅まであと二駅となってしまっていた。
いけない、頭が混乱しているし、弱気になっている。これではいつもと同じく、ろくに会話なんて出来やしない。大好きなあの人、川島七海さんに、今日こそ元気に挨拶をするんだ。恥ずかしがらずに、川島さんみたいに明るくおはようって言うんだ。
川島さんを好きになったきっかけは三年前、中学一年の七夕の日。クラスで七夕の飾り付けをしているとき、たまたま川島さんの願い事を見てしまった。
『泳ぐのが早くなりますように』
その時に偶然、川島さんが隣にいた。目が合って、話し掛けてくれた。
そして、川島さんが泳ぐことが好きなこと、川島さんが水泳部なこと、水泳部のある中学を目当てに越境入学してきたことを知った。
好きなことがある。やりたいことがあって中学をえらんだ。それだけで俺には大人に見えて、いつも目で追うようになっていた。気付いたら好きになっていた。
だけど、俺は筋金入りの暗いやつ。
そのまま告白も出来ず卒業したし、通う高校も違う。もう会うこともないと思っていたら、高校に通って三日目、電車の中で川島さんに声を掛けられた。
嬉しかった。それだけで幸せだった。
だけど昨日、自転車でスリップして、俺は死にかけた。なにしろ、車が服に触れる距離まで近付いたのだ。
七夕の前日に、天の川に旅立ってしまうところだったわけだ。
当たり前の話だが、死んだらその後は何も出来ない。一日一日の大切さに、改めて気付かされた。
もう少し積極的になろうと決めた。そう、決めたんだ。
そもそも、俺のことが嫌いならわざわざ挨拶をしてくれるわけない。隣の車両に乗ったりすれば良いわけで。だけど、俺がこのままそっけない態度をとり続けていたら、川島さんは遠慮して挨拶をしてくれなくなるかもしれない。
楽しいって顔をするんだ。絶対に楽しいって顔をするんだ。
俺は、噛んでいたガムを包み紙にくるむと、ペットボトルのお茶を口に含んだ。これで口臭も大丈夫、喉も渇いてない。話せない言い訳は、もう出来ない。
もうすぐ、あの人が乗ってくる駅に止まる。ホームに川島さんはいるだろうか。俺は窓からまだ小さいホームを眺める。
いつも、川島さんに先に見つけられて手を振られるのだけど、今日は先に見つけて、俺が手を振ってやる。手を振るのはちょっと恥ずかしいけど、先制攻撃だ。
――見つけた! よし、こっちを見てくれた瞬間に手を振るぞ。二、三秒後、川島さんも気が付いた。俺と同時に、川島さんも手を振った。引き分けか。せめて挨拶は先にするぞ。
電車の扉が開くと、嬉しそうに川島さんが入ってくる。
「おはよう!」
「わー、おはよう。先に言われちゃった」
「今日は先に言いたくて」
「なんで? 手も振ってくれたよね」
「実は、昨日自転車で滑って、死にかけて」
「ええっ!? 大丈夫なの?」
「怪我とかは全然ないんだけど、車のタイミング悪かったらヤバかった」
「良かったー。でも、気をつけてね。怪我したら大変だよ」
「そうだね、気をつける。ありがとう。
……それであの、考えてみたらいつ死ぬか分からないんだから、川島さんに元気なとこ見せておかないとって思って。毎日もっとちゃんと挨拶しようと。迷惑じゃなければ」
「うん。迷惑なんかじゃないよ」
「それで俺、天宮さんに……」
俺はそこで、言葉に詰まった。涙が目から溢れて、話せなくなってしまったのだ。
電車のドアが開く。俺が降りる駅だ。五十九秒はなんて短いんだ。
「ごめん川島さん、また今度」
俺な精一杯の笑顔を作って川島さんにそう言うと、慌てて電車を降りた。振り返る。川島さんも一緒に電車を降りていた。
「川島さん、なんで!?」
「だって、まだ遅刻しないし。天宮君の話、途中だし。話の続きしてよ」
「続きは、別にないっていうか」
「本当にー? いつも少ししか話せないんだから、何か言うなら大チャンスだよ?」
全てを見透かしたような目で、川島さんは微笑む。
川島さんの言葉に、俺は再び勇気が出てきた。川島さんがこういってくれてるんだ。ずっと電車の中で言いたくて言えなかったことを、告白してしまおう。
「じゃあ俺、川島さんと遊びに行きたい」
「良いよ。どこ行こうか?」
「プール行きたい。海でも良い」
「あ、私の趣味に合わせてくれてる? 優しい」
「いや、俺が行きたくて。ずっとすごく行きたかったから」
「へー、私とプールにずっと行きたかったんだ」
川島さんはからかうように微笑んだ。
「だっ、ダメなら別に……」
「じゃあ、これから夏休みまで毎晩電話してくれたら、プール行こ」
「電話して良いの?」
「むしろ、しなきゃダメ」
「するよ。絶対する」
「私、天宮君がいつ死ぬか分からないって言った時、心配になって泣きそうになっちゃって。だからこれからは、毎晩声を聞かせて安心させて。お願い」
「分かった」
「私ね、天宮君に泳ぐの頑張ってって言われたの、すごく嬉しくて。覚えてる?」
「中一の、七夕の日だよね?」
「そうそう。偉いと思うって言ってくれたよね。懐かしいなあ……」
「あれからピッタリ三年だね」
「そっか、今日って七夕だもんね! なんかすごくない?」
川島さんは子供のように喜んだ。こんな一面もあったのか。
「分かる。なんかすごいよね。七夕に縁があるっていうか」
「ねえねえ、天宮君の高校って七夕飾った?」
「うん、昨日飾った。川島さんのとこは?」
「飾ったよ」
「川島さん、願い事なんて書いたの? 早く泳げるように?」
「ううん。『好きな人と仲良くなれますように』って」
「うわ、同じだ。俺も『好きな人と仲良くなれますように』って書いた」
「叶った?」
「叶ったよ、今」
「私も今、叶っちゃった」
二人は、涙を流しながら笑い合って、ベンチに座ってしばらく手を繋いで話をして――ふと時計を見て慌てて別れて学校に向かうも、残念ながら遅刻してしまった。
織姫と彦星も、遅刻の面倒までは見てくれなかったようである。




