後編 左藤くんと悪漢を成敗した勝った
「ああ……クレープ……私のクレープが……」
私は知らないオジサンとぶつかってしまい、買ったばかりのクレープを落としてしまいました。砂まみれになってしまい、これではもう食べられません……。
オジサンは、明らかにわざと私にぶつかってきたと思うのですが、全く悪びれる様子もなく、むしろ威嚇するようにこちらを睨みつけています。こ、怖い……。これはもう、泣き寝入りするしかなさそうです……。
しかし、そんな怖いオジサンに、佐藤くんが掴みかかりました。
「おいコラちょっとオッサン――」
「じゃかあしゃあ!」
「痛ったぁ!?」
さ、佐藤くんが殴られた!?
こ、このオジサン乱暴すぎる……!
私が佐藤くんに声をかけると、佐藤くんはゆっくりと立ち上がりました。そして、なにやらオジサンにジョ〇ョの台詞をパロディしながら私との仲を惚気始めました。聞いているこっちが恥ずかしくなってきました……というか、三つとも全部初耳なんだけど……。
そして、口上が終わると、佐藤くんは再びオジサンに立ち向かっていきました。佐藤くん、頑張れ……!
「じゃかあしゃあ!」
「痛ったぁ!?」
さ、佐藤くんが殴られた!? 二回も!?
……これはもう許せません。
クレープだけなら、また新しいのを買えばいいやと思っていました。しかし佐藤くんを殴ったとなれば話は別です。このオジサンには地獄を見せる。
このオジサンへの恨み、憎しみ、怒り、悲しみ……全部ひっくるめて「嫌い」という感情を増幅させ、練り固めます。マイナスの感情は、プラスの感情よりもずっと強いエネルギーがあるんです。これを練り固めて生み出す道具は、鍬なんか比較にならないくらい強力になります。
「なんや女コラ。やるんか」
オジサンの行く手を阻んだ私に、声をかけられました。
だから私は、怖いけれど、言い返してやりました。
「……私」
「ああ?」
「私、あなたのこと、機雷です」
そして完成しました。対オジサン用モーニングスターです。
目の前のオジサンが、面白いくらいに動揺しています。
「ちょっ、待っ、な、なんやそれ!? ホンマになんやそれ!?」
「機雷です」
さぁ、あとはこれを振り回してオジサンにぶつけるだけ。ちょっと重いですが、これくらい、佐藤くんを殴られた胸の痛みを思えば、なんということはありません。
目の前でなにやらオジサンが謝っていますが、あーあー知らない聞こえなーい。佐藤くんに合わせて言うのなら「おめーは私を怒らせた」というやつです。
「あなたなんか……大っ機雷ですっ!!」
そして私は、私の「嫌い」を思いっきりオジサンに叩きつけてやりました。
その後、炭クズになったオジサンは、救急車とパトカーにしょっぴかれていきました。
冷静になってから考えると、私も相当にやりすぎてしまったと思ったので、私も一緒におまわりさんのお世話になってしまうか……と思いましたが、特にお咎めはありませんでした。ラッキー。
そして、こうやって冷静になると、と、途端に震えが……。
無事に勝てたから良かったものの、もしあのオジサンが思った以上に強くて、私が負けてしまっていたら、いったい何をされていたか……。
今さらながら、怖くなってきてしまいました。
この気持ちを静めるには……佐藤くんに抱き着くっ! ぎゅーっ!
「ご、五寺さん? いきなりどうしたの?」
佐藤くんが少し困惑しながら尋ねてきました。
私は、自然と震えてしまう声で佐藤くんに返事をします。
「こ……怖かった……ぐすっ……」
「あ、怖かったのか。五寺さん、余裕でオッサンを圧倒してたから、五寺さんは怖くないのかな、なんて少し思ってたけれど」
「そんなワケないよ……超怖かったよ……怖くて緊張して、『嫌い』が『機雷』になっちゃったもん……」
「あ、あー。そういえば確かに、五寺さんの誤字は緊張すると発動するんだったっけ。ちゃんと緊張してたんだな」
このへん、正直、ちょっと方便入ってます。今は本当に怖いですけど、オジサンと戦っている間は「野郎ぶっ〇してやるぅぅ!!」という気持ちの方が強かったです。でも佐藤くんに甘えたいのでちょっと脚色してます。ナイショですよ?
それから佐藤くんは、抱き着いている私の頭を撫でて、背中をさすってくれました。しあわせー。でもこんなに甘えちゃって、迷惑に思われていないといいんだけど……甘え過ぎちゃったかな……。
それから佐藤くんは、落としてしまった私のクレープの代わりに、なんと自分のクレープを私にくれました。イケメンだ……!
佐藤くんからもらったクレープは、甘くて、ふわりとしてて、とても美味しかったです。そんなクレープを食べる私を見ていた佐藤くんが、少し嬉しそうな表情をしているように見えました。今の私、どう思われてるのかな?
……そういえば、ここまで佐藤くんとだいぶ甘々な時間を過ごしたからか、佐藤くんにジッと見られてもあまり緊張しなくなってきました。
今なら、言えるでしょうか?
先ほど中断してしまった、名前呼びのお願いを……!
仕掛けるなら、精神が安定している今しかない。
そう思い、私は再び佐藤くんに声をかけます。
「ね、ねぇ、佐藤くん」
「ん? どうしたの、五寺さん」
「さっきのさ、ほら、えっと……誤字がひどすぎて、私が中断した話……」
「ああ、あの話ね」
ええと、次に「『お腹の子』の話の中で、佐藤くんが私のこと『優花』って呼んでくれたよね」って言わなきゃ……なんだけど……。
……ああああ! 「お腹の子」って言うのが恥ずかしいいい!
違うし私たちまだそこまで行ってないし!
でもやっぱり意識しちゃう! くやしい!
ど、どうしよう。
このままじゃ緊張が最大になって、またさっきみたいに誤字だらけに……。
……そ、そうだ!
「お腹の子」じゃなくて、「お腹の調子」って言えばいいんだ!
これならきっと動揺しない! よーし……。
「そ、その……お、お、『お腹の調子』の話の中で……」
よし言えた!
油断しないで、落ち着いて次の台詞を……。
「佐藤くん……私のこと『ユンボ』って呼んでくれた……」
油断したぁぁぁ!!
私が油圧式ショベルカーにされちゃってるぅぅぅ!!
「ごめん、今のは誤字。さっき……下の名前で呼んでくれたよね?」
よ、よし、どうにかここまで持っていけた……。
あとは一言、お願いするだけ!
ここで盛大に誤字っちゃったら、その後のムードにも関わってきちゃう! お願い、どんなに緊張しても、ここだけはちゃんと言わせて! 神さまーっ!
「ねぇ佐藤くん……もう一回、私のこと『優花』って呼んで……?」
い……言えたかな……?
何も、誤字っていないかな……?
それから佐藤くんは、一瞬だけキョトンとした様子を見せると、少し緊張気味に口を開いた。
「じゃあ……優花」
はわわわわわわわ。
脳が……とろける……とろけちゃう……。
私、思わず嬉し笑いがこぼれちゃいます。
「……ふふ。ふふふ……」
気分は完全に新婚さん。
そうだ、せっかくだから、佐藤くんにもこの気持ちを分けてあげたいな。
私は、自分ができる限りの笑顔と共に、佐藤くんに返事をした。
「なぁに? あなた♪」
その言葉を聞いた佐藤くんは。
なぜか、爆発でも喰らったかのように吹き飛ばされてしまいました。
でもその表情は、すごく幸せそうでした。
私の彼氏の佐藤敏夫くんが、好きすぎて困る。




