幼少期編
今の僕が飛躍するきっかけそれはビートルズFree as abirdがあるからだ 1987年6月13日に産まれ令和2年のまでの物語 その幼少期編から遡る
僕が誕生したのは大阪の奈良市内で1987年に産声をあげた父親は瀬戸直樹 母親は瀬戸麻奈子の吾子それが僕、僕の自宅がみこさんのよく見かける場所にあるといわけで幼少期話しから遡る幼稚園は奈良の飛鳥幼稚園に通っている僕は長男で他に弟がいる次男は瀬戸誠は母親によく抱かれ母乳をよく飲んでいるその姿を見ていると誠はシナプス細胞から中枢神経を電子が流れ細胞が核分裂が起こり健康な肉体が作られていると思うと我ながら生態は科学的だんだな僕は思う誠の歳の差は3歳頬をいつもツンツンとついているときには誠はいつも僕の指に顔を向けて来る頬にキスをしたりしている時はいつも幼児語で話し掛けてくる鈴を鳴らしたりして遊んでいる時は喜び誠は母親からベッドに寝かせられたあと足をバタバタしたりして指をくわえたりしていつも寝ていた僕はとゆうと戦隊ごっこで棒を振ったりして遊びラジコンを動かしたり飽きたら粘土をこねたりして下手糞の銅像を作ったりしてると仕事しか父さんが帰宅するとまず僕の頭を愛撫し いい子にしてたかと、うんと僕は肯くと 今日仕事の帰りに八つ橋を食べたくて買ってきたけど食べるか、と僕と母である麻奈子と一緒ちゃぶ台に八つ橋を置きソファーに腰掛けみんなでテレビを見ながら父親はビールを冷蔵庫からちゃぶ台に二缶置きドリフターズのいかりや長介の教養コーナー若彼氏の志村けんを説教するシーンを肴にして嗤っていたその度に父たる直樹と話しは八時だよ全員集合の話を肴にしたというわけでそのあと僕と父と風呂場で幼稚園で何をして遊んだだと父たる直樹が聞いてきたのでパパ僕ね林くんとね滑り台でね遊んだよでねそのあと砂場で山作ったり団子作ったりたのしかったよ父たる直樹はそうか楽しかったかという会話で湯槽から上がるとタオルで身体を拭いたあと歯を磨いたあと僕と父たる直樹はリビングを通り就寝についたそうして一日がすぎ父たる直樹は朝6時25分に起床しリビングの母たる麻奈子はあなたおはよういいながらちゃぶ台には味噌汁と目玉焼きとご飯を用意してくれていた父たる直樹はありがとうと言いながらちゃぶ台に付きコーヒーもあったのでコップに入れ朝食を食べコーヒーを飲み行ってくると麻奈子の頬にキスをして行ってらしゃいといい直樹はじゃあといい家を出たというわけで僕は7時30分に起床しリビングには母たる麻奈子がおはようと味噌汁と目玉焼きとご飯とお茶を用意してくれていたので食べていると誠がお腹すいているのか母たる麻奈子はリビングを出てベッドから取り出し母乳にくらいついたその時僕は奈良幼稚園に行く準備をして忘れないように弁当を持ちリュックに入れ担ぎ玄関にむかい靴を履き我が家を出た幼稚園バスから先生が降りてきたので 僕は我が先生におはようございますと一律に頭を下げバスに乗り込んだ我が母はというと我が息子をよろしくお願いしますといいその後バスを発進し他、バスの中の僕は杉本林くんの後ろの席に座った