北砦の戦い・3
村を出発した鹿郡領軍は、北砦へとつながる領道を進軍する。
領道を進む兵士達の目の前には高い丘が見え、あの丘の向う側に敵が、牛郡領軍三千の敵がいる。そう思うと兵士達は緊張した視線を丘の上へと向けていた。
道の途中、レオン達から村に残るように言っても聞かなかった、騎乗して進むシズカとマチルダ達に近づく者達が居た。
「戻ったぜ」
「お頭、じゃなくて奥方様、只今戻りやした」
「マチルダ ただいま」
マチルダ元山賊団の親衛隊、馬の鞍に大剣を差したガイと、馬に乗れないデクを後ろに乗せたジョンが巧みに馬を操ってマチルダの後で進むアンナと並び、二人は手を握って、すぐに離した。
「三人共お疲れだったね、作ってくれた地図が役に立ったみたいだよ」
「へへへへ、そいつあよかった、あっしも毎日駆け回ったかいがありやした」
十日の間に、北砦周辺を馬で駆け回り、鹿郡領軍が持つ物よりも精巧な地図を描いたのはジョンだった。
「前から思ってたけど、ジョンて乗馬が上手よね」
突然マチルダと並ぶシズカが聞いた。後ろにはヨーコが続き、またその後ろにはデイブが続く。
「へ? あ〜……へへへへ。あっしにはこれしか取り柄がありませんからねえ」
「うちの人、役割が〈騎手〉だからね」
ジョンの妻、アンナが夫の代わりに話し始めた。
「んな事今言わなくていいて!」
「別にいいじゃない。この人、帝国でも有名な馬族の生まれで、村の子供達は馬と一緒に育つような所でねえ」
「へ〜そうなんだ」
「馬の扱いに長けてるから、村の男達は帝国のあちこちで開催されるレースに参加して、稼いでくる金で生活してたんだよ」
「帝国のレースって優勝賞金がとても高いと聞いた事がありますわ」
ヨーコは帝都に居た頃に聞いた話しを思い出した。
「あたしが嫁いで二年ぐらいは良い暮らしができたんだけどねえ……」
アンナの顔は暗くなった。
「魔王との戦争が長くなると全てのレースが自粛で無くなってね」
ジョンは舌打ちした。
「男達の稼ぎが無くなって、慣れない畑を作っても上手くいかず、食う為に大事な馬を売り、それも無くなると村の若い女達が大きな街に出稼ぎに、身を売って稼ぐしか無くなってね」
「え!?」
「そんな!」
シズカとヨーコは、まさかと息をのんでアンナを見るが、彼女はニッと犬歯を見せる。
「あたしみたいな大女に客なんて付くわけないだろ?」
「そんな事は無いぞ」
「は?」
隣で、ガイの声が聞こえたデイブは固まっている。
「食ってく為に、幼馴染のマチルダに泣きついてね、夫婦揃って山賊王の山賊団に入れてもらったのさ」
「そうなんだ……そんな事が」
「シズカに聞いて覚えてて欲しいんだけど」
それまで黙っていたマチルダが話しかけてきた。
「戦争てのは勝っても負けても、戦の最中も、終わった何十年後でも、戦士達とは関係ない人達が、関係ない場所で、とても酷く苦しめる物だってこと」
「えっ? それって……ううん、分かった」
シズカは何かに驚いてからマチルダに頷いた。
「さっきのマチルダ、まるでお母様みたいね」
「私の親父が良く言ってたのさ、山賊の癖に妙に物を知ってる人でね、あと忘れたの? 私、あなたの義母なのよ?」
「そうだった!」
「(戦が終わった後か)」
声を上げて笑うのを我慢しているアンナの横顔を見ながら、ジョンは考える。
アンナとは村のしきたりで、ジョンの父親と村の長が余所の村と勝手に決めた結婚だった、最初は自分よりも身体がでかくて化け物みたいな女と一緒にさせられたと嘆いたし村の仲間達から馬鹿にされたが、アンナは馬を走らせる以外に何も出来ない能無しの自分を良く支えてくれた。
アンナが居なかったら、自分はとっくに死んでいただろう。
この戦が終わったら鹿郡領に家を買い、二人でまた馬を育てるのも悪く無い、もう一人家族が増えても良い。
「なあアンナ」
「なんだい?」
「この戦が終わったら、こゴモゴモゴモ!?」
突然鞍の後ろに乗るデクに口を、ごつい手で塞がれた。
「――ぶはぁ!? デク! てめえ! 何すんだ!」
「たたかうまえ あすのはなし とてもよくない! しぬ!」
「ああん? 何言ってんだお前?」
「あんた、私に話しって何さ?」
「あ、ああ、この戦が終わったらこゴデグググッ!?」
「あすのはなし たたかうまえに よくない! はた! だめだ!」
片言の帝国語で、普段は温厚で落ち着いたデクが、今は切迫したような様子だった。
「何なんだ!? あ! ちょ! 分かった! 分かったから! 止めろ! 危ねえだろ!」
二人が乗る馬は、ブルルルと訴え、迷惑そうだった。
ーーーーーー
鹿郡領軍は領道を進み、前方に左に大きく曲がる道が見える。ここを曲がって更に進めば北砦、戦場が見えてくるが、軍はその途中で領道から外れ、左に見える勾配の緩やかな丘を登り始めた。
鹿郡領軍の後軍、機械甲冑隊の輸送馬車も丘を登ろうとしていた。
「「「「よっこいしょ〜!!」」」」
甲冑隊で一番重量がある八番機を乗せた、道を塞ぐ程の大型の馬車の周りには、甲冑隊の整備師達と岩の砦騎士団(自称)の民兵達、さらに工兵隊も加わって馬車を押していた。
領道は地面を削り、叩き固めてから道を作っている為に、本来の地面との段差が出来る。
丘を登る前に、その僅かな段差を越えなければならなかった。
人と馬なら問題は無い段差だがこれが荷台のある馬車となると難しく機械甲冑を乗せた大型だとさらに大事だった。
工兵隊の一人が即席で作った板の梯子の上を、輸送馬車が登りきった時にマルティは声を上げた。
「だー! 上がった〜! も〜誰だよ重量ある機械甲冑が良いって言ったの!」
「なあバナン、これ下ろすのここじゃ駄目なのか?」
「駄目だ、即敵に掛かれる場所が良いからできるだけ頂上近くまで運んで欲しいんだけど」
歩きながら手ぬぐいで汗を拭くマルティに、バナンは持っていた水の入った革袋を渡しながら言った。
「機械甲冑が呼吸する機械音で、敵を驚かせて退却させる作戦、こんなの上手くいくのか?」
水を飲むマルティの隣でロカがバナンに聞いた。
「さあ、それは相手しだい。勇者達が住む異世界に大昔の戦で水鳥の羽音に驚いて敵軍が逃げ出した話があるそうなんだ。それに倣ってみたんだけど駄目なら駄目で戦うさ」
マルティは口を手の甲で拭い、ロカに革袋を渡す。
「羽音で? どんだけ飛んだんだよ、戦記録に良くある誇張じゃねえのか?」
「戦記録が間違ってる事ってあるんですか?」
ロカは一口水を飲んだ後、革袋をアベルに渡そうとしたが、アベルは自分の革袋を持って質問したのでロカはバナンに革袋を返し、受け取ったバナンは弟子の質問に答えた。
「戦記録ってのはいくら正確に書き残しても、文字や書き方が変わった時代に解読されて読まれたりすると読む側の受け取り方でよく変わってしまうんだ。例えばさっきの話だと、水鳥の羽音に驚いて逃げ出した。と言ったけど、実際は水鳥の羽音で、奇襲を察知して退却した。だったのかもしれない」
「分からないんですか?」
「分からない、なんせ勇者も僕らもエルフじゃないからね、見てない物は大昔の記録から想像するしかないのさ」
「じゃあ今日の戦いも、記録に残るんですか?」
「そうだねえ、暗黒時代が続かなければ何百年後の人達に何て馬鹿な戦をしてるんだと思われるのかな」
そんな話をしながら進む四人の横を、男達に押されながら緩い坂道を登る輸送馬車が通った。
その上に横になって固定されている三番機の中で、機械甲冑隊女隊長エリスは苦しそうに呼吸し、ブツブツと呟いていた。
「エリス……あなたは大丈夫、戦える、その為に訓練して来たでしょ……敵の方が数が多くてもあなたは負けない……大丈夫! エリスは大丈夫なんだから!」
最後は叫ぶように声がでた。
「大丈夫かお前?」
「らぁぁぁぁ!?」
同じ甲冑隊のハチが、三番機の胸装甲のバイザーが開いた穴から覗き込み、中で幼児のように縮こまっているエリスに声をかけた。
「ら〜? 何だ? どうした? 戦う前にビビってるのか?」
「違うわ! 全然怖くなんてないんだからね!」
真っ赤になるエリスを見て、ハチは顎の髭を指で掻きながらフンと鼻を鳴らす。
「別に恥ずかしいがるこたぁねえよ、ビビって良いんだ。誰だって死ぬのは怖い、俺様だって怖いんだからな」
ハチ教官も怖い? エリスは信じられないように聞き返した。
「でも、ハチ教官は強いし……」
エリスの問いにハチは片方の眉毛を上げて答えた。
「男が、いや兵士が戦に出れば殺し殺されて死ぬ、俺様だって死ぬ、お前も死ぬ、誰だっていつかは死ぬ、みんな死ぬ、だからみんな死ぬのが怖いのは当たり前だ」
「そう……ですよね」
「おう! だから安心して今はビビリまくれ!」
ハチは三番機の装甲をバンバンと叩き、辺りを何か探すようにしてからエリスの視界から消えた。
「何なのよ、あのおっさん……」
また一人になって塞ぎ込み、ハアと息をはいた。
「あれ?」
エリスは自分の胸に手を当てる、あれ程苦しかった呼吸が楽に、そして自分の中にあった何か重い物が無くなっていた。
「嘘……あんな事で?」
三番機から顔を出し、ハチを探す。
彼は隣の二番機が乗る輸送馬車の上に移り、膝を抱えていた気の弱いジュールに向って、歯を見せるように口の端を指で引っ張り、真似しろと指示していた。
「そっか、励ましてくれてたんだ……」
ハチが嫌がるジュールの両頬を引っ張っぱているのを見ていたその時。遠くからエリスの耳に、聞き慣れた機械甲冑が呼吸する時の機械音が聞こえた。
マルティが手を上げ、止まれの指示に五台の輸送馬車は止まった。
戦場に到着したのだ。
馬が外され、荷台に整備師達が上がり、エリスに一旦機械甲冑から出ろと指示する。
エリスは三番機を整備師達に任せ、荷台から降りると。
「隊長、集合だ」
「了解」
七番機の乗る荷台の側からクルトに呼ばれたエリスは近付くと、クルト以外の甲冑乗り、ハチとジュール、そしてハーディも入れた三人がニィ〜! と歯を見せて変な笑顔で向き合っていた。
「何あの変な顔? 何なの??」
エリスはいつも通りの無表情なクルトに聞いた。
「東方軍の甲冑乗りに伝わる初陣の者にするまじないらしい。ああすると死の案内人が嫌がって近づかないそうだ」
「私も初陣なんだけど?」
「やりたいのか?」
「ううん、絶対いや」
だがエリスにはその変な儀式の意味は理解していた。ハチは先程自分にしたように、ハーディとジュールの緊張を取り去ってくれているのだろう。
バナンが来るまでその変顔比べは続いた。
「ハチさん、ここでもそれやってるんですか?」
「おうバナン、状況はどうだ?」
ハチは変顔を止め、バナンに向く。
「ハア……」
「何なのこれ……」
ハーディーとジュールは解放され大きく息をはいたが、もう先程までのような、他の兵と同じ青白い顔では無かった。
バナンは木の棒で、皆に見える様に、地面に何か描き始めた。
右から左下へと斜めの線を引き左下から上へと縦の線を引く、その奇妙な線の右に四角いマーク、左に星マークを描き最後に下に横一本の線を描いた。
「さて甲冑隊の皆さん、状況を簡単に説明する。知らせは二つ、良い知らせと悪い知らせ。良い知らせは敵の数が二千程に減っている、北砦隊が奮闘したようだ。次に悪い知らせ、敵が陣形を整えている」
バナンは絵の中心。奇妙な斜めと縦の線を指した。
「この敵の陣形は〈半方陣〉という、斜めの線は北砦と丘の上に居る我々を警戒している隊列。縦の線は西の森に潜むナナジさんに警戒している防御隊列だ」
あ、これ陣形なんだ。とエリスが思った時、クルトが発言した。
「奇襲に気づかれたか」
「いや、将旗を調べると敵に恐ろしくカンが良い指揮官がいるが気にしなくていい。ここからが任務だ」
バナンは斜め線の前に、四つの点を追加した。
「甲冑隊の起動と共に鹿郡領軍は前進する。そして敵陣前方に展開する機械甲冑四機、後方でまだ停止状態の六機、合計十機の牛郡機械甲冑隊の撃破が君達の任務だ」
ーーーーーー
「戦力の3分の1を失っても引くに引けない事情があるか」
「四機しか起きて無いのはこっちに俺様達がいる事を知らないんだろ」
「奇襲は上手く行くな」
バナンが離れてからクルトとハチの二人は、何か理解した様に話し合っているが、エリスにはさっぱり分からず、十機の機械甲冑を相手にしろと命令され頭がいっぱいになり、ハーディとジュールも同じ様子だった。
三人に気づき、ハチは話しかけた。
「良しお前ら、後ろの六機は一旦忘れろ。前方にいる四機に集中しろ」
「左から二機は俺達がやる、右の二機はお前達三人でやれ、やれるな?」
五対四、それなら。
「やれます!」
「でも教官、その後は……」
ハーディが後の事を言い出した。忘れろと言われても敵はまだ六機いるのだ。
「問題無い、おそらく戦う前に終わっている」
クルトが西の森がある方角を指で差した。
「お前達はあそこに隠れて居るのが何か忘れたのか」
居るのは自分達が対峙したあの化物、母にそっくりなナナジがいる。
「甲冑隊、準備して待機」
バナンが左から駆け寄り、命令してから右へ駆け去った。
鹿郡領軍は一つの横陣を作ろうとしていた。
単純な横陣なのは、今の鹿郡領軍に複雑な陣形と隊列が組めないからで、このまま突撃してぶつかる事しか出来ないのだ。
バナンが指揮する部隊と甲冑隊があるのは陣の右側にあった。
隊長であるエリスでは無く、副隊長のハチが声を上げた。
「良し、時間だ。ハーディ、ジュール、怖くなったらさっき教えた顔をしろ。エリスは未来の旦那を思い出せ。クルトは、……お前はいいか。じゃあまた五人で会おう!」
おう! はい! とそれぞれ自分の機械甲冑に向う。
「あ、あの、ハチ教官……」
だが一人、エリスは殆んど隊を任せっきりにしたハチに、一言お礼を言おうとしたが、彼は既に機械乗りに必要な耳栓をしていて彼女に気づかないまま八番機に向う。
「あ、待っ――」
「エリス! 何してる! 急げ!」
エリスはハチを追いかけようとするが、三番機担当整備師に呼ばれた。
「この戦いが終わったらお礼を言おう」
そう決め、エリスは自分の愛機に向って駆け出した。




