森の道
勇者? と聞き返そうとその時。
――スン。と空気が変わった気がした。
そして匂い。草の匂い。土の匂い。水の匂い。木の匂い。動物の糞の匂い。枯れた草が腐って土になる匂い――
突然の匂いの波に女は鼻を押さえた。
先ほどまで通路になかった枯れた草や木の根などが目についた。
根を踏み潰しながら進むとまるで蟲の為に作られたような大階段が見えてきた。だがその半分は木の根で埋まっている。
蟲は腕を上げて頭上の女を守りながら『出口だ』と歩調を変えず、そのまま階段を上りベキベキと木の根を蹴とばし、踏み潰しながら進んで外に出た。
闇の広がる深い森に大小の四つの光が灯る。木々は高く太く中には蟲を超える巨木もあった。どこから小さな虫や小動物達の巣が潰れた抗議の声が聴こえる。
小さい光は「う〜!」と泣き。打掛の袖で鼻を押さえている。
『どうした?』と蟲が心配する。
「臭い!」
『慣れろ』
森の匂いがこんなにきついとは知らなかった。鼻ではなく口で呼吸すると舌に土の味がする気がした。
「うえ〜!」
『慣れろ』
女は涙目で観念し深く鼻で呼吸する。濃い空気が取り込まれ身体に広がる。
深呼吸する際ふと空を見上げた。
空には3つの月。銀に輝く月に小さい赤い月がわずかに重なり。少し離れてさらに小さな緑色の月が輝いていた。
「月? もしかして今は夜?」と尋ねた。『そうだ』と返事がくる。
「へ〜」と女は自分の目と蟲の目を使って森を見渡す。
女の目に映る森は昼間のように明るく見えていた。そういえば明かりの無い通路で鏡使ってたな。と今更気が付いた。
『我々の能力はこんなものばかりだ』
「能力?」
『この世界に生きる者なら誰でもなにかしら能力を持っている。人間のように修得して覚える能力もあれば、我々のように産まれて初めから習得している能力もある』
蟲は溜息のような息を吐く。
『古い仲間には強力な戦闘能力や支援能力があるのに我々は役立たずだったよ。狩りには便利だったが』
「いやいやこれ凄い能力だよ?」
『そうか?』
「他に能力は使えるの?」
蟲は何か考えた後、全身と白い毛がブルッと震えた。すると毛や鎧が上から周辺の景色と同じ色に変化していく。
「お? おおお〜」
蟲の全身が森の一部のように擬態化している。右半身は木のように右手を枝のように伸ばす。
『本気を出せば透明化のような事もできる』
「なるほど、この能力使って遺跡で人間達から隠れてたのか」
余程近付かないと分からなかっただろう、木の上にいるような錯覚さえする。
「この能力凄過ぎない?」
『隠れるだけならな』
蟲が少し動く。すると風景とズレる。さらに巨体が木の根を踏み砕く派手な音を立てる。女は、あ〜と納得した。
蟲は体の色を白と灰には戻さず木や土に近い色に変化させる。動かなければこれだけでも擬態になるだろう。
『人間達にも妙に感がいい奴が居てな。何か居ると騒ぎ出した時は肝が冷えたよ』
蟲が遺跡の出口を振り返った。
自分達が出てきた遺跡の入口は草と木の根で半分埋まってる。蟲が根を踏み潰して通らなければここに入口があるとは分からないだろう。
根に埋まるように巨大な両開きの分厚い扉が何か強い力で破壊されていた。
「あ〜これやったのもしかして」
『我々だ』蟲は正直に答えた。
「私は関係ないから、人んちに玄関蹴り破って入る友人てどうなの?」女は呆れたように半目になって言う。
「もしかして侵入者てここから入ってきたんじゃない?」
『いや眷族用のがこの山の反対側にあったはずだ。そこからだろう』
蟲は山を指さして言った。雲がかかって山頂が見えない高い山だった。
山を見た女は「神殿滅茶苦茶にしたのやっぱまずかったかな?」と急に心配になってきた。
遺跡の主。蟲の友人があれを見たら激怒するのではないだろうか。
『問題は無いだろ』蟲はきっぱり言い切った。
『しばらくここに居たがアイツは帰って来なかったし。あそこに住む眷族も居なかった』
蟲は少し寂しそうに言った。
女は「でも」と自分が使った紅入れや着ている服を掴み。
「ほら、これとか妙に新しいよ? やっぱ何か居たんじゃない?」
取り出した化粧品は真新しく。衣服の染めも最近織られたように色が美しく澄んでいる。とても数百年前の物には見えない。
女の目から蟲も見たのだろう。蟲は黙り込む。少し間があってから。
『移動しよう』
「あ、やっぱまずかったか」
蟲は移動を始めた。ちょっと早歩きで。枝や木をへし折って森を進みだした。
蟲が移動を始めてしばらくし。
『我々には大した能力はないがこれからの為に教えよう』と言った。
蟲は歩きながら遠くにある少し高い木に向かって指をさし。『あれが見えるか』と言った。
「見える?」
木を見る。よく見ようとすると指された木がすぐ手前にあるように、木の葉の一枚一枚が大きくはっきりと見えた。
「へ~! お〜! 凄い! 遠くまで見える!」
はしゃいであっちこっちに視線を動かし木を見たり石ころを見たり遠くの山を見たりする。偶然前方で木に止まる小動物が見えた。
ピッと目に写る小動物が六角形の緑色の枠に包まれる。
六角形の下に〔〈役割__獣〉__〈銀鼠〉〕と付いた。
(これも蟲の能力?)
リスにも似た銀鼠と付いたその動物は蟲の大きな足音に怯えている。このまま進むと彼の住処を破壊してしまうだろう。
止まって。
声に出さずそう思うだけで蟲は歩みを止める。
蟲の体を前に傾け。覚えたての能力で「う〜ん」と地面を見る。右の方角の先、木々の間にそれをすぐ見つけた。
「あっち」と蟲を移動させる。
『なんだ?』
「道よ。多分あの遺跡まで続くやつ」
多少木や草が生えてるが森の木々が避て道のような場所に出た。
『これは』
「地面に砕けた石が沢山見えるでしょ。ほらあれとか神殿にあった石材じゃない? 大昔ここに大きな道があったんじゃないかな」転がってる石を指さしながら女は言った。
道は片方は遺跡がある山の方向へ。もう片方は西の方角に伸びていた。
「あんな大きな建物作るなら資材を運び込む道を作ったんじゃない?」
『なるほど。覚えてないがあったかもしれない』
蟲は道を踏んで移動を再開する。
両肩が木の枝が当たるが森の中を突っ切って進むより歩きやすい。
「どこか目的地ある?」
『無い。だがまず食事がしたい』
蟲は腕を伸ばし木の枝を掴んでへし折りそれを大顎に突っ込んで葉を食い千切ってぼりぼりと食べだした。
「草食?」
『いや、こんなもの腹の足しにもならない』
蟲は葉の無くなった枝を放り捨て。昆虫の脚が集まって手の形をしたそれをグッと握り締め。
『やはり肉だ! 肉が食べたい!』今まで聞いた事がない力強い声で蟲が言った。
「肉だよね〜」と女はうんうんとうなずいてヨダレがたれる。そしてハッ! となってさっき見た小動物を思いだした。
振り返るが彼はもう見えなかった。