東方の漆黒騎士
登場人物紹介
蟲騎士……〈勇者殺し〉の名を持つ全長20mの人型モンスター。虫タイプ。勇者と英雄の役割を持つ人間が苦手。
ナナジ……蟲騎士と同化しその額に女性の姿で生えている。性格が残虐で争いと戦闘を好む。
シズカ……前鹿郡領主の次女。赤竜乙女のあだ名がある男女問わずの色欲魔。
アーダム……シズカの配下。帝国から連れてきたシズカの愛人。
ヨーコ……シズカの使用人。シズカの武術の師であり恋人。
マチルダ……元山賊。シズカに捕まり配下になる。シズカの色欲が苦手。
クルト……元千の軍所属の機械甲冑乗り。帝国東要塞の生き残り。
ハチ……元東方軍の機械甲冑乗り。帝国東要塞の生き残り。
バナン……元東方軍の騎士。帝国東要塞の生き残り。
タルン……武器屋の商人。事故で困っていた所をシズカに助けられ旅の手伝いをする。
マルティ……タルンに雇われていた傭兵。弓が得意。元冒険者。
ロカ……タルンに雇われていた傭兵。槍が得意。マルティとは同郷。
ガイ……マチルダに雇われていた傭兵。大剣使い。
ヤマ……シズカが雇った傭兵。過去の勇者が作った武器ライフル銃を使う。
デク……マチルダに付いてきたモンク。謎が多い。
アベル……シズカの小姓として雇った少年。
魔王……百年ぶりに復活した魔王の役割を持つ初老の男。敵であるはずの勇者を探している。
マリアンジェラ……魔王の女性副官。魔王のセクハラに悩んでいる。
癒しの泉亭に泊まって三日目の朝。アベルはこの柔らかなベットも今日でお別れかと惜しみつつも這い出した。
自分が寝泊まりしていた使用人用の部屋には扉は無く幕で閉じられているだけだがそれでも物音を立てない様にそっと木剣と手ぬぐいを持って部屋から出て主人が眠る部屋の扉の前を息を止めて通る。シズカ夫人は町の有力者を招きに蟲騎士とナナジを町に害をもたらさない魔物であると紹介して昨日も遅かったのでゆっくり休んで欲しかった。
顔を洗ったあと庭に出て準備運動をし日課にしてる木剣の素振りを始めた。神から与えられた役割は〈魔物狩り〉だが少年の夢はシズカの騎士になる事だった。
あの人を守れる男になりたい。
あの人に頼られる男になりたい。
騎士になってあの人の為に働きたい。
故郷の村で旅の演劇団が演じていたあの騎士のように強くなりたい。
少年は純粋にそう願い木剣を振る腕に力を入れる。
大森林でシズカ夫人に自分の腕に巻かれた包帯にキスをされた事が人生の目標を決定させた。
「少年頑張ってるねえ!」
声をかけられ振り返るとバナンが笑顔で手を振っている。
「騎士長様おはようございます!」
バナンは東方領出身の本物の騎士だ。それにハチさんの話では部隊を率いていたと聞いたのでその位は一つ上の長、失礼が無いように木剣を後ろに隠すように置き胸に手を当てて頭を下げて挨拶をした。
だが顔をあげると彼は口を尖らせて不機嫌そうだった。
「あ、あれ? ええっと……」
ヨーコさんに教えて貰った通りにした筈なのに何処か間違えたかな?
「……少年」
「は、はい……」
アベルはつばをごくりと飲み込む。
「何だよ! ハチやクルトはさん付けの名前で呼んで俺だけそんな呼び方!? 差別か! 虐めか? やり直し!」
「えええ!?」
バナンはアベルの知ってるどの貴族と違って少し変わった人だった。
シズカ夫人と同じ貴族なのに彼女の命令を良く聞き、手を振って人を大声で呼び、誰とでも対等に話し、スプーンを使わず食事を手掴みで食べてみんなと笑う。
出会った時は黒髪は括っておらず無精髭も伸ばし放題で大変失礼だが山賊の一人だと正直に本気で思っていた。
今は髪を整え髭も剃ってアーダムにも引けを取らない整った顔が見えている。
「バナン、さん、おはようございます……」
「おう! おはよう! アベル君!」
バナンは大人なのに子供のような笑顔で挨拶した。
庭の側にある洗台で顔をバシャバシャと洗うバナンを見ながらアベルは前から聞いてみたい事を聞いてみた。
「バナン様、さん、お話よろしいでしょうか?」
「うん良いよ!」
アベルが言い直したのでバナンは笑顔に戻して手ぬぐいから顔を離した。
「バナンさんは東方の騎士で軍にいたんですよね?」
「そうだよ〜家名も領地も無い傭われ騎士だけどね。戦が終わってたら館と嫁さんぐらい貰えたのかな?」
首をひねるバナンに続けてたずねた。
「じゃあ〈漆黒の騎士〉と会った事あります?」
「しっこくの騎士い?」
「はい、全身を漆黒の甲冑と漆黒の兜で顔を隠した東方領最強の騎士だって旅の演劇団が演じてたの見たんですけど」
「う〜ん? 名前分かる?」
アベルが首を振ったのでバナンは腕を組んで考え込んだ。
「漆黒……黒か、黒太子エドガー様の黒母衣衆の事かな?」
「演劇では個人を指すようでしたけど?」
「俺も演劇好きだけどああいうのは観客に分かりやすく面白おかしく演出するもんだから多分あの人達の事だと思うよ?」
バナンの目が昔を思い出すように細められ。
「全員がめちゃくちゃ強くてさあ戦場で何度も助けられたんだ! 俺が今生きてるのもあの人達のおかげである戦場で――」
興奮して話すバナンにその部隊の話しを聞いていて演劇と同じ戦場が出てきたので間違い無かった。憧れの騎士像は変わってしまったが漆黒の騎士達は確かに存在していたのだ。
「凄かったんですね!」
バナンの興奮が自分にも移る。だがある事に気づいた。バナンはまるで漆黒の騎士達と同じ場に立って見ていたように話していた。
「バナンさんてその黒母衣衆だったんですか?」
「俺? いやいや違うよ! とんでもない! エドガー様の何人も居た小姓の一人だったんだ」
「でも部隊とか率いていたんですよね?」
「率いてたつうか俺の頃は東方軍もうボロボロでさあ。他に指揮する人居なくてたまたま空いてた部隊を任せられたりとか……結局一度も勝った事なくて……何その目! 酷い! 頑張ったのに!」
大人なのにまるで子供のように膝を抱えて拗ねだした。
するといつの間にか庭に出ていた最近剣の稽古を見てもらってるロカとマルティがアベルを指差して子供の様に声を揃えて歌う。
「「あ〜アベル君がバナン君を虐めてる〜いけないんだ〜夫人に言ってやろ〜」」
「えええ!?」
ーーーーーー
魔王軍の本陣。その拠点としていた館の一室で魔王の副官であるマリアンジェラは報告書の束を読んでいた。
最後の一枚を読み終わりハァと息を吐いた彼女は報告書の束を机の上に投げ捨ててその顔を両手で覆った。
その報告書は影に調べさせていた魔王軍の中で〈漆黒騎士〉と呼ばれた一人の東方騎士の調査報告書であった――
魔王軍と東方軍との戦争は十年続いた。
最初の五年は東方の英雄。〈黒太子〉エドガーとの戦だった。
エドガーは優れた軍人で当時はまだ魔獣兵が揃っておらず温存していた魔王軍と互角に戦った人物だった。
問題の騎士が姿を見せるようになったのはエドガーが士気向上の為に開いた武闘会での出来事だった。
〈くろかめん〉と子供の悪戯のような名で大会に参加し勝ち上がるその戦士は顔を玩具のような仮面で隠した子供のような小柄な戦士だったという。
その大会にはエドガー本人も参加し対戦相手が黒太子エドガーと知るとほとんど騎士や戦士は試合前に降参の旗を上げた。
だが決勝戦でその〈くろかめん〉だけはエドガーに立ち向かった。
試合はエドガーが勝利したがけして公平な試合ではなかった。
観客の貴族達は試合前の〈くろかめん〉に無礼者と罵声を浴びせて物を投げつけた。だが試合が始まると貴族達の殆どは黙って試合に見入った。
〈くろかめん〉の剣技はエドガーと互角どころかそれ以上でエドガーの鎧に何度か一本ととられてもおかしくない一撃が当たるが審判官は勝利の旗を上げなかった。
試合は長くなり遂に〈くろかめん〉の試合用の安物の剣が折れ審判官は黒太子エドガー勝利の旗を上げた。
貴族達はエドガーの勝利を称えたがエドガーは審判官に向かって持っていた試合用でも上等な剣を投げつけると〈くろかめん〉に膝を付けさせその肩に持ってこさせた自分の剣を当てた。
「我が騎士に叙する!」
その日のその闘技場で漆黒騎士は誕生した。
漆黒騎士はエドガーから与えられた漆黒の甲冑を身にまとい漆黒の兜で顔を覆い隠した名も分からない謎の人物だった。
けして喋らず顔を見せず戦場では必ず黒太子の側にいてその身を守りながら彼から用兵を学んだ。
五年後エドガーが病死し、彼の軍隊は東方軍に吸収され騎士達もそれなりの地位に着いたが東方軍は漆黒騎士になんの地位に付ける事も無く何故か持て余し百名にも満たない部隊の隊長に付けた程度で魔王軍は首をかしげた。
エドガーの後継者は彼しか居ないと思われていたからだが漆黒騎士はこの小部隊を中心に魔王軍全軍十五万を最後まで苛立たせた。
英雄エドガーの居ない東方軍が魔王軍に敗れ崩壊寸前になる度に漆黒騎士とその兵士達が何処からともなく現れ魔王軍の完全な勝利に泥を付けて回った。
漆黒騎士が戦場にその漆黒の甲冑姿を見せたのは三度。
一度目は撤退する東方軍の殿戦。林道で細長くなった魔王軍の横腹を奇襲されて混乱し東方軍の主力を逃してしまった。
――この戦いでマリアンジェラの婚約者は漆黒騎士の剣によって討たれて死んだ。
二度目は帝国と東方の連合軍の決戦後我先に逃亡する連合軍を追撃しようとした矢先、魔王軍本陣を中央突破しまさかの逆襲に全軍の足が止まってしまった。
――この戦いのあと漆黒騎士を追ったマリアンジェラの兄は漆黒騎士の放った弩が当たり死んだ。
そして三度目。
魔王ですら「あの野郎は何処だ?」と幹部に聞いた東方残党軍を追う魔王軍に立ち塞がりたった一本の橋を巡る小川の攻防戦。
――この戦で燃える橋の上でマリアンジェラの父は漆黒騎士と一騎討ちをし、マリアンジェラは父の首が漆黒騎士の槍で断たれ飛ばされたのを見た。
マリアンジェラは自ら兵を率いて血の川を渡り逃げる漆黒騎士を追ったがあと一歩の所で東方軍の機械甲冑が邪魔をして逃してしまった。
その後〈千の軍〉の突然の参戦により追撃どころではなくなり漆黒騎士の姿も戦場から消えた。
魔王軍の東方軍との戦争は十年続いた。
最後の五年はこの〈漆黒騎士〉との戦だったと言ってよかった。
報告書の最後の一枚。漆黒騎士は帝国の東要塞に僅かな残党兵達と共に合流した可能性がある記されているがその後の事は分かっていない。
東要塞は魔獣兵の爆破攻撃で崩壊し降伏した将兵や今も帝国北地で抵抗する残党軍にもそれらしき人物や漆黒の甲冑姿は見えない。
おそらく戦死したのだろう。その死体は重い瓦礫の下だ。
「お父様……お兄様……あなた……仇をこの手で打てなかった!……ごめんなさい……くっ……グス……」
マリアンジェラの顔を覆う手から涙が流れる。
……あの時、ほんの僅か剣先が届かなかった。
漆黒の兜から覗き観えた瞳がマリアンジェラを嘲笑しているかのように見えた。
「ううう! ああ……!」
「は〜いマリちゃ〜ん遊んでないで仕事して〜」
「きゃ――っ!」
突然後ろから胸を鷲掴みにされたマリアンジェラは魔王の顔をひっぱたいた。
ーーーーーー
癒しの泉亭の庭でアベルは汗を拭くロカとマルティにある相談をしていた。
「――師か? 誰にするんだ?」
「ロカさんは……」
「俺? 俺は旦那の護衛で中央に行くぞ? 一緒に来るか?」
「いえ……」
「ガイじゃ駄目なのか?」
「ガイさんには断られました……」
「ヤマさんは?」
「ヤマさんは業を覚えるには僕は育ち過ぎてるって……」
「そっか〜」
「う〜ん……」
ロカは旅で更に伸びた顎髭を撫でながら考えこんだ。
本人には言わないがアベル少年には才能があった。手加減しているとはいえ槍の連続突を目で追い木剣でよろけながらも受けて払ってみせてロカを驚かせた。
おそらくガイもヤマもこの少年の才能に気付いて断ったに違いない。
今年で十四になるこの少年に《匠》を持つ師を付けて今しっかりと鍛えれば勇者のパーティーに入れる程の強者になるのでは無いか自分のような役割が半端者を師にするのは余りにも勿体無い。
「よう! 朝から稽古か?」
「おはようございます」
「ハチさん、クルトさんおはようございます!」
三人にハチは手を上げクルトは頭を下げて朝の挨拶をしアベル少年は二人に頭を下げて挨拶を返した。
「ラッキー野郎もおはよう!」
マルティは露天浴場に飛び込み入浴中のマチルダとナナジの姿をみたというクルトをからかった。
「ラッキーはやめろ」
「もう大丈夫か?」
「ああ薬湯が効いたようだ」
ロカに聞かれたクルトは首をぐるりと回した。
「所で何の話だ?」
「僕の弟子入りの相談になって貰ってました」
ハチはアベル少年の話を聞き片方の眉毛をあげた。
役割の世界では技やスキル習得は誰からか学ぶ必要があり、シズカ夫人もヨーコを師にして護身用の技を学んでいる。
様々なスキルがあり習得するまで一年で覚える物から十年以上かかる物もある。中にはロカやマルティのようにスキルを習得して生まれる者もいるがそれは非常にまれであった。
師からスキルを教わりながら突然全く別のスキルを覚える事もあり誰から学べば良いわけでも無く師にするなら《匠》と呼ばれるスキルを持つ師に教わるのが最良とされていた。
アベル少年から師匠探しの話を聞いて片方の眉をあげたハチは言った。
「スキルの師か? だったらバナンで良いじゃねえか《剣匠》持ちだぞ?」
「えええ!?」
一方その頃。
庭に集まってる者以外の男達は癒しの泉亭の馬小屋で森林砦から返された自分達の馬車の荷台から荷物を降ろしていた。
その中で部屋に帰る途中の廊下でたまたま出くわしたデクに捕まったバナンは情けない顔をしながら重い荷物を降ろしていた。
「ちくしょ〜! 従士がいれば騎士の俺がこんな事を〜!」
「貴族様に手伝ってもらっちゃってすいませんねえ」
「げ!」
ぼやきを後ろで聞かれてると思っていなかったバナンは慌てて世話になったタルンに振り返る。
「ぜんぜん良いんすよタルンさん! それに俺、元々は農村生まれだから!」
「え? 本当かい?」
タルンが驚くのも魔王国になる以前の東方領はとても厳しい身分制度で統治され差別と格差で才能があっても下級出身者は出世し辛い国だと聞いていたからだ。
ああそういえばとタルンは思い出した。バナンはシズカ夫人から何度も一夜の誘いを身分の差で断って逃げ回っていた。
「……一代でしかもその若さで騎士になるなんてさぞ苦労しただろうねえ」
「へへへ上がどんどん戦死したから繰り上がりすよ」
バナンは後頭部に手をやり照れ笑いをしながら言った。
仕える主君と護る国を失った騎士は山の中を逃げ回って山賊に拾われ今は傭兵達と一緒に雑用をしている。故郷ではさぞ名のある騎士だったに違いないのに彼はそんな素振りを見せず明るく振舞う。
「戦に負けたからしょうがないすよ。また始めからやり直すれば良いんすから!」
バナンは笑って作業に戻る。だが降ろされた自分の荷物箱を開け中を見るとその笑みが消えた。
「……そうだよなあ。また始めからやりゃ良いんだよなあ……」
バナンは小さい声でつぶやき目を細め箱の中の物を撫でると顔を上げた。
「タルンさ〜ん! これ売ったら幾らになりますかね〜?」
一段と明るい声のバナンに呼ばれたタルンは箱の中を覗き込んだ。
「んん? おや汚れてるが良い物じゃないか手放すのかい?」
「持って来ちゃったけどミスリルのがあるしもう使う事は無いと思うんで!」
それから暫く片付けそっちのけで二人はタルンが言う金額にバナンはもうちょい! と交渉し始めた。
箱に収まっていたのは長い間磨かれず黒く汚れた甲冑と兜だった。




