最初の一歩
登場人物紹介
蟲騎士……〈勇者殺し〉の名を持つ全長20mの人型モンスター。虫タイプ。勇者と英雄の役割を持つ人間が苦手。
ナナジ……蟲騎士と同化しその額に女性の姿で生えている。性格が残虐で争いと戦闘を好む。
シズカ……前鹿郡領主の次女。赤竜乙女のあだ名がある男女問わずの色欲魔。
アーダム……シズカの配下。帝国から連れてきたシズカの愛人。
ブラッツ……元帝国近衛兵。シズカの愛人
ヨーコ……シズカの使用人。シズカの武術の師であり恋人。
マチルダ……元山賊。シズカに捕まり配下になる。シズカの色欲が苦手。
オットー……鹿郡領森林砦の砦将。
レオン……現鹿郡領主。シズカの義兄。元冒険者。
テオドール……レオンの冒険者時代からの仲間。
リズ……使用人見習いの少女。ブラッツに助けられた過去がある。
ジョン……元山賊。マチルダの部下。アンナとは夫婦。
アンナ……元山賊。マチルダの幼馴染。ジョンとは夫婦。
オットーは森林砦の長として領都へ知らせの早馬は送る。彼女の無事の到着を父親と義理の兄レオンは驚き喜ぶだろう。だがレオンの腹心でテオドールという勇者神官がシズカ姫に何をするかと考えていた。
あの男は領主の後継者に血のつながりの無いレオンに反対していた重臣筆頭の事故死に証拠はなかったがテオドールの暗殺だという噂が広がり詰め寄った臣下達の前で暗殺を否定したあと。
「だがもしレオンの為になるなら僕は暗殺を指示していたでしょう」
そう言って臣下達を愕然とさせた事があった。
さらに噂の出所を探るとテオドールの周辺から噂は広まったと聞いた時オットーは冷たい汗をかいた。
正直領主としてまだ腹芸の出来ない若いレオンにこの様に働く人間は必要だ。
だが足場を固めつつあるレオンの鹿郡領に今だ影響力のある前領主の血を引くシズカが戻ってきた時、奴が何を考え――
――この時のオットーは連日の激務の疲れからシズカの安全を第一にと考えしか浮かばずまだ帝都での魔王の虐殺は知らずシズカが西方から送った人質の最後の一人だとは知らなかった。知らせを聞いたレオンとテオドールもシズカより砦の大門をうっかり破壊したあの魔物の方に頭を悩ませてるとは思いもしてなかった。
あらゆる傷。病を癒やす精霊水も人の疲れを癒やす事は出来ない。
どんな人にも限界はある。
「でも!……あ、待って、その薬湯屋ってもしかしてあなたの実家の〈癒しの泉亭〉?」
食いついた!
「そうです! 上級客用の奥を丸々一軒貸切にしてます。精霊水の薬湯で清められ景色も良く美味い飯と酒で目と腹を満たし女達が長旅の汚れを落としますよ」
シズカが連れてきた男達はざわついた。帝国国境町の宿で共に旅をする女達の安全の為に発散して大森林に入ったが数日でいつ魔物が襲って来るか分からない緊張と見た目は良いシズカやヨーコ達と旅をすれば流石に男として参ってくる。
夫婦であるジョンとアンナは良いが他の男達はまだ女として成長していない少女のリズが服を着替えただけでおかしくなり。よりにも寄ってその護衛対象のシズカが誘ってくる。
だが数週間シズカ隊の兵士達は自らを律しこの旅を乗り切った。その精神力だけなら英雄級であった。
だが人には限界がある。
……いい加減休みたい。お酒飲みたい。ごろごろしたい。女の子とムフフンしたいと兵士達の顔にでていたがアーダムだけはこれは不味いと緊張していた。
「(このオットーという男。何故シズカ夫人を自分の息がかかった宿に入れよとする? それに奥の一軒と言ったか。それは彼女を人の目に触れさせない為では? ……僕達を、彼女の帰還を隠そうとしているのでは?……危険だ)」
――万全の彼ならオットーにそんな意図はない事を察する事ができたかもしれない。彼も旅の疲れとシズカと出会う以前に裏の世界を知りすぎていた為に思考がずれてしまっていた。
人には限界がある。
「シズカ様」
アーダムはシズカを夫人では無く様を付けて呼んだ。彼女はここでは姫君なのだから。
シズカはアーダムに顔を向ける。いつもの彼女なら彼の警告を聞いてくれるだろう。
だが。
「どうしたの? アーダム……」
「(あれ……? あ、まずい)」
彼女の様子がおかしいのはすぐに分かった。顔に色情の表情を浮かべたシズカは自分の愛人を見つめている。
人には限界がある。
休暇が一番必要なのは彼女だった。そしてそれはこっちの身が危ない。赤竜乙女と夜を共にするとはそれ程の事なのだ。ブラッツも隣で青い顔をしているがシズカの後ろに控えて立つヨーコはそんな大げさなと情けない男達を冷たく見下ろしていた。
オットーは二人の反応で彼とシズカとの関係を察した。
「(やっぱこいつ姫様のアレか。もしかしたら連れてきた兵士全員そうなんか?)」
シズカ姫ならあり得る。
シズカ姫の色狂いは有名で彼女の父親は嫁ぎ探しに苦労した。一度北の牛郡領主の次男の元に嫁いだがあの騒動で突き返され戻ってきた。
噂では戻ってきた彼女は益々色に狂い夜になれば老若男女見境無く寝所に人を招くようになったという。
オットーはシズカの後ろに使用人服を着て控え上品に淑女らしく立つヨーコに目を向ける。南方人の特徴である褐色の肌と抜群のスタイル。東方人との混血で黒髪と潤んだ黒い瞳。はっきり言ってとても良い女だ。
あの調査隊の隊長が年甲斐もなく自分の妻にと願ったと噂が立つ程でシズカは彼女を見て一目惚れしヨーコも彼女を受け入れ調査隊からシズカ専属の使用人に変った経緯は鹿郡の女達の話題をさらった。
彼女が使用人になってからシズカ姫の色狂いは落ち着き、もしヨーコが居なかったらシズカは誰の子か分からぬ子を数人は産んでいただろうと下品な者達の話題になっていた。
そして半年前父親が本当に苦労してようやく遠く帝都の大貴族の息子の元に送り出したがまたこうして戻ってきた。もはや近隣でシズカを妻にと迎える国は無いだろう。
いったい誰に似たのやらとオットーは心の中でため息をつきヨーコから目を離し目の前の優男を見る。
「(役割はわかんねえが。……うん、良い男じゃないか)」
うちの姫様をほんま頼むよとオットーは願った。
だがその優男は何故か緊張した面持ちでオットーに質問してくる。
「その宿はあの魔物を入れても大丈夫ですか?」
「あの魔物本当に連れてくのか? そうだなあ……」
自分が壊した大門の隣で膝を抱えて座る間抜けな魔物の大きさを見てオットーは考える。
宿の周りは見栄えを良く手入れした庭と林だけだ。魔物はシズカ姫の言う事を聞くようだし問題は無いだろう。
「隣の林なら大丈夫だと思う」
アーダムは良し! と心の中で拳を握った。あの化物が近くに居れば下手な事はして来ないだろう。
「……では数日お世話になります」
「ああ! ゆっくりしてってくれ!」
アーダムとオットーはお互い頭を下げ二人共これでシズカの安全を守れるとようやく肩の荷を下ろした。
『何? 付いて行って良いのか?』
「ああ今から宿に向かうそうだ。君は宿の隣で座って居れば良い」
蟲騎士の額に生えている女がペシペシペシと蛾の頭を叩き「キイテ! キイテ!」と分からない言葉を話ながら騒いでいる。
『分かった分かった。ナナジをその宿の湯に入れていいか?』
「ナナジ? ってあの娘か? 降りれんのか?」
「ええあの腰が蛇みたいに長く伸びて動けるんです。ほら」
証明するようにナナジは魔物の頭から腰を少し伸ばしニコニコしている。
「……まあ構わんけど」
「ヤッタ! ウヘヘヘ……」
魔物の女は喜びその目はマチルダの身体に向けられているが二人は気づかなかった。
こうして領主の許可を待たずして蟲騎士とナナジは鹿郡領に足を踏み入れた。




