魔王は知らんと欲す
シズカ達が鹿郡の森林砦に到着する数日前の魔王軍本陣。
「……以上が西方国境要塞に潜む影からの報告です。西方国は難民の受入れを拒否したそうで身動きが出来ないそうです」
「やはり何度も同じ手は通じないか」
「難民を見捨てるとは何と非道な!」
「……それ難民を利用してる俺らが言えるか?」
帝都が見える丘の上に建てられた館……の隣に張られた大天幕の中では魔王軍の幹部達が集まり会議が行われていた。
天幕の中心には隣の館から運び込んだ大きさもバラバラな長机を繋げて並べその上にはあちこちにメモ書きや張り紙が張られた大きな大陸地図が広げられ、その周りには同じように隣から持ってきた十三の椅子に幹部と騎士達が座る。その中で置いてある椅子では無く長机の上に胡座をかいて地図を眺める白髪混じりの髪を雑に刈り上げそれ程長く無い顎髭をいじる見た目は人間だと五十を過ぎたであろう痩せた男がいた。
男は上等な服の上に何故か襤褸をまとう異様な姿で、その風貌はさほど良い訳でも背丈が高い訳でもないが魔王軍の幹部達の中でもただならぬ雰囲気と垂れた目からはどす黒い光を放っていた。
この襤褸を纏う凶相の男こそが百年ぶりに復活した魔王の役割をもつ人間の男。魔物の王にして勇者の敵。僅か十五年で東方領を統一し帝国を滅ぼし宝玉の女神からは「魔王でなければ覇王」と称された男である。
魔王が口を開いた。
「西方の領主達の本音では女王に感謝してるだろうねえ。上が駄目だって言ってるんだからきっぱり難民受入れを断れても格好がつく。女王はなんつったかな? ベアトリーチェさんだっけ?」
魔王の口からはまるで青年のようなよく通る優しげな声が飛び出した。初めて男の声を聞く者はその見た目で混乱する若い声だった。
「魔王さまあ。違いますよベアトリス女王ですわ」
男の右隣で椅子の上に綿の入った敷物を敷いて上品に座り。目を覆うように背中でまとめてある長い髪の色と同じ銀色の仮面を付け、白いKIMONOという服を着た女性が紫色の口紅をさした唇を開き魔王に甘えるような声で言った。
女の瞳は仮面で覆われて見えないがその額にかかる部分に瞳の形をした見事な宝石で装飾がされ、まるで本物の目のように時折動いてるような錯覚さえする。
「それだ! ユキちゃんあんがと! え〜そのベアトリクス女王は怖いねえ。こちらの手を良く調べてる。もしかしたら東方戦の頃から――」
「ベアトリス女王であります魔王様」
胡座をかく魔王のすぐ左隣に立っていた目付きの鋭い生真面目そうな若い女性武官が言った。
頭の後ろで一つにまとめた長い黒髪が彼女が動くたびに揺れる。唇には赤く濡れたような紅をさし彼女のためだけに作られた女性用の黒い軍服がそのすらりとした身を包んでいた。
「へ? ちゃんと名前言ったよマリちゃ〜ん」
魔王はそう言って女のタイトスカートに包まれている細い腰の下に手を伸ばすがマリと呼ばれた女はその手をスルリと躱した。
「マリアンジェラです! マリちゃんはやめてくださいと何度も!……こほん、恐れながらベアトリクスと魔王様はおっしゃいました」
「え〜? うそ〜ん」
魔王は躱された手を誤魔化すように開いたり閉じたりし二人のやり取りはその覆われた目でも見えているのか銀仮面の女は拗ねた子供のように頬をふくらませた。
「おのれべクトリアス女王め! 儂を惑わすとは!」
「ベアトリス女王ですわ!」
「あ、あっれ〜? ユキちゃ〜ん何で怒ってるの〜?」
「怒ってません!」
ユキと呼ばれた銀仮面の女は不機嫌そうに言って顔をプイっとそむける。
幹部達全員「なんだかな〜」といった顔になりながも魔王の言葉を待っていた。
「……オホン! え〜帝国の時のように山賊や反乱とかは味方には出来ないかあ。じゃあどうしよう……海賊とかはどうだい?」
「西方海軍の半分はその元海賊連合です」
「駄目?」
「おそらく……」
「駄目かあ。めんどくさいなあ」
魔王はボリボリと後頭部をかく。
「怒って向こうからこっちに来てくれるなら楽なのになあ……その為に帝都に居た西方の人質貴族達を全員処刑したのにねえ」
魔王は何でも無いように軽く言ったが幹部と騎士達は息を呑んだ。
ーーーーーー
降伏した帝都には他の領主達の帝国への忠誠の証として人質を預けていた。魔王はその人質達を捕らえ処刑した。貴族とその家族と使用人達の数は数千を超え中には子供も含まれている。だが捕らえられ処刑したのは西方貴族だけで北方貴族は解放されていた。
処刑の半分が過ぎた頃。処刑場の死体の山を見て怯え逃げたい一心に「自分は北方貴族だ!」と叫んで漏らしていた西方貴族に魔王軍の騎士は近づく。
「失礼しました北方国の貴族様でしたか申し訳ございません」
そう言って縄を外される。それを見た他の貴族達から自分も、私も北方貴族だと泣き叫ぶが全員そのまま処刑された。
「それでは北方王に宜しくお伝えください」
一人生き残った西方貴族は丁重にもてなされ北方国の国境近くで解放され北方国から船で西方国へ戻った。
貴族はそのふらつく足で西方国女王ベアトリスに謁見し全てを報告した。
「まあ古い手ですことホホホ」
ベアトリスは笑い貴族を置いて同じ館で行われていた北方国の大使をもてなすパーティーに行ってしまった。
数日後、その貴族は発狂し自殺した。
ちなみにベアトリスが帝国に預けた人質は彼女の弟だったが人質リストにある領主の娘の名を見つけた女王は弟の死よりも嘆いたという。
ーーーーーー
「ま、慌てる事もないか。準備はしてるけどこっちも今は動けないしねえ。さて次は~っと……マー君どうかな〈門〉の方は?」
座る騎士達から一人禿頭で目がギョロっとした男がスッと立ち上がり息を大きく吸った。
「は!! 順調であります!! 我が疾風騎士団自慢の工兵部隊第一中隊が大森林の中でとても良い地点に〈門〉を建設してくれました!! 現在は第二、第三中隊と交代し門には拠点になる砦と南部に向けて道を建設中であります!! これが完成すればもう一つ〈門〉を置く大森林手前の辺境町から通り数日で西方南部を攻撃できます!!」
声がでかい。
マー君と呼ばれた疾風騎士団の団長は彼からしたら普通だと思っているその大音量で話し側に座っていた他の騎士達は耳を塞いでいた。
その大音量は天幕の外の兵士達にまで聞こえ「次西方南部攻めるんだって」「へ〜」と秘密作戦が駄々漏れであった。
外に控える騎士達は疾風騎士団員に「何で副長の方連れて来なかった!」と詰めより「あ〜あ〜俺には聞こえな〜い」と団員は耳を塞いでいた。
マリアンジェラは慌てた。
「マ、マーテラスさん! 控えてください!」
音量を。
「は!!」
疾風騎士団長はスッと椅子に座り静かになった。
「はえ〜しかし便利だねえ。昔の魔王城の遺跡で見つけて話を聞いた時は眉唾だったけど。……あ、そうそう例の役割の巫女をさらって隠したっていう元帝国近衛兵が大森林に入った後の足取りはあれから掴めたのかな?」
疾風騎士団長がまた立ち上がる。周りの騎士達は大慌てで耳を塞ぐ。
「は!! 戻った第一中隊の報告によりますと大森林の中で〈白騎士〉殿や〈軍師〉殿と同じ魔獣兵の〈勇者殺し〉という魔物と出くわしたらしく森の奥へ逃げその後は分かっておりません!!」
『何と〈勇者殺し〉がそんな所に……』
天幕の中で鉄の筒から声を通したようなくぐもった男の声の呟きが聞こえた
「その一団には美しい娘が数名と少年がいたんだよね?」
「情報提供者からそう聞いております!!」
「役割の巫女と勇者でしょうか?」
「ちょっと分からないなあ〈軍師〉君、その〈勇者殺し〉君とは連絡つかないのかな? 同じ魔獣兵なんでしょ?」
先程まで少女のような仕草をしていた銀仮面の女は額にある宝石の目が動き人形の様に魔王に顔を向けて口を開いた。
『申し訳ございません。奴の方からリンクが切られています』
「やられたかな?」
『よもや。繫がっていませんが存在する事は分かります。まだ若い勇者に魔獣兵最強の〈勇者殺し〉が負ける筈がございません』
「では勇者を倒してくれたのでしょうか?」
「いや、勇者死んでないね。儂、魔王だから分かるのよ何故か……奴は西方国のどこかに居るよ」
魔王の頬が上がり目にどす黒い光が灯る。
だがその隣でマリアンジェラは呆れ顔だった。
「それ帝国攻める時にもその決め顔で言いましたよ?」
「あっれ〜? あ、そうだ西方南部だけど大森林に面してる領名は何つったかな?」
「は!! 牛郡領であります!!」
「あれ? もう一つなかった?」
魔王は地図を覗き込んだ。牛郡領の南に小さい領地があった。
「……鹿郡領ねえ」
魔王の目が細くなって地図を見つめる。その目はどす黒く輝いていた。




