勇者は何処にありや
シズカ達が鹿郡の森林砦に到着する数週間前の西方中央領都。
「……以上が東部郡からの報告です。領主達は帝国の国境要塞にあふれる難民を国内へ招く許可を求めております」
「あらあら〜大変ねえ〜……でもあかん! 必要な食料、物資はくれたるが難民の受入れは許さへん!……と伝えなさい。あと勝手は許さんぞゴラァ! ともね〜」
今年で西方を統治して二十年目になる西方女領首長ベアトリス、今はベアトリス女王を名乗る彼女は東部からの報告を女性側近から聞いてきっぱりと言い切った。
五十近くだが若々しく三十代から変わらぬ美貌を保ち目を細めた笑顔だがその口から出た言葉は西方訛りが混じった強烈な物だった。
寝間着のようなというか寝間着に上等なコートを羽織っただけの女王の側では似たような格好のふくよかな女性文書記長官がパンを咥えながらサラサラとペンを動かす。女王の変わりに彼女の話す言葉を王らしい言葉に変えて紙に書き進める。一度ペンを止めてパンを噛み切ってモグモグする。「ゴラァ」は帝国語でどう書けば良いのかしら……と少し考えまた半分になったパンを咥えて書きはじめた。
女王の言葉を文書記長官が書き控える部下達が写し再び女王に上げられて西方首長印を押し各東部の領主達に送られる。
特別な事でない限り女王自らが筆を持つ事はあまり無かった。だが今は言葉を発しながら筆を持ち何度か書き直したのか幾つかのくしゃくしゃになった紙の玉が女王の足元に転がっていた。
彼女達が居る場所は西方中央領都。帝国が倒れた今は西方国首都と呼んだほうが正しいだろう。その領地は豊かな土地の生産力と二本の大河を運河として使った輸送力。大河は西部郡と北部郡に流れそこから海へと渡り港から南部の虎郡領の港や北方国へと繋がっている。
その首都の間を通る大河の大きな中州に建てられた王城の中……ではなく城から離れた別荘を増築したその大きく豪華な館……の隣にある古い館に西方女王は居た。王城は息子に領内と共に全て任せ彼女自身はあんなジメジメとした場所にいられるか! という理由は伏せられて城から離れたここで西方国を統治していた。
「よろしいのですか?」
「なあに? 人道〜? 確かに人を助けるのは正しいわねえ〜事が終わったら東部郡の領主達を主役にし私を悪役にする物語でも作って称えれば良いのよ〜でも今はあかん!」
バン! と机を叩くとペンに力が入り途中まで書いてた手紙を汚す。
「そもそも前東方領と帝国が何故滅んだか! 少し調べれば分かるやんか! 難民に混じって魔王軍の工作員を大量に招き入れたからや! 国内に入り込んだ影達の調略と破壊工作で後手後手のグダグダになってんのに戦場で一発逆転狙うから負けるんや! 土台揺れてるのに勝てる訳ないやろ! アホが!」
不愉快そうに女王は紙をくしゃくしゃと丸めて捨てる。その紙はけして安く無いのだが女王は新しい紙を取り出してハァと溜息をついてから再びペンを取って走らせ始めた。
文書記長官は「……それは魔王の毒を飲み国を滅ぼすに等しい……」と書き足し始めた。
コンコンと部屋の扉をノックする音がした。
「どうぞ」
部屋主ではなく側近が答えた。
「失礼します。あ、どうもありがとうございます」
別の女性側近が書類の束を抱えて入り扉を開けてくれた女近衛兵に礼を言った。
「こちらに印を宜しくお願いします。……まだ書いてるのですか?」
「ううう……もう貴方が押しといて〜……」
いや、それは流石に駄目だろ。
側近は西方国を支配する女王陛下に向かって溜息をついた。
「ルーク君が心配してましたよ。たまには孫の顔でも見に来なさいと」
「うっ!」
ルークとはベアトリスの息子である。父親は公表されていない。ここから動かない我儘な女王の代わりに城代としてよく領地を統治している。歳は今年で三十になるので君付けは大変失礼なのだが彼はここにいる女性達の息子や弟のような存在だった。
十代の頃は誰に似たのか身分を隠して町に出てはケンカや少々女遊びが目立つ所があったが二十を過ぎると急に落ち着き二十五で結婚して既に娘が三人居る。
平時であればあと数年もすればベアトリスは王の座を息子に喜んで譲っていただろう。だが今は……
息子とはいえ一領主が女王に向かって会いに来いとは無礼な事なのだが彼が言うそれは戦争の影が迫るこの国に「安全な城に入ってください」という親を心配する子の願いからであった。だが女王はあの王城はけして安全では無い事を身を持って知っていた。
「あとこちらを」
側近は先程届いたばかりの報告書の筒を取り出し膝を着いて女王に差し出した。
「そう……巫女様にはご苦労様と伝えて、数日中には伺うとも」
「はい」
女王は封を開け書を取り出して報告書を読んだ。紙には短く数行だけ。
西方領で勇者様は発見できず。
「やはりここには居なかったのね〜……」
魔王の役割が復活して十五年になる。なら魔王の復活とほぼ同時に勇者も産まれたのなら十五、六歳になっている筈だ。
ベアトリスは西方の役割の巫女に勇者捜索を頼んだ。充分な支援と護衛も付けての捜索だった。武勇や智慧に優れた少年少女の噂を聞いては巫女は山を越え川を渡って確認に向かった。だが勇者は見つからず聞けば役割の巫女は町や村の通りに乞食のように座り一日通りかかる子供達にその役割が見える目を向け続けたという。
そんな捜索を巫女は全領地を周り数年も続けてくれた。ベアトリスは宝玉神信者だが協力してくれた役割の巫女には直接礼を言わなければならない。例え勇者を発見できなかったとしても。
「ではこちらの方は後で良いので手紙を書いたら沐浴場で本日の予定を、持ってきた朝食は食べましたか?……あれ? ここに置いておいた朝食は?」
大げさに明るく話す側近の声に答えるように室内にいる全員の視線が文書記長官に集まる。ふくよかな頬がモグモグと動いていた。
「あんたが食べてどうすんのよ!」
側近は長官の柔らかな両頬を摘んでひっぱり。長官は紙に「ベアトが食べて良いって言った!」と書いて手に持って抗議した。
昔と変わらぬやり取りを見て女王は微笑み机に視線を戻す。
それは親愛なる友でありベアトリスの命の恩人への手紙。
今から三十年前、魔物の体液で汚れもう乙女ではなくなった自分を抱きかかえて泉まで運び身体を洗ってくれた彼。死にたい、もう生きたくない、殺してほしいと泣くベアトリスを励まし抱きしめてくれた彼。
そんな彼の娘が帝都で死亡……行方不明の知らせをどう書くかベアトリス女王は悩んだ。
彼はベアトリス姫を魔物の巣から救い出した褒美として与えられた南部にある鹿郡領にいる。




