伝説の始まり
目を覚ましなさい。
――!?
夢の途中で目が覚めるような。
「眠っていた?」
目蓋を無理やり開ける。
ゴポ
「水!? 水の中にいる??」
呼吸の苦しみは無いが一瞬パニックになった。
頭上に明かりを感じる。
ゴボゴボ
水を掻いてあがく。
手が明かりが漏れるそれに触れる。ハッとなって両手で掴み、こじ開けようと力を入れる。
「開けろ!」
プシュー!
蟲の頭。蛾の額から橙色の液体が吹き出した。
『うまくいった』
巨大な蛾の頭。目と触覚の丁度中心ぐらいの位置の額が縦に裂け、そこからべチャリと人間が上半身を這い出し「ぶはー!」と息を吸う。口から鳴き声ではなく人間の声。濡れた長い黒髪が顔と肌に張り付いている。
『良くぞ目覚めた』と声が話しかけるが。「ゲホゲホゲホ! ま、まって、オエエエエ! ハァハァ! ゲホ! オ、オエエエエエエエエ! ハァ……」
落ち着いたようなのでもう一度。
『良くぞ』「ゔ! オロロロロロロロ」まだ駄目だった。
『大丈夫か?』声が心配する。
下の蛾の表情は分からないがなんか嫌そうだ。
「チーン! ハァ〜死ぬかと思った」
『大丈夫か?』
「ん? あれ? あ、ちょっと待ってください」
『わかった』
人間は頭を左右にふったり。とんとんと頭を軽く叩いたり。耳の中を指でほじろうとするが爪を見て「長!」と言う。
しばらく叩き頭を振っていると。
「あ〜あ〜。ん、良し」頭をふって確かめる。
『終わったか?』と声が聞くと「あ、はい」と、うなずいた。その時、人間がハッ! と何かに気づく。
『良くぞ』「うわあああああ!!!」突然人間が悲鳴を上げる。
『どうした?』声が心配して尋ねる。
「お、お、俺のが、ない! 俺の、俺のが!」
裸の人間が下を指差す。かなり混乱しているようだ。
『どうした不具合なら言ってくれ』
「下! 下が! 俺のが!」
指差す人間の下半身は腰から下が蛾の頭にまだ埋まっている。噴き出した液体で蛾の綿毛が濡れていた。
「俺の下半身が無い!!」
人間が本来有るはずの部分を蛾の頭をバンバン叩きながら悲鳴を上げている。
叩かれる蛾の表情は分からないがなんか痛そうだ。
人間は両腕に力を入れて下半身を引っこ抜こうとしている。
「くっっそ! 何で!」
『同化は既に完了している。止めなさい』と声が言ってるが人間は聞いていない。
埋まっている足をバタつかせて勢いをつけようとした。
すると蟲の足がバタバタと動いて走り出した。
「え? え? えええええ!」
街のアーチ扉を蹴とばし人間用の道を化物が爆走する大惨事。そして何かに引っ掛けてすっ転び一回転。ガン! と胸を打ち ズサァアアア! と滑って動きを止めた。
ガラガラガラガッシャーン!!!
石の街に巨大な一直線の瓦礫道が作られた。
道の先端にいる化物はうつ伏せになっている。
額に居る人間も顔を蛾の羽毛に突っ込んで両腕が浮いてだら~んとしていた。
「……」
人間がピクリと動く。化物が動きだす。
化物の両腕に力をいれ。
化物の体を起こし。
化物の足を使って立ち上がる。
蟲の化物の高さは頭から地面まで20メートルはあるだろう。
立ち上がって首を軽く振りコロロンと鳴く。
「……」
自分の思った通りに化物が立ち上がった。
人間が顔を上げる。長い髪で顔は見えない。うつ伏せのまま蟲と繫がる腰の付け根をさわるとこそばゆい。下に埋まってるはずの両足の感覚が無い。足を動かそうとすると蟲の足が動きそうになった。
「どういうことだ? どうなってんだ?」と絞り出すように人間は言った。
『同化は既に終了している。修復で起きた不具合が』
声が答える。その時、起き上がりやっと話を聞く気になった人間は蛾の頭で打った胸に手を当てる。その時ハッと何かに気づく。
『あるなら言っ』「えええええええ!!!」突然人間が悲鳴を上げる。
『どうした?』声が心配して尋ねる。
「俺、いや、ぼ、僕は、いや……」人間はかなり混乱しているようだ。
『不具合なら言ってくれ』
人間はゴクリと緊張し何か確かめる様に胸部に触れてから。
「……あの、私はこうなる前から女でしたか?」
突然言葉遣いを変えて声にたずねた。
女は肌に張り付いた長い髪の上から白い肌を隠し。髪の間からのぞく目に涙を貯めている。
『問題ない。同化する前から雌だった』
声は正直に答えた。
「これやったのやっぱお前か!!!」
突然女が泣きながらキレた。もう色々と限界だったようだ。
蟲はコローン! と鳴き。篭手からどうしてか鉈が飛び出した。それを掴みすぐ側の建物の屋根に叩きつけて暴れだす。
鉈が叩きつけられた建物とその周辺は一撃で砕け崩れ落ちる。
『落ち着け!』声が慌てる。
「落ち着けるか!」女はブチギレている。
化物は建物の壁を蹴り砕いて中を覗き込んでいる。声の主を探しているようだ。
『話きけ!』
「やかましい! 出てこい!」
後に蟲姫騎士と恐れられ称えられた彼女の伝説の始まりは。
何かこんなもんだった。