女は微笑み化物は涙を流す
深い森の中で蟲は困り果てていた。
昆虫の手足。丈夫な甲殻の鎧。蚕蛾の顔で20メートルはある巨体。虫と人型の巨大モンスター。恐るべき勇者を倒し宝玉の女神から賜った魔物最強の称号〈勇者殺し〉の名を持ち。今は蟲と名乗る彼は本当困り果てていた。
「アハハハ! ざま見ろ!」
彼女は〈大ミミズ〉と言い。蟲は〈砕く者〉と呼んでいた巨大ワームの魔物を彼女は蟲の足を使って踏み潰しながら笑っていた。
笑う女は蟲と合体して蛾の額から上半身、腰から上を生やした人間で宝玉の女神から名を賜りナナジと名乗り。さらに女神から寵愛を受け神と義姉妹にもなった同化者に蟲は困り果てていた。
『本当に倒してしまうとは……』
「なあに? 同じ虫の親戚だった?」
『いや違うが』
「なら良いじゃない先に手を出してきたのはこいつよ?」
『確かにそうだが……』
彼女は〈砕く者〉の死骸を蹴飛ばした。
『こいつはこの先の大森林に大きな縄張りを持つ一角だったんだぞ?』
「そうなの? 弱かったけど?」
『弱……どんな巨大要塞も砕き喰らう〈砕く者〉だぞ?』
「ただのでかいミミズでしょ?」
そう言って彼女は鉈を構え《熱弾》を発射してその大ミミズの死骸を燃やした。
『本当にとんでもない女だな』
「フフ〜ン」
ーーーーーー
この戦闘の始まりは彼女に身体の操作を任せ自分は今後の事で考え事をしていた時だった。
我々はどうするべきか。どの道を行けば彼女を守れるのか。彼女は覚えていないが私は私の全てを使って彼女を必ず守るという誓いを覚えている。
一つの道は魔物の本来の役割として魔王軍と合流して参戦する事だ。魔王はどうやら自分と同じ魔獣兵だけ魔物を軍に使役しているらしい。
魔王城に籠れば人間達から身を守れるし昔馴染みの仲間達に会える楽しみはあるが戦に駆り出され多くの英雄や今は行方不明の勇者が現れ彼女を危険に合わせるかもしれない。
もう一つの道は宝玉の女神に保護を求める事。女神の神殿内なら彼女の天寿まで安心して過ごせるだろう。だが女神が何かしら企みを考えてる事とナナジの死後次の同化者に女神自身が望んでる事にどうも良い道と思えない。
この森をさらに進み大森林の奥に隠れ住むのも考えた。だが戦争に参加出来ず鬱憤が溜まっている上級魔物同士の縄張り争いの場に乗り込む事になる。
出来るだけ戦闘は避けたい。自分の戦闘力はそれほど高い訳ではないのだ。全く最強の名が泣く。女神に名を返上したい! その時だった――
「何か来るね」
『何?』
ナナジの成長は恐ろしい程速い。蟲の能力を数週間で自分以上に使いこなしている。
以前に同化した者の中には数十年かかってやっと能力の使い方を覚えた者もいたがナナジは一度使えばほぼマスターしていた。
さらに能力の使い方で提案までしてくる。まるで使い慣れたかのように。
そのナナジから少し遅れて蟲もそれを感じた。
『この音と振動は……地中か?』
「何かバリバリ砕きながらこっちに進んでくるね」
そのナナジの言葉で蟲がある魔物を思い出した。
『〈砕く者〉か』
「何それ?」
『巨大なワームだ』
「ワーム? ミミズか」
『違う古代竜だ』
ワームとは元々はドラゴンの一種だった魔物だ。
蛇のように長い身体の内側に牙を生やし土や砂を喰らいながら移動する。
古代の蛮族にはその巣を処刑場として利用した事もあった。
牙には毒があり一度喰らい突けばその毒で生き物は一瞬で絶命する事から毒龍とも呼ばれていた。
本来はもっと南にある砂漠を生息地にする魔物だったのだが……
『こいつはもっと噛みごたえのある食べ物を求めてここまで北上してきた変わり者で岩でも何でも砕いて食べるから〈砕く者〉と山の神に名を与えられた古代竜だ』
「へ〜」
山の神はその名の通り山の神である。獣の神であり。宝玉の女神とは違う恵みの神であるがその恵みは獣に与えられる。
川の神であり。泉の神でもある。嵐の神でもありそよ風の神でもあった。雨の神でもあるがそれはもう一つ神。海の神と二神揃って祭られる。
洗濯物の守護神であり主婦は干した衣類が良く乾くようにと山の神に祈る。祈りを聴いた山の神は海の神が早とちりで雨を降らせる時に空を鳴らし主婦に知らせる大変有り難い神である。
そして山の神は竜の神でもあり自身も竜の姿をしているという。
『その命名時に山の神が食われかけて怒った神が〈砕く者〉から竜の種を剥奪したと聞いた事がある』
「何だそりゃ」
砕く音はますます大きくなる。
「その古代竜様が私達に何の用なの?」
『ここは奴の縄張りに近いからな。近づくなっと警告しに来たんだろ』
「ふ〜ん」
ナナジの目が細くなる。両腕の甲殻の篭手から黒い鉈が飛び出し両手に持つ。
『駄目だナナジ! 戦闘は無しだ!』
蟲は戦闘態勢のナナジから身体の操作を自分に切り替えようとした。
だがそれはナナジに弾かれた。
『な!?』
「駄目よ蟲。忘れちゃ駄目。古代竜様はね」
ナナジは両手の黒い鉈を当ててガキンと鳴らす。
「古代竜様は私達の縄張りに無断で入り込んでいるのよ? だったらやる事は決まってるわ」
砕く音が止まる。蟲の真後ろの土がぽこんと落ちて穴が空いたその瞬間〈砕く者〉が蟲の背中に向かって飛びかかった。
蟲の巨体も何周も巻きつけれる長さと太い身体で声も上げない静かな攻撃。
口を開き並ぶ牙が回転を始める。
神をも獲らえかけた必殺の一撃。
「よっと」
だがナナジは右手で逆手に持った鉈で背に迫る牙を軽く受け止める。防がれたが〈砕く者〉は鉈に齧り付く。
ギギギギー! と鉈と回転する牙に、火花が散り、鳴り合う。
バチン! と一本牙が弾け飛び、〈砕く者〉は逃げ出そうとしたが、ナナジは左に持つ二本目の鉈を頭に叩きつけ、動きを封じた。
「美味しい? もっと良い物をあげるわ」
ナナジは微笑んで鉈から発射する《熱弾》最大火力。
〈砕く者〉は実にあっけなく頭部が消滅して絶命した。
ナナジは動かなくなった〈砕く者〉だった巨大ワームの死骸を自分の目で見てその目に映る役割を読んで笑い出した。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! す〜アハハハハハハハハハハ! これが? これが竜? 古代竜? 大車ミミズだって! 大ミミズ! 面白いわ! アハハハハハハ!」
ナナジは笑いながら大ミミズを土から全体を引っ張り出し踏み潰し始めたのだった。
蟲は困り果てていた。〈砕く者〉を倒した事では無い。彼女のこの様だ。
ナナジの元は役割の巫女という役割を持つ人間のはずだ。
巫女はあの忌々しい異世界から訪れる勇者の魂をこの地の何処かに転生を導く役割を持つという。
争いを好まず穏やかな乙女で時として迷う勇者を慰め恋に落ちる事もあるとか無いとか。
そんな役割の彼女が何だこの凶暴さは。何だこの戦闘力は。何が原因だ。何が彼女をここまで変えた?
……私のせいか? 私の魔獣兵の血のせいか? どうすれば良かったのだ? 彼女を救う為に足りない血液の代わりに自分の血を使った。それが駄目だったのか?
畜生。
彼女は争いを求める。自分の血のせいで。英雄達が彼女を殺しに来る。
何とかしなければ……
ーーーーーー
「で? これどうする? 食べる?」
こんがりと焼けた巨大ワームの死骸。
ちなみにワームの肉は大変美味らしい。
『食欲が無い……』
「私もこれは食べたくないかな……」
『穴でも掘って埋めておこう森が片付けてくれる』
「なるほど! 全部引っ張り出すんじゃなかったな」
ナナジは適当な大きさの穴を鉈で開けその中に死骸を放り込んで土をかけて埋めた。
「さて帰って塩で付けた干し肉でも……ん? まだいるね」
『なに?』
蟲には何も聞こえなかった。彼女の耳を借りる。
《聴覚強化》でも微かに聴こえる馬の蹄の音。馬車を曳く音。土を踏む音。鉄が当る音。
人の集団の音だ。最近森に入って来なくなった東の町の人間達か、しかも武装している。
「これは人間の軍隊かな? 前に見逃した人間が言ってた領主様とか」
『かもしれない我々を討伐にきたか? あれから人間には害を出さないようにしてきたんだがな』
「あ~でもこれは遠ざかるね。西に向かっている」
『なら放置で良いだろう』
「駄目。バレないように追いかける」
『何?』
その言葉に蟲は困惑しナナジは微笑む。
「縄張りに入ったんだから追いかけて隙を見て皆殺しにする」
『だ、駄目だ! 前にも言っただろ人間は駄目だ!』
「何言いてるの? 大丈夫だって上手くやるから♪」
ナナジはそう言って蟲の足先から八本の飛蝗の脚を伸ばしてまとめ多関節の脚を作り足音も立てずに移動を始めた。
蟲は困り果てていた。
どうすれば良い。どうすれば彼女を守れる? どうすれば。
本当に困り果てていた。




