冒険者の羽根・25
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「へぇ〜」
室内から出たウルリカは、目に飛び込んで来た風景に声がもれた。
「これが露天風呂かぁ……本当に外にあるんだ」
ウルリカが見渡す露天浴場は外にあり、石を並べて造られた石造りだった。
地上でよく利用する湯屋の大風呂よりも大きいはずだが、モクモクと濃く上がる湯煙で全体がよく見えなかった。
地下世界では風が吹かないため温泉の匂いが強く、湯煙は南にある遺跡の穴に向かって傾き、ゆっくりと流れていた。
「そうだ他に客は……居ないか」
辺りをよく見渡し、人が居ない事にホッとする。
「独占だね〜それとも男が居なくて残念かな〜?」
後ろから付いてくるココが、クスクスと笑いながら言った。
この浴場は混浴の温泉浴場なのだ。着替える脱衣所と身体を洗う洗い場は仕切りがあって別々だが、ここには男性客も入ってこれる。
ココにからかわれて、ウルリカはフンと鼻を鳴らす。
「馬鹿言え、それにちゃんとこれを着てるだろ」
ウルリカは自身が着ている、白い湯浴み着に触れる。
湯浴み着はたっぷりとした生地で厚く、動きづらいが上から下まで肌を出さず、身体の線も全く出ていないのでサービスは無い。
昔は男も女も湯着を使わず利用していたそうだが十年程前――
「女性が入ってると……あれが……あれで……その……色々見えて……入りづらいんだが」
――このような男性側からの意見により、温泉を利用する時は、全員この湯浴み着を着るようルールが決まったのだという。
「この温泉……本当に熱くないんだろうね……」
昔別の温泉町の、温泉の熱湯で痛い思いをしたウルリカは、恐る恐る温泉に足を付けた。
「あっ!? つう〜!! やっぱ熱いじゃないか!?」
水浴びか、よくて蒸気浴が殆どで、冒険者になって湯屋のお風呂を利用するまで入浴の習慣が無かった西部郡生まれのウルリカには、ここの温泉は熱すぎるのだ。
そんな彼女がここに来た理由は、地上でよく利用する湯屋の程良い温度の大風呂に入っていた時、たまたま一緒になったノッポと話が弾んだからだ。
大風呂の湯はちょっとぬるいと、南部の鹿郡領出身のノッポが不満を言って、そこから話題が鉱石人の集落にある温泉の話しになった。
ウルリカは、自分には温泉は熱すぎて入れないと言うと、ノッポは誰でも入れる温度になるよう工夫された、お気に入りの温泉だと紹介し、温泉に入ると疲れが吹き飛ぶと言うので、レイド戦から帰還後、ココも誘って一緒に入りに行く約束をしたのだった。
「ウルリカ殿、掛け湯をよくして慣れてから入れば……」
「もっと早く言っておくれ!」
「やれやれ」
二人は置いてあった桶を拾い、湯をすくって足の裏を流し、それからしっかりと湯を身体にかける。
湯着は肌が透けて見える事も無く、本当に残念ながらサービスは無い。
「さてと……おや? どうしたんだい?」
ココが遅れて温泉に入ると、先に入ったウルリカが引き返して来た。
「奥は深くなってて! もっと熱くなってる!」
「ほうほう。あ、なるほど〜あっちの底の浅い部分で、程よく冷ましてるのか」
「端っこに行こう! 一番浅いとこ!」
「クフフフ。そうしよう。フフフ……」
二人は浴場の一番浅い場所に移動し、そこで座って湯に浸かる。
腰までしかないが、湯浴み着が湯を吸って全身を温めてくれた。
暫くすると険しかったウルリカの表情は段々と穏やかになって、背中の岩にもたれ、足を伸ばしてくつろぎ始めた。
「フウ〜…………南部連中の気持ちが、少しだけ分かってきた……」
「……ウルリカ殿」
「ん〜? なんだい?」
「最近あの子とはどう? ……仲良くしてくれてるかい?」
あの子とはココの子孫、レオンの事だ。
「あ〜……レオンは聖女様のお相手で忙しいからね。地上でも会ってないよ。今も集落を案内してるんだろ?」
聖女セシリーは、六ヶ月をかけたレオン達よりも短い、僅か三ヶ月で冒険者の羽根を五枚にし、中層に初めて降りると、偶然レイドクエストで集まっていたレオンと出会い、そのままレイドクエストに参加したのだ。
それから一つ目巨人討伐の帰還中、セシリーはレオンに集落の案内を願い、レオンも笑顔で引き受けたのだった。
「いいのかい? 二人っきりにして?」
正確には二人だけでは無い。
レオンにはルイスとテオドールが、セシリーには戦闘メイド達が付いている。
レオンとセシリーを二人っきりにする為、あれやこれやと攻めるメイド達と、それを先んじて防ぐルイスとテオドールとの、集落を案内しながら、本当にどうでもいい攻防が繰り広げられていた。
「いいもなにも、聖女様は上級貴族のお姫様で、下級貴族はヘコヘコとご機嫌を取るのが仕事だろ? なら仕方ないさ」
「待って。あの子はもう貴族じゃないよ?」
「元貴族の冒険者でも、他の家族は貴族なんだろ? じゃあしっかり機嫌をとらなきゃ駄目じゃないか」
「むう……でも、あのままで本当にいいのかい?」
「心配しなくても大丈夫だよ。いくらレオンが男でも、聖女様に手を出すなんてしないよ」
「あの、いや、聖女の方が手を出しそうなんだが……ふむ?」
普段のウルリカはとても嫉妬深いのに、これはとてもおかしい。
「怪しい……」
ココから見つめられ、ウルリカはプイッと顔をそらした。
「何を隠しているのかな?」
「隠してなんかないよ」
(隠してる。まさか別に男が? レオンから心が離れたというのか? それは駄目だ。……もしそうなら許さない)
「ウルリカ殿、ちょっと私の目を見て言ってほしいんだけど」
「やだよ」
「ほらちょっとだけ、見て」
ココはウルリカと視線を合わせようと移動すると、彼女は再び、プイッと反対側に顔をそらす。
「や〜だ! なんか魔術を掛ける気だろ!」
「大丈夫だよ、触媒の香水も無いし、それにここは鉱石人の結界内だから魔術は使えないんだ。ほら、見るだけ」
「やだ!」
「見て」
「絶対やだ!」
「み〜て〜」
右へ左へと何度も往復し、業を煮やしたココは、温泉の中で足を伸ばすウルリカを跨ぎ、下腹部に腰を落としてボチャンと座り込んだ。
「アッ!? コラ! 何処乗って――っ!」
目の前に、ココの水色に輝く瞳がある。
「ウルリカ殿、私はエルフなんだよ? エルフは長生きでね、友人になった人間はあっと言う間に老人になって死んでしまうから、私の友人はとても少ないんだ」
ココは愛おしいそうに、ウルリカの頬を優しく撫でた。
「そ、そうかい……」
顔が近い。何故か触れられた頬が熱くなってドキドキする。
「だからね。友になったウルリカ殿には、うちのレオンと一緒になって欲しいんだよ。……その為なら……」
カッ! とココの瞳の光りに魔力がこもる。
「っ! 嘘つき〜!! 何が魔術は使えない――ッ……」
視線を触媒に、短時間だが精神魔術を掛けられたウルリカは、カクンと全身の力が抜けた。
湯の中に倒れこみそうになったので、ココは彼女の身体を支えた。
「フフフ……これくらいの結界では、我が力は封じられぬよ」
このエルフは平気で嘘をつく。友達が少ない訳だ。
「うるさいな〜」
岩に手を当て、いわゆる壁ドンになった姿勢で魔術を使用する。
結界内での負荷は激しいが、それでも知りたい事がある。
「さてと……ウルリカ殿、"私に隠してる事を話して欲しい"」
「……はい」
ココに髪を撫でられながら、目がトロンとなっているウルリカは、正直に秘密を話した。
「……冒険者の羽根が十枚になったら家を買って、レオンと結婚する約束をしました。愛の女神像に二人で祈り、女神の声も聴いています」
「…………はい?」
その答えに、ココはポカンとなった。
役割の世界では、愛の女神の声が聴こえたという事は、それは結婚した事に等しい証だった。
何しろココ自身も、前西方王と共に祈り、声を聞いて夫婦になったのだから。
「結婚……え? 結婚するの?」
「はい。レオンと結婚します」
「ど、どどどうして冒険者の羽根が十枚で結婚を?」
「……中層に初めて来た時、ララに聞いた集落に家を持つ冒険者達の事を二人で調べました。家が買える資格は、羽根の印が十枚持つ者に与えられると分かりました」
「へ、へ〜そうなんだ……」
ココの旅の目的は既に達していたので、羽根の数など興味がなく、調べようとも思わなかった。
「家は集落だけでなく、地上の迷宮都市でも買えます」
「ほう? ほほ〜」
「迷宮都市で家を買うと都民票と、都市議会の選挙投票資格と、住宅税免除も付いてくる」
「まあなんてお買い得! ……でも、そうか、ちゃんと考えてたんだね……安心したよ」
「……でも私は、……でも…………私は……あたいは……」
ウルリカの様子が変わった。
「!? 自力で精神魔術を解いただと?」
「……卑しい〈女盗賊〉の役割で、醜いあたいが、レオンに、……彼にふさわしいか、聖女を見てたら、自信が無いんだよ……」
ウルリカは、ポロポロと涙を流して泣き出した。
「ウルリカ……殿?」
「やっぱり、聖女にレオンを譲ったほうが、いいんじゃないかって……」
涙を流しながら話す彼女に、ココは精神魔術を使った事を後悔し、ウルリカを強く抱き締める。
「大丈夫! ウルリカ殿は醜くなんてない! 故郷の街を出る前に多くの男達から呼び止められたじゃないか! それは君が美しくて魅力的だからだよ!」
「だって……借金で売られた娼館の女将さんが……あたいは変態の客にも売れない程の醜女だって……」
「それはいつの頃の話!?」
「子供の頃。客に当てられら前に、おやっさんに引き取られたけど……」
「ああビックリした! ……まったく……成長した自分を鏡で見なさい! ……よし分かった。なら私がウルリカ殿を、あの子の妻に相応しい、美しく品格のある淑女にしてみせよう。私はこれでも美容と教育には自信があるからね! …………だから……その……お尻を撫でるのは止めてもらえないかな?」
「やだね」
「あっ!? こ、こら! 本当に止めなさい!」
離れようにも結界内で無理に魔術を使った直後で力が入らず、湯浴み着の裾から入ろうとするウルリカの手を、両手で必死に止めるのがやっとだった。
「ウルリカ殿!!! わ、わわわ私は! 女性に欲情する趣味は無いのだが!!!!???!?」
こんなにも取り乱したのは何百年ぶりか、古い友人の巨大モンスターが、湖になるぐらいの大穴を作った大爆発から、目の前まで吹き飛んで来た時以来か。
ココの長い耳に、ウルリカは唇を近づけて囁く。
「安心しな」
「!?……耳はダメ!」
「フッ……あたいは引き取られるまでは、女客用に仕込まれてたからね。これでも仕込みの姐さんからの評価は良かったんだ。あたいもココに教えてやるよ。さっきの仕返しだ」
「先程の事は本当に謝ろう! だから、その、ッ!? 耳はダメだって、あっ! やだ! 待っ――」
ウルリカの手が止められない。
「おお〜! これが地下世界の温泉でござるか〜!」
ドッボ―――――――――ン!
ノスケののんびりした声と同時に、浴場に水柱が上がる。
「はて? 間欠泉でござるか?」
湯煙で良く見えない。
「ココ〜誰も居ないからって飛び込むのはやめな〜……今の声はノスケかい? 他の奴らは?」
「皆何処かに行ったので拙者だけでござる。先生殿〜浴場で飛び込んではいかんでござるよ〜」
ノスケの故郷では混浴の文化があるので、先に女性が入っている浴場に怖気付く事は無く、男性用の湯浴み着もしっかり身に着けていた。
「まるでここは故郷のようでござる。お二人とも湯加減はいかがでござるかな?」
「ちょっとあたいには熱いけどね。ココ〜広いからって泳ぐのもやめな〜」
「ブクブクブクブク……」
残念、やっぱりサービスは無かった。




