冒険者の羽根・8
次の日、ウルリカは冒険者ギルドの、通りを挟んだ前に居た。
「はあ、はあ、はあ、……本当に借金が、全部返せた……」
先ほど盗賊ギルドで、父が遺した借金を全額返し、更に今日からは冒険者に専念するとギルド長に伝え、許可も貰ってきた。
この街で盗みは出来なくなるが、そんな事はどうでもいい。
ウルリカは盗賊ギルドを出た後、冒険者ギルドの前まで、大好きな人に会うために走って来たのだ。
「借金は返したし、おやっさん……おじ様は……自分を買うなら、あたいを抱いてやるって……言ったもん……」
両手で、心臓が飛び出しそうな胸を押さえる。
財宝の箱を売った金は、レオン達と山分けし、盗賊ギルドに借金を全額返しても、残りはまだ充分にあった。
(本当に、おじ様を心から愛してる。盗賊も辞めて……冒険者も辞めて……おじ様の女になって……おじ様の、子供を……)
それを想像しただけで、とても幸せな気分になった。
冒険者ギルドの、酒場の入口が見える。今頃は店の掃除をしているだろう。
あの中に一歩入れば、好きな男の、男だけの女になれるのだ。
ほんの一歩。
「でも……」
その一歩が出来ない。
何故ならもう一人、大好きな人が居るからだ。
「そんな事をすれば……おば様を裏切る事になる」
元冒険者でおじ様の妻。二人は結婚を理由に冒険者を引退し、共に冒険者ギルドで働いていた。
借金を返す為に娼館で働き、そこで死んだウルリカの母と、入院していた父も死んで独りになった日、母の代わりに娼館で働く事になる前に、両親とは元冒険者仲間だったという理由だけで自分を引取り、冒険者として働き、借金が返せるよう、独り立ちするまで鍛え、育ててくれた恩を裏切り、本当に仲の良い二人を、引き裂きたくない。
「やっぱり駄目!……こんな事……駄目だよ……」
大きく息を吐き、足を一歩引いた……時だった。
「なあ、あんた幾らだ?」
「ああん!?」
横からの声で台無しになり、声を掛けて来た、背の高い男を睨み付ける。
ウルリカは街の中では、動き易い、布地の少ない服を好み、そのせいで稀に、安い娼婦と間違えられる。
「売りはしてないよ。女を抱きたきゃ娼館に行きな」
腰の短剣が男に見えるよう、身体をひねって背を見せた。
男はウルリカの細い腰と、形良いお尻、それから短剣を見て、冒険者ギルドの建物を見てから、ウルリカの正体に気づいたようだ。
「ああ……行ってみたが、ババァばっかりで、ろくな女が居なくて帰ってきた」
「ハッ! そりゃあ残念だったね」
シッシッと手を振るが。
「……無理言って悪いが、あんたに頼めないか? あんたが気に入ったんだ」
男は食い下がった。
(面倒な奴だねえ……)
この街では見ない男だった。
おそらく歳はウルリカと近いだろう若い北方人の男、グレーの瞳と髪の色、薄汚れた鎧に、使い込まれた大剣を背負っている。
冒険者では無く、先月まで南部で度々起こる、竜だか蛇だかの領地で、拗らせた領境線争いが終わり、そこから流れて来た傭兵だろう。
女に餓えた傭兵はとても厄介だ。魔物討伐から生還した冒険者よりも気が立っており、女を求め、男女のトラブルどころか、殺人を起こす者も居る。
「お断りだよ! とっとと失せな!」
強気できっぱりと断り、ウルリカの声で、道行く人の目が集まる。
力ずくでは敵わない。大声で人が集まれば、下手な事はしてこないと期待したが。
「待ってくれ、もちろん金は多く払う! その……剣の師匠には死んで後悔する前に、惚れた女とは楽しめって教えで……いや、すまない。俺変な事言ってるよな。……ああクソッ! こんな事は今まで無かったのに……分かった! 寝るのは無しで、一緒に食事ならどうだ? 食事ならいいだろ? ……一目見てあんたに惚れたんだ! どうか頼む!」
「…………はぁぁぁ!!!???」
傭兵は予想外に、とても不器用に口説いてきて、深々と頭を下げた。
集まった周りの目から、ヒソヒソ声が聴こえる。
「や、止めとくれよ! こんな所で!」
ウルリカは今日まで、ここまで正直に口説かれた事が無く、恋に区切りを付けたばかりなので、少し気持ちが揺れていた。
(ど、どうしよう……食事だけならいいかな……いや、いやいや! あたいは何を考えてるんだ)
やはり、知らない男に身を許すのは怖い。何とか断る事にした。
「悪いんだけどね。……中に居る夫を待ってるんだよ。誤解されたくないからさ、早くどっかに行っておくれよ」
こんな嘘で引いてくれるとは思わないが、咄嗟に思いついた嘘が口から出た。
「おっと! それは本当にすまない。さっきの話は忘れてくれ」
「え」
その嘘で、男はあっさりと引いた。
彼の故郷では不倫は重罪。掟を破れば、男は一物を斬り落とされる程の、とても重い罪なのだ。
この男は故郷から遠い土地でも、故郷を忘れないようにと、故郷の掟を自分に課していた。
「ウルリカさ〜ん!」
通りの向こう、ギルドの方角から名前を呼ばれた。
「レオン?」
建物の二階にある冒険者ギルドの事務所から出た、私服姿のレオンが、ウルリカと傭兵を交互に見ながら、外階段を降りてくる。
「まずい!」
傭兵はレオンを、ウルリカの夫だと勘違いした。
「旦那さんには道を聞かれたと言っといてくれ! それじゃ!」
男は足早に、立ち去ろうとした。
「面白い奴だねえ」
ウルリカは、この傭兵を少し気に入り、良い事を教えてやる事にした。
「ちょいとあんた!」
「?」
「この通りの先の、幾つかある湯屋に行ってみな。若い子は皆、そこで客を取ってるよ」
「本当か! ありがとう!」
傭兵はまた、深々と頭を下げ、礼を言って去って行った。
「フフフ。何が一目惚れだい」
男を見送った後、レオンが近付いて来た。
「今の人、誰です?」
「ただのナンパさ。一緒に食事がしたかったんだとさ。あたいみたいな女に声かけるなんて、物好きな男も居たもんだ!」
笑うウルリカを見ながら、レオンはふと思った。
(もしかしてこの人は、自分の事を醜女と思ってないか?)
確かに目付きは鋭く、髪はバッサリと短く切って長さは不揃い、肌は良く日に当たって荒れている。
だがレオンから見てウルリカは、けして醜女ではない。どちらかと言えば美人に入る。
仲間達と、彼女について話していても。
「美人だとは思う。だがあの性格が……」
「美人だとは思うけど、あの性格は……」
ルイスとテオドールも、ウルリカは美人だと、一応認めていた。
そんな事を思っていると、ウルリカが突然、あ〜と声を上げた。
「そういえば、あんたとは飯の約束をしていたね」
野宿した時、二人だけで食事をすると、確かに約束した。
「ええ、ですが……」
チラリと、ギルドの酒場を見る。
彼女は今から、マスターと一緒になりたかったのではないのか。
「なんだい? 誘っといて逃げる気かい? 逃がさないよ!」
「えっ!?」
ウルリカはレオンの腕を、抱えるように、腕を絡めて来た。
「あ、当たっ……」
レオンの腕に当たる、女性の感触で動けなくなった。
「この通りを」
ウルリカはレオンの腕を抱えたまま、傭兵が歩いて行った通りの先を指差す。
「行った湯屋の食堂に、美味いライスを出す店があるんだ。その店に行こう!」
「湯屋?」
「知らないのかい? 湯屋ってのは風呂に入れて飯が食えて……そして」
「わっ!」
グイッと腕を引っ張られ、頭の位置が下がる。
「……若い女も抱けるよ」
「っ!?」
耳元で囁かれ、ドキッと心臓が跳ね、喉がゴクリと鳴る。その反応にウルリカは、ニヤリと笑った。
「まあ、あんたにはまだ早いかねえ!」
笑われながら、またギュッと腕を組まれて密着し、伝わるウルリカの体温に、まだ十五歳の少年は慌てる。
「あ、あの! その! ちゃんと奢りますから! だから! 放してください!」
「や〜だね! 放したら逃げる気だろ! さあ行くよ! 全部あんたの払いだからね!」
「え〜!?」
笑顔のウルリカと、積極的な彼女に困惑するレオンの二人は、腕を組んだまま、通りを歩いて行った。
…………
一方その頃、二人が去った後の冒険者ギルド、二階にある事務所では、年配の女性がギルド長の席で、頭を抱えていた。
「う〜……まずいわ……あの子はまずい!」
「ギルド長? どうかされましたか?」
明日張り出すクエスト依頼書の書類を運んで来た受付嬢が、ギルド長に話かけた。
「さっきのゴブリンライダーの討伐報告をして来た子、見た?」
「さっきの? あ〜ウルリカと新しく組んだ子ですよね? 確かレオン君。かわいい子でしたね〜エヘヘへ……」
少年を思い浮かべ、受付嬢の口元がだらしなく緩む。彼女は少年のような、歳の若い男子が好みなのだ。
「でしょ〜! 元貴族で、剣の腕も頭もいい! 仕事も出来るし! そして可愛いし! あんな良い子はなかなか居ないわよ! ……それがまずいの!!」
「……何故です?」
「もしウルリカちゃんが、レオン君の事を、好きになったら困るの!」
「……はあ?」
上司が、何か変な事を言い出した。
「え〜っと〜……それはそれで、良いじゃないですか」
「駄目よ! ウルリカちゃんにはうちの人の、子供を産んでもらう予定なんだから!」
「……ちょっと、何言ってるか意味分かんないです……」
受付嬢は、ギルド長がウルリカの育ての親で、とても可愛がっていたのは知っている。
だがそのウルリカに、しかも自分の夫の子供を産ませたいとは、尊敬する上司だが、これについては全く考えが理解できない。
「何よ。変だと言うの?」
「めちゃくちゃ変ですよ。何故なんですか?」
「フッ……それはね」
ギルド長は、遠い目をして話しだした。
「私の父も冒険者だったわ。パーティーは父以外みんな女性でね、父は全員と関係を持って、全員に子供を産ませたわ」
「こう言っちゃ失礼なんですが、お父様は糞野郎ですね」
ギルド長は聞いていない。
「母が五人も居て、家は大家族でね。一番下の弟が南部でギルド長をしてる話はしたかしら?」
「確か〜……鹿郡領て所で、南方人の奥さんを貰ったって言ってた弟さんでしたっけ?」
「そうそう! 他にも兄弟姉妹が沢山いてね。毎日がお祭りみたいで楽しかった……だから私、結婚したら沢山の子供を産んで、毎日がお祭りみたいな、楽しい家族を作りたかったの! でも私達に……子供は出来なかった……」
「ギルド長……」
「だからね! ウルリカには私の代わりに、子供を沢山産んで貰おうと思ってるの! あの子、うちの人の事を大好きみたいだし、都合が良いじゃない!」
「いや〜でもそれは〜……」
「あ、そうだ。あなたレオン君を誘惑して、ウルリカちゃんよりも先に、あなたの男にしなさい」
「はぁ!? 何で私がレオン君を……その考えは良いかも……」
そんな事を話しているギルド長と受付嬢を、事務所に居る他の部下達から、「「「「仕事してくんないかな〜」」」」と、思われていた頃。
冒険者ギルドの一階、冒険者ギルドの酒場では、この街では見ない、変わった衣服を着た客が、洗ったコップを拭いていた、マスターに訪ねてきた。
「お尋ね申す……ここに米はござらぬか?」
「あ? コメ? ……あ〜ライスの事か」
それは奇妙な男だった。
伸ばした黒髪を一つにまとめて括り上げた、顔が平たい男だった。
平たい顔の男の腰の帯には、湾曲した細い剣とその鞘を差している。
その武器と、男の髪型と衣服から、マスターはある戦士達の事を思いだした。
「ほお、西方で珍しいな……だがあんた、ここがレストランか何かに見えるのか?」
「違うのでござるか?」
「ここは冒険者ギルドの酒場だ、コメなんてもんはここじゃ出さんよ」
「冒険者ギルド……そうでござったか……失礼した……」
男は肩を落とし、腹を押さえながらフラフラと、酒場から出て行こうとした。
異国の食べ物が合わず、お腹を空かせているのだろうと、マスターは教えてやる事にした。
「おいあんた!」
「?」
「ライス、……米ならこの通りの先にある、湯屋の食堂で出してるはずだ。行ってみな」
「お、おおおお! 感謝するでござる!」
男は、深々と頭を下げ、酒場を出て行った。
男が去った後、モップを持って掃除をしていた女給が、マスターに聞いて来た。
「なんですか、今の」
「ニホン領って東の国にしか居ない、サムライと呼ばれる戦士だ。来週始まる闘技大会にでも出場しに来たんだろ」
マスターは話しながら、掃除を再開した。
後日、マスターはまた、このサムライと会う事になる。
闘技大会の後、レオン達が仲間に誘い、連れて来たのだ。




