宝玉の女神の憂鬱
川が流れる森の中で蟲が両膝を付け、ソファに座る美女に向かってまるで祈るように礼をする。
『宝玉様お久しぶりでございます』
宝玉と呼ばれた美女は遥か頭上の蟲の頭に手に持つ扇を向けてチョイチョイと下に振る。
その仕草に蟲は体を大顎を地面に付くまで頭を下げる。
ほとんどうつ伏せ状態で滑稽な姿なのだがそこまで下げないと巨体の蟲と人とは顔が合わせられないのだ。
蟲の頭にいる女もこいつがここまでする人なら相当偉い人。というか魔物の神様かと察して手を付けて頭を下げている。
それでも宝玉と呼ばれた美女の座るソファの位置は蟲達より低いのだが。
『宝玉様お久しぶりでございます』
地面に顎を付けて蟲の大顎がもごもご動いている。
「久しぶりねぇそれともう同化してたのねぇ」
『申し訳ありません。お約束がありましたが運よく良い人間を見つけました』
宝玉の女神は視線を上げて蟲の額から生える上半身しかない、頭を下げてる人間の女を一瞥し手に持つ閉じた扇でピシッと指した。
「妾の神殿を破壊したのはこの小娘ねぇ?」
蟲の女は神殿という言葉に聞き覚えがあった。
(しん……でん?)
地下空間に作られた宝石で飾られた神殿。
「あ!」
「黙りなさい」
宝石の女神は扇を横に振る。
「……?……!?」
女の唇がパクパクと動くが声を発さない。声を封じられた。
『申し訳ありません』
代わりに蟲が謝罪する。地面に付いた顎が更に下がり少し埋まる。
「その小娘の首をはねて妾と変える気はなぁい?」
女神は扇で首を横に撫でる仕草をする。
「……!……!」
女は顔を上げ涙目になってイヤイヤと首を振って唇をパクパクと動かしているが。どうも発せれない言葉は下品な言葉のようで女が蟲の体を動かして暴れようとする。
蟲は『お願いちょっと黙ってて』と女を止めていた。
『それはできません』
蟲はきっぱりと断った。
すると今まで尊大な態度だった宝玉の女神が一変する。
その美しい顔を崩し。
「妾と同化するって約束したのにぃ~~!」
絶世の美女がソファの上で子供のような駄々をこねだした。
『はっ!? いや、お待ちください宝玉様とは』
女神の予想外の言葉に蟲が狼狽する。
蟲の女は美女の変貌に目を丸くしていた。
「怒ってるのよぉ?」
宝玉の女神が頬を膨らませて怒っている。
『申し訳ありません』
蟲はひたすら顎を地面に埋めるしかなかった。
「ずっと待ってたのよぉ?」
美女がしくしくと泣いている。周辺に殺気が立ち蟲はまずいと焦る。
女神の眷族か。何十もの気配が姿を消して蟲を囲んでいるのだ。
『申し訳ありません。お約束通りに神殿にはお邪魔したのですがお姿が無く』
蟲と女神が交わした約束。
それは「いま同化している者が亡くなったら家にいらっしゃぁい。新しく同化する者を与えるわぁ」という約束だった筈だ。それが女神自身とは。世界を支える八大神の一神と同化とかとんでもない話だ。
「それよ! 何で昔の神殿に? 使いで新しい神殿の事は知らせたわよねぇ?」
女神が涙を拭いて扇でピシリと蟲を指した。
次に女神がこの扇を動かせば眷族達が自分達に斬りかかるだろう。
こんなに緊張したのはいつぶりか。
勇者が率いる100万の兵を見た時以来か。
さっき食べた角馬の肉を吐きそうだ。
宝玉の女神に嘘は言えない。なので蟲は正直に、本当の事を奉告申し上げた。
『……いえ使いは来ておりません』
周辺の殺気がピタッと消え。次にザワザワとしている。
長い間。
「あらぁ?」
宝玉の女神は首を傾げた。
鐘がリーンと鳴る。
「くろ? 使いは貴方だったわよね? ちょっとこっちにいらっしゃい。く〜ろ〜?」
くろという名前だろうか女神が鐘を鳴らし誰かを呼ぶ。
誰も居なかった宝玉の側に膝を付いた体格の良い美丈夫が現れた。
肌は褐色で髪は短髪の白。人のようだが首や肩、身体中から銀色の鉱石が角のように生え蟲の女が着る服とよく似た服を着ている。
「ぎん、妾はくろを呼んだのよ? くろは?」
「はっ! 先程お腹が痛いと言って逃げ出しました!」
「捕らえてお仕置き部屋へ」
「はっ!」
ぎんと呼ばれた美丈夫は返事をするとその場から姿が消えた。
蟲の女の目にはその美丈夫は〈宝玉神の眷族〉と役割の表示が出ていた。
「ごめんなさい。こちらのミスだったわぁ。〈勇者殺し〉貴方を許します。破壊した神殿も棄てて放置した物ですし不問にしましょう」
『ありがとうございます』
蟲はそう言うと緊張が解け蚕蛾の顔がフニャ〜と溶けそうになったが女神が目の前に居るのだと気を引き締め直した。
女神は口元を扇で隠し蚕蛾の顔がフニャ〜と溶けて。次にピシッと元に戻るのをみて愉しんでから溜息をついた。
「はぁ、まさか眷族が逆らうなんて、もう少しで〈勇者殺し〉と同化できたのに」
『お待ちください宝玉様』
蟲は宝玉の女神がとんでもない事言い出してるので慌てる。
「なりません宝玉様!」
「このような醜い魔物と宝玉様と同化するなどと!」
「絶対に駄目です宝玉様!」
「くろも同じ気持ちだったと思います!」
「宝玉様!」「宝玉様!」
蟲を包囲して姿を消していた鉱石の角を生やした眷族達が次々に姿を現す。中には女性の眷族もいた。
蟲の首がある側に大型でツルンと丸い機械仕掛けの鎧が立っていた事に蟲の女は驚いた。
遺跡に建っていた像の姿、目に移る役割は〈魔導兵器〉鎧の中には眷族が乗り込んでるのだろう。20メートルはある蟲と比べて〈魔導兵器〉は5メートル程の高さしか無いが柄の長い大斧を持ち、うつ伏せの蟲の両側に立っていた。下手に動けばこいつらに首を刎ねられたかもしれないと思うと蟲の女は血の気が引いた。
「黙りなさい妾は〈勇者殺し〉と話しをしています」
「「「「「はっ!」」」」」
眷族達の姿が一斉に消え静かになった。
『我々、私は眷族の者と同化すると思っておりました。神と同化した魔獣兵など聞いた事がありません』
「だから面白いじゃない〈勇者殺し〉と〈神〉魔王になれるかもしれないわよぉ?」
『お戯れを』
「あら? 妾は本気よぉ?」
宝玉の女神はまるで悪戯を思い付いた子供のように笑った。
それからコホンと宝玉の女神は咳をし再び蟲の女に扇を向けて。
「それでこの娘は?」
『神殿に入り込んだ人間達に殺された娘です』
「あらぁ? 死者と同化したの?」
『はい、私も限界だったのでこの娘に賭けるしか無く。蘇生はうまくいったのですが』
「それで神殿の力も使ったのね?」
『はい、申し訳あり――』
「それはもう許しました」
女神はぴしゃりと言い蟲の謝罪の言葉を制した。
「その人間達はこちらでも調べてみましょう。あと三百年は保つはずなのに急に崩れておかしいと思ったわぁ」
『宝玉様、実はあと一つ奉告申し上げる事が……』
蟲からこの娘は役割が見えますと奉告を聞き女神がピクリと反応する。周辺の姿を消した眷族達のざわつきも聞こえる。
女神の翠色の瞳が細くなり蟲の女を見つめ。
「役割が見える人間……今回転生されたはずの勇者は男と聞いてます」
『勇者は男ですか?』
女神の言葉を聞いて蟲はほっとしている。自分はとんでもない人間を取り込んでしまったのではないかと思っていたからだ。
言葉を封じられている蟲の女は突然蛇のような生き物が体を弄られる感触に襲われた。
「!……!?……!!」
手で押さえるが感触は消えない。滅茶苦茶気色悪い。
「女よねぇ」
感触が消え女神は首を傾ける。
(こいつうう!)
蟲の女は顔が真っ赤になって八つ当たりで自分が生える蛾の頭を殴りつけた。
蛾の表情は分からないが少し痛そうだった。
「だとしたら巫女よねぇ人間達の国で庇護されるはずの巫女が何故生贄に?」
「宝玉様」
眷族の一人が姿を見せる。
「なぁに?」
「二年ほど前に、帝国が飼う役割の巫女が皇帝の命で処刑されたあと遺体が行方不明になったと聞いております。もしかするとこの娘では?」
「〈勇者殺し〉この娘を拾ったのはいつ?」
『申し訳ありません。蘇生に全力を出していた為時間までは』と蟲は謝罪する。
「う〜ん」
女神は困ったような声をだし蟲の女に向かって
「娘よ、お前は何か覚えてなぁい?」
「……」
蟲の女は自分の口を指差し唇を動かしている。
「発言を許します」
「あ? お! あ〜あ〜」女の声が戻った。
「何か覚えている事はあるのぉ?」
蟲の女は何か考える仕草をしてから、うんと一つうなずき口が動く。
「……お」
「お?」
「お前ら何言ってんのか分からん! 誰か説明しろ!」
蟲の女は宝玉の女神に指差し大声で言い放った。
『まてまてまて!』
蟲は大慌て。
女神の眷族達がその無礼な態度に姿を見せて抜刀。
蟲は鍬形のような大顎が開き目の色が真っ白になった。




