監視命令
・佐納燕
風紀治安委員会所属
好物:ばらちらし
放課後、自分はすぐに第一校舎へと足を運んだ。
昼休みに風紀治安委員長から「頼みごとがある」とここに来るように命じられたからだ。
第一校舎は部活棟や図書館などの主要なものに比べると、学舎から遠い場所に建てられている。
主要な施設は既に現在の学舎である第二校舎の付近にまとめられていることもあり、木々が立ち並ぶ散歩道の脇にひっそりと存在していた。
学生たちの間では『旧校舎』と呼ばれており、もっぱら、長期的に使う事のない備品の物置として使われている。
だが、それ以外にも生徒会から承認を受けていない非公式な部活動の部室として使われてもいた。
無論、生徒会や風紀委員もその実態は把握はしているものの、目立つことをしない代わりに、過度な干渉を行わない。という事で暗黙の了解が成されているのは現状だ。
なので、人目を避ける様に木々の中に取り残されたこの校舎には、放課後それなりの活気を感じるのだという。
だが、今日に限ってはそんな様子もすっかり成りを潜めていた。
暗黙の了解といえど、事実として非公式の活動だ。
万一見つけることになるのであれば、風紀委員としてはある程度の態度を示さなければならない。
余計なケチをつけられぬ様、委員長が使用している間は活動を自粛しているのであろう。
存在意義のなくなった昇降口を通り、二階へと昇る。
古くなった木造の廊下が歩くたびにギシギシと音が鳴った。
人の気配がない事もあり、この世ならざる様な妙な雰囲気が辺りを包み、妙な緊張感がある。
「失礼いたします」
突き当りの教室に辿り着くと、一声かけて中へと入る。
そこには風紀治安委員長、岡田伊三郎先輩が机の上に腰を掛けて待っていた。
「委員長。人気のない第一校舎と言えど、それでは規律を正す風紀委員としては示しが尽きませぬ」
「佐納は真面目なのは良いんだが、いくら何でも気を張り過ぎだ」
委員長は肩を竦めると、飛ぶように机から降りた。
「悪いな。今日は確か当番の日じゃなかったろう?」
「はい。ですが委員長の頼みとあらば無下には出来ません」
交代制で学内を回り学内風紀の維持、改善に努めるのが自分達の基本的な活動だ。
自分も本来は休みであったのだが、委員長直々に話があるともなれば別である。
まして、こんな人目のつかない場所での話だ。
重要な内容であることが窺い知れるという物だ。
「早速で悪いが本題に入ろう」
「構いません。して頼みとは?」
私の質問に委員長は顎に手を当てて、言葉を探した。
上手い話の切り出し方を考えているのだろう。
だが、暫くして「まぁいいか」と溜息をつくと、重い口調で話し始めた。
「一年に渡戸って奴が入ってきたのは知っているよな?」
「存じております」
今年、高等部から入ってきた新入生だ。
面識はないが、一貫校であるこの学園で高等部からの新入生は珍しい。
故に自分も含め、一年生の間では彼の存在は周知されている。
「こいつの行動を暫く監視してほしい」
「? 監視というのは」
穏やかではない言葉に思わず眉をひそめてしまう。
噂話にはとんと疎いので彼の人柄等、詳しくは知らない。
だが、学園に入って一月になろうという生徒を監視する。
というのは少々、異様に感じてしまう。
自分の疑念を感じ取ったのか、委員長は後頭部を掻く。
その後神妙な口調で語り出した。
「昨日、刃物で生徒が切り付けられた件は知っているな?」
静かに頷く。
まだ一般生徒には被害者などの詳細まで説明はなされてはいない。
しかし風紀員の連絡網で、ある程度の詳細は把握している。
自分の反応を確かめた後、委員長はさらに声を潜めた。
「この新入生が関わっている可能性がある」
「まさか」と思わず声が出た。
この件は二月からのカーテン引き裂きの悪戯が、エスカレートしたものだと考えられている。
犯行を重ねるうちに過激化したか、姿を目撃されたことで思わず手が出たか。
それのどちらかだろうというのが、風紀委員の見解であったはずだ。
新入生がこの学園に来たのは早くても三月の後半だろう。
どう考えても、二月から三月までの犯行には間に合わないはずだ。
「当然その方向で調べてはいる」と断りを入れつつも尚も委員長は続けた。
「今回の件とそれは別件の可能性もある。という事だ」
「しかし、今回も教室のカーテンが切られていた筈ですが?」
「確かにそうだ。けどな、今まで月一だった犯行が急に短くなっているのは妙だと思わないか?」
「何度も同じ犯行を繰り返した事で世間の反応が薄くなり、そのことが原因でエスカレートしただけでは?」
「だとするなら、生徒に切りかかるだけで十分だろう」
「生徒への傷害は意図していた物ではなく現場を見られた事による衝動的な犯行の可能性も」
「犯人の格好に説明がつかない。カーテン切り裂くだけの悪戯にあんなコスプレをする必要はないだろ」
言われてみると確かにその通りかもしれない。
正体を隠すにしても、全身を隠すコートに仮面。
加えて髪の毛の一本も出さぬよう徹底して、というのはやり過ぎに感じる。
そもそもカーテンを切り裂くだけならナイフだけで事足りる。
わざわざ日本刀まで持ち出す事に利点は何も思い浮かばなかった。
「それでも、新入生が犯人という事には結び付きませんが」
「……佐納は、この学園は高等部から入学は出来ないのは知っているか」
「? いえ。現に今年一人入ってきています」
「言い方が悪かったな。確かに建前上は受け入れてはいるんだ」
唐突に話題が変わり自分は思わず首を傾げた。
ましてや、内容が些か要領を得ない。
「簡単に言うと、試験がべらぼうに難しいって話だ。学園のレベルにそぐわないレベルでな。ここの試験受かるんだったらもっと良い所受けれるっていうか、もう飛び級した方が早いだろって位なんだそうだ」
「はぁ。そうなると渡戸の学力は相当なものなのですね」
そんな無体な試験の設定が許されるものなのかは知らない。
だが、事実ならその難関を乗り越えた彼は相当な努力を有したであろう。
尊敬の念すら覚える。
しかし自分の感心する様を見て、委員長は溜息をつく。
「調べたところ、渡戸の成績はそこまでではない」
「はぁ。それならば、その試験の話が嘘だったのでは?」
「お前は根が真面目過ぎて、どうにも話が前に進まないな」
「? 申し訳ございません」
呆れた様子で話されるので、取り合えず謝罪をする。
だが何を言わんとしているのかは理解できなかった。
人柄を褒められたのは分かるが、何に呆れているのかが良く分からない。
委員長はそんな様子を読みとったのか、再度溜息をつくと「まぁいいや」と呟いた。
「よーするに、誰かが入学できるように手引をした可能性があるってことだ」
「手引き? つまり不正ですか?」
「そ。カンニングなのか、裏口なのかは知らないけど、考えられるのは後者かね」
この学園は基本的に外部との接触を極力閉ざしている。
インターネットや携帯を使ってのやり取りもできはしない。
入学試験など稀な事で過去問なども存在しておらず、試験内容が分かるのは当日だ。
そうなると内部と通じてのカンニングは難しいだろう。
不正が事実であれば委員長の考えはおおむね正しいのであろう。
しかし――
「それが事実としても、誰が?」
「生徒会執行部。というか鈴ヶ崎位だろそんな権限があるのは」
「それこそまさかです。学園の運営の為に日々奮闘されております生徒会長に限って」
いくら委員長とはいえ言って良い事と悪いことがある。
我々学生の為に、日々その骨身を削って邁進されている生徒会長。
尊敬こそすれ、そのようなあらぬ疑いをかけるのはあまりにも礼に欠けた考えだ。
それだけならまだしも、話の流れから察するに、生徒会が今回の件の首謀者と言わんばかりである。
こじつけにしても度が過ぎている。
確かに風紀委員と生徒会は元々折り合いは良くない。
風紀委員は他の委員会とは違い、メンバー全てが有志の学生で構成されている特殊な委員だ。
その性質上、生徒会の管轄からは外れた独立した団体という扱いになっている。
基本的には、足並みをそろえて学園の運営に尽力する関係ではある。
だが、時折互いの権利、立場の向上を巡っての衝突があることも珍しくない。
恐らく委員長は、今回の件もその延長線上に置けるものだと考えているのだろう。
「いくら生徒会長と言えど、そのような事の為に外部から人を招き入れるとは思えません」
「お前は鈴ヶ崎のことを良く知らんから、そんなことが言えるんだ」
まるで分からず屋と言わんばかりの言いようだ。
しかし何といわれようとも、委員長の言い分は承服しかねる。
今回の様な生徒に危害を加える。
それも下の者に命じる等という卑劣な企み。
たかだか、学内の地位や権利の奪い合いで行うなどバカげている。
「事件の解決に手間取れば、一般生徒からの批判は免れない」
「それは生徒会も同じことでは?」
「鈴ヶ崎が裏で手を引いていたとすれば、批判を我々だけに向けることは簡単だ」
そうなる前に、早々に犯人を見つけなければならない。
委員長はそう言いたいのだろう。
「万一、鈴ヶ崎が仕組んだものでは無いにせよ、あの一年は怪しい。少なくとこの学園に入れたのは何かしらの手引きがあったからだ」
捲し立てる様に自身の正当性を語る。
想像の飛躍、こじつけによる罪の押し付け。
正直言って聞くに堪えない。
「了解いたしました。その任お引き受けいたします」
だがそう答えた。
委員長は特に驚きもせず「そうか」と短く返した。
まるで始めから自分が引き受けることは分かっていたかの様であった。
この学園には団体、個人を問わず、様々な事情、策謀が渦巻いている。
だが、自分はそう言った謀は苦手だ。
そんな自分でも気兼ねなく学園の力になれるだろう。
そう思い、有志の集まりである風紀委員に入ったのだ。
そして、目の前にいる委員長も同じような志の元に募り。
結果、委員長を任されるまでになっているのだ。
その筈だ。
今回の件も、自分の想像では及びも付かぬような、深い考えがあるに違いない。
たとえそうでなくても。
自分の意にそぐわぬ命だからと、委員としての役目を放棄するような不義理は行えない。
自身の所属する委員長を信じて仕事を全うする。
今の自分にできるのはそれしかないのだから。
「では、後の事は任せる。俺は仕事に戻る。何か不審な動きあればすぐに連絡をしろ」
そう言うと委員長は足早に教室を後にした。
頭を下げてその背を見送ると、小さく溜息が漏れてしまった。
面倒なことになった。
しかし引き受けたからには、全力でこなさねばなるまい。
その上で、何もなければ結果として委員長、ひいては渡戸の無実の証左となりうるのだから。
そう自分を納得させる。
晴れぬ思いを切る様に、刀を抜き何もない空間へと振りぬいた。
答えるものは何もない。
残るのは自分の未熟な心のみであった。