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7月8日 ~その2~


「……で、私が呼ばれたと」


 それから三十分後。一階のリビングで俺と鮎川は互いに顔を合わす形で座っていた。


「そういうことになるな」


 そう言うと、鮎川は露骨に顔をしかめながら、俺を睨みつけた。


「ここまで来るの、本当に大変だったんですからね? もう学校に着いて、天璃ちゃんと話をしていたら急に連絡が来て家に来いと言うし。このことは絶対に天璃ちゃんに言うなと言うし……というか、なんで家なんですか? 学校じゃダメだったんですか?」


「学校にいたら、いろいろと時間に縛られちまうからな」


 どうせ、異変の原因の一片でもわかれば、それを頼りに探しに行く予定だったのだ、それなら、最初から学校を休んでしまった方が何かと都合がいい。


「ちなみに、なんて言って来たんだ?」


「普通に体調不良です。ちょっと、怪しまれたかもしれませんが、まぁ、大丈夫でしょう」


「上出来だ」


「それよりも、私をここに呼んだ理由を教えてください」


「いや、その前にだ」


 俺は鮎川の質問に答えず、質問で返すことにした。


「昨日言ってたメールの内容。あれは結局、何の話をするつもりだったんだ?」


「……それは」


 鮎川は数秒の間の後、ゆっくりと首を横に振った。


「すいません。私にもわからないんです。とにかく、先輩と話をさせて欲しいと言うばかりで」


「そうか」


 鮎川だったらあるいは、と思ったのだが。


「でも、急にそんな話をするってことは……」


 どうやら、なぜここに呼ばれたのか察しがついたようだ。


 ぐっと、顔を引き締める。今まで以上に真剣な表情。


 やはり。


「お前、天璃のことをみんなが忘れていること、知ってるな?」


「……はい」


 こくり、と頷くと鮎川は少し緊張した様子で喉を鳴らした。


「それじゃ、天璃ちゃんのことをみんなが忘れてしまっているというのは、現実なんですね」


「ちなみに、クラスではどんなことが起こっていた?」


 すると、鮎川は俯いてぽつりぽつりと話し始めた。


「一つ一つは小さなことだったんです。プリントが配られなかったり、出席の時に呼ばれなかったり。でも、ちゃんと指摘したらみんな気が付いてくれたんです。だから、偶然が重なっただけかなって最初は思ったんです」


 でも、と鮎川は続ける。


「昼食の時、普段はコンビニでパンを買ってる天璃ちゃんが食堂に行こうと言い出したんです。おかしいなと思って理由を聞いたらレジに商品を置いても店員さんがいつまでも気付いてくれなかったって――」


「……いや、ちょっと待ってくれ」


 コンビニの店員が天璃に気付かなかった?


「それって、天璃の姿が店員に見えなくなっていたってことか?」


「私はその場所にいたわけではありませんから詳しくは知らないです。けど、それに近いことは私の前で何度も起きていました。どうして、あんなふうになったのか」


 首を傾げる鮎川。たらり、と冷房が効いている部屋だというのに冷や汗が流れた。


 俺はずっと、天璃に対する記憶が無くなるだけだとばかり思っていた。


 しかし、鮎川の言っていることが事実だとすれば。


 急がないと、天璃の存在が完全に消えることになるかもしれない。


 だけど、


「どうすればいいんだ……?」


 どういう状況なのかわかれば、なんとか対策が打てるかもしれないと思っていた。


 だが、結果はこれだ。理由はわからず、それどころか想像以上のことが起こっていた。


「先輩」


 鮎川がか細い声で呼びかける。こいつも俺と同じで、どうしたらいいのかわからないのだ。


 天璃自身に聞いてみるという案はもちろん浮かんだ。だが、鮎川はその案には反対の意を示した。


「駄目です。天璃ちゃんも何が何だかわからないような顔をしていましたし。それに……」


 言い辛そうに鮎川は目を伏せる。


 それだけで、彼女が言いたいことはなんとなくわかった。


「俺には言うな、か?」


「……はい」


「まぁ、そうだろうな」


 自分の嫌いな相手に弱みなんてみせたくない。それが天璃の意志なのだ。それがわかっているからこそ、天璃を抜きにして話を聞くことにしたのだから。


「それじゃあ、本当にどうする……?」


 焦れば焦るほど、考えが纏まらなくなる。そんなことはわかっているけど、焦らずにはいられない。


 天璃の異変が始まってから一日。それだけで、天璃のクラスの半数が、教師も、コンビニの店員も彼女を忘れ、視認すら出来なくなっている。でも、それはあくまで俺達の知っている範囲の話だ。実際はもっと多くの人間が天璃の存在を忘れ、認識出来なくなっていると考えた方がいい。


 なら、二日目である今日は? 明日は?


 こんなことが続けば、あっという間に天璃は孤立する。そして、いずれは俺も鮎川も――


 ブーッ! ブーッ!


「……っ!」


 テーブルに置いておいたスマホの振動する音がリビングに鳴り響く。危ない。今、かなりネガティブなこと考えてたぞ、俺。


「どなたからか、お電話ですか?」


「そうみたいだな」


 俺の意識を引っ張り上げてくれたその人に感謝をしつつスマホの画面を確認する。


 着信の相手は篠田先輩だった。


「珍しいな」


 あの人、スマホとか見るの苦手で、普段はメールの返信ですら三日も掛かるくらいなのに。


「悪い。ちょっと電話に出てくるな」


「了解です」


 鮎川が頷くのを確認してから、廊下に出て玄関の方まで歩いてから応答ボタンを押す。


「もしもし」


『もしもし、あーくん?』


「どうかしましたか?」


 そう言うと、受話機の向こうから不機嫌そうな声が返ってきた。


『それはこっちのセリフだよ。今日、学校休んだでしょ? それで、心配だから連絡したんだよ』


「それはなんか、すいません」


 電話口の相手なのに、ついつい頭を下げてしまう。この癖はなかなか直らないな。


『あーくん、今、私に向かって頭を下げたでしょ?』


「どうしてわかったんですか?」


『家の中にカメラ置いてるから』


「今すぐ電話を切って、警察に通報しますね」


『まって! 嘘! 嘘だから!』


 慌てたように叫ぶ先輩。しかし、その直後、「ふふっ」と笑い声が聞こえてきた。


『でも、あーくんってやっぱりそういう人なんだね』


「……どういうことですか?」


『いや、誰も見てないのわかってるのに自然とそういう仕草をしちゃう人ってさ、私はとても相手に気を使ってくれる人のような気がするんだよね。あーくんもそんな子だからさ。嬉しくてちょっと笑っちゃった』


「……嬉しい?」


 そうそう、と篠田先輩は言う。きっと、電話の向こうでは「うんうん」と首を振っているに違いない。


『あーくんは優しい子だなって思って嬉しくなったの』


「そうですかね?」


 自分自身はそうと思えない。だけど、篠田先輩は自信満々と言った様子で「うん!」と言った。


『絶対そうだよ。私の人を見る目は確かだもの……っと、ごめん。そんな話をしてる場合じゃなかったよ』


「なんかあったんですか?」


 急に声のトーンが変わった。いつもよりも数段、声が低い。


『うん。あーくんにちょっと聞きたいことがあったの』


「聞きたいこと、ですか?」


『うん。本当は昨日の内に言っておこうか迷ったんだけどさ。あーくん、天璃ちゃんがお祭りの星空観察の時間に天文山に来てたの知ってる?』


「え……」


『その反応だと、やっぱり知らなかったみたいだね。まぁ、それはそれでいいんだけどさ。問題はその後なんだよ。あの子、どうやら山の方に行っていたみたいでさ。そこに入っていくのをたまたま、見かけちゃったんだよね。止めに行こうと思ったんだけど、人が多くて見失っちゃって……』


「そうでしたか……」


 天璃が、山の中に。しかも、その時間は……。


『あーくん?』


「あ、いえ。なんでもないです。それより、すみません。心配させちゃったみたいで」


『あ、ううん。昨日、学校で天璃ちゃんのこと見かけたし、安心かなとは思ったんだけど、また入って行ったら危ないからさ。そのこと、あーくんの方から言っておいて欲しいなって思って』


「わかりました。天璃にはこちらから言っておきます」


 篠田先輩にお礼を言って通話を切る。


 それにしても、思わぬところで思わぬ情報が手に入った。まさか、天璃が山の中に入っていたなんて。しかも、俺が秘密基地に行った時間とほとんど同じ時間に……。


 そうなると、考えられる理由なんか一つしかない。


「俺の後を付いて来たのか?」


 一体、どういう理由で俺の後を付いて来たのか。少し考えてみたが、理由はさっぱりだ。


「とりあえず、鮎川にも説明しておくか」


「もう聞いております」


「うぉっ!?」


 急に背中の方から声が聞こえたもんだから驚いて飛びあがってしまった。


「なにしてるんですか……?」


 見ると、鮎川はドアの隙間から少しだけ顔を出して呆れたような視線を送っていた。


「お前こそなにしてんだよ」


「いえ。なんか天璃ちゃんの名前が上がったので少し気になって」


「お前の天璃アンテナすごいな……」


 部屋から玄関までそれなりの距離はあったと思うんだが。


 まぁ、いい。それよりも、聞かなくてはならないことがある。


「なぁ、鮎川。天璃が星空観察に行ったと言うのは……」


「いえ、知りません。私も今、初めて聞きました。それより、天璃ちゃんはどうして山の方に行ったんですかね?」


 そう言って、鮎川は首を傾げる。そう、何よりも問題なのは、なぜ天璃が山の中に入って行ったのか、ということだ。だが、その理由はなんとなくわかる。


 俺が山の中に入っていくのを天璃が目撃していて、彼女も俺の後を付いて来ていたとすれば。そう考えれば、昨日の天璃の様子がおかしかったことも納得できる。


 だが、

「先輩、どうしました?」


 それを鮎川に伝えるべきか、それを悩んでいた。そのことを教えるということは、俺と七海の思い出を。


 いや、違うだろ。天璃が消えかかっているのに、俺は何を考えてんだ。


「その理由なら、見当は付いてるんだ」


「本当ですか!」


 ぐいっと、顔を寄せる鮎川に、俺は数秒、間を置いてから言った。


「俺が、山の中に入ったからだ」


「え……?」


「まぁ、普通はそういう反応だよな。あそこにはさ、俺と幼馴染しか知らない秘密の場所があるんだよ」


「秘密の場所、ですか?」


「そう。他の奴らは誰も知らない秘密基地。俺は毎年、七夕の日にそこに行ってたんだ」


「その幼馴染さんに会いに行くために?」


 そんなロマンチックな理由だったらどんだけよかっただろうか。俺は心の中で苦笑いをしつつ、首を振る。


「いや、そいつはもういないよ。五年前に亡くなったんだ」


「そうだったんですか……」


 あれ。


「意外だな」


「何がです?」


「いや、こういう時の反応って大体が申し訳なさそうに謝ってくるもんだからさ」


「あぁ……」


 合点がいったのか、鮎川は困ったような笑みを浮かべた。


「私も同じようなことがあったので、気持ちがわかるんですよ。まぁ、亡くなったとはまた違うんですけどね」


「そうか」


「はい。……っと、今は私の話なんかしてる場合じゃないですよね」


 そう言って鮎川は先を促した。


「だな。それで、俺が秘密基地に行っていた理由、だったか。まぁ、本当に女々しい理由なんだけどさ。簡単に言えば、思い出に浸ってんだよ。いなくなった幼馴染に向けてな」


 本当は思い出に浸るなんて綺麗な言葉じゃないんだけど、他に適切な言葉が思い浮かばなかった。


「あの日と同じように、星を眺めたり、あとは、おまじないとか、かな」


「……おまじないですか?」


「そう。あいつ、おまじないとか占いとかそういうのが好きでさ。自分でそういうの作っては、実践してたんだよ。その日も、あいつは新しいおまじないを……」


「ちょ、ちょっと待ってください先輩!」


 鮎川が慌てて俺の言葉を遮る。


「どうした?」


「それ、どういうおまじないなんえすか?」


「……? あぁ、あそこ、小さな湖があってさ。この時期の夜になると、水面に天の川が映るんだ。その天の川に向かって願いを書いた短冊を流すんだよ。その短冊が天の川を渡りきったら、願いが叶うんだよ」


 そう説明をすると、鮎川は困惑した顔で「やっぱり」と、呟いた。


「先輩。私、そのおまじない知ってます」


「え、なんで……」


「七夕祭りの日に天璃ちゃんが教えてくれたんです。短冊を使ったおまじないがあるんだって。その内容が、いま先輩が仰っていた内容にそっくりなんです」


「なんだって?」


 訳が分からなかった。


 なぜ、天璃がそのことを知っている? あれは七海が考え出したもののはずだぞ。


「その話は、天璃が自分で考えたものなのか?」


「いえ、確か、小さい頃によく遊んで貰っていたおばあさんから聞いたことがあるって……」


「おばあさん?」


 その人が天璃にその願いを教えたのだとしたら、七海にも繋がっているのかもしれない。


「なぁ、その人ってどこに住んでるかとかわかるか?」


 しかし、鮎川はふるふると首を横に振った。


「無理です。一昨年に亡くなったと天璃ちゃんは言ってましたから」


「そうか……」


 はぁ、と思わず頭を抱える。


 すると、鮎川が「確証はないんですけど」と、自信なさげに、


「ですけど、そのおばあさんと仲が良かった人は知ってますよ」


 と、言った。


「仲が良かった人?」


「はい。その人とおばあさんと天璃ちゃんとで、よく一緒に遊んでいたと言ってましたから」


 なるほど、その人ならもしかしたら何か聞かされているのかもしれない。


「その人って、誰だ?」


「私も名前しか知らないんですけどね。えっと、三上さんってご存知ですか?」


「……っ」


 びくりと、肩が震えた。


 知らないはずがない。その人は天璃がここに来る以前に住んでいた養護施設の院長を務めている人だ。天璃と関係のある人間で同じ名字なら多分、この人だろう。


 それにしても、まさかここで三上さんの名前が出るなんてな。


「俺も、向きあわなくちゃならないってことなのかもな」


「なんか言いました?」


「いや、なんでもない。とにかく、その人に会ってみよう。なにかわかるかもしれない」


 善は急げ。さっさと準備して孤児院に向かおうとしたが、何故か鮎川は慌てた様子で俺の腕を掴んだ。


「先輩、ちょっと待って下さい。ここまで言ってなんですけど、短冊を使ったおまじないのこと本気で信じてるんですか?」


「信じる信じないを議論をする時間があるなら、今はどんな小さな手がかりでも調べてみるべきじゃないのか?」


「そう、ですよね……。わかりました」


 鮎川は「準備が出来次第、声を掛けて下さい」と言い残すと、リビングの方へと戻って行った。


「まぁ、鮎川の気持ちもわかるんだけどさ……」


 俺だって、短冊の願いのせいでこんなことが起こっているなんて信じていない。だけど、こんな時でも思ってしまうのだ。


 もしも。もしも天璃のこの異変が願いのせいだとしたら、俺の願いは一体どうなったのだろう、と。





「それで、三上さんはどこに住んでいらっしゃるんですか?」


「養護施設だよ。お前、天璃から聞かなかったのか?」


 準備を終え、家を出た俺達は早速、三上さんの住んでいる孤児院へと向かうことにした。


 実は、三上さんと会ったことは一度もない。もちろん、孤児院にも足を運んだことは一度もない。天璃をあんな目に遭わせてしまったことが申し訳なくて、顔を合わせられなかった。


「……」


「なんか、緊張してらっしゃいます?」


「まぁな……」


「孤児院まで結構、距離があったりするんですか?」


「そうだな」


 行く前に軽く場所を確認してきたが、ほとんど町はずれと言ってもいいような場所に建てられていた。こっからだと三十分くらいは歩くかもしれない。


「それじゃ、せっかくなんで一つお聞きしたいことがあるんですが、よろしいですか? これからの為にも、大事なことだと思うので」


「なんだ?」


 なんとなく察しは付いているが。


「どうして、先輩と天璃ちゃんはこんなにも仲が悪いのか、その理由です」


「……随分とストレートに聞くんだな」


「遠まわしに言うより、よっぽどいいと思いますけど」


 まぁ、それは確かに。


 だが、このことを鮎川に話してしまって本当にいいのだろうか。


 そもそも、ここまで天璃のサポートをしているようなのに、俺達の過去を知らないということは、天璃も話したくないと思っているからではないのか。


「言いたくないんですか?」


「出来ればな」


 今までだって、誰にも話して来なかった。俺と天璃の兄妹仲が悪いのを知っている奴は結構いたが、その本当の理由を知る人なんて一人もいない。


 しかし、今は状況が違う。鮎川は俺の他に天璃の異変に気付いた人間であり、俺の協力者だ。ここまで来たら、話さない方が逆におかしいのではないだろうか。


「……今、ここで聞いたことは誰にも言わないって約束できるか?」


「もちろんです」


「天璃にもだぞ?」


「わかってますよ」


「仕方ないな」


 はぁ、と息を吐く。今まで誰にも話したことにない俺達の罪。尋常じゃない、狂いに狂ったあの日々を、俺は今、初めて他人に話すのだ。


「……それじゃ、どこから話そうか」


 少し考えてから、俺は口を開いた。


 今までずっと隠し続けてきた、小名木家の罪を。











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