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天璃の夢

 部屋に戻った私は窓の外に近付いて外を見る。


 深夜だと言うのに、町にはまだぼんやりと提灯に明かりが灯っていた。


 みんな、お祭りを終わらせたくないんだ。この楽しい時間を終わらせたくなくて、こんな時間まで提灯をぶら下げて、最後の瞬間を楽しんでる。


でも……。

「それだって、いつかは終わるんだよ」


 カーテンを閉めて、ベッドに寝転がる。そうだ。楽しい時間はいつか終わる。永遠に続くわけじゃない。私もそうだった。


 いや、私は違うか。


「私には元々、そんな時間すらなかったんだから……」


 枕に顔を埋めて、私はその時のことを思い出した。






「養女……?」


 今から五年くらい前の話。養護施設で暮らしていた私に突然、そんな話が舞い込んだ。

 私だけが院長室に呼ばれた時はなにか怒られるようなことでもしたのかと、ドキドキしたけど、今は別の意味でドキドキしている。


「そう、君を家族に迎えたいとおっしゃっている人がいるんですよ」


 向かいのソファーに座っている院長の三上さんは、そう言ってにこりと笑った。


 家族? 私に?


 正直、実感が沸かなかった。この施設でも、何人かの子供が里親に引き取られていったことはあった。でも、そんなことはやっぱり滅多にないことだったし、私がそこに選ばれるなんて夢のまた夢だと思っていた。


 というか、今でも夢だと思ってる。


「えっと、どうして私なんですか……?」


 思わず、三上さんにそう尋ねてしまった。


「そのご夫婦は、今までに何度かここを訪ねてきたことがありましてね。その時に天璃ちゃんのことを見かけて、えらく気に入ってしまったようなんですよ」


「はぁ……」


 三上さんのその言葉に私は少しだけ嫌な気持ちになった。それってつまり、私と他の子を比べたということだ。なんだか、ペットショップの動物みたいな扱いをされているような気分。


 でも、そのおかげで家族が出来るのかもしれないわけだし……。そう思うと、これは仕方のないことなのかもしれない。


「どうする? 今度、その人達に会ってみるかい?」


 三上さんの言葉に、私はこくこくと二回頷いた。


 私は本当の両親が誰なのか知らない。どこに住んでいて、何をしているのかも、生きているかどうかもわからない。


 気が付いたら、私はここで暮らしていた。物心ついた時に教えられるまで、私はここが本当の家なのだと思っていたくらいだ。


 だから、私は本当の家族の暖かさというものを知らない。いや、もちろん、ここだって充分に暖かい場所だと思うし、とても楽しい。


 でも、心のどこかではやっぱり、本当の家族というものを望んでいた。


 そんな私にとって、これはまたとない大きなチャンスなのだ。


 そのことを他の子供たちに話すと、まるで自分のことのように喜んでくれた。私と離れるのが寂しいと泣いてしまう子もいたけど、ずっと離れ離れになるわけじゃない。第一、まだその家に貰われるかどうかすらも決まったわけじゃないのに。


全く、気の早い子だなぁと、私はその子をギュっと抱きしめた。


 それから数日後。


 私は初めて、里親候補である二人の夫婦と話をする機会が設けられた。


「こんにちは、天璃ちゃん。小名木有香です」


 私の向かい側に座っている女性がにこりと笑顔を向けた。片方の髪をゆるくおさげにしているせいか、とても若く見える。お母さんというよりかはお姉さんみたいな感じだ。


「は、はじめまして!」


 若干、緊張しながら私も負けじと笑顔を返した。暗いと思われて嫌われたくない。そんな自分に内心恥ずかしさを覚えた。


 だけど、


「あら、そんな無理して笑わなくていいのよ? 緊張してるんでしょう? 初対面だもの、仕方ないわよ」


 どうやら、私の作り笑顔はバレバレだったようだ。恥ずかしさで顔を赤くしながら俯くと、有香さんがこちらに手を伸ばして私の頭を優しく撫でてくれた。


「あー、ごめんごめん。私達のために頑張ってくれたんだもんね。よしよし」


「……ん」


 有香さんの指が私の髪を優しく梳く。それがなんだか気持ちよくて私は目を細めてその感触を楽しんだ。


「あらあら、素直で良い子なのね。ねぇ、あなた?」


 有香さんの声が私ではない他の人に向けられたことに気付いて私は目を開けた。有香さんの目は彼女の隣に座っている男性に向けられていた。その横顔はさっきまで私に向けられていた柔らかい表情とは一変して、厳しい目をしていた。


 思わず息を呑む。


「……そうだな」


 その男性も私と同じように気圧されていたのか、硬い表情をしていた。


と、有香さんを捉えていた男性の視線がこちらに向けられる。


「……」


 その目を見た時、私は一瞬、背筋が冷えるのを感じた。


黒縁眼鏡のレンズの奥から私を見つめる目に暖かさを感じなかったのだ。ペットショップで動物を品定めするような目でもない。まるで、動物の観察でもしているかのようだった。


 この人が多分、私の父親になる智洋(ともひろ)さんなのだろう。


「もう、あなた? あんまりじっと見ないであげて! 天璃ちゃんが怖がってるでしょう!」


「あぁ、すまんな……」


 有香さんが妙にはしゃいだ声でそう言うと、智洋さんは慌てた様子で目を逸らした。


「ごめんね、天璃ちゃん。あの人、目つきは悪いんだけど、すごく優しい人だから」


 そう言って微笑んだ有香さんの目からはさっきまでの厳しい感じが消えていた。


「は、はい」


「あなたは本当に良い子ね。ねぇ、もうお話は聞いていると思うけど、あなたに私達の子供になって貰いたいの」


 有香さんは私の隣にまでやってくると両手を優しく握ってそう言った。それは、私が待ち望んだ瞬間。でも、なぜか私はそこで頷くのを躊躇った。


 有香さんの目。それが、まるで懇願しているように見えたから。なんだろう。私を見ているのに、見ていないような、そんな感覚。本当にこの人でいいのだろうか。そんな不安が私の頭を過った。


「どちらでも、君の好きなようにすればいい」


 その時、今まで口を開こうとしなかった智洋さんが初めて私に向けて言葉を放った。


 途端、有香さんは怖い顔をして智洋さんを睨みつける。だが、私はそんな有香さんに押し出されるようにして

「私は、二人の家族になりたいです!」

 そう、答えてしまっていた。







 それから一週間が経った。その間にいろいろなことがあって、私は正式に小名木家の養女として貰われることになった。


 不安がないと言われれば嘘になる。だって、何度会っても私には有香さんという人間が理解出来なかった。優しい人なのはわかる。だけど、その裏から時たま顔を覗かせるもう一つの表情が、私の中に芽生える「安心」を奪っていくのだ。


 まだ、不安の種はある。


 養父となる智洋さんもそうだが、なにより一番に不安だったのは、小名木家の長男の存在だった。


 あの後も、有香さん達は何度かここを訪ねて来たけど、その子が来たことは一度もなかった。


 その子は私を歓迎してくれるのだろうか。もしかしたら、私のことを嫌がるんじゃないだろうか。そう思うと、不安で不安で堪らなくなる。でも、それでもやっぱり、どこかで期待している私もいた。


「家族かぁ……」


 声に出すと実感する。新しい家族、新しい家、新しい生活。有香さん達と暮らす日を心待ちにしながら、新しい生活を何度想像したことか。


 小名木家に貰われていく日の朝。私はじっとしていることが出来ず、ぴょんぴょんとその場で跳ねたり、施設の周辺をうろうろしたりする。


 有香さんと智洋さんが車で迎えに来る手はずになっていた。彼らが到着する時間までまだ十分近くある。その時間のなんて長いことだろう。一秒が一分にも十分にも感じられる。


「ねぇ、三上さん。まだかな? まだかな?」


 そう言う度に三上さんはニコニコと微笑みながら「すぐに来ますよ」と、返してくれた。


 そんなことをしながら時間を費やしていると。


「お、あれじゃないですかね」


「来た!」


 白いワゴン車がこちらに向かってやって来るのが見えた。


 フロントガラスからは運転している智洋さんと、助手席から小さく手を振っている有香さんの姿が見えた。お兄ちゃんになる人……確か、陽人さんって言ったっけ。その人の姿はやっぱり見えない。後ろにもいなさそうだ。


 そのワゴン車はゆっくりと私達の前で止まると、助手席から有香さんが飛び出して私を抱きしめた。


「んー、待ってたよ!」


 有香さんのゆるいおさげが喉をくすぐる。有香さんの身体はとても暖かかった。


 隣では、三上さんと智洋さんが何か話していた。聞き取れないけど、多分「この子をよろしくお願いします」「わかりました」みたいな話だと思う。


 しばらくすると、その話も終わったのか、三上さんがポンと私の背を叩いた。


 ついに、この施設を去る時間がやって来たのだ。


 今の今まで新しい家族との生活を楽しみにしていたのに、いざ別れるとなると無性に寂しさが込み上げてくる。


「天璃ちゃん!」


「……みんな!」


 背中から声を掛けられて振り向くと、そこには施設の子供たちがずらりと横一列に並んでいた。みんながお出迎えをしてくれたんだとわかると、目尻から自然と涙が零れた。


「みんな、ありがとう!」


 そう言って、私は車の後部座席に乗り込む。窓を開けてもらって身を乗り出すと、子供たちがワッと私の前に集まってきた。


「いつでも、遊びに来てね!」「元気でな」「手紙送るから!」


「うん、絶対にまた来るよ!」


「天璃ちゃん、そろそろ出発するわよ?」


 その言葉を合図に三上さんが子供達を車から遠ざける。いよいよ、私はこの施設から離れ、新しい幸せを掴み取る時が来たのだ。


 絶対に、絶対に幸せになろう。


 エンジンが掛かり、車が揺れる。智洋さんがアクセルを踏むと、車はゆっくりと動き出した。


「またね、みんな!」


 窓から身を乗り出して手を振る。そんな私の身体を有香さんが抱きかかえて窓を閉めた。途端、みんなの声が聞こえなくなり、車内には車のエンジンの音だけが響き渡る。少しだけ、空気が重い。


「仲がいいのね?」


 隣に座っている有香さんがそう聞いて来たので、私はこくりと頷いた。


「はい。みんな、大切な友達です」


 それからしばらくの間、私は有香さんや智洋さんに施設での生活についていろいろ語った。有香さんはずっとニコニコしながら聞いてくれたし、智洋さんも黙ってはいたけど、何度か頷いてくれていた。


 でも、何かが違った。この空間には養護施設に流れているような親密な空気が感じられないのだ。もちろん、それは私が緊張しているからかもしれない。でも、私は心のどこかで自分の選択に早くも後悔し始めていた。


「ねぇ、天璃ちゃん」


「え、はい?」


 ずっと、話を聞いてくれていた有香さんが突然、私の手を握って喋り始めた。


「あのね。これから、私達の家に住むことになるじゃない? その為に、天璃ちゃんにもお願いしたいことがあるのよ」


「お願いしたいこと、ですか?」


 もしかして、新しい家に住む際のルールかなにかがあるのだろうか。


 新しい家に住むのだから、新しいルールがあるのは当然だ。養護施設でも、起床時間や就寝時間は決められていたし。


「はい、わかりました」


 私は素直にその言葉を受け取った。すると、有香さんは「ありがとう」と、言いながら私の頭を撫でてくれた。


 でも、何故だろうか、その手には以前感じた暖かさが微塵も感じられなかった。


「それで、そのお願いってどういうものなんですか?」


 首を傾げると、有香さんは笑顔でこう言った。


「まず、その天璃って名前を捨てて欲しいの」


「え?」


「その名前はあの養護施設での名前でしょう? 私達の家では私達が考えた名前を使って欲しいの」


 有香さんは私を見つめながらそう言った。智洋さんに向けていたような、冷たく、厳しい眼差しで。心臓をぎゅっと握られたように胸が苦しくなった。でも、この痛みは耐えなくてはいけない。この人はこれから私のお母さんになる人なんだ。だから、嫌われちゃいけない。そう、心の中で自分を励まして訊き返す。


「……新しい、家族として?」


「そう!」


 ものわかりの良い子は大好きよ、と言って有香さんは笑う。


 そんな有香さんの顔を見ているだけで、気分が悪くなる。頭がぐらぐらする。それでも、私はその中からなんとか希望を見出そうと自分を励まして尋ねた。


「それで、私の名前はなんですか?」


「とってもいい名前なのよ」


 そして、有香さんは言う。


 私の人生を地に落とした、その一言を。








「あなたの名前は今日から七海ちゃんよ」










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