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7月6日 その3

「それじゃ、今日は一緒にアングラに行こうね?」


 そう、篠田先輩と約束してから数時間が経って放課後。昇降口で彼女を待っているとポケットに入れていたスマホがブブーと震えた。


「メールか」


 差出人は先輩で、今日は掃除当番だから少し遅れるとのことだった。


 まぁ、長引いても二十分ほどだろう。それくらいなら、特に問題はない。先輩に、「わかりました」とメールを返してからリノリウムの床に座りこむ。


 ここで待っている間、何組かの生徒が通って行ったが、その話題は全て、明日の七夕祭りのことだった。

 明日は平日だが、七夕祭りのおかげで一日休校。ほとんどの生徒が明日の七夕祭りを楽しみにしていることだろう。


 そういえば、天璃は明日の七夕祭りはどうするのだろうか。多分、鮎川と一緒に回るのだろうが、天文台にやってくることはあるのだろうか。


 それで、もしもバイト先に入ってきたら……。


「……天璃にバイト先のことを話しておけばよかったな」


 俺も天璃も、お互いの私生活について詮索することはなかった。そもそも、そんなことを話すことすらなかったんだけど。


 だから、俺は普段、天璃が何をやって過ごしているのかも、趣味も、何も知らない。天璃の友達だって、俺は鮎川だけだと思っていたくらいだ。


「まぁ、考えたって仕方ないか」


 鮎川に話せば上手く立ち回ってくれるかもしれないが、またなんか言われても面倒だし。

 と、そんなことを考えた時のことだった。


「あ」


 後ろから聞き覚えのある声がした。


「こ、こんにちは……」


「……」


 そこにいたのは、鮎川と天璃だった。鮎川は少しバツが悪そうに挨拶をし、天璃は顏を背けると、さっさと一年の下駄箱の方へと歩いて行ってしまった。


「……先輩。お昼に天璃ちゃんのクラスに行ったそうですね」


「あぁ、先生に頼まれてな」


「はい。クラスの人から聞きました。クラス内で騒ぎになってましたから。天璃ちゃんの元カレさんとか、昔、何か天璃ちゃんに酷いことをした人なんじゃないのかとか」


「マジか……」


 確かに、そんなことを言っていたのは聞こえていたけど。あの時にプリントを渡して疑いが晴れたとばかり思っていた。


「先輩。わざわざ天璃ちゃんに渡さなくても私を通してくれればよかったじゃないですか」


「お前、いなかっただろ」


「それでも、探すことくらいは出来たはずでしょう?」


「それは……」


「先輩、お願いします。これ以上、天璃ちゃんにちょっかいを出すことはしないでください」


「……」


「では、さよならです」


 ぺこりと、頭を下げて天璃の後を追って鮎川は去っていった。


 彼女と入れ替わるようにして、篠田先輩が顔を出す。


「ごめーん! 掃除当番だったことすっかり忘れててさ……って、あれ? なんか元気ないけど、どうかした?」


「いえ、なんでもないです。それじゃ、行きましょうか」


「う、うん……」


 靴に履き替え、二人で昇降口を出る。


 こうなることは、わかっていた。天璃の領域に踏み込めばどうなるかくらい、少し考えればわかることだ。


 だけど、わかっていても、少なからず傷付いた。


 いや、多分、本当はわかってなんかいなかったんだ。だって、心のどこかで「もしかしたら」を期待していたのは確かなのだから。





「よし、着いた」


 学園から篠田先輩と二人で自転車を並走させて約五分。俺達は天文山への入り口へとやってきた。最近は、ここに来る度に「本当にここは山の入り口か?」と、いつも思う。あの日から何年もの時が過ぎ、町の至るところが変わっていった。


 あったものが無くなり、無かったものが作られる。


 それは、天文山でも同じだ。


 五年前にはなかった天文台へと続くエスカレーターに乗って上へ向かう。山の頂上付近まで伸びるエスカレーターは途切れることがなく、一本繋ぎで上へと伸びていた。


「本当にこのエスカレーターってすごいよね」


 俺の前に立っている篠田先輩がくるりとこちらを振り返って微笑んだ。


「私、このエスカレーターが好きなんだよね」


「そうですか?」


「うんうん。ほら、後ろ見てみなよ」


 そう言って、俺の肩を掴んで後ろを振り向かせる。


「へぇ……」


 思わず、言葉が漏れた。


 視界全体に薄いオレンジ色の空が伸びていた。白い雲が、夕陽を浴びて何層ものグラデーションを作り上げる。絵画のような風景だった。


 エスカレーターで上って行くたびに、空は少しずつその表情を変えていく。視線を下げると星美町が見えた。ほとんど同じ高さだったはずの町並みが、今では全体が見渡せるほどになっていく。


「なるほど」


 つまり、このエスカレーターがこんなに長いのはこういう風景を楽しんで貰いたいから、ということか。


「綺麗でしょ?」


「はい」


 嘘は吐けなかった。変わっていく風景。そこに寂しさを覚えたのは間違いない。

 だが、それでも綺麗だと思ってしまった。きっと、隣に七海がいれば同じようなことを言うに違いない。


『まもなく、到着いたします。お気を付けてお降りください』


 後ろを振り向いて町を眺めている人に知らせるためだろう。到着間近に流れるアナウンスでハッと我に返った。


「あーくん、降りるよ」


「はい」


 前を向いてエスカレーターから降りる。


 そこから天文台までは緩やかな坂を歩いていかなければならない。まぁ、坂と言ってもスロープのようなもので山を登っているような感覚は全くないのだが。


「それにしても、あーくんがエスカレーターのこと知らないなんて思わなかったよ」


「いつもはエレベーターで来てますからね。あっちのが早いし」


「あー、エレベーターだと外見れないもんね。ってか、なんで外見れないんだろ」


「速さ重視なんじゃないんですか?」


「そうなのかなぁ? ……っと、あーくん見て見て」


 篠田先輩が肩を叩いて道の先を指差した。


 そちらに視線を向けると、いくつかのお店が天文台への道に沿って並んでいる。


 そのどれもが、店の入り口でなにやら飾り付けをしていた。


「明日の七夕祭りの準備ですかね?」


「そうだと思うよ、ほら」


 店の脇に置いてあるのは、少し小さな葉竹と短冊。よく見ると他のお店も同じように葉竹を外に出していた。


「あれ、うちでもやるんですかね?」


「どうだろ? でも、安藤さんってそういうの好きそうだし、やるんじゃないのかな? ほら、明日の喫茶店って休憩所も兼ねてるんでしょ? 家族連れの人も寄るだろうし、そういうの置いておいてもいいかもしれないし!」


 確かに、そういうのがあると子供も喜ぶかもしれない。そこら辺も含めて、あとで安藤さんに一度聞いておかないとな。


 七夕祭りの準備に精を出しているお店を通り過ぎると、もう一本エスカレーターが見えてきた。先ほどと違い、今度は短い。


 そこを昇れば、星美天文台は目の前だ。


 横に広い長方形の建物の上に真っ白い半円のドームが乗っている。全体的な外観がレンガ色なだけにその白い半円がやけに浮いて見える。観測している時はこの白い半円が二つに割れ、中から巨大なレンズが顔を出すのだが、どうやら、今は観測していないようだ。


 ここの天文台は博物館としての役割も担っている。俺達の用があるのはそっち。


 入り口にはもうすでに祭りの飾り付けが施されていた。今日の午前中からずっとやっていたのだろうか。


 自動ドアが開くと、中に溜まっていた冷風が西日に照らされた俺達の身体を冷やす。


「あー、涼しいねー」


 篠田先輩の声が館内に響き渡る。そんなに大きな声を出してはいないはずなのに、今日はやけに声が大きく聞こえる。いや、というより天文台の中が静か過ぎるのか。いつもはこの時間にもそれなりにお客さんがいるはずなのに、今日は博物館のスタッフ以外の人間が見えない。


「今日、やけに静かですね」


「お祭り前日だからね。天文台も閉まってるんだよ」


「え、そうだったんですか?」


「そうだよ、知らなかったの?」


 そういえば、小さかった頃もお祭り前日は家で大人しくしていろって言われてたっけか。そういうものかと思って理由は聞かなかったが、なるほど、そういうことか。


 それにしても、ずっとここで暮らして来たのに、そんなことも知らなかったとは。少し恥ずかしい。


 ぽりぽりと頬をかく俺のことをニヤニヤと笑いながら、篠田先輩は左手にある受付へと向かった。

 ちなみに、逆側には少し広めのスペース。その奥に博物館と隣接するように喫茶店「アンダーグラウンド」がある。俺達のバイト先はここだ。


「あら、樹里ちゃんに陽人くん。こんにちは」


 受付のお姉さんがにこやかな顔つきで俺達を迎えた。名前は確か……川端さん、だったかな。


「こんにちは、川端さん」


 篠田先輩も、にこりと挨拶を返す。その後に続いて俺も軽く会釈を返した。


「あのー……」


「輝樹くんでしょ? ちょっと待ってて」


 篠田先輩が言うよりも先に川端さんはそう言うと、「任せて」と言ったふうにウィンクをした。それだけの信頼関係が出来あがる程に、先輩は輝樹さんに弁当を届け続けているのだろう。


 川端さんのアナウンスが館内に流れる。


 それから一分もしない内に輝樹さんはやって来た。篠田先輩と同じく茶に染まった短い髪から汗が滴っている。首からぶら下げたタオルでそれを力強く拭いながら小走りで近付いて来た。


「おう、悪いな樹里。お、陽人も一緒か」


「こんにちは、輝樹さん」


 挨拶をすると輝樹さんは笑顔で「おう」と答えた。男らしい顔つきだが、笑った時の目元が篠田先輩に似ている。そういうところを見ると、二人はやはり兄妹なんだなと、いつも思う。


「お兄ちゃん。はい、これ」


「お、悪いな。今日はなんだ?」


「カレーだよ。匂いが篭っちゃうから外で食べてね」


 そう言って、タッパーの入った巾着袋を渡す。輝樹さんはそれを受け取りながら、少し苦い顔をした。


「この暑い中、外で食えっていうのか、この妹は……」


「別に中で食べてもいいけど……。嫌な顔されても知らないよ?」


 そんな場を見たことがある。冬の寒い日。ドアも窓も閉め切った教室で、誰かが匂いのキツイ弁当を持って来たことがあった。あの時のみんなの視線の冷たさは、外気よりも冷えていたことだろう。


「それは嫌だな……」


 輝樹さんも似たような経験があるのか。どこか遠い目をしながらぽつりと呟いた。


「しゃあない。独り、星でも眺めながらカレーでも食うか」


「まぁまぁ、そんな寂しいこと言わないでくださいよ。輝樹さんはこの町の有名人なんですから」


「それ、恥ずかしいからやめてくれ……」


 輝樹さんは本当に恥ずかしそうに片手を振った。


 すると、俺達の話を聞いていた川端さんがくすくすと笑いながら、


「でも、輝樹くんみたいな人、滅多にいないよ? ロケットで宇宙に上がった人だなんて」


 と、言った。


 輝樹さんがこの町で有名人だと言われる理由はそこにある。


 民間の宇宙飛行士。輝樹さんは一度だけ、ロケットに乗って宇宙を旅したことがある。


 その話をすると、彼はいつも「たった五分程度、無重力空間を体験しただけだよ」と、笑うのだが、時間なんて関係ない。ただ、スペースシップに乗って宇宙へ上がったことが素晴らしいのだ。


「でも、その資金提供してくれたのって、ここだしな。俺の力で実現したわけでもないから、そんなふうに言われると申し訳なさすら感じるよ」


「確か、星美町が宇宙飛行士の育成に関わっていた関係で、この町から宇宙飛行士を出すチャンスが巡って来たとかそういう話でしたよね?」


「ザックリ説明するとそういう感じだな。要するにコネだよコネ」


「それはザックリし過ぎだよ、お兄ちゃん……」


「いいんだよ、細かいことは」


「お兄ちゃんは細かいことを気にしなさすぎなの! こっちの身にもなってよね、もう!」


 そう言って、「はぁ……」と、大きなため息を吐く先輩。しかし、その顔には少しだけ笑顔が浮かんでいた。


 本当は呆れてなんかいない。そんな兄のことが好きなんだって、すぐにわかった。


 ……良い関係だな。


 本当に、そう思う。


 この二人は、俺と天璃が選ばなかった道を歩いている。俺達が望んでいた道を歩いているんだ。


 お互いが信頼し合う関係。きっと、これが本当の家族なんだと思う。


 俺にも、こうすることが出来たのだろうか? あの時になんの失敗もなく、上手くいっていれば、俺達もこんな関係を築けたのだろうか。


「……っ」


 少しだけ、胸が痛む。


「あーくん?」


「え?」


 気が付くと、先輩が心配そうな面持ちで覗き込むようにこちらを見ていた。


「大丈夫? なんか元気ないけど、体調でも悪い?」


「あ、いえ。大丈夫です、気にしないでください」


 ただ、少し羨ましいと思っただけですから。


「お前達はこれからバイトか?」


「はい。明日の七夕に向けての準備をする予定です」


「そうか。悪いな、こっちの都合に巻き込んじまって」


 それは多分、ロビーの休憩所のことを言っているのだろう。本来、そこはアングラの領分ではないのだが、七夕祭りでは信じられないくらいに大勢の客が訪れる。


 そのため、毎年この期間だけ、アングラと合わせて休憩所として活用することになっているのだ。


「いえ、大丈夫です。毎年、たくさんの人が来ることはわかっていますから」


「そうそう。大変だもんね」


 なんせ、町中ほとんどの人間がこの天文台を目指してやって来るのだ。毎年、お客側として経験しているからこそ、その辛さは痛いほどよくわかる。


 それに、さっきから輝樹さんの髪から汗が滴り落ちている。さっき、冷房が効いていて涼しいと言っていたこの館内で、だ。


 明日の祭りに全力で取り組んでいるのが、ひしひしと伝わってくる。


 だからこそ、俺達も協力したいと思うのだ。


「と、篠田先輩。そろそろ行かないと」


「だね。あんまり、お兄ちゃんをここに留まらせておくのも悪いし」


「すまんな。あんまり時間取れなくて」


「大丈夫ですよ。輝樹さんも頑張ってください」


「おう、あとでまた顔を出すよ」


 そう言って、輝樹さんはまた元来た道へと駆けて行った。やはり、相当に忙しいみたいだ。


「私達も頑張らないとね」


「はい」


 川端さんに別れを告げて、俺達は受付の反対側にあるアングラへと向かった。


「こんにちはー」


 カランコロン、と来客を知らせる鐘を鳴らして店内へ。アンダーグラウンドなんて名前の割に中はいたって普通の内装だ。十人分のカウンター席と二人席と四人席がそれぞれ二つずつ。


 壁やカウンター、床に至るまでが木張りされていて全体的にモダンな雰囲気で整っている。とても暖かい感じだ。


 最初、この店を訪れた時も同じことを感じた。そして、こう続くのだ。


 どうして、ここには誰もバイトをしに来ないのか、と。


 考えれば不思議な話だ。天文台と隣接している喫茶店。誰の目にも止まらないはずはない。そもそも、この町は景観を気にするあまり、夜の七時にもなれば店が全部閉まってしまうのだ。


その為か、放課後にアルバイトをするお店が極端に少ない。


だから、こういう遅い時間までやっているお店というのは珍しく、その中でもバイトを雇うお店はさらに希少なのだ。


アングラは店先にバイト募集の張り紙が貼ってあった。俺以外のやつが見つけたりもしただろう。というか、実際にいたらしい。しかし、その人達は全て一週間もたたずに辞めてしまうか、面接の途中で採用を断られてしまうようだった。


一体、何故か。


 その理由は、マスターにあった。


「おや、いらっしゃい。待ってたよ」


 奥の厨房から人の良さそうな顔をした少し小太りのおじさんが顔を出した。彼が、この喫茶店のマスターの安藤さんだ。


 この人が全ての元凶。というか、なんて言えばいいのだろうか。別に悪い人というわけではない。むしろ、人間的にはかなり良い人なのだ。ただ、少し変わった趣味を持っているだけで……。


 そして、その趣味を今まで面接を受けてきた人達が受け入れることが出来なかっただけで……。


「見てくれよ、君達!」


 そんな安藤さんが少し興奮した様子でこちらに詰め寄る。嫌な予感がした。


「どーしたんですかー?」


 先輩も同じことを思ったのか、さして興味も無さそうな声で返事をする。まぁ、いつものことだしな。


「明日は七夕だろう? だから、新作メニューを考えてみたんだ」


「そうですかー」


「……樹里ちゃん。声に気持ちが篭っていないよ? 気にならないのかい?」


「はい、まったく」


 きっぱり。


 さすが、安藤さんと二年以上働いていることはある。下手に興味を持ったふうなことを言うとどうなるかわかっているのだ。ここで働き始めた頃、俺はそれを知らずについ安藤さんの話に乗っかってしまった。


「せっかく作ったのに……」


 しょんぼりする安藤さん。背中を丸め、小さくため息をつく。同情を誘う、見事な猫背だった。

 ……そんな哀愁漂う背中を見ていたら、こんなふうに無下にするのも、少し可哀想に思えてきた。


「わかりましたよ……。それで、今日は何を作ったんですか?」


 篠田先輩の代わりに俺が答える。その瞬間、安藤さんは曲がった背筋をピンと伸ばし、くるりと振り返って俺の両手を掴んだ。


「気になるのかい! 気になるのかい!」


「気にはならないです」


 きっぱり。


 可哀想だとは思うけど、ここで甘やかすと後が怖い。


 安藤さんはがっくりと肩を落としたが、それでも、見ては欲しかったのだろう。すごすごと厨房の方へと戻って行った。カウンターに持ってくるつもりなのだろうか。


 出来れば、勘弁して貰いたいのだが、まぁ、今日はお客さんもいないしな。余計な被害はないだろう。


「おまたせ、持って来たよ!」


 少しして、厨房から戻ってきた安藤さんの手には一枚のお皿。


「うっ……」


 そのお皿を見て、篠田先輩が呻く。


 お皿に乗っていたのは、クリーチャーだった。


 たくさんの目玉が紺色のクリームの上に川のように群がっている。


「……これ、なんですか?」


「なにって、天の川だよ! ほら、この目玉を天の川に見立てているんだ! ちなみに、これは全部、白玉で作っているんだよ。リアルだろう?」


 なるほど。確かにそう言われてみれば天の川に見えなくも……。


 ギョロリ。


 目玉がこちらを睨んだ気がした。


「いや、やっぱ無理です。どう考えても天の川とは考えられません。というか、なんで目玉に見立てたんですか」


「なんでって、ほらよく言うじゃないか。星が天から見守っているよって」


「それは喩えです」


「そっか……。ちなみに、これを明日の商品に」


「絶対駄目です」


 こんなものを子供に見せたら絶対トラウマになる。星を見ることが出来なくなってしまったらどうしてくれるんだ。


「ねー、もういいから準備始めましょーよー」


 今日のために天文台から借りて来た資材の入ったダンボールに肘をつきながら、篠田先輩がつまらなそうな声を上げた。


「そうですね。そろそろ始めましょうか」


「うん、そうだね」


 自分の作った作品(料理とは決して呼びたくない)を紹介出来て満足したのか安藤さんも大きく頷いた。


「それじゃ、このダンボールを外に出さないとね。あーくん、お願いできる?」


「了解です」


 こうして、本格的な七夕祭りの準備が始まった。





「よし、終わった!」


 終わる頃には夜の十時を回っていた。


 だけど、それだけの時間を費やしただけのものは出来たと思う。


「これ、すごくいいんじゃない?」


 店内を見回しながら先輩が満足そうに頷いた。


 あえて、店内のテーブルや椅子なんかを動かしたりはしなかった。


その代わり、厚紙に色紙を貼り付け、子供が喜ぶような星をぶら下げたり、壁には天文台から借りて来た写真をいくつも貼り付けた。


 これなら、家族連れにも喜んで貰えることだろう。


「どうかな、あーくん」


「いいと思いますよ。こんな時間まで頑張ったかいがありました」


「うん、本当にね」


 あとは……。


「おーい、二人とも。こっちも終わったよ」


 店の外から安藤さんの声がする。どうやら、あちらの方も完成したようだ。


 二人で店の外に出る。


 休憩所ということで、外には天文台にある長机を片っ端からかき集めた。その数、およそ二十。その二十の長机をスペースいっぱいに敷き詰めた。これだけあれば休憩所という名に恥じることはないだろう。


 その長机達が並ぶほぼ中央、そこに、一本の長い葉竹が立て掛けられていた。その傍らには短冊とマジックの置かれた小さなテーブルが用意されている。


 家庭科室で先輩が提案していた短冊の話。どうやら、安藤さんも全く同じ事を考えていたようで、一週間ほど前にすでに取り寄せていたそうだ。


「お、来たね。どうだい、すごいだろう」


 葉竹のすぐ下にいた安藤さんが自慢げに胸を張る。


「横になっている時にも大きいと思いましたけど、こうして立て掛けてみると迫力が違いますね」


「ほんと、よくこんな大きいものを用意出来ましたね」


「ちょっと、知り合いに頼んでね。大きい物を譲って貰ったんだ。この天文台にはたくさんの人が訪れるからね。なるべく多くの人に願い事を書いていって欲しいじゃないか」


「そうですね」


 これだけ大きな葉竹なのだ。明日にはきっと、その枝にたくさんの願いがぶら下がっていることだろう。そう思うと、なんだか少しだけわくわくする。


 だけど、その隣で先輩が「でも……」と少し寂しそうに呟いた。


「やっぱり短冊がないと少し物悲しいね」


「まぁ、七夕前だしね」


「でもなー……。あ、そうだ」


 先輩は何かを閃いたのか、パンと両手を叩いた。


「ねぇ、先に願いごと書いちゃおうよ。私達の特権ってことでさ」


「俺達、三人でですか?」


「そうそう。三つ短冊がぶら下がっているだけだけど、それでも、何もないよりかは、らしくなるんじゃないかな」


 確かに。


 俺と安藤さんは二つ返事で頷き、それぞれ短冊に願い事を書き始める。


 今年の願いを何にするのか、俺はもう決まっていた。いや、『今年も』の方が正しいのか。


 俺は先輩から受け取った黒のマジックで何の迷いもなく自分の願いを書きこんだ。


『七海にもう一度逢えますように』


 ……なんて、女々しい願いなのだろう。


 自分でもそう思う。叶うわけがないことも、何年も引きずっていい願いではないことも、わかってる。

 だけど、これだけはどうしても止めることが出来ない。願いを叶えることが奇跡なら、こんな奇跡があってもいいんじゃないかと思い続けていたかった。


「あーくん!」


「……っ!」


 少し離れたところにいた先輩が自分の短冊を持ってこちらに駆け寄って来る。俺は慌ててもう一枚短冊を用意して、願いを書いた短冊をポケットの中に突っ込んだ。


「あーくんはお願いごと決まった?」


「……いえ、まだです。先輩はどうなんですか?」


「私はもう決まったよ」


 ほら、と俺に向けて見せてくれた。


『私の料理がもっと上手くなりますように』


「なんか、先輩らしいですね」


「ふふ、でしょ? まぁ、実のところ七夕の願いにはあんまり期待してないんだけどね」


「そうなんですか?」


「うん。やっぱり、こういうのは自分の力で上達したいじゃない? だから、これは決意表明みたいなものなんだよ」


 決意表明か。


 でも、先輩。僕みたいにもう努力しても絶対に手が届かないところに行ってしまった願いもあるんですよ。その時は、どうしたらいいんでしょうね。


「で、あーくんは結局どんな願いごとにするの?」


「……そうですね」


 あの短冊は見せられない。いや、見せたくない。あれは俺の中だけで完結するものでありたい。


「やっぱり、無難に自分の健康、とかですかね」


 だから、俺は嘘を吐いた。幸運にもその嘘は篠田先輩にばれることはなく、

「それもなんだか、あーくんらしいね」

 そう言って、彼女はくすくすと笑った。


「そうですか?」


「うん。あーくんて現実主義者なイメージするもの」


「……そんなふうに見えますか?」


 だったら多分、それは先輩の勘違いなんだと思います。




 七夕の準備を終え、食事と風呂も済ませて自室へ戻る頃には日付が変わってしまっていた。


 七月七日。


 忘れることの出来ない、大切な日。最高の日々が終わり、最悪な日々が始まった日。


 でも、いつも最初に思い出すのは七海の笑顔だった。いくら、その後に悲惨な事故が起きたとしても、あの時の彼女の笑顔は本物だった。まるで、夜空に瞬く星のようにキラキラと輝いていた。あの目も、声も、全部が本物だ。


 だから、俺は七夕を忌むべきものだと思うことが出来なかった。そんなことをしたら、七海の思い出に傷が付いてしまうから。


「……帰って来てからも七海のことばかりだな」


 次から次へと七海との思い出が浮かんでくる。


 浮かんでは消え、浮かんでは消え、その繰り返し。


 なんだか、星が見たくなって来た。


「……たまにはいいか」


 ベッドから飛び起き、部屋の隅に向かう。そこには腰くらいの長さの長細いものが白い布をかけて隠されていた。


「こいつに触るのも久しぶりだな」


 少し埃のついた布を、静かにめくる。


 姿を現したのは、天体望遠鏡だった。


 十歳の誕生日に両親からプレゼントされたものだ。


 昔はよく、これを使って七海と一緒に星を眺めていた。星のことについて全く知らない俺に、彼女は天体望遠鏡を操作して、いろいろと教えてくれた。


 おかげで、今では星座についてだけは詳しくなった。


「えーと……」


 一緒にしまっていた星座早見表を手にとって今日の日付、時間に合わせる。


「よし」


 その星座早見表と天体望遠鏡を持って、窓の方へと向かう。


 本当は外に出た方がいいのだろうけど、また天璃と鉢合わせするのも困る。


 正直、今日はもう天璃に出会いたくはなかった。


 だから、今日は自室の窓から。


 星座早見表に従って、天体望遠鏡の角度を合わせる。


「よし」


 レンズを覗き込み、目的の星を探す。


「あった」


 アルタイル。わし座。夏の大三角の一つであり、彦星でもある夏の星座を象徴する星の一つ。


 そして、俺が初めて七海から教えてもらった星。


 一際あざやかに輝くその星を七海は興奮しながら教えてくれた。そんな彼女を見るのが俺は好きだった。


 星と七海と俺。三つが繋がっていれば、いつだって幸せだったんだ。


「……七海」


 ぽつり、と彼女の名前が口から零れた。


 その瞬間だった。


 グラリ。


 自分の身体が揺れた気がした。いや、違う。揺れたのは俺じゃない。これは……。


「地震か!」


そう頭が認識したと同時に、

「うぉっ!?」

 凄まじい揺れが部屋を、家を襲った。


 上手く立つことが出来ない。棚からは本が落ち、机からは写真立てが落ちる。窓の横に置いてあった天体望遠鏡もその揺れに耐えきれず、大きな音を立てて床に転がってしまった。


「……っ」


 本が落ち、軽くなった棚がさらに激しく揺れる。


 このまま、棚が倒れて来るのではないか。そんな予感が頭を過ったが、幸運にもそうなる前に揺れは止まった。


 良かった……。


 安全の確認をした後に、俺は大きく安堵のため息を吐いた。しかし、安心を得た俺の頭に一つの不安が思い浮かんだ。


 そういえば、天璃の悲鳴が聞こえて来ない。


 間に壁があるとは言え、隣の部屋だぞ。悲鳴の一つくらい聞こえてきたっておかしくないのに。


 もしかして、倒れた家具がぶつかって気を失ったりしてるんじゃ……。


 悪い予感は時間が増すごとに膨らんでいく。


「……駄目だ、やっぱり確認だけはしておこう」


 部屋のドアを開け、廊下へと出る。


「あ」


 ドアを開けると、隣の部屋から天璃がこちらを覗き込んでいた。まさか顏を合わせるとは思っていなかったのか、数秒の間、呆けた顔をしていた天璃はハッと我に返るとそのまま部屋の中に戻っていった。


「……タイミングが悪かったな」


 でも、天璃の無事は確認出来た。それだけでも良かった。先ほどとは違うため息を吐いて俺も自分の部屋へと戻っていった。







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