7月6日 その1
けたたましい金属音が部屋中に鳴り響いた。
「んぁ……?」
深く沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。目を覚まして最初に視界に入ったのは、見慣れた白い天井だった。しかし、上手く視点が合わない。ぼやける視界と意識を叩き起こし、天井に伸びていた視線を、音のする方へ向ける。
そこには、自らの身体をめいっぱいに震わせながら時間を知らせてくれる熱心な目覚まし時計の姿。
そんな目覚まし時計の息の根を止め、重たい上半身をゆっくりと起こした。それからゆっくりと伸びをする。
「朝か……」
ベッドの右側にある窓から見える青い空。今日も晴れ。夜にはきっと、無数に瞬く星の海を見ることができるだろう。
「星、か」
脳裏に浮かぶ七海の笑顔。
楽しくて、悲しくて、嬉しくて、寂しい。そんないろんな感情がない交ぜになった、俺と七海が一緒に過ごした最後の時。
ここ最近、こんな夢ばかり見る。理由はわかってる。七夕祭りが近いせいだ。町中に張りだされているポスターを目にするたびに、あの日の出来事を嫌でも思い出してしまう。
ベッドから起き上がり、机に向かう。そこに置かれた写真立ての中には笑顔でピースをしている両親と俺、そして七海が写っていた。
これはどこに行った時のものだっただろうか。よく覚えていない。
この頃の俺達はいろんなところへ行っていた。国内はもちろん夏休みや冬休みは海外まで。とにかく、ありとあらゆる県や国を旅して回った。
そこには、必ず七海が着いて来ていた。彼女の両親が仕事で忙しく、家で預かることが多かったからかもしれない。一緒に夕食を食べたり、泊まっていくことも少なくなかった。
家族の一員みたいなものだった。
だけど、その終わりは唐突に訪れた。
この世から、七海が消えた。
その日を境に、俺をとりまく環境は一変した。
思い出の場所も、家族も、全てが変わった。そして、俺自身も。
七海と共有していくはずだった時間も、思い出も、虚となって俺の心に大きな穴を開けた。それは今だに埋まることなく、俺の心を支配し続けている。
それでも、まだマシになった方だと思う。あいつが死んでからの数ヶ月は、本当に生きながらにして死んでいるような状態だった。
ただ、呼吸をし、血液を循環させ、心臓を動かす。ただ、それだけのモノだった。
そして、そのせいで俺は……。
「……やめよう」
朝から嫌なことを思い出してしまった。
写真立てを机に戻し、背を向ける。少し気分が悪い。今日はもう朝食を食わないでさっさと学校に行こう。
くらくらする頭を手で押さえながら、俺はのそのそと学校に行く準備を始めた。
制服に着替えて部屋を出る。
均等に並んだ三つの窓から陽光が射し、廊下を照らしている。それを踏まないように避けながら、右手にある階段へと向かった。
この家は二階建てだ。一階がリビングダイニングと和室、トイレやバスルームとか。二階は各個室が設置されている。
まぁ、家族全員が利用するような所が一階で個人スペースが二階と考えればいいだろう。ちなみに、俺の部屋は二階にある三つの個室の内の一つ、階段から一番近い場所にある。
光の差さない少し薄暗い階段を下りる。その先は玄関だ。朝食を摂るつもりはなかったので、そのまま学校に向かおうと思っていた。
しかし、
「……」
その玄関に先客がいた。
長い黒髪を左右に揺らしながら、学校指定のローファーに足を通しているところだった。
俺の気配に気付いたのか、ゆっくりとこちらに振り返る。
艶のある黒髪の隙間から覗くくりっとした愛らしい目。その両眼が俺を捉える。
その瞬間、彼女の表情が嫌悪に染まった。
――なんで、私の前に姿を見せるんですか
そう、訴えかけてくるような視線。自分の視界に入ることを許さない。そんな嫌悪感の塊のような視線をじっと俺に向けていた。
「……おはよう、天璃」
それでも、一応声だけはかける。
だが、天璃はそれに返事をすることはなく、俺から視線を外すと、そのままドアを開けて出て行ってしまった。
「……はぁ」
彼女が家を出てしばらくして、俺はようやく大きなため息を一つ吐きだした。
これも、俺の中で変わった環境の一つだった。
七海の死後、両親が孤児院から引き取って来た養子。それが彼女――天璃だ。歳は俺より一つ下。つまり、俺の義妹に当たる。
しかし、
「兄妹の仲じゃないよな、こんなじゃ」
これが兄と妹の会話なはずがない。唯一の家族同士で交わされる会話なわけがない。だが、俺達はもう何年もこんな生活を送り続けてきた。
今みたいな必要最低限の会話だってまともに出来やしない。
それだけ、俺達の関係は壊れていた。
いや、違うな。俺達だけじゃない。
家族そのものがもう、壊れてしまっていたんだ。
家のドアを開けるとむわっとした重い空気と熱が身体を包んだ。道に出る頃には額にじわりと汗が滲んでいる。俺が汗っかきなせいもあるだろうけど、七月の初めにこの暑さは正直どうかと思う。
「当たり前のように三十度を超えてるからなぁ……」
連日のように気温が上がっていく。このまま、八月を迎えてしまったら身体が溶けてしまいそうだ。
「まぁ、そんなわけないけど……」
独り言を呟きながら住宅街を歩いていく。いつもは静かな住宅街も、この時間帯だけは例外だ。仕事や学校に向かう人影に隠れながら、その波に逆らうことなく流れていく。
しばらく歩くと、大きな十字路に差し掛かる。そこを左に曲がると、見慣れた山が道路の奥から顔を出した。
天文山。その頂上付近には白い半円のドームが見える。あれが、星美天文台。この町の名所であり、あの山が天文山と呼ばれる所以となった建物だ。あの天文台のおかげでこの町は活性化し、減少傾向にあったこの町にも少しずつ人が戻ってくるようになった。
今では、あの周辺にちょっとしたモールが作られたり、山を登りやすいようにエスカレーターやエレベーターが設けられたりと、この五年間でかなりの発展を遂げている。
しかし、その一方で失ってしまったものもある。
「あの工事が無ければ、湖の水は枯れなかったんだろうな」
四年ほど前だっただろうか。秘密基地にあった大きな湖に湧いていた水が消えた。今では、大きな穴がぽっかりと開いているだけ。
驚いた俺はすぐに原因を調べた。その結果、山の開発工事の最中に水脈を切ってしまったのでは、という答えに辿り着いた。
その時の喪失感と言ったらなかった。大切な思い出を根こそぎ奪われたような気分だった。
時というのがいかに残酷なものなのか、嫌というほど思い知らされた。思い出はそこに留まるだけ。だが、俺達は歩いていかなくてはいけない。その手がいつまでも思い出に伸びていることはないのだ。
「だから、俺は前に進めないんだろうな……」
進まなければ手が離れることはない。
だけど。
俺はいつまで、そうやって思い出にしがみついているつもりなんだ?
天文山の手前に星斗学園はある。
他の生徒達と同じように校門をくぐり、昇降口へ向かう。
昇降口に入った瞬間、涼しい風が身体を包み込んだ。裏口に続くもう一つの入り口からこちらに向かって風が吹き抜けているためだ。そのおかげで昇降口は少しひんやりとしていた。
下駄箱から上履きを取り出し、履き替える。俺達の学年は二階にある。一年が一階、二年が二階、そして三年が三階だ。大変わかりやすくてよろしい。さっさと、教室に行ってぼーっとしていよう。そう思いながら廊下を進もうと足を上げた瞬間だった。
「先輩」
後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。いや、それだけじゃ俺を呼んでいるとは限らない。もしかしたら、別の人を呼んでいるのかも――
「先輩!」
「はぁ……っ」
さらに声の距離が近くなり、今度は制服の端を掴まれた。こうなっては無視も出来ない。
「……なんだよ、もう」
仕方なく振り向く。最初に目に入ったのは触角だった。元気よく伸びたそれが、校舎を吹き抜ける風でゆらゆらと揺れた。
「どこ見てるんですか。下ですよ、下」
視線を下ろすと、その触角の持ち主が腰に両手を当てながら、呆れたような顏でこちらを見上げていた。
「ちょっと、お話があるんですが」
「俺にはないし、早くしないと予鈴が鳴るぞ」
なるべく、天璃と出会わないように時間をずらして家を出たらいつもより二十分も着くのが遅れてしまった。あと十分もすれば予鈴が鳴ってしまうだろう。
しかし、そんなの構うものかと、触角少女――鮎川ひよりは制服の端をぐいぐいと引っ張る。
これを無視する手もあるが、それはそれで後が面倒だ。仕方なく、俺は鮎川のあとを着いていく。先ほど入った昇降口を出て、左にある校庭の方へ向かう。そこをさらに左に曲がると人気の少ない場所に出る。
言うなれば、校舎裏だ。
そこで足を止めた鮎川は振り返って腕を組む。その表情はさっきから変わってない。呆れた様子で俺の顏をじっと見続けている。
だが、圧迫感はない。多分、鮎川の身長のせいで。
彼女はとんでもなく背が低い。本屋とか図書室とかで、棚の上の方にある本が取れない人間だ。
きっと、俺の知らないところでいろんな不自由を強いられてるに違いない。
「それで、何の用だよ」
「そんなこと聞かなくても先輩ならお分かりでしょう?」
「わかんねぇよ。だって、ほとんど毎日のように呼び出されてるんだぜ?」
「それは、先輩が天璃ちゃんを怒らせるようなことばかりするからじゃないですか……」
やっぱり、天璃か。
ここに呼び出される理由のほとんどがその話題だった。仮に別の話題だったとしても、最終的には天璃の話題にシフトしていたりする。
「今日も機嫌が悪そうだったか?」
「じゃなかったら、ここに呼び出したりなんかしませんよ……」
はぁ、と大きくため息を零す。
「今日は何があったんだよ」
「それを知りたいからこうして呼び出したんだって、そろそろ気付いてください」
「お前さ、文句を言いに来るならもう少し情報を集めてからにしろよ。天璃に聞いてみるとかいろいろあるだろ」
「そんなの、天璃ちゃんが教えてくれるわけないじゃないですか」
「それは胸を張って言えるようなことなのか?」
というか、あいつが話していないのなら、俺が話す必要もないと思うのだが……。でも多分、それでは鮎川は納得しないだろう。聞き出すためなら平気で授業をサボるようなこともしてしまいそうだ。
「……別に、なんもしてないよ。ただ、たまたま玄関で鉢合わせしたから、挨拶しただけだ」
「原因はそれですかね」
「俺は挨拶しただけだぞ? それがなんで原因になる」
そう言うと、鮎川は「そうですねぇ」と、口元に指を当てて答える。
「それが普通の関係ならいいですよ。同じクラスメイトとか、ちょっとした知り合いとか。でも、少なくとも先輩は違うでしょう?」
「それは……」
何も言い返せなかった。
理不尽ではある。だが、鮎川の言っていることは概ね正しい。
俺と天璃の関係は普通じゃない。一般的な『嫌いあう関係』では説明しきれないのだ。
多分、鮎川が思っているよりもずっとずっと、俺と天璃の溝は深い。
それだけのことを、俺はあいつにしてきたのだ。
「先輩?」
「……あぁ、聞いてるよ」
「……先輩の気持ちもわかりますけど、天璃ちゃんも辛いのだと思うんです。ですから、もう少しあの子のことも見てあげてはくれませんか?」
「わかったよ」
「よろしくお願いしますね」
鮎川はぺこりと頭を下げると、俺の横を通り過ぎ、元来た道へと戻っていった。
「はぁ……」
角を曲がり、彼女の姿が見えなくなったところで、俺は大きくため息を吐く。
鮎川の言葉はいつもストレートに俺の心に伝わる。それは俺自身もそう思っているからというのもあるかもしれない。
だが、それだけじゃない。それ以上に、鮎川が本気で天璃のことを心配しているからだ。
心配しているからこそ、鮎川の言葉は俺に伝わる。ナイフのように鋭く。
「見てあげてください、か」
さっきの鮎川の言葉が脳裏で何度も再生される。
でも、挨拶することも許されない。俺と天璃の仲は、もうそれほどまでに終わっているのに、一体何を見ればいいのだろうか。
「……行くか」
結局、答えなど出るわけもなく、俺は肩にかけた鞄をかけ直して自分の教室へと向かうのだった。
「おい、小名木」
昼休み。人と会う約束があった俺は急いで教室を出たのだが、そこで担任の鈴原先生に呼び止められてしまった。
「なんでしょうか」
「一年の小名木天璃って、お前の妹だったよな」
「……はい、そうですけど」
その時点で嫌な予感がしていた。なんでもいいから理由をつけて、この場から逃げ出してしまいたい。
しかし、そんな案を咄嗟に思いつくこともできない。
「悪いんだが、このプリントを彼女に届けてくれないか?」
そう言って一枚のプリントを俺の前に差し出した。
「屋台のスケジュール表、ですか?」
「あぁ、明日の七夕祭りでうちも屋台を出すからな。お前も知ってるだろ?」
そういえば、四月の初めにそんなことを決めていた気がする。
各学年から数人、七夕祭りの実行委員を決め、屋台を運営するチームを作るのだ。基本的に立候補制ではあるが、人数が足りない場合は先生から声を掛けられることもある。
あいつが自ら立候補する姿はどうやっても想像できない。多分、先生に言われてしぶしぶ了承したのだろう。
「一人だけ、どうしても参加できない生徒が出てしまってな。急遽スケジュールを作りかえることになってしまったんだ。他のやつには渡したんだが、彼女だけどうしても捕まらなくてな。そのことも伝えておいてくれないか」
いや、俺は……。
断ろうと口を開く。
「わかりました」
しかし、出てきた言葉はそれとはまるっきり逆のものだった。
先生は「助かったよ」と俺にプリントを渡すと、足早にその場を去って行った。
「……なにやってんだ、俺は」
渡されたプリントに向かって大きくため息を吐く。
今朝、鮎川にもっと気遣ってやれと言われたばかりじゃないか。それなのに、こんなもの受け取って。今の天璃に声をかけることなんてできるはずがないのに。
はぁ。
また、ため息。
まぁでも、これを渡さないわけにはいかないか。
「行くか」
止まっていた足を動かして階段を降りる。昼休みのこの時間は階段も混雑する。特に一階のフロアは食堂に続いていることもあってか、人の出入りが激しい。その波に揺られながら、俺は食堂とは反対の廊下へと進んでいく。そこを左に曲がると一年のクラスが並ぶ廊下へと辿り着く。
天璃のクラスは確か二つ目、「1-2」だったはずだ。
もしも、中に鮎川がいたら、彼女に渡してしまおう。
天璃に気付かれないように、顔を半分だけ出して中の様子を窺う。後ろから「あの人なに?」「え、なにあれ」みたいな言葉が聞こえるけど、スルーする。今はそれよりも優先しなければならないことがあるのだ。
中には半分も生徒がいなかった。みんな食堂で食べているか、購買で熱い戦いを繰り広げているのだろう。
「……いたか」
教室の最奥列の真ん中辺りで天璃の姿を確認した。近くのコンビニで買って来たのか、ガサガサと音を立てながらビニール袋からパンを二つ取り出していた。
天璃の回りには何人かの女生徒が座っていて、楽しく談笑しているところだった。
天璃も、笑っていた。
「……あいつ、あんなふうに笑うんだな」
笑いながらパンに齧りついている天璃を見て、俺は心から安堵した。
家では……いや、俺の前では絶対に見せない表情。正直、心配だったのだ。俺がいないところで、彼女は一体どんな顔をしているのか。
そのことを鮎川に聞こうか何度も悩んだ。
しかし、言えなかった。
怖かった。もしも、彼女が笑えないまま過ごしていたら。そう思うたびに、俺の心臓は何かに鷲掴みされているかのように息苦しくなった。
だが、それはどうやら杞憂だったようだ。
しかし……。
「……」
その幸運はきっと長くは続かない。だって、俺は今からあそこに行って、このプリントを渡さなければならないのだから。
そうだ。俺はまた、天璃の領域に足を踏み入れる。彼女が決して立ち入ることを許さない境界線の向こう側に。
大きく深呼吸をする。身体の中にある空気を全て吐き出し、新鮮な空気を取り入れるかのように、ゆっくりと、一呼吸。
その間に、覚悟を決める。
「よし」
行くか。
「天璃」
「……っ!」
ドアの前に姿を晒し、俺は彼女の名を呼んだ。瞬間、天璃はびくっと身体を震わせ、反射的にこちらを向こうとする。しかし、その動きを天璃は無理矢理、制した。
振り向こうとしていた姿勢も正し、何事もなかったかのように、パンを一齧りした。
「天璃」
もう一度、彼女に向かって声を掛ける。
しかし、彼女は動かない。頑なに、俺の存在は自分の視界から排除しようとしていた。
そんな俺達のやり取りに、天璃の周りにいたクラスメイト達がざわつき始める。
「……小名木さん、呼ばれてるよ?」「え、あの人だれ?」「元カレとか……?」
口々に憶測が飛び交う。しかし、その中に『兄』という単語が一度だって出ることはなかった。
話してないんだな、他のやつには。
「……」
友人に肩を叩かれても天璃は微動だにしない。その異常性に何かを感じ取ったのか、俺を見る女生徒達の目が変わった。
敵意。
あの人が、天璃ちゃんに何かしたんだ……。あの人が、天璃ちゃんを不幸にしているんだ。
口に出さなくても空気でわかった。それは、あのグループだけじゃない。他の席で食事をしている別グループからも似たような空気を感じた。視線が俺に集中する。
じわり。
首筋に嫌な汗をかく。無言の圧力。実際、俺の心はその視線に押し潰されてしまいそうだった。
このまま、ここにいたら頭がおかしくなってしまいそうだ。もう、天璃のことを待ってはいられない。
一年の教室に足を踏み入れる。瞬間、クラス内の生徒が驚いたようにざわつき始める。
出来ることなら、ここには入りたくなかった。精神的にも、物理的にも、天璃の領域に足跡をつけることになると思ったから。
「……なんの御用ですか?」
髪をゆるくおさげにした女の子が天璃をかばうようにして俺の前に立った。さっきまで、天璃の隣でボソボソと呟いていた子だ。その後ろでは、彼女のことを心配そうに見つめる数人の生徒。しかし、天璃だけはやはり、こちらを見ようともしない。
「これを渡しに来ただけだよ」
「これ、は?」
「明日の七夕祭りのスケジュール表。一人抜けて時間が変わったからって先生に頼まれたんだ」
「え、あの……」
まさか、先生の頼みごとだとは思わなかったのだろう、彼女は目をぱちくりとさせながら俺とプリントを交互に見ては「え? え?」と、状況の把握に努めようとしていた。
「じゃ、そういうわけだから。これ、天璃に渡しておいてくれ」
彼女が状況を飲み込めるようになるまで待っている必要もない。目的は果たした。これ以上、ここにいて無駄に天璃を刺激することもないだろう。
戸惑う声を上げる彼女達に背を向ける。その時、一瞬天璃がこちらを見ていたような気がした。だが、俺はそれを確認することをせずに、少し早足で教室を後にした。