エピローグ ~あの日のクイズの答えは~
秘密基地に向かうため、俺達は手を繋いで森の中を歩いていく。夏の虫の声やふくろうの声が不気味に響き渡る。
「ねぇ、お兄ちゃんっていつもここを一人で歩いてたの?」
はぐれないように俺の手をぎゅっと強く握った天璃が、逃げ腰になりながらそう言った。
「そうだけど」
「怖くないの? なんかよくわかんない声とかそこらから聞こえてくるんだけど……」
「最初は怖かったけど、もう慣れたよ」
「慣れるものなの……?」
「慣れるよ」
それに、あの時は七海のことを考えているばかりで、そんなことを考えている余裕もなかったし。
「私は一生、慣れそうにもないなぁ……」
「その時は俺も一緒に行くよ」
「お兄ちゃん……。ありがと」
ぎゅっと、少しだけ天璃が握る手に力を込めた。それだけで天璃の暖かさが俺の手に伝わり、そこにいるのだと教えてくれる。
「ねぇ、お兄ちゃん。願いの力、大丈夫?」
天璃が心配そうな顔でこっちを見た。
「大丈夫だよ」
天璃に心配をかけないよう、俺は笑顔で返事をする。
天璃の願いはまだ終わっていない。一度、天璃のことを思い出した俺にさえも、願いは再び牙を向けて襲いかかってきた。
今でも、気を抜くとそのまま天璃の存在を忘れてしまいそうになるくらいだ。
だから、こうして天璃に俺の手を握ってもらっている。もう二度と、天璃のことを忘れることのないように。
「なぁ、天璃。これが終わったら、どっかに行こうぜ」
「どっか?」
「そう、どっか遠いところに旅行に行こう。もうすぐ夏休みだしさ」
「お兄ちゃん……」
「いろんなことをしよう。今まで出来なかった分を取り返す為に、いろんな思い出を作ろう」
「うんっ!」
目の端に涙を浮かべて、天璃は大きく頷いた。
その為にも、天璃の願いをここで立ち切らなくてはならない。
くらくらする頭を押さえながら、光を目指して夜の森を掻き進む。
しばらくすると、頭上を覆っていた木々の枝が少なくなっていくのを感じた。隠れていた月も顔を出し、俺達の身体をぼんやりと照らした。
「着いたか」
森の終わりが見え、俺達は駆け出す。
「やっぱり、ここは綺麗だね……」
森を飛び出した天璃は夜空を見上げながら、感嘆の声を上げた。
「そうだな」
あの時と変わらない満天の星空。俺達の関係が変わっても、この星空だけは変わらない。多分、それはきっとこれからも。
「あれ?」
そんなことを考えていた時だった。隣にいた天璃が変な声を上げて握っている手を軽く引っ張った。
「どうした?」
「お兄ちゃん、あそこに誰かいる」
天璃が指差したところ。ちょうど、湖のある場所に誰かが佇んでいるのが見えた。
「なんで、こんなところに人が?」
「というか、ここってお兄ちゃん達以外に知ってる人がいないんじゃなかったの?」
その通りだ。ここは俺と七海しか知らない秘密基地。他の人が入ってくることなんて……。
その時だった。
湖の方を向いていたその人影がこちらに気付いたのか、ゆっくりとこちらを振り向いた。
白いスカートが風ではためき、白い髪も同じように揺らめいた。
「ねぇ、お兄ちゃん。あの人、こっちに歩いてくるよ……?」
怯えた様子で天璃が向こうを小さく指差す。握っている手が少しだけ汗ばんでいた。
だが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。
「……どうして」
もしかしたら、そんなことがあるのかもしれないとは思っていた。天璃の願いが叶った時から、そうあればいいと考えていた。
しかし、いくら待ってもその時は来ない。
きっと、失敗したのだ。ずっと、そう思っていた。
しかし。
「俺の願いも、叶ってたんだな……」
「久しぶりだね、陽人」
俺の前にまで来た白い少女はそうやって微笑んだ。あの時のように。
「そっちもな、七海」
「え、七海さん?」
驚いた表情で七海を見る天璃に彼女は口元を隠しながら微笑んだ。
「初めまして。あなたが天璃ちゃん?」
「え、あ、はい。そうですけど……。どうして、私の名前を?」
「君の部屋に絵を置いたの、私なのよ」
「あれ、お前がやったことなのか?」
「そうよ。大変だったんだからね、誰にも気付かれないように絵を持ってくるの」
って、言っても、私の姿が見える人はほとんどいなかったし、気付かれる心配はなかったんだけどね、と七海は笑う。
「あ、あの。一つ質問してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「お兄ちゃんの話の通りなら、七海さんが亡くなったのって小学生の時ですよね? でも、今の七海さんは……」
それは、俺も気になっていた。
今の七海はまるで、俺達と同じ時間を過ごして来たかのように成長を遂げていた。身長だって、俺と対して変わらない。
それに、口調もあの頃と比べてだいぶ大人びているように感じられた。
「あー、それは多分、陽人の願いのせいかもね」
「俺の?」
「そう。陽人のもう一度逢いたいって願いが、当時の私じゃなくて、陽人と一緒に過ごしてた時の自分って解釈しちゃったんじゃないかな。実際、陽人は私と一緒に過ごしていたかったとか思ったと思うし」
確かに、俺は七海と過ごせたかもしれない未来を想いながら願いを掛けた。そうか。そのせいで。
「私、あのまま過ごしてればこんな美人になってたのね」
「ほんとにな」
「ねぇ、もしこのまま成長してたら、惚れてた?」
「かもな」
「はは、そっか……」
そう言って笑った七海は何故か急に眉尻を下げ、小さく「ごめんね」と呟いた。
「なんだよ、突然」
「私のせいで、こんなことになっちゃって……。あの時、私があんなことを言わなければ、あなたを不幸な目に遭わせることもなかったのに」
「そんなことないよ、七海」
「え……」
「あの願いがあったから、俺と天璃はこうして本当の家族になれたんだ」
そう。そのことが無ければきっと、俺達はこうしてここにはいない。これ以上傷付くことを恐れ、お互いに背を向けたまま暮らしていたに違いない。
だが、七海はその肩を叩き振り向かせてくれた。もう一度、面と向かって話せるきっかけを作ってくれたのだ。
「だから、お前を恨んでなんかいない。むしろ、感謝しているくらいだよ」
「……天璃ちゃんはどうなの?」
「私、ですか?」
「私の代わりにこの家に呼ばれ、いろいろと不幸な目に遭ったんでしょ? 私のこと、恨んでないの?」
「私は……」
ちら、と俺の顔を見る。ここで言っていいのかどうか、そんな不安を感じさせるような目。
そんな彼女に、俺はこくりと頷いた。
「……恨んでいないと言えば、嘘になるかもしれません」
天璃は静かに答える。
「私は、七海さんの代わりとして家に呼ばれ、あんな目に遭ってしまいました。その過去を拭い去ることは出来ないし、忘れることも出来ません」
「……」
七海の代わりと呼ばれ、そして捨てられた少女。その裏切りの傷は多分、天璃以外の人間には理解出来ないだろう。それくらいに、深い傷なのだ。
しかし、
「でも、私はそのおかげで本物の家族を得ることが出来ました。多分、普通に生きているだけでは手に入らないくらいに大事な家族が」
そう言って、天璃は俺の腕にぎゅっと抱きついた。
「この人は私のことを探し出してくれました。みんなが忘れ、本当の意味で一人ぼっちの私を見つけ出して手を差し伸べてくれたんです」
「天璃……」
「だから、私も気持ちはお兄ちゃんと同じです。あなたがいなかったら、私はこんな素敵な家族に出会うことなんてなかったと思うから」
そうか。
それが、今のお前の本当の気持ちなんだな……。
「陽人、ちょっと泣きそうになってない?」
「……なってねぇよ、バカ」
「よかったね、陽人。私もそんな幸せそうな顔が見れてよかった」
「泣きそうな顔してんの、そっちじゃねぇか」
「そりゃそうよ。だって、毎年陽人がここに来て話してくれたの知ってるもの」
「え?」
「ちゃんと届いてた。陽人の言葉。だから、ずっと心配してたの。私のせいで陽人を困らせてたんだって、ずっと後悔してた」
でもね、と七海は続ける。
「今は、そんなこと思ってない。陽人の願いも、天璃ちゃんの願いも、きっと叶ってるって思うから。それに、それは私の願いでもあったしね」
「……どういうことだ?」
「んー、わかんないか」
すると、七海はくるりと後ろを向いて夜空を見上げ、思い切り両腕を真横に突き出した。
「それじゃ、一つだけヒント! それはきっと、私の努力次第でどうとでもなる願いなのです」
「それって」
あの日。七海と最後に行った秘密基地で彼女が言った言葉。彼女の願いが気になった俺に出した、永遠に解けることのないと思われた七海のクイズ。
「その答えはね、すごく簡単なんだ。私が願ったのはね」
もう一度、くるりと振り向いて俺を見る。
七海は笑っていた。目尻から一筋の涙を流しながら。
「陽人の幸せだよ」
「俺の……?」
そうだよ、と七海は言う。
「ずっと、陽人が幸せでいられればいいなって思ってた。それだけで、私も幸せだったから。だからね、私は今、すごく嬉しいんだ。時間は掛かったけど、私の願いはちゃんと叶ったんだもの」
「本当に長い時間だったな……」
「うん、本当に。でも、陽人はこれからそんな時間さえも短いと思えるくらいに幸せを感じながら生きていかなくちゃならないのよ? 天璃ちゃんと一緒に」
「わかってる」
ここから始まるのだ。俺と天璃はようやくスタートラインに立った。やっと、一歩を踏み出せる。
その最初の作業がこれなんだ。
だから……。
「そろそろ、本当にお別れしないといけないみたいだね。陽人」
「ああ」
やっぱり、七海も気付いてる。いや、同じことを考えてたのか。
「過去は持っていくものじゃない。そこに置いて後ろから眺めるものだものね。よかったよ、陽人が私を連れ戻すなんて言わなくて」
「そんなこと言うものかよ」
それを言ってしまえば、今までの天璃へ向けた言葉が嘘になる。天璃が前に進もうとしているのだ。そこに俺がいてやらないでどうする。
「やっぱり、陽人は陽人だね」
「お前も、姿は変わってもやっぱり七海だよ」
「ふふ、それじゃ行こうか」
三人で湖の淵まで移動する。
「ほら、天璃。これを」
ポケットから短冊を二枚取り出し、その片方を天璃に渡す。
「まさか、予備の分で貰っておいた短冊がこんな形で役に立つなんてな」
さすがにペンまで二本持って来てはいないので、先に天璃に願いを書かせ、その後に俺が願いを書く。
その短冊の願いはお互いに『今、叶っている願いの破棄』だった。
あとは、これを流せば全て終わる。
淵にしゃがみこみ、短冊を水面に浮かせようと手を伸ばす。
しかし、
「待って!」
天璃がその腕を掴んで無理矢理に引き上げさせた。
「天璃……?」
「ねぇ、お兄ちゃん、本当にいいの? 七海さんにようやく会えたんだよ? なのに、このままお別れして、本当にいいの?」
「いいんだよ」
天璃の手に重ねるように、俺の手を置く。
「七海の言った通りだ。過去は一緒に持っていけない。持って行くには過去は重すぎるんだよ」
過去に生きた人間と、今を生きる人間が交わることは決してない。
だから、これでいい。今、こうして七海に会えて、話が出来て、お互いに幸せだと感じることが出来たのなら、それで。
「だから、天璃が心配する必要はなに一つないんだ」
そう言いながら、ゆっくりと天璃の手を剥がす。彼女は顔こそ俯いていたが、何の抵抗もしなかった。
「それじゃ、流すぞ。天璃」
「……うん」
二人一緒に、短冊を浮かべる。夜空の星が映り込んだ、星の湖に。
浮かんだ二つの短冊は、まるで吸い込まれるように天の川へと進んでいく。もしかしたら、失敗するかもしれない。ここに来る前はそんな不安もあった。
しかし、今はそんな不安はどこにもない。必ず成功する。そんな確信が心のどこかにあった。
「ありがとう、陽人」
後ろから俺達の様子を見守っていた七海がそう言って俺の肩に手を置く。俺もその手を掴み、七海の方を振り向いた。
だが、そこにいた七海はもう、さっきまでの七海ではなくなっていた。
「七海、お前……」
「もうすぐ、本当にさよならだね」
彼女の身体は、まるで空気に溶けるかのように薄くなっていた。彼女の声もさっきまでハッキリと聞こえていたのに、少しずつ小さくなっていくのを感じる。まるで、俺と七海の間に見えない壁が一枚、隔てられているかのようだ。
「七海さん!」
我慢出来なくなった天璃が弾けるように飛び出し、七海の腕を掴む。
しかし、
「きゃっ……」
天璃の身体は七海をすり抜け、そのまま地面へと転がってしまった。
もう、ここに存在していることすらギリギリなのだ。
後ろを向くと、短冊が淡い光を発しながら湖の向こう岸に辿り着こうとしているところだった。
「陽人、絶対に幸せになりなよ。そうじゃないと、こっちに来た時に許さないんだから」
「縁起でもないこと言うなよな」
「ふふ、ごめんごめん」
くすくすと七海は笑う。その声さえも、だんだんと小さくなっていく。多分、これが最後の会話。遠くなる七海の声を逃さぬように、必死に耳を傾ける。
「……それじゃ、そろそろいくね」
「ああ、あっちでも元気でな」
「あっちの世界に元気も何もないよ」
「それもそうだな」
「ほんと、最後まで適当なんだから……」
そう言って、七海は背を向けて俺達から離れる。
「七海?」
「ほら、陽人。私は今、背を向けてる。だから、泣いていいんだよ。そんな、無理して我慢する必要、ないんだよ」
「……っ」
瞬間、身体の中に閉じ込めていた激情が溢れ出してくるのを感じた。胸が苦しくなる。身体が震える。止めなくてはならないのに、目から涙が溢れて止まらない。
「なな、み……っ」
このまま、別れていいなんて嘘だ。ようやく会えたんだ。俺の願いが叶ったんだ。このまま、湖に飛び込んで俺の短冊を破り捨ててしまいたかった。
ずっと、ここにいて欲しい。消えて欲しくない。
だけど……。
それを、七海は望んでいないから。
だから、俺はその言葉を隠す。彼女のことが大切だからこそ。
「ありがとう、陽人……」
七海の姿はほとんど見えない。風景と同化して空気と混ざって、消えていく。
もう、本当に。本当に、さよならなんだな、七海。
「本当にありがとう、陽人。たった少しの間だったけど、あなたに会えて、あなたと話せてよかった」
足の先から少しずつ消えていく。最初からそこにいなかったかのように、全てが夢だったかのように。
「七海!」
思わず叫ぶ。だけど、七海は振り返らなかった。
「さよなら」
――大好きだったよ、陽人。
びゅう、と風が吹いた。
「……お兄ちゃん」
もう、この場には俺と天璃しかいない。七海は、消えた。遠い遠い世界に旅立っていった。
後ろを振り向く。湖の向こう岸には二つの短冊がゆっくりと底に沈んでいくのが見えた。
「あいつ、消える瞬間にそんなこと言われたら、返事も出来ないじゃないか」
まったく、学習しないやつだな。
苦笑いを浮かべて、俺は空を見上げる。
無限に広がる星空はやっぱり、あの頃とちっとも変らない。
この星空のどこかで、七海はまだ見ているのだろうか。もしも見ているのなら、まだ、この言葉は届くだろうか。
いや、きっと届く。俺の願いが届いたように。この言葉もきっと。
「俺も、大好きだったよ、七海」
その言葉を届けてくれるかのように、星空が一つ、きらりと流れた。




