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7月8日 ~最後の晩餐~

「ただいま」


 家に帰ると、良い匂いが鼻孔をかすめた。どうやら、天璃が料理を作っているらしい。


 今日は大丈夫だったのだろうか。気になってリビングに向かおうとする。しかし、


「やめとくか」


 ドアの取っ手を掴もうとした手を止めて、俺は二階へと向かう。今は、あまり余計なことを言いたくなかった。どうせ、この後に天璃のことについて話さなくちゃならないことがたくさんあるのだ。せめて、普通に話が出来るようにはしておきたい。


 それにしても、だ。


 ポケットからスマホを取り出し、ボタンを押す。そこには時間を表示するロック画面だけが映し出されていた。


 あの後、鮎川からは結局なんの連絡も来なかった。


 何かあったら連絡してくれと言っておいたはずなんだけど。


「問題なかったってことなのか?」


 あいつが天璃のことに関して、適当な対応をするとは思えないし。


「とりあえず、こっちからは連絡入れておくか」


 メールソフトを開いて鮎川にメールを送る。秘密基地の湖に天璃の短冊があったこと。そして、あのおまじないは本物だったということ。


 無事、送信が完了したのを確認してから、スマホをベッドに放り投げる。


 と、その時。


 コンコンと、誰かがドアをノックした音が聞こえて来た。いや、この家にはそもそも俺と天璃しかいないわけだから、そもそも誰かという訳がない。


「……天璃か?」


 ドア越しに呼び掛けると、数秒遅れて「うん」と天璃の声が返って来た。


「まじか」


 まさか、天璃の方から俺に話しかけてくるなんて夢にも思わなかった。こっちからどうやって話しかけるかどうか悩んでいたくらいなのに。


 というか、ちょっと待て。これは、もの凄いチャンスなんじゃないのか?


 今なら自然に、天璃と話すことが出来るんじゃないか?


「ドア、開いてるぞ」


 緊張で身体が震えてしまいそうだったが、それを押しとどめ、俺は天璃を呼ぶ。それからきっかり一分が経ってから、ゆっくりとドアが開き、そこからエプロン姿の天璃が少し俯きながら部屋の中に入って来た。


「どうした?」


 まずは、天璃の話を聞こう。そう思って声を掛けるが、天璃はなかなか喋り出さない。しかし、早く答えろと急かすわけにもいかない。


 ただ、じっと待って天璃の答えを待つ。


 それから、やっぱり一分経ってから、天璃は小さな声で。


「ご飯、作ったの」


 そう、言ったのだった。








「……」


 無言の時間が流れる。俺も天璃も目を合わせることなく、ただ自分のテーブルに並ぶ夕飯のメニューをじっと見つめていた。


 白米に味噌汁、それとこれはアジの開きだろうか。小鉢には冷ややっこも置かれている。


 これが鮎川とか篠田先輩とかなら「朝の朝食かよ」とツッコミを入れるところなのだが。


「これ全部、天璃が作ったのか?」


「うん」


 少しだけこっちを見て、そしてまた視線をテーブルへと戻す。


 気まずい。気まずくて仕方がない。


「とりあえず、飯食うか」


「うん」


 箸で味噌汁を掻き混ぜながら、口の中に流し込む。母さんが作っていたものとも、篠田先輩が作ってくれたものとも違う、天璃の作った味噌汁の味がした。


 とても、あたたかい。


「どう?」


 恐る恐るといった様子で天璃が聞いてくる。


「うん、美味いよ」


「ほんとに?」


「ほんとに」


 大きく何度も頷きながらそう答えると、天璃は満点の笑顔を浮かべて、


「よかった」


 と、呟いた。


「……っ」


 その顔を見た途端、俺は報われたような気がした。今、俺達は初めて家族になった。そんな気がしたのだ。形だけじゃない。冷たくない。天璃が望んだ、本物の家族になったのだ。


 天璃が作った食事。天璃の笑顔。それらを見るだけで、俺の中に空いていた穴が少しだけ埋まったような、そんな気がした。


「泣いてるの?」


「え?」


 天璃に言われ、自分の頬を触る。暖かい水滴が、頬を伝っているのを感じた。


 そうか、泣いているのか、俺は。


 それを意識した途端、目から次々と涙が溢れ、零れていった。拭っても拭っても止まらない。


「だ、だいじょうぶ?」


 そう言いながら、おろおろとしている天璃も涙で滲んでよく見えなかった。


「あぁ、大丈夫。嬉しかったんだ、こんな風に当たり前の時間が過ごせて」


「お兄ちゃん」


 天璃が驚いた顔をする。だけど、それも一瞬のことで、すぐに笑顔を浮かべると、


「私も、すごく嬉しいよ」


 そう言ったのだった。









「悪いな、飯冷めちまって」


 夕食の後片付けをしながら、リビングでくつろいでいる天璃に話しかける。


 結局、あれから二十分もの間、涙が止まることはなく、落ち着いて食事を始める頃にはすっかり食事が冷めてしまっていた。


「ううん、大丈夫」


 ソファーの背もたれに両肘をかけ、俺の様子を眺めながら天璃はころころと笑った。


「お兄ちゃんが泣いてるところ、初めて見た」


「だろうな」


 俺自身、最後に泣いたのがいつだったか忘れてしまったくらいだし。


「お兄ちゃんってすごい静かに泣くんだね」


「……恥ずかしいから、あんまり言わないでくれ」


「ふふ」


「なんだよ」


「ううん、幸せだなぁと思って」


 洗い物を済ませた俺は天璃の座っているソファーへと向かう。体勢を戻した天璃はぽんぽんと自分の隣のスペースを叩くので、そこに座った。


「私、ずっとこういうのに憧れてたの。普通の家族を一度でいいから味わってみたかった」


 知ってる、とは言わなかった。


「もう叶わないと思ってたのにな。今、こうして当たり前のように話すことだって無いだろうなって思ってたし」


「俺もだよ」


 天璃は、「だよね」と苦笑した。


「でも、簡単なことだったんだよ。こっちから歩み寄ればよかったんだ。たった一回、拒絶されたくらいでへこたれないで、もう少し進んでいれば」


 そうすれば、きっと全て上手くいった。少なくとも、あんな関係になることは絶対になかったはずだ。

 そうか、天璃も同じようなことを考えていたのか。


「もっと早くこうしていればよかったのに。そうしたら、きっと……」


 その瞬間、天璃の表情が変わった。笑顔だったそれに悲哀が混ざったような、決して幸せな人がするようなものではない、表情に。


「天璃?」


 嫌な予感がした。ここから先を言わせてはいけないと、感覚が告げていた。


 しかし、天璃は告げる。





「こうやって、消えることもなかったかもしれないのにね」





 彼女自身が願った本音を。


「あんまり驚かないね。やっぱり知ってた? 私がみんなの記憶から少しずつ消えていってること」


「ああ」


 そう頷くと、天璃は「ふふっ」と自嘲気味に笑った。


「そっかぁ、やっぱり知ってたか」


 悪戯がばれた子供のように舌をぺろりと出して、意外にも天璃は笑った。無表情でも、悲哀に満ちた表情でもなく、彼女はただ、ころころと笑った。


「そりゃ、そうだよね。あの場所を知ってたの、お兄ちゃんだったもんね」


「秘密基地のことか?」


「秘密基地だったんだ、あそこ。すごいね、あんな場所があったなんて知らなかったよ」


 やっぱり、着いて行って正解だったと、天璃は言った。


「七夕祭りの時、俺の後を付けて来てたのか」


「たまたまだったんだけどね。せめて星だけでも見に行こうって、天文山に行ったんだよ。その時、たまたまお兄ちゃんの姿が見えたの」


 天璃はソファーから立ち上がり、キッチンへ行く。どうしたのだろうと背中を目で追うと冷蔵庫を開けて中から冷えたオレンジジュースを取り出した。


「おかしいなって思ったの。あっちには何もないはずだし、そもそも人が近寄るわけもないし。気になって後を追ったら森の中に入っていくじゃない?」


 まさか、そこまで見られているとは思わなかった。


 天璃はオレンジジュースをコップに移しながら話を続ける。


「最初は迷ったんだけどね。でも、気になって私も森の中に入ったの。お兄ちゃんを見失ったら終わりだと思ってたから、急いで後を追ったんだよ? そしたら、あの場所を見つけたの」


 冷蔵庫にオレンジジュースを戻して、天璃はこちらに帰ってくる。そんな彼女の様子に少し違和感を覚える。天璃は、なぜこんな雑談でもするかのように話しているのだろう。


「そこでお兄ちゃんさ、おまじないしてたでしょ? お兄ちゃんが何を願ったのかはわからないけど、でも、何か叶ったんだよね?」


「……」


 何も言わなかった。いや、言えなかった。


 俺の願ったものは、とても馬鹿馬鹿しくて、自分勝手で、どうしようもないものだと、今になって気付いたからだ。


 だけど、それはきっと、天璃も同じような気がした。


「私もね、叶ったよ。私の願いは……お兄ちゃんはもう知ってるんだよね?」


「自分の存在を消すこと……」


「その通り」


 そう言って、天璃はオレンジジュースをぐいっと一飲みした。ごくごくと喉を鳴らす音が聞こえる。

 その様子をじっと見ていて、初めて気付いた。


「お前」


 天璃の手は、震えていた。


「あっ……」


 震えた手から、コップが落ちる。幸運なことにコップは割れることなく、床に転がっただけだった。

「ははは、どんくさいなぁ、私」


 震える両手を隠すように、自分の腰へと腕を回しながら、天璃は苦笑いを浮かべた。


「天璃、怖いのならどうして――」


「怖くなんか、ないよ」


 視線を合わせないまま、先ほどよりも小さな声で天璃は呟く。


「嘘を吐くな。なぁ、天璃。もうやめよう? せっかく、こうやって普通に話せるようになったのに、どうしてそんな願いを叶える必要があるんだ」


「あるよ。私は、どこにいても必要のない人だろうから」


「天璃?」


「私はね、お兄ちゃん。自分の存在が本当に消えてしまってもいいと思ってるの。確かに、怖いよ。でも、それでも、裏切られるくらいなら私はこのままいなくなってしまった方がいいに決まってるんだ」


「そんなこと……」


「ないって?」


 自嘲気味に、いや、まちがいなく自分を嘲るように天璃は笑った。


「あるよ。裏切られたよ! 私は、ずっと裏切られて生きて来たんだよ! 望まれないまま生まれて! 本当の家族も知らないまま生きて! 新しくなった家族にはこんな目に遭わされて!」


 天璃が叫ぶ。ここまでずっと溜め込んで来たものを、言葉にして、感情にして、俺にぶつける。


「何を信じても、何度信じても、私は裏切られるばかりだったんだよ! どうせ、今度だってそうなんだよ!」


 その言葉は、刃となって俺の心に深く突き刺さった。わかっていたことだ。天璃がそういうふうに思っていることは、全部わかってた。


 それでも、実際に言われるのと想像するのとでは天と地ほどの差があった。


「……」


 ただ、ひたすらに黙った。黙ることしか、出来なかった。


「だから、私はもういいの。もう、終わりにするの。私は、私を消す。だから、邪魔をしないで!」


「天璃!」


 俺に背を向け、天璃はリビングを飛び出していく。止めようと立ち上がって手を伸ばしたが、その手が天璃に触れることはなかった。


「……っ」


 急いで後を追いかけようとする。


 しかし、


「え……?」


 ぐらりと、視界が歪んだような気がした。あの時、七海の去った現実に耐えられなくなった時と感覚が似ている。


 足に力が入らず、その場に倒れ込んでしまう。


「なんだ、これ……」


 頭がぐらぐらする。うまく思考が働かない。


 俺は今、何をしていた? 誰と話していた?


 今にも離れてしまいそうな意識を繋ぎとめながら、必死に思考する。


「……っ! そうか、これが天璃の願いの」


 記憶を消そうとしているのか、天璃の願いの通りに。


 背筋が凍るような寒さを感じた。自分の意識がありながら徐々に消されていく天璃の記憶。決して忘れず、天璃の異変を戻すと誓ったことさえも白の絵の具で塗り潰すように、少しずつ消えていく。


「くそっ! なんだよ、これ!」


 なんとか記憶を縛り付けようとするが、どうにも出来ない。縛り付けた側から解けては消えていく。


「ふざけんな! 俺は、あいつを救うって決めたんだぞ!」


 あいつを説得して、異変を止めて、もう一度、家族として過ごすんだ。あの時出来なかったことを、今やるんだ。出来ないって決めつけてたことが間違いだったって気付いたんだ!


 それなのに!


「なんで……きお、くが……」


 目の前がかすんでいく。何かに引っ張られるかのように、意識もすっと抜けていく。


「あま……り……」


 もう、抗うことは出来なかった。


 そのまま、俺は深い深いところへと落ちていった……。














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