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7月8日 ~その5~

 森を出た俺はそのまま、真っすぐ家に帰らずアングラに寄ることにした。本当は今すぐにでも家に帰って天璃を説得したいと思ったのだが、願いを書き換えるための短冊を用意していないことに気付いて取りに来たのだ。


 アングラになら、まだ七夕祭りに使った短冊が残っているだろう。


 そう思いながら店の扉を開けると、


「あれ、あーくん?」


 なぜか、店の中で篠田先輩と出くわした。


 学校はまだ授業中のはずである。


「どうしたんですか、こんな時間に」


「それはこっちの台詞だよ。今日、学校休んでたのに」


「あー、まあ、ちょっといろいろありまして……」


「えー、なんではぐらかすの」


 不満げな先輩に俺は苦笑いを浮かべることしかできない。


「それより、先輩はどうしたんですか?」


「まあ、いろいろありましてね」


「先輩……」


「ふふ、冗談だよ。今日は先生の都合で午後の授業がなくってさ。暇だったから、抜け出して来ちゃった」


「サボりじゃないですか」


「それは、あーくんもでしょ?」


 先輩はそう言って笑うと、厨房から水の入ったグラスを持ってきてくれた。


「はい、これ。お客さんもいないし、安藤さんも買い出しに出かけちゃったから少し付き合ってよ。お客さんとしてさ」


「別にいいですけど」


 短冊を探しに来ただけだったのだが、まぁ、少し付き合うくらいならいいか。


 カウンター席に腰かけると、先輩はカウンター側からこちらに回ってきてその隣に座った。


「で、あーくん。妹さんとはお話した?」


「いえ、まだ帰ってきてないので。帰ってきたら話そうと思います」


「うん、そうしてあげて。なんかあったら大変だもんね」


「はい」


 嬉しかった。天璃のことを心配してくれることよりも、天璃のことを覚えていてくれたことが。


「うん。なんか安心したよ」


 ふと、先輩がそんなことを言い出した。


「安心、ですか?」


「うん。ほら、二人ともあんまり仲良くないじゃない? だから、ちょっと心配してたんだ。そうやって、注意してくれるのかどうかって」


 その言葉に俺はなんて返すべきなのか迷ってしまった。


 今は、本当に心配している。しかし、昔の俺だったらどうだっただろうか。心配はするだろう。でも、それを天璃に伝えようとしただろうか。そこで踏み止まってはいなかっただろうか。


「まぁでも、よかったよ。なんか、昔の私達を見ているような気がして他人のような感じがしなかったんだよ」


「え? それって、先輩達も仲が悪かったってことですか?」


「そうだよ。恥ずかしいから、あんまり言わないけどね」


「どうして、二人の溝が埋まったんですか?」


「んー……」


 篠田先輩は少し悩むような素振りを見せた。


「誰にも話さないと約束してくれるなら、いいよ?」


「もちろん、話したりしません」


「わかった。それじゃ、私達の仲が悪くなった時の話から始めようか」


 息を一つ吐いて、篠田先輩はふつふつと話し始めた。


「私ね。今では学園のアイドルみたいなこと言われてるけど、中学校の時はそうでもなかったんだ。こんなふうにちやほやされたりとかもしなかったんだよ」


 髪も染めてなかったしね、と篠田先輩は笑う。


「なんだかんだ言って楽しかったんだよ。その頃は、まだお兄ちゃんとも仲良かったしね」


 でもね、と篠田先輩は続ける。そこにはもう、さっきまでの笑顔は浮かんではいなかった。


「そんなある日、事件が起きたの」


「事件?」


「私ね。男の人に襲われかけたんだ。学校の帰り道に後ろから、急にね」


 いきなりのことで、俺は何も言えなかった。ただ、黙って聞くことしか出来ない。


「本当にね、びっくりしちゃったの。怖くて動けなかった。声も出せなかった。偶然、その場を通りかかった人に助けて貰ったけど。それがなかったら私はどうなっていたのかわからなかったと思う」


そこまで言って、篠田先輩は自分の分の水をこくこくと飲み始めた。その間に、俺は小さく息を吐きだした。呼吸をすることを忘れるくらい、俺は篠田先輩の過去に聞き入っていた。


「……それで、その後はどうしたんですか?」


「ん? どうもしてないよ。その犯人も捕まったし、少なくとも私の周りでそういう事件が起きたことは一度もない。でもね、私の中である変化が生まれちゃったの」


 両手で持ったグラスをじっと見つめ、篠田先輩はぽつりと呟く。


「男の人とね、話せなくなっちゃったんだ」


「それって……」


「うん。そのことがトラウマになっちゃったんだね。男の人と話すだけで、男の人に触れるだけで、ううん、声や姿を見ただけでも吐き気を催すようになったの」


 あの時のことを思い出しているのか、篠田先輩は少しだけ震えていた。


「その異変は、お兄ちゃんに対しても同じように起こったよ。お兄ちゃんのことも私は見ることが出来なくなった。でも、無理じゃない? 外ならまだしも自分の家だよ。どうあがいても、私はお兄ちゃんの姿を見なくちゃいけない。それが辛くて苦しくて、いつの間にか、私はお兄ちゃんのことを嫌いになってた」


「拒絶したんですか、輝樹さんを?」


「そう。どうして、私の目の前にいるのって理不尽なやつあたりをし続けたんだ。今、思うと本当にお門違いもいいところだけど、その頃の私にはそこにしか感情をぶつける場所が無かったんだよね」


 篠田先輩は眉尻を下げて、笑った。それは、まるで自分のことを蔑んでいるかのようで、なんだか見ているこっちが悲しくなってくるような、そんな笑みだった。


「でもね、お兄ちゃんはそこで逃げなかったんだよ。私と真正面から向かい合ってくれたの。もちろん、簡単には認められなかったけど、でも、その気持ちはすごく嬉しかったな」


「それで、二人はどうなったんですか?」


「見ての通りだよ。私はお兄ちゃんのおかげで男性恐怖症を克服出来たの。そんなお兄ちゃんのことを信用してるし信頼もしてる」


 それは、見ていればわかった。篠田先輩と輝樹さんの絆は強く強く結ばれている。でも、その裏にそんな過去があったなんて……。


「実を言うとね、私が料理を作っているのもこれが理由なんだ」


「どういうことですか?」


「男性恐怖症は直ったけど、それでも、また再発するかもしれなかったの。それで、お兄ちゃんと相談してある作戦を思いついたの」


「それが、手料理を振る舞うこと、ですか?」


「そう。こう言っちゃあれだけど、私、自分の見た目には自信持ってたし、これで味方を作ろうとしたの」


 俺は、はぁと深いため息を吐いた。興味半分で聞いたことを後悔した。そして、今までの自分も行いも。


 俺は篠田先輩と輝樹さんは最初から仲が良いものだとばかり思っていた。だけど、それは違った。二人には仲良くなるだけの過去がちゃんとあったんだ。


 俺達の仲が悪いことにちゃんとした理由があるように。この二人にもまた、しっかりとした理由が存在していた。


 俺が思っている以上に辛かったに違いない。拒絶され続けた輝樹さんも、自分の過去と向き合おうとした篠田先輩も。


「ありがとうございました、篠田先輩」


「へ……?」


「おかげで、吹っ切れました」


 正直、踏み止まっていた。本当に天璃のところに一歩踏み出していいのか、迷っていた。


 でも、やっぱりそれは間違いだった。


「うん、そっか」


 何かを察したのか、篠田先輩はにこりと笑顔を浮かべる。


「頑張んなよ、私も応援してるからさ」


「ありがとうございます、先輩」


「もう行くの?」


「はい。その前にちょっと裏の倉庫見てきてもいいですか?」


「へ? うん、いいけど。なんか忘れ物?」


「はい、ちょっとだけ」


 カウンター席から降りて、厨房を抜け、倉庫に向かう。そこにはやはり、七夕の資材を纏めたダンボールが置いてあり、


「あった」


 その中に、何も書いていないまっさらな短冊も入っていた。


 あとは、天璃を説得するだけだ。立ち上がり、厨房に戻ると篠田先輩が待っていた。


「それじゃ、先輩。ありがとうございました」


 おかげで、大事なことを教わりました。


「気にしないで。あーくんの力になれるなら、私も嬉しいからさ」


「……なにも聞かないんですね」


 そう言うと、篠田先輩はカラカラと笑いながら、


「あーくんの考えてること、なんとなくわかるもん。君、わかりやすいし」


 そう言ったのだった。









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