7月8日~小名木家の罪その2~
「それって……」
驚愕の表情を浮かべる鮎川。どうやら、彼女も気付いてしまったようだ。
「あいつは、死んだ七海の代わりとして家に呼ばれた子供なんだよ」
「そんな、どうして……」
「言っただろ? 母さんは俺を溺愛していたって」
全ては俺を守るため。だが、それは決して許されることではない。
「どうして、そこまでして陽人さんを守ろうとしたんですか?」
それを知ったのは、両親が死んだ後に親戚の口から聞かされることになる。
母さんは、海辺の町で三人兄妹の末っ子として生まれた。そんなに裕福ではなかったようだが、それでも家族はいつも笑いあって暮らしていたらしい。
しかし、そんなある日。母さん達は天候が悪いにも関わらず、沖まで競争しようと海に入ったのだそうだ。
二人の兄に負けたくないと母さんは頑張って泳いだそうだけど、もちろん勝てるはずもなく、グングンと差を広げられていく。
その時だった。突如、巨大な波が二人の兄を襲った。彼らはなんの抵抗も出来ないまま、海の中に引きずり込まれ、そのまま見つかることはなかったそうだ。
その様子を目の前で見てしまった母さんは、ショックで海を見ることも出来なくなってしまった。それだけじゃない。何も出来ない自分をずっと責めていた。
周囲の人は母さんがその場にいたとしても、どうにもならなかったと慰めたが、それでも母さんは自分を責めた。
「私が止めていたら、助かったかもしれなかったのに!」
と。
「母さんが俺のことを溺愛していたのは、それが理由なんだと思う。俺を守ることで罪滅ぼしをしていたんじゃないのかな」
だからと言って、許されることだとは思っていないけど。
「先輩のお母さんにそんな過去が……」
「そう。普通はそういう反応になるよな。多分、父さんもそうだったんだと思う」
「どういうことですか?」
これも、親戚から聞いた話だった。
俺の父さんと母さんは幼馴染だった。だから、父さんは母さんの不幸を間近で見て来たことになる。
その時、父さんに出来たのは母さんを見守り続けるだけだった。下手に動くことが出来ない。触れて壊れてしまったらどうしよう。だったら、隣にいて彼女のサポートをしてやりたい。
父さんは、そう考えて生きて来た。
だから、父さんは母さんが俺と同じように壊れてしまった時、なにも出来なかったんだ。
母さんの過去を知っているからこそ、父さんは動くことが出来なかった。
父さんは俺のことも心配していたらしい。心配していたけど、母さんのこともあるから遠くから見守ることしか出来なかった。
母さんのことと、俺のこと。二つの守るべきものに挟まれて父さんは縛られた。
「俺の父さんも、同じくらい不幸だったと思うよ」
でも、これも母さんと同じだ。いくら父さんが不幸だからって、母さんに辛い過去があったからと言って、天璃にした罪を許していい理由にはならない。
そして、それは多分、俺にも言えることだろう……。
「先輩?」
鮎川が俺の表情を伺うように声をかける。
「今、すごい怖い顔してました」
「あぁ、悪い」
あの時のことを思い出して、感情が昂ぶってしまった。
「あの、それで先輩はどうしたんですか? 天璃ちゃんと出会って、そのまま何もしなかったわけではないですよね?」
「そうだな。いや、ある意味で俺は何もしなかったのかもしれない」
「それは、どういう?」
「拒絶したんだ。あいつのことを。天璃の存在を俺は無かったことにして過ごした」
どうしても、許せなかった。七海の名前を騙るあいつが、それで恥ずかしそうに微笑むあいつが。これが、自分の名前なんだと受け入れているようなその顔が、どうしても許せなかった。
「でも、あいつはそのことを聞かされてなかったんだ」
「そのことと言うのは、七海さんの死に関してですか?」
「そう。あいつは、ただ新しい家族になるからって言われただけだったんだよ」
あいつは、本気で家族を求めていた。本物の家族がなんなのかを、ずっと考えていたんだ。
でも、それでも認められなかった。それを認めるには、時間が足らなかったんだ。
「それで、天璃ちゃんのことを?」
こくり、と頷く。
俺はひたすらに天璃のことを無視し続けた。最初からこの家にいなかった。空気のような存在として扱った。現実から目を背け続けた俺にとって、そこにあるものをないもののように扱うことなんて造作もないことだった。
「そして、そのせいで母さんも父さんも天璃を同じように扱うようになった」
「ご両親が、ですか……?」
「あの人達が天璃を連れて来たのは、俺に七海という存在を与えて昔のような日常を手に入れようとするためだ。だけど、それを俺は拒絶した。そしたらどうなると思う」
「どうなると思うって……もしかして」
鮎川が何かに気付いたように顔をあげる。ここまでくれば、誰でも想像出来ることだろう。
つまり、
「天璃は用済みになった」
鮎川は口元に手を当てて、目を大きく見開いた。まさか、そんなことがとでも言いたげな表情だ。
「その後、天璃ちゃんはどうなったんですか……?」
「なんもしてないよ。驚くくらいになんもしなかった」
空気として扱われた。七海の代わりになれなければ意味はない。着るものや食べ物に不自由することはなかったし、学費もちゃんと出してくれた。だけど、それだけだ。
愛を向けられることもなく、幸せを感じることもなく、彼女はただそこにいるだけの人になり果てた。
天璃の欲しがっていた家族。暖かくて和やかな、そんな家庭は決して手に入ることはなかった。
「……酷い話です」
今の話を聞いて気分が悪くなったのか、鮎川は口元を押さえて、その場に立ち止まってしまった。
「これが、俺達が犯した罪だ」
鮎川がゆっくりと顔を上げる。今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔だった。
「……先輩はその間、なにもしてあげなかったんですか?」
「その時の俺は、自分のことで精一杯だったんだ」
両親の連れて来た天璃という少女を、俺はどうしても受け入れることが出来なかった。天璃にはなんの罪もない。けれど、彼女の姿を見るとどうしても嫌悪感の方が先に出てしまう。
天璃を普通の妹として認識できるようになったのは、それから半年後のことだった。
しかし、その頃にはもう、天璃の心は固く固く閉ざされてしまっていた。何もかもが遅かった。
「それから先は、鮎川が知っている通りだよ」
その溝は今も埋まることはなく、そこにあり続けている。
「……」
鮎川は、ただ黙って俺の顔を見つめていた。表情はない。なにかを考えているかのようだった。
それから、きっかり一分が経過してから、鮎川は「ふぅ」と短いため息を吐いた。
「先輩達の過去はわかりました。先輩達が天璃ちゃんにどれだけ酷いことをしたのかも」
「あぁ」
軽蔑されて当たり前だ。それだけのことをしたし、それだけの責任は負わなくちゃいけない。鮎川からの罵倒も受け入れようと覚悟した。
しかし、
「でも、私は先輩を恨んだりはしません」
「え……?」
鮎川は、そう言ってにこりと微笑んだ。
「先輩が今も後悔して、悩んでいること、知ってしまいましたから。それに、七夕祭りの時に駆け付けてくれた先輩を見て、この人は本気で天璃ちゃんを心配しているんだってわかりましたから」
「……許してくれるのか?」
「許すのは私じゃないですよ。でも、協力ならいつでもしてあげます。貴方達が幸せなら、私も幸せですから」
がんばりましょう、とガッツポーズを作る鮎川。
「なぁ」
そんな彼女に俺は一つだけ浮かんだ、ある疑問をぶつけてみることにした。
「鮎川はどうして、天璃や俺にそこまでしてくれるんだ?」
ずっと気にはなっていたのだ。
ただの、友人にしてはいやに踏み込んでくるな、と。ほとんど毎日のように、昇降口に立って俺を待ち、校舎裏に連れ込んで説教をするようなやつなんてそうそういない。
その理由を聞くなら、今しかないと思った。
「……そうですね。先輩も話してくれましたし、私も話した方がいいかもしれませんね」
少しだけ間を置いてから鮎川は話し始めた。
「結論から言うと、私は天璃ちゃんに自分を重ねてしまったんです。同じ、両親がいない者同士として」
「鮎川も?」
寂しそうな笑みを浮かべて鮎川はこくりと頷いた。
「私の両親は、まだ生きてますけどね。でも、どこにいるかはわかりません。私が小さい頃に別居して、お母さんと暮らしてたんですけど、そのお母さんも蒸発してしまって、今は一人暮らししてるんです」
「親戚には引き取られなかったのか?」
「お父さんの親戚は縁が切れちゃってましたし、お母さんの方とは仲が悪かったですからね。一度、引き取られはしましたけど、高校に行くと同時に今の内に一人での生活を体験しておいた方がいいなんてもっともな理由つけて安アパートに島流しされました」
そっちの方が気楽でいいんですけどね。と、鮎川は笑うが、きっといろいろ苦労しているに違いない。
「だからですかね。天璃ちゃんの気持ちがわかるんですよ。家族を大切にしたいっていう気持ちが。だから、なんとかしたかったんです」
「それが、あの行動に繋がるのか?」
「私の目から見ても、お二人の関係は最悪でした。あのままじゃ、私の両親みたいになる。そう思ったんです。私、あの両親のこと正直、好きではないです。でも、お父さんがいなくなった日から、お母さんずっと泣いてました。それが、どうしても頭から離れなくて」
「俺らもそうなるかもしれないと、そう思ったのか」
「……はい」
つまり、鮎川はずっとその最悪の状況にならないように、奮闘してくれていたのか。
「縁が切れることだけは避けなくてはと思ったんです。嫌い合っていても、一緒にいればいつか、家族の大切さをわかってくれる日が来るって」
「だから、俺に近付かないように言ったのか」
変に触れて、壊れてしまったら元も子もないから。
「はい。でも、それは間違いでしたね。二人の為を思うなら、今のようにサポートするべきだったんです。現状の維持なんて考えずに」
「そうかもしれないな……」
俺も、長い間現状維だけを考えてきた。その結果がこれだ。
一歩、前に出て天璃の引いた境界線に入ればよかったんだ。それだけで、きっと関係は変わった。俺は、それを怖がったんだ。
「でも、先輩」
だけど、鮎川は言う。いつものように、諭すように。
「きっと、まだ間に合います。だから、もう一度向き合いましょう。天璃ちゃんに、過去に」
「あぁ」
そのためにも、俺達は急がなくてはならない。目指すは養護施設。そこにはきっと、俺達の知らない天璃の真実が眠っているはずだから。




