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7月8日~小名木家の罪その1~


 俺の家は普通の家庭に比べれば少しだけ裕福だった。連休や長期休暇の時はいつもどこかに出かけていた。北海道だったり沖縄だったり。長い休みが取れた時は海外に一週間泊まることだってあった。


 その旅行先はたいてい俺がテレビを見て「行ってみたいなぁ」と、呟いた場所だった。


 物心ついたときから母さんは俺に甘かった。どんなものでも買ってくれたし、いろんなところに連れて行ってくれた。自分で言うのもなんだが、つまるところ溺愛していたのだ。


 何も知らない小さな頃は単純に嬉しかった。でも、年齢が進むに連れ、両親が自分を甘やかし過ぎて、友達の手前少しだけ恥ずかしくなったりもした。


 そして、それと同じくらい俺のためにお金を使う両親に申し訳ないとも思うようになった。


 決定的だったのは父さんが居間で「お金がない」とぼやいていたのを聞いてしまったことだ。それからは、変に「あれが欲しい」だの「ここに行きたい」だのは言わないようにした。


 そのことに対して、母さんは随分と心配したし、「何か欲しい物はないの?」と、頻繁に聞いてきたりもしたけど、俺は全て首を横に振って答えた。


 あまりにもしつこくて少しうんざりしたこともあったけど、嫌いにはならなかった。溺愛していたわりには束縛することもなかったし、七海のことを大切にしてくれたからだ。彼女の両親が忙しく家にいつも一人きりだった七海をよく旅行に連れ出したりしてくれた。


 楽しかった。毎日が笑顔で溢れてた。


 あの日が来るまでは。


 七海の死。その日から全てが変わった。


 彼女の葬式が終わって数日のことは正直、よく覚えていない。ボーっとしていたら、いつの間にか夜が来て、いつの間にか陽が昇って、また気が付いたら月が顔を出す。その繰り返しだった。


 異変が起きたのは、そんなある日のことだった。


 いつものように学校に行こうと玄関の扉を開けた瞬間、なんだか変な違和感を覚えた。風邪を引いたわけでもないのに頭がくらくらする。


 気分は悪かったけど、俺はいつものように通学路を歩いた。


 七海と一緒に歩いた道。隣にはいつも七海がいた。


 でも、今はいない。右を向いても、左を向いても、彼女の姿はどこにもない。


 独り。独りだ。俺は独り。


 ぐにゃり。


「え……?」


 そう意識した途端、世界が歪んだ。道路も壁も空も全部が波打って、ぐるりと回った。気が付くと、俺は地面に伏していた。頭がぐらぐらして痛い。身体に力が入らず、立ち上がることも出来なかった。


 意識はあるのに、身体が動かない。まるで、自分の身体を誰かに乗っ取られたかのようだった。怖くて、気持ち悪くて、訳が分からなかった。


 パニックになった俺はそのまま大声をあげて泣きじゃくった。身体は動かないくせに涙だけはボロボロ出た。


 その日以来、外に出ると身体が拒絶反応を起こすようになってしまった。正確には、七海を思い出してしまうような場所だけど、同じことだ。


 この町は七海の思い出に溢れすぎているから。


 窓の外を見ることすら出来なかった。それだけで、気持ち悪くなって嘔吐した。その内、食事することもままならなくなった俺は、しばらくの間、入院することになった。


 ボロボロだった。心も、身体も。


 そんな俺を看病してくれたのは、母さんだった。外に出れなくなった俺が寂しくないようにと、片時も俺の側を離れず一緒にいてくれた。


 心から嬉しかった。一人になると否応なしに思い出してしまうから、隣にいるだけで俺は安心して眠ることが出来た。







「先輩にそんなことがあったなんて……」


「もう、昔の話だよ」


 そう言って、俺は鮎川に笑う。まぁ、まだ完全に吹っ切れたわけではないけれど。


「でも、今の話のどこに天璃ちゃんと仲が悪い理由があるんですか?」


「天璃のことを話す前に説明しておきたかったんだ。でないと、訳が分からなくなりそうだからな」


 そうだ。この話はまだ始まったばかり。俺がまだ、誤解をしていた時の話だ。


 壊れているのは俺一人だけだと、そう誤解していた時の。







 母さんの献身的な介護もあってか、普通に食事が出来るくらいには回復した。だけど、まだ外に出ることは出来なかった。退院した時も、車の後部座席に寝転がって間違っても外が見えないように気を付けた。


 これがダメなことはわかっていた。だけど、身体が言うことを聞かない。見ようと思うだけで身体が震えてしまう。


 お医者さんもこの手の精神的なものは時間が解決するのを待つしかないと言っていた。自分の中でキチンと過去を消化出来るようになるまでは、ゆっくり過ごすようにと、そう言っていた。


 しかし、


「ねぇ、陽人」


 ハンドルを握りながら、母さんは俺に声を掛ける。運転しているからこちらを振り向かない。その代わり、バックミラーを覗いて俺の顔を見ていた。


「学校、行きたいよね?」


「……うん」


 医者からは、学校のことは諦めた方がいいと言われた。七海のことが原因なら小学校に通うことは諦め、中学から頑張っていこうと、そう説得された。


 だけど、それは嫌だった。もう一度、みんなに会いたかった。このまま、離れ離れになってしまうのだけはどうしても嫌だった。


「それじゃ、お母さん頑張らないとね。大丈夫」


 そう言って、母さんは笑った。


「私が、新しい七海ちゃんを連れて来てあげるからね。大丈夫……私が絶対に守ってあげるから、絶対に」

「え……?」


 一瞬。ほんの一瞬だったけど、お母さんの顔がまるで別人のように醜く歪んだような、そんな気がした。


 ずっと一緒にいてくれたお母さんのことが、その時だけ、気持ち悪いと思った。






「先輩、それどういうことなんですか? 新しい七海さんって」


 本当にわからないのだろう。鮎川は首を傾げて、俺に回答を求めた。


 でも、俺は首を横に振る。


「すぐにわかるさ」


 そうだ。どうせ、すぐにわかる。俺の母さんがどれだけ子供のことを想っていて、そして、どれだけ壊れてしまっていたのかを。







 退院して数日が経った頃、俺は父さんに呼び出され、リビングへ向かった。


 父さんは、俺がおかしくなってからあまり関わって来なくなった。腫れ物にでも触るかのように壁を作り、常に遠くから俺のことを見ているばかりだった。


 だから、俺も父さんとは自然と距離を置くようになった。必要最低限の会話。まぁ、今で言う天璃との関係をもう少し柔らかくしたような感じだと思ってくれればいいだろう。


 リビングにはすでに父さんが椅子に座って俺のことを待っていた。特に会話もせず、俺は父さんの向かい側に座った。


「どうしたの? 何の用?」


「……」


 しかし、父さんはしばらくの間答えることなく、じっと俺の顔を見つめ続けていた。その表情にはどことなく迷いが見えた。


 だが、当時の俺にはその意図がわからず、ただイライラが募るばかりだった。


「ねぇ、父さん」


 早く教えてよと促すと、父さんは諦めたようにため息を吐いてから、こう答えた。


「お前に妹が出来る」


「……妹?」


 聞き返すと、父さんはこくりと頷いた。


「養護施設から引き取ることになったんだ。今週中には家で一緒に住むことになる」


「は?」


 思わず、変な声が出てしまった。妹? 俺に?


「ちょっと待ってよ。どういうこと?」


「ああ。本当はお前に話すことはなかったんだ。母さんが陽人には内緒にしておいてくれと言っていた」


「言っていたって……」


 急にそんな話をされても、俺はなんて答えればいいのかわからなかった。だが、父は混乱している俺には目もくれず、自分の話が終わったとでも言うように席を立った。


「父さん!」


 呼び掛けても父さんは答えない。そのまま、ドアを開いてリビングを出て行ってしまった。


 それから数日して、その養子を引き取りに父さんと母さんは孤児院へと向かった。外に出ることができない俺はもちろん家で待機していた。


 多分、仮に外に出れたとしても、俺は断っていたと思う。その子に会ってどんな顔をすればいいかわからなかったし。


「ただいまー!」


 二時間くらい経ってから、二人は帰って来た。いつもなら、玄関まで迎えにいくのだが、そこに知らない子供がいるとなるとつい躊躇ってしまう。その子がこれからこの家で生活していくのだと思うと尚更。


「陽人ー、出てらっしゃーい」


「……」


 しかし、母さんに呼ばれて、仕方なく玄関へ向かった。


 そこには、父さんと母さんに挟まれる形で、一人の少女が少し俯いた様子で立っていた。


「お父さんがもう話しちゃったみたいだから知ってると思うけど、これから私達の家に住むことになったの。新しい家族よ、陽人」


「うん……」


 全然、嬉しくなかったけど俺は母さんを困らせないように無理矢理、笑顔を作った。


 多分、それが作り笑いだとわかったのは父さんだけだったと思う。母さんは本当に俺が喜んでくれたんだと、子供のようにはしゃいでいたから。


「あ、まだ自己紹介がまだだったわね。きっと、陽人は驚くわよ」


「え……?」


 母さんが「ほら、自分の名前言えるわよね?」と、少女の肩を優しく叩く。彼女は小さく頷くと、頬を赤らめながらこう言った。









「……初めまして、小名木七海です」


 と。









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