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プロローグ

 懐かしい夢を見た。


 それは、今から五年前の七夕の日。俺がまだ、小学生だった頃の話だ。


 俺は天文山で待っている幼馴染に会いに行くため、こっそりと家を抜け出した。仕事のために早めに就寝した両親を起こさぬよう、忍び足で寝室を横切り、外の世界へと飛び出した。


 時刻はもう、午後の十一時を回っていたと思う。日付の変わる一時間前。もちろん、小学生が出歩いていい時間ではない。


 それでも、俺は夜の世界へと足を踏み出した。

どうしても、やりたいことがあったから。



 あの日、俺達の町では七夕祭りが行われていた。年に一度の大きなお祭りで、終了時刻である午後九時を過ぎてもなお、町中には華やいだ空気が残っていた。


 いつもなら真っ暗になるはずのこの時間になってもまだ、いくつかの家には提灯が吊るされ、枝いっぱいに短冊をぶら下げた竹が夜風に吹かれてさわさわと揺れていた。


 天文山に向かう間にも、浴衣や甚平を着た人達が屋台を囲みながら談笑しているところを何度も見かけた。缶ビールを片手に笑う人。祭りが終わった寂しさに耽り、夜空を見上げる人。


 皆それぞれ、思い思いの方法でその年の祭りに別れを告げていた。


 きっとそれは、俺とあいつも同じだったんだと思う。


 俺達は俺達の方法で、この祭りに別れを告げようとしていたのだ。


陽人(あきと)!」


 天文山に向かうと、白いワンピースを着た少女が俺に向かって大きく手を振った。俺も振り返し、彼女の元へと駆け寄る。


「もう、遅いよ!」


 腰に手を当て、幼馴染――七海はぷんすかと怒った。


「仕方ないだろ。思ってた以上に人が多かったんだから」


 普段はこんなこと絶対にないのに。さすが年に一度のお祭りだ、と俺は感心しながら頷いた。


「感心してる場合じゃないよ、もう……」


「それより、ちゃんと道は覚えてるんだろうな? 初めてだぞ、こんな時間にあそこに行くの」


「それなら大丈夫。あそこまでの道は身体が覚えてるから!」


 胸を張ってふんぞり返る。その自信は一体どこから来るのか。


「それよりもさ、ほら見てよ」


 呆れた様子で七海を見ていると、彼女は急に夜空を指差した。それに釣られて俺も顔を上げる。

 そこには、無数に輝く星々を浮かべた夜空が広がっていた。真っ黒なキャンパスを彩るかのように、小さな光が点々と瞬いている。


「さすが、星美町だよね」


 どこか誇らしげに七海はそう言った。


 星美町。それが、俺達の住んでいる町の名前。星を美しく見ることが出来ることから、その名が付いた。そのためか、この町はなるべく星を綺麗に見せるよう、いろいろな工夫が施されていた。


 その中でも一番に大きな特徴は、この町には電柱や街灯と言ったものがないということだろう。この星空をなるべく自然な状態で見ることが出来るように。


 だから、普段はこんな時間になれば辺りは完全な闇に呑まれてしまう。頼れるのは月明かりと家々から漏れる光だけ。


「どこにいても、こんな綺麗な星が見れるところなんてそうそうないと思うんだよね」


「山の天文台には偉い人が何人も来てるみたいだしな」


 俺達がこれから登ろうしている天文山のてっぺん付近には天文台がある。天文台があるから天文山。安易なネーミングだと思うが、町の人達には広く親しまれている。


 その天文台もその手の学者にとっては有名なところらしく、色んなところから学者が訪れては星の観察を行ったりしているらしい。


 俺達の住む町は、それだけ星と密接な関係を持っていた。


 それはもちろん、俺と七海だって例外ではない。むしろ、俺達は今から、その星を見に行くところなのだ。


 ここじゃない、特別な場所で。


「なぁ、そろそろ行かないか?」


「うん」


 俺と七海は家から持ち出してきた懐中電灯の明かりを点ける。その光を頼りにしながら、俺達は山を登り始めた。


「あそこからだと、どんなふうに星が見えるんだろうね?」


 後ろで七海がワクワクした様子で声を掛けて来る。




――最初に星を見ようと提案したのは七海の方だった。


 昼間。一通りの屋台を巡り終えた俺達は近くのベンチに腰を下ろして綿菓子を分けあっていた。七海の手から綿菓子を千切り、口に放り込む。ふわふわだった綿菓子が次第にじゃりじゃりとした砂糖へ姿を変えた。


 それを飲み込み、もう一度、綿菓子に手を伸ばそうとした瞬間だった。


「陽人、今日の夜は暇?」


 珍しく真剣な様子で七海がそんなことを言い出したのだ。


「今日の夜は山に登って花火を見る約束だったろ」


 祭りの最後を締めくくるために、毎年最後には花火が上がる。それを見るために、早めに山を登って場所を確保する相談もしていた。


 しかし、七海は首を横に振る。


「違う違う。その後の話をしてるの」


「その後?」


 こくり、と頷く。祭りが終わるのは大分遅い時間だというのに、一体、その後に何をしようというのか。


「秘密基地にさ、星を見に行こうよ」


「はぁ?」



「……さすがにちょっと怖いね」


 人気の無い道の先を見つめながら七海はぽつりと呟いた。


 舗装された道はなだらかなカーブを何度も描きながら頂上まで続いている。しかし、その道の先は暗闇に閉ざされてしまって見ることができない。


「そりゃまぁ、こんな時間だしな」


 足元を照らす光を見つめながら、七海の呟きに答える。


 町の方では、まだいくつかのグループが宴会のようなことをしていたが、さすがに天文山ではそのような様子は見られなかった。


 花火が終わればみんな山を下り、そこで星を眺めながらの宴会が始まる。まぁ、山の上で悪酔いなんてしたら介護する方も大変だろうしな。


 俺達の足音が辺りに響き渡る。虫の鳴く声や鳥の声なんかがそこに交わって、なんだか不気味な空間を作り出していた。どこからともなく、ふくろうの声が響き渡る。その度に後ろから「キャッ」と小さい悲鳴が上がり、シャツの端をぎゅっと掴んできた。


「大丈夫か?」


「……うん」


 全然、大丈夫そうじゃなかった。


「いつも通ってる道だよ。大丈夫だよ」


 そう言って、何度も七海を勇気づけようとしたが、七海の歩くスピードはどんどん遅くなり、ついにはその場で 立ち止まってしまった。顔は俯き表情は見えない。ただ、しっかりと僕の服の袖をふるふると震える手で掴んでいた。


「七海?」


 顔を覗き込むと、七海は目尻に涙を浮かべながら「……こわい。帰りたい」と、言った。


「ここまで来たのに、帰るのか?」


 その言葉に七海は一瞬声を詰まらせる。


「……だって、怖くないの?」


「怖くないよ」


 嘘だった。


本当は俺だって同じくらい怖かった。手に持っている懐中電灯の明かりが心もとなくて仕方がなかった。今にも吸い込まれそうな暗闇が恐ろしくてしかたなかった。


 だけど、こいつの前でそんな姿を見せたくはなかった。俺まで怖がったら、七海はきっとさらに心細くなる。そんなことは当時の俺にだってわかった。

 だから、


「え?」


 シャツを握る七海の手を離して、俺は、その手に左手を重ねた。

「これなら怖くないだろ?」


「陽人……」


 七海の右手がぎゅっと俺の左手を掴む。


「ありがと」


「……おう」


 なんだか恥ずかしくなって、俺は七海から視線を逸らす。七海はそれを見てくすりと笑った。


「行こ!」


 もう、目尻に涙は浮かんでいない。俺の手を引いて、歩き出す。


 頂上に近付くにつれて、道の両側から枝を伸ばし、アーケードのように頭上を覆っていた木々がだんだんとまばらになる。このまま、真っすぐ進めば、その隙間からは星空が顔を出し、やがて目の前が大きく開けてドーム型の屋根から天体望遠鏡を突き出した天文台が見えてくるだろう。


 しかし、俺達の目指す場所はそこではない。


 天文台へ続く道から少し外れ、獣道へと入る。


 顔を出していた夜空が再び、木々の間に隠れてしまう。それでも、俺たちはもう足を止めることはない。お互いの手を離さず、これでもかと伸びる雑草の群れや行く手を遮る木々の枝を掻い潜る。


 いつも通う道を勘だけで進む。だけど、その足が迷うことはない。このまま歩いて行けば着く。そんな確信を持って俺達は確実に一歩一歩を踏み出して行った。


 そして、

「わぁ……」


 突如として開けた風景を目にした途端、俺達は吸い込まれるように空に目を向けた。


 星の海だった。天然のプラネタリウム。


 今、目の前に広がる星の光は何千年も前の光。永い永い、それこそ永久とすら感じる時間を経て、今、俺達の目に届いている。そう考えるだけで鼓動が脈打ち、興奮が最高潮に達した。


「すごいねっ! 陽人っ!」


「あぁ!」


 両腕を水平に伸ばし、くるくると回る七海。白いワンピースがふわりと波打ち、草原に白い花を咲かせた。


ここを見つけたのは本当に偶然だった。


数ヶ月前、たまたま山の中を探検していた時に見つけたのだ。その時の七海のはしゃぎようといったらなかった。俺の両手を持ってぐるぐると回った。三半規管の弱い俺はすぐにダウンしてしまったけど、それを見て七海は笑いながら、まだくるくると回っていた。


 今の彼女のように。


 森の中を丸く切り取ったようにぽっかり空いた草原の中を踊っている様子を見ていると、ふいに彼女が動きを止めて、俺の前まで寄ってきた。


「ね、こっちに行こうよ」


 俺の手を掴み、草原の奥へと歩き出す。


「うわぁ、すごい……」


 そこには、大きな湖があった。当時の俺にはそれがとても大きく感じたけれど、実際は学校のプールが収まるか収まらないかくらいの大きさだ。その湖面には空に瞬く星がキラキラと光っていた。


 俺達がここを秘密基地にしようとしたのはこれが大きな要因だったと思う。多分、これが無かったら「すごいね」の一言で終わっていただろう。


「ねぇ、見て見て」


 湖の淵にしゃがみこみ、手で水をすくう。彼女の小さな手のひらに水が溜まり、小さな湖を作りだした。


「ほら、星を捕まえたよ」


「そうだな」


「えー、あんまり感動してなくない?」


「こっからだと見えないんだよ」


「だったら、陽人もすくってみれば?」


 七海に言われた通りに、俺も湖から水をすくい上げる。ゆらゆらと揺れながらも、そこには確かに星の輝きが見て取れた。


「見えた?」


「見えた」


 俺の手のひらの中に無数の星が瞬いている。誰のものでもない、自分だけの星。そう思うだけでなんだかわくわくした。


「この星が全部、願い星だったらいいのになぁ」


「またその話か」


 それが七海の口癖だった。願い星。昔から願いごととか占いとか、そういうのが好きなやつで、この願い星もそれの一つだった。


「いいじゃん、ロマンチックでさー」


ぶー、と唇をとんがらせる。確かに、夢のある話だとは思うが、こう毎日のように聞かされているとその神秘性も失われていく。


「あ、そうだ。忘れてた」


 呆れた目で七海を見ていると、何かを思い出したかのように立ち上がってポケットから二枚の紙切れを取りだした。


「なんだそれ」


「七夕に使う短冊だよ、ほら」


 そう言って、指で摘まんでひらひらと扇いで見せる。確かに、それは今日の七夕祭りで何度も目にしてきた短冊だった。


「なんで、短冊なんだよ」


「ちょっとしたおまじないだよ」


「おまじない?」


「そうそう」


 そう言いながら、ポケットからマジックを取りだすと、短冊に何かを書き始めた。何を書いているのだろう。そう思って覗き込むと、七海はそれをサッと隠してしまった。


「見ちゃだめ!」


「なんでだよ」


「私の願い事が書いてあるからだよ!」


 確かに、それはマナー違反か。どんな願いを書いているのか気になるが、大人しく七海が書き終えるのを待つことにした。


「出来た!」


 それから少しして、七海は書き上がった短冊を掲げた。風が吹き、短冊が揺れる。やっぱり、何が書かれているのか確認することは出来なかった。


「それ、どうするんだ?」


「流すの」


「湖に?」


「というか、湖に映った天の川、かな?」


「天の川?」


「そうそう。ほら、あそことあそこの間、いっぱい星が集まってるでしょ? あれが天の川だよ」


 七海がスッと湖面を指差す。確かに、湖のこちら側から向こう岸にかけて光の帯のようなものが出来ている。


「うん、それで?」


「その天の川に短冊を流すの、それが上手く向こう岸まで流れついたら、願いが叶う。どう? 七夕っぽいおまじないでしょ?」


「そうだけど、それ本当に叶うのか?」


 そんな話、聞いたことがない。


 疑わしげな目で七海を見つめる。すると、七海は小さく舌を出して笑った。


「ごめんごめん。実はさっき思いついたデタラメなんだ」


「やっぱり」


 呆れた声でため息を吐く。


 しかし、


「……でもさ」


 七海はもう一度、湖に映る星空を見つめ呟いた。


「そういうことがあっても良いと思うんだ、私は」


 湖に映った星の川と宝石のように輝く無数の星々。


 もしも、視界いっぱいに映るこの星達が俺達の願いを叶えてくれるのなら、それはそれでいいのかなと、そう思った。


「そうだな」


「うん」


 七海が短冊を湖に流す。水面に浮かんだ短冊は風に流されながら湖の中央へと進んでいく。天の川へ。


「見て見て陽人、すごいよ」


 声を弾ませながら、七海は俺の袖をくいくいと引っ張る。その目はまるで、夜空に輝く星みたいにキラキラしていた。


 そんな彼女の視線の先にある短冊はいよいよ天の川の中へと流れるかといったところだった。

 俺は何もできない。ただ、短冊が流れていくのを見守ることしかできない。


 だから、どうか、どうか七海の願いが叶いますように。


 声には出さず心の中で、俺は強く願った。


 その願いが叶ったのか、短冊は沈むことも道を外れることもなく、順調に天の川を流れていく。

あと少し、あと少しで対岸に辿り着く。


 その時だった。


「あっ!」


 短冊を押すように吹いていたはずの風が横風に変わった。その風に押されるまま、短冊は天の川を外れていってしまう。それに追い打ちをかけるように、風はさらに強くなり、湖に小さな波を作った。


 短冊はその波に煽られ、そのまま湖の中へと沈んでいってしまった。


「あーあ……」


 七海は沈んでいった短冊をじっと見ながら、残念そうにため息を吐いた。


「残念だったな」


 他に何か気の利いた言葉があったかもしれないが、その時の俺にはそれしか思いつかなかった。

「うん。でも、これも一つのお告げだよ。願ってないで自分で動けってことだし!」


「自分で動いて叶うような願いなのか?」


「……もしかして詮索してる?」


「い、いや、そうじゃないけど」


 その通りだった。


 七海はその嘘をすぐに見破ると「しょうがないなぁ」と言いながら人差し指をピンと立てた。


「それじゃ、一つだけヒント! それはきっと、私の努力次第でどうとでもなる願いなのです」


「なんだよ、それ」


 全然、ヒントじゃないじゃないかと文句を言うと、七海は小さく笑った。


「ふふ、確かにヒントじゃなかったかもね。でも、やっぱり、私の努力次第なんだよ、うん……。私が少し勇気を出せば……」


 最後の方は何を言っているのかうまく聞き取れなかった。俺に話しているというよりかは、自分に言い聞かせているような、そんな感じ。


 あの時、何を言っていたのか、七海は教えてくれなかった。もちろん、どんなお願いをしたのかも。

 それは、五年経った今も変わらない。


 七海の願いも言葉も、何も知らないまま、俺は生きている。


 そして、多分この先一生、それを知ることはないのだろう。


 何故なら、七海とはこの日を境に言葉を交わしていないから。


 喧嘩をしたわけでもない。


 引っ越しをしたわけでもない。


 だが、彼女と会うことは許されない。話すことも、触れることも許されない。


 そう。俺はもう二度と、あいつに、七海に会うことが出来ないのだ。


 何故なら、彼女はその翌日に――



――死んでしまったのだから




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