先生を偲んで
恩師が亡くなりました。
訃報を知ったのがついさっきで、私が副作用でのたうっている間に葬儀も終わってしまったそうで……。
尊敬している先生のひとりでして、ここでしみったれた話はしません。なのでお別れの挨拶に代えて思い出を綴ってみようと思います。
私に哲学とはなんぞやを教えてくれた先生です。倫理の担当教諭だったのです。
倫理なんて科目としてはオマケみたいな扱いになっている高校も多いかと思いますが、この先生に関しては違いました。
本当の意味で人生の役に立つ授業だったと思います。
私の在学中に定年を迎え嘱託に移行したと記憶していますので、出会った時すでにおじいちゃん先生でした。
白髪混じりのおじいちゃんが物憂げな表情&朴訥とした語り口で倫理の授業とか、強烈な睡眠薬よりも効きそうな子守歌です。
でも佳境に入ると突然目をカッと見開き、先人の哲学者たちが憑依したかのような劇場チックな授業が展開されます。もったいなくて居眠りなんかしてられない!
まあそれでも寝る時は寝てしまうんだけどね。バリトンボイスが素敵過ぎて。
とにかく苦労の多い人生を送られていたようでして、人間的理解の奥深さというか、人生のままならなさとの向き合い方を徹底的に説いてくれました。
高校生という人生の大きな分岐点を迎えるタイミングでこういう先生に出会えたのは何にも代え難い経験なのです。
教科書に書いてあるような内容なんて全部頭に入っていて、見ずに語れるほどの膨大な知識量をお持ちでしたので、先生の授業に教科書なんていりません。
先生の話したことさえノートに書き留めておけば、それは自分自身の血肉となってずっと残り続けるのです。
哲学者の残した言葉や何世紀も語り継がれる伝承の類というものは、学校の授業で聞かされたところで「そういうもんだから」くらいの理解に留まる部分が多いのではないでしょうか。
でもそれだけでは思想に意味なんてなくて、自分の人生とリンクさせることで初めて価値が生まれるのです。
何か困ったことがあったら昔の人に聞いてみなさい、なんていう毒にも薬にもならないアドバイスすら、先生の手にかかれば本物の処方箋になってしまう。
先人の知恵であっても先生の頭の中ですべてを分解・再構築した上で語ってくれたものだから、現代人でアホな私たちにもリアルタイムの知恵として響くのです。
科学と違い、昔の教えや思想というものは数字などで明確に示せるものではありません。だから聞かされる側はあやふやで退屈なのです。
それを役に立つような形で分かりやすく、かつ面白く伝えられる先生に巡り会えたというのはかなりの幸運でした。
先生が赴任したのはいくつかの高校だけかと思いますので、たまたま同じタイミングで在学していた高校生だけしかその授業を受けるチャンスがなかったと考えると、本当に惜しいです。
そのくらい素晴らしい先生だったのです。
卒業後に訪問したときも、お話する機会がありました。他愛もない会話の中にも、心にグッとくる含蓄ある言葉をくれました。
生徒に対する愛情は底知れない先生でした。
……なーんて書くと、聖人君子あるいは菩薩様のような眩い人物かと思うでしょう。眩かったのは事実です。でもそれ以上にダークサイドが多すぎる先生でもあったけど!
口癖が「校長を○したい」とか「国会議事堂に○○○を散布したい」とか「校長室に○○を仕掛けたい」とかで、常に破滅系のテロリズム計画に満ち溢れていました。この計画を披露する間は物憂げな表情が一転、瞳孔開きっぱなしでギラギラになります。
何かの儀式目的で、ヤギの血を玄関扉に塗りたくったこともあるそうです。どうやってヤギの血なんて手に入れるのかな?
先生は常々ユダヤ教を信仰していると語っていましたので、完全に贖罪のヤギですね。本当に何をしたんだろう。
月に一度は「授業する気分じゃないから学校爆発させたいんだけど、爆弾がないから仕方なく授業してるんだよ」と憂鬱そうにこぼします。
何をどうこじらせたら還暦おじいちゃんがこんな発言を繰り返すようになるのでしょうか。
見た目だけなら、いかにも頑固で無口そうな堅物おじいちゃんなんだけどね。なのに中身は邪気眼持ちの俺の右腕がああああタイプとかどんなだよ。
この邪気眼というのがネットスラング的な意味での邪気眼なら可愛いものです。
しかしこの先生は、全国各地で使われる倫理教材の編纂にも携わるほどの知識を備えた方なのです(なので倫理科目を履修していた方なら、この先生の教科書を使っているかもしれないですよ)
したがって、本当にちょっとした儀式くらいは成立させている可能性があります。それは惨禍をもたらす黒魔術系統のものでありそうですが。
ひとまず言えることは、古今東西のあらゆる思想概要を頭に詰め込むと、ヒトは中二病患者になる模様です。中二病とは、全人類叡智の結晶なのです!
人生なんてクソまみれ、青春なんて苦痛まみれ。ラブアンドピースを嘲笑い、倫理って一体なんなんだろうという疑問をもねじ伏せる迫力ある授業はどれもこれも忘れられません。
子が、命の境目にあって何度も息が止まりかけていたとき、私はベッドで震えているしかなかったのだけれど、頭に景色が浮かんで涙だけは止まりました。毎日ドキドキしながら面会に向かう電車の中、膝から力が抜けそうになったときにもでした。そういえば、先生が授業で話をしていたことだったなあと、あの時は必死で気付かなかったけれどいま思い出しました。無意識で先生に救われていることがたくさんあるみたいです。ありがとうございます。




