南三陸町
東日本大震災から一年半ほど経った頃、瓦礫撤去のボランティアで南三陸町に行きました。
大きな瓦礫は重機で撤去されているのでパッと見は更地に見えるのですが、地中には様々なものが埋まっています。新しく何かを建設するにしても地中の瓦礫が邪魔になるため、人力で掘り起こすのです。
鞄やら食器やらの生活雑貨から、テレビのような大きめの家電まで、色々なものが埋まっていました。
その作業をしたところというのが、あの防災庁舎からわずか数十メートルのところでした。あれは三階建ですが、テレビ越しに見たより実物は随分小さく感じました。
今日も特番で何度かその辺りが写されていました。震災遺構として防災庁舎とともに広場の一部になるようです。
南三陸町というとこの防災庁舎のことばかり震災当時もその後も語られていますが、実際行ってみて印象に残ったのは、同じ南三陸町にある戸倉地区です。
こちらの地区にある戸倉中学校にも行きました。
この一帯も高台の下は全部流れてしまっていたのですが、高台の上にあった中学校は建物もしっかり残っていました。
体感として高台は、ビルの7〜8階相当の高さがあったように思えます。避難場所としても指定されていた高台です。
ですが津波はこの中学校の一階まで到達して、高台のさらに上まで避難を余儀なくされています。避難場所に指定されていた高台にいたにも関わらず、生徒や職員、避難してきた近隣住民など何人かが逃げ遅れ亡くなったそうです。
高台の下には戸倉小学校と、併設の保育園がありました。
中学校がこの有り様ですから、小学校と保育園は完全に水没です。
当日、90名ほどの児童が校内にいました。
地震発生時の対応としては、津波警報が発令されたら屋上へ避難することになっていました。震災二日前の大きな地震(前震)が発生したときも屋上避難をしたそうです。
でもその時にもし津波が来た場合、屋上避難は妥当なのか、周囲が水没するなか屋上で孤立すると児童の負担になるのではという議論が改めてなされ、戸倉中学校とは別の高台への避難に変更されました。翌日すぐに高台への避難訓練も実施しています。
そして震災当日。
校庭点呼もすっ飛ばしとにかく高台へ逃げろとなり、15時頃には高台の上で、地震発生時に校内にいた全児童の無事が確認できました。前日に避難訓練をしたばかりだから、子ども同士も助け合いスムーズに避難できたそうです。
それでも津波が来てしまうと高台も危ないということになり、さらに上へと避難します。
そこには神社があったので、園児や低学齢の児童、傷病人も安全に夜を越すことができたそうです。
津波は校舎の屋上はるか上まで到達しましたので、もし屋上に避難していたら誰ひとり助からなかったかもしれません。
屋上避難自体も、消防から安全であるとお墨付きをもらっていたため、避難先を変えていなかったとしても誰の責任でも無かったでしょう。
それでも過去にチリ地震津波を経験したベテラン職員からの意見があって高台への変更、そして実行しただけのことですが、そういう判断が一番難しいですよね。
チリ地震津波を経験した職員も、屋上で孤立することを懸念して高台避難を主張しただけで、校舎が丸ごと飲み込まれるところまでは想像していなかったかもしれません。
でも念のための行動が児童全員の命を救ったわけですから、こういった事例はもっともっと多くの人に共有されるべきだと感じました。
結局、絶対安全なんて有り得ないから選べる中で最大限の行動を起こすことだけが、命を守る唯一の手段なのかもしれません。




