9月「ただ君が傍にいるだけで」
時間軸と視点が変わります。
とある高校生の女の子と男の子のお話です。
これは、例えばの話だ。
同じクラスの明るく誰からも好かれる男子生徒に、ある日突然なつかれる。そんな状況に陥れば、きっと私は自分の何にそんなにも興味を持ったのかと不思議に思うだろう。
人は自分自身のことを一番理解しているようで、その実一番理解していない。
それが日本人なら特にだ。
長所と短所を尋ねられた時、大抵の場合彼らの頭の中には短所ばかりが浮かぶ。謙虚な日本人らしい。
けれども私は自分の長所と短所くらい分かっているつもりだ。自分のことはきちんと理解している。
私の長所は勉強が普通より出来ること。おかげで進路には困らなかった。
逆に短所は友人関係が少し狭いことだろうか。別にクラスで一人きりだとか苛められていた訳ではないが、友人達とのつながりが薄い。親友と呼べる存在がいない。
そんなことになってしまった理由はなんとくなく分かっているのだが、わざわざ自分の今の行動を変えてまでそれを改善する気はない。
短所は短所として受け入れるだけで十分だ。
と開き直っている私に仲良くなりたいと言う男子生徒を可笑しなものを見るような目で見てしまうのは仕方ないことだと思う。
動物ならまだしも人になつかれるなんて経験はなかったのに、まさかその最初の相手がクラスの人気者とは。
人生何が起こるか本当に分からない。
一人の女子生徒と男子生徒が出会う時。
彼らは一体どんな未来を紡ぐのか。
そう、これは例え話。
それ以上でもそれ以下でもない。
◇◆◇◆◇◆◇
まだ残暑の残る9月。
ざわざわとクラスメイトの声が教室に響く。
人によっては有意義な夏休みを終えた私達は、長期休暇の間に出されていた課題を提出していた。
座っている列ごとに提出していっていて、真ん中の列に座る私は課題を提出し終え、読書に勤しんでいた。
「なあなあ」
そんな中、私に話し掛けてくるのはやっぱり彼。
最初は無視していたのだが、いつまでも耳元で話されては読書に集中したくても出来ない。
しょうがないなあと諦めの気持ちを抱きつつ私は彼の話に耳を傾けた。
この騒がしい私のクラスメイトでもある “彼” と出会ったのは1年前の春のことだ。
その日は自分がこれから3年間通う高校の入学式があった。
何処の学校でも恒例となっている校長先生の長い話や高校生活のルールなどを聞かされ、掲示されたクラス表を見て自分の教室へ。
そこで教科書や保護者に向けたプリントを受け取ることが今日の時程。それが終われば帰宅となる。
さっさと帰ってしまいたいのだが、先生が来ないため教室で待機することとなった。
私は出席番号順に予め指定されていた席に着き、読書をしていた。周りにもそのように担任の先生が来るのを待っている生徒がチラホラといる。
他には友達を作ろうと早速奮闘している子、携帯電話をいじっている子がいる。
今年も中学の時と同じようにクラスメイト達と一線引いた関係になるのだろうなと思いながら本のページを捲る。
と同時に左側の隣の席に誰かが座る気配がした。
それだけなら別段構わないのだが、その人物は私をじっと見つめている。何があるというのだ。
「もしかしてそれ、柊雷鳥の本?」
聞かれ、反射的に読んでいたページに栞を挟んで表紙を相手に見せる。
そして小首を傾けて愛想笑いを浮かべてみれば、彼はパアッと花が咲いたかのような明るい表情をした。
なんだか彼のその様子が、ずっと待っていた主人を見つけた時の犬の様子と重なった。
「やっぱり柊雷鳥の本だ!」
「……好きなの?」
「うん。その作家の本は全部持ってる」
自分の好きな小説家の本を私が読んでいたことで心を許したのか、彼は身を乗り出して話す。
もっと詳しく言うならば、身体を此方に向け椅子の上でゆらゆらと機嫌良く揺れている。
「えーと、谷崎も好きなのか?」
前の黒板に張り出された座席表を見て、彼が私の名前を呼ぶ。
私達の席は前から数えるより後ろから数えたほうが早い場所にある。そんな位置からよく見えるなと感心しながら私は小さく頷く。
私の家には本が沢山ある。それこそ小さな図書館のように。
そのため幼少期の頃から本に触れる機会が多く、これまでに数々の作品を読破してきた。
今私達の話題に上がってきた柊雷鳥という作家の小説は私の家にもあり、もちろん私はそれをすべて読んだことがある。
そのこともついでに伝えると、彼はまた嬉しそうに「マジで?」と笑った。
それから色々と好きな本の話なんかをして、自分達の好みがかなり似ていることを知った。
本の貸し借りなんかもして、少なくとも暇な時は今のように気兼ねなく喋れる程度には仲良くなった。
いつしか彼はその陽気な性格からクラスの人気者となった。
目立つ人と関わるのが苦手な私からしてみれば、彼と話すことが面倒くさいと思うこともあった。
そんな時は読書や勉強に忙しい風を装って無視しているのだが、そうすると彼は構わず話し掛けるか膨れっ面でずっと此方を見てくる。
視線に堪えきれなかった私は渋々話に付き合うのだ。
入学式のあの日から何ヵ月も経った今でもそれは変わらない。
因みにその間席替えは一度もしていない。担任の先生がクジなどを作るのを面倒に感じているせいだろう。
だから彼はずっと私の隣の席にいる。左側の、グラウンドの空が窓から見える方の。
「 “月が消えた日” って本、もう読んだ?」
「最近よく宣伝広告を見るよね。私はこの間読んだよ」
ふーんと自分から聞いておいて、さして興味がなさそうに彼が言う。
少し苛ついたので彼の髪を下敷きで扇いで立たせるというしょうもない嫌がらせをしたのだが、「あー涼しい」なんて目を細めたのですぐに止めた。
彼がいま口にした本は、最近話題となっているもののタイトルだ。
病気の女の子を元気付けるためにある少年が月をとってこようとする。当然とれる訳がないのだが、ある日突然月が消えた。新月でもないのに。少年も月とともに姿を消した。
そんな不思議な世界観のもとに書かれたその本は、涙なしでは読めないと口コミで広がり、売り上げが伸びていっているらしい。
私もなんとなく手に取って読んでみた。素敵な心暖まる物語だったと思う。残念ながら泣きはしなかったが。
……それにしても暑い。
約1ヶ月後に衣替えがあると思えない暑さだ。
9月は秋のイメージがあるというのに毎年それを裏切ってくれる。これは紛れもなく夏の暑さだ。
「面白かった?」
「まあ、うん。君の好きそうな本だなと思ったよ」
「じゃあ俺も読んでみよう」
「貸そうか? あ、図書室にも置いてあるけど」
「いや、いい。気に入った本は手元に残しておきたいし」
彼には変なこだわりがある。気に入った本を手元に置いておきたがるのもその一つだ。
それはまだ本好きには理解出来るけれど、意味が分からないものの方が多い。
「読んでもないのに気に入るって分かってるんだ?」
「うん。だって谷崎が言うなら間違いない」
___君の好きそうな本だなと思ったよ。
それだけで確信してしまうほど私の言葉には根拠があるのだろうか? いいや、ない。
私の言葉にそんなプレッシャーを与えないでくれ。
やっぱり、彼は変わっている。
そう改めて感じるのだった。
こんな変わり者な彼がクラスの人気者だなんて正直訳が分からない。
確かにスポーツ万能でそれなりに整った顔立ちをしているが、大きな欠点がある。一般常識を知らないのだ。馬鹿なのだ。
例えばTPOの意味を「トイレの場所はオクトパス」と勘違いしていたり、今人気沸騰中のラクビー選手の五郎丸さんをゴヨウマツさんと言い間違えたりなどなど。
何だよ「トイレの場所はオクトパス」って。Pしか合ってないじゃないか。私の知るオクトパスはたこを英語で言ったものだ。彼の中では場所を表す言葉になっていたのか。
では小学校の担任の先生がよく言っていた「TPOを考えましょう」は、一体どういう意味になるのか疑問は尽きない。
もう一つの方も五郎丸さんに失礼過ぎる。ゴヨウマツとはどう書くんだ。五葉松か御用末か。
因みに五葉松とインターネットで検索してみると、盆栽の写真とその手入れの仕方が出てきた。
彼は指摘されない限り誤りに気付かない。
明らかに可笑しいものでも自分では分からない。
もしかすると、こういった面白い間違いをするからこそ彼は人気者なのかもしれない。
そう考えれば馬鹿なことも彼の美点の一つに思えてくるから不思議だ。
「ところでさー俺、夏休みの課題を全部家に忘れてきたんだけど。どうすれば良いと思う?」
「は……? 何それ冗談?」
「いや、マジで」
通りで彼の順番になっても課題を提出しに行かない訳だ。「ちゃんとやってきたのになー」と隣の席の可笑しな人が呟く。
彼はカバンの中に何を入れてきたんだ。今日の持ち物は課題などの提出物以外ほとんど無かった筈なのに。
やっぱり彼は何処か頭のネジが抜けている。
「下校した後それか明日にでも提出すれば良いんじゃないかな」
「あー、そうだな。うん。そうする」
「今度から気を付けた方が良いよ。来年は受験生なんだから」
彼が私の言葉に頷くと、提出物を回収し終えたのか先生が教壇に立った。
そして長ったらしい二学期の成績の説明を始めた。
ふと左隣を見てみると、両腕を枕にして堂々と彼が眠っていた。
彼の将来を心配しつつも自分には関係ないかと排他的なことを思い、障害物が一つ無くなったことにより眺めやすくなった窓の向こう側へと視線を向ける。
綺麗な青い空に白い雲が少しだけ浮かんでいた。
この景色は何処まで続いているんだろう。
日本と正反対の場所に位置するブラジルやアルゼンチンの辺りにもこの空は続いているのか。
聞こえなくなった蝉の声を思い出す。
何年も土の中にいて、やっと出てこられたと思ったら一週間で消えてしまう命。その短い一生の間に蝉は何を思い鳴くのか。
そう言えば蝉は木の下に、蛙は田んぼの近くにあった。それぞれの死骸が。
蛙は魚類から進化した両生類だ。何故わざわざ危険を冒してまで陸に出てきたのか。
そんな疑問や謎ばかりがボーッとしていると浮かんでくる。この時期は特に。
暑さにやられてしまったのかもしれない。
この世界は、不思議で溢れている。
それは英語の疑問詞からよく分かる。
When・Where・Who・What・Why・Whose。人は尋ねたいことが無限にあるのだ。
疑問をいちいち口にしていたらきりがない。
小さく溜め息を吐き、先生の話に耳を傾けてみる。
けれど私の頭は考えることを放棄出来ず、疑問の解決ばかりに力を注いでいて話を右から左へ受け流していた。
そこへ窓から風が吹き込み、ふわりと寝ている彼と私達の髪を揺らす。癖毛な私と正反対な彼の髪質が羨ましい。
そんなどうしようもないことを思いながら秋の到来を全く感じさせない爽やかな風になびく自分の髪の毛を抑えた。
夏は、まだまだ終わらない。
9月は彼らのお話となります。
霧矢鈴や夏達との関係性はまた後で。