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7月「見つけられなかったもの」

 それでも何とか他の短編作も書き終え、両手を天井に向けて伸びをする。するとポキポキと幾らか関節が鳴った。

 やはり長時間同じ体制を維持するのはキツイ。


 疲れと共に息を吐き出せば、私が執筆をしている間放置されていたチョロ神改め夏がパソコンの画面を覗き込んできた。


「終わったのか?」


「はい。出来立てホヤホヤの原稿見てみますか?」


 身体をずらし、後ろにいる夏に画面を見せやすくする。だが彼は素早く顔を被い、背中を丸め蹲った。何やってんだ。


 今のそれもそうだが、わざわざ私の余命を伝えにきたりとこの死神の行動は読めない。

 いや、そもそも人類に死神の行動を理解しようとすることは無謀なことなのかもしれない。


 霧矢鈴(わたし)のファンだと言うから一番の読者になってもらおうと思ったのに。せっかくの好意が台無しにされた気分だ。


 胡乱な目で見ていたが分かったのか、夏が慌てたように言う。


「見たくない訳じゃない。むしろめちゃくちゃ見たい、見た過ぎて死にそう。

 ……だけど、お前の作品はきちんと本になった形で読みたい。それが他の読者のことも考えたお前の大好きな霧矢鈴の読者だろ?」


「そう、ですね」


「それに読み終わった後、感想を呟けないなんて俺には耐えられない」


 おい、ちょっと待て。

 死神がSNSを利用しているのかよ。


 自分の好きな本を他の人がどう思っているのか気になって感想を探してみる気持ちは理解出来なくもないが、お願いだからこれ以上死神のイメージを壊さないで欲しい。


 SNSを利用する死神なんて聞いたことない。「最近の死神は文明の利器を存分に活用しているらしい」と此方が呟きたくなる。


 まったく。自分のことだけ考えるのではなく、他の読者のことを考えてくれていたのかと少しでも感動した私の気持ちを返せ。

 はぁ……と先程の仕事をやり終えたという満足感からくる疲労の溜め息ではなく、ただ単にがっかりして出た溜め息を吐く。



 そして彼に向けていたパソコンの画面を元に戻し、コキコキと首の関節を鳴らせながら先程書き終えたばかりの原稿のデータを担当編集者さんに送る。


 何処かの海の生物名ばかりの家族のお隣に住んでいる作家さんと違い、私は紙の原稿でのやり取りをあまりしない。

 かさばるし、無くしてしまう恐れがあるからだ。


 幼少期から私はよく物を無くす癖があった。

 無くした物は数知れず。消しゴムや鋏、ゲームのカセット、鍵盤ハーモニカ等々。

 成長するにつれてその癖も治るかと思いきや寧ろ全くの逆だった。どんどん悪化の一途を辿っていったのである。


 子供は大きくなると見える世界も大きくなる。

 その広がった世界で私は次々に物を無くしていった。


 無くしてしまい、一番怒られたのは何だったか。色々とやらかし過ぎて忘れてしまった。

 少なくともお金ではなかった筈だ。両親は私のこの癖を直ぐに見抜き、貴重品は持たせないようにしていた。……実の親に信頼されない子供。なんて憐れなんだろう。結局は自分の過ちが招いた結果なのだが。


 うーん、全くと言って良いほど思い出せない。

 ひょっとしてこれも私が無くした物の一つなのだろうか。


 そんなことを感慨深けに思っていると、編集者さんから返信がきた。今回の原稿も大体はオッケーという旨のものだ。


 いつもと変わらない文面。

 だがメールの最後の行に問題があった。


 そこには「明日、何時でも良いから事務所(うち)に来てくださいね」と書かれていた。

 何ということだ。こんな暑い中、外に出歩かねばならないなんて。行きたくない、ずっと引き込もっていたい。自宅警備ならお手の物だ。


 何時でも良いというのなら嫌がらせも兼ねて、暑くない早朝か夜中に行ってやろうか。社会人の常識として行かないけれども。第一その時間帯はゴロゴロしていたい。


 仕方が無い、これも仕事だ。

 編集者さんに「了解」と返信する。幾らかメールのやり取りを続けた後、パソコンの電源を落とした。


 しかし、ここで一つ問題が浮上。私が留守の間、夏をどうすれば良いのか。死神に留守番を頼むのは不安がある。


 私と一緒に……事務所に連れて行くか。それが最善だと思う。

 打ち合わせ現場など他人には面白く感じられないだろうが、霧矢鈴のファンである彼ならば多少付き合わせても大丈夫だろう。


「あの」


 そう思い、テレビの画面を夢中になって見ている死神に声を掛ける。

 彼は何だ?と言わんばかりに横目で私を見た。


「明日、今後の作品について担当編集者さん達と話しに事務所に行くんですけど夏も来ますか?」


「は? そんな大事な話し合いに俺が行っても良いのか?」


「まあ、はい。夏はというか死神は、普通の人には見えない筈です。だったら問題ないかと」


 外を出歩きたくない事情があるなら話は別だが、どうやらこの死神は何の遠慮も要らないようで「行く!」と目を輝かせて言った。

 こういう反応はまるで人間のよう。いや、小さな子供か。


 小さく笑い、ふと時計を見る。短針は6を長針は8を過ぎた辺りを指していた。

 気付かぬ内にそんなに時間が経っていたのか。驚きつつも机の上に散乱している執筆道具を片付け、ご飯の準備をしようとキッチンに向かう。


 そして冷蔵庫を開く。


 中にはミネナルウォーターやビールなどの飲み物と申し訳程度にチーズや肉類が入っていた。完全に酒とそのつまみだ。


 冷凍庫にはお弁当などでよく使われる冷凍食品とアイスしかない。野菜室はもはや存在する意味を問われるレベルである。


 寂し過ぎる。何故こんなにも冷蔵庫の中が寂しいんだ。現実逃避をするかのように冷蔵庫を閉めた。

 アイスはあんなにも充実していたのにどうして肝心の食材がおじいさんの毛と同等程しかないのか。


 深い深い溜め息を吐き、もう一度時計を見る。

 面倒だが買いに行くしかないだろう。今の時間帯ならそれほど暑くもない筈だ。


 夏は……心配だが、置いて行こう。

 自転車をかっ飛ばして行けば然程時間は掛からない距離にスーパーがある。さっさと用を済ませて買えればきっと大丈夫。


「ちょっとスーパーに行ってくるので、留守番をお願いします」


「お前が行くなら俺も行く」


「すみません。すぐ帰るので待っていてください」


 財布と鍵を持ち、夏に留守番を頼む。

 準備は万端。さあ行こう!とドアを開けたのだが、何かにぶつかった感触。


 一体何に?とその正体を確かめようと僅かに開いた隙間から身体を出し、ドアの前にあるものを見る。

 なんとそこには、このマンションの大家さんの息子さんがいらっしゃった。


「す、すみません春樹さん! 大丈夫ですか!?」


 大家さんの息子さん。本名を吉川(きっかわ)春樹(はるき)さんと言う。

 私が勢いよく開いたドアに当たったのは彼だったらしく、春樹さんは額を抑えている。

 慌てて無事を確認すると彼は「大丈夫だ」と手を額から離し、私に顔を向けた。


 その秀麗な顔立ちに思わず見入ってしまう。

 最近の若者に多いロン毛ではなく、清潔さを感じられる長さの黒髪。意思の強そうな目。クール系イケメンといった感じか。私の語彙力では言い表せないほど春樹さんの顔は整っている。


 ジーパンにTシャツというカジュアルな服装なのに顔が驚くほど整っているので凄くオシャレな人に見える。不思議だ。私にもその能力を分けて欲しい。


 とまあ、とにかくイケメンな春樹さんの顔に傷をつけてしまうなんて失態をすれば間違いなく私は殺される。誰に?だなんて質問は愚問だ。


「本当にすみません」


「いや、俺の方こそ突然すまない。肉じゃがを作り過ぎてしまったから消費を手伝ってもらおうと来たんだが、出掛ける所だったか」


「肉じゃが……!!」


 春樹さんはこんな風によくお裾分けをしてくれる。

 小説家であることは大家さんにしか話していないのだが、私が不規則な生活をしていることは大体察せられているようで色々と気にかけてくれているみたいだ。


 イケメンで料理が出来て気遣い上手とか。さぞやモテていることだろう。独身らしいけど。彼女見たことないけど。


「私で良ければぜひ食べさせて下さい! ちょうど冷蔵庫にまともな食材がなくて買いに行こうとしていた所だったんです」


 恥ずかしいとは思わない。こんなことはもう何度もあり、私がだらしない人間だということはとうの昔にバレている。

 だったら今更取り繕っても無駄というものだ。


 春樹さんは私の言葉に「ふっ」と笑い、肉じゃがが入っているのであろう小さな鍋とその他にもタッパーを手渡してくれた。



「だと思って、他にも余分に作っておいた」



 と言う姿はイケメン過ぎて後光が差しているかのようだった。実に神々しい。どうやって育てれば彼のように中身もイケメンになるんだ。


 一度彼をモデルに作ったキャラクターを作中に登場させたところ大きな反響を呼んだのは記憶に新しい。

 やはり皆、イケメンが大好きなのようで。「こんな完璧な人、なかなか居ない」とか「結婚してほしい」と書き込んでいた読者の方々に声を大にして言いたい。


 彼は実在しているんですよと。


「タッパーの方はそのままで大丈夫だと思うけど、肉じゃがは冷めてるようだったら温めて食べて」


「分かりました。いつもありがとうございます」


「気にするな。俺が好きでやってることだし」


 私がもう少し若かったら彼に惚れていたかもしれない。イケメン過ぎる。大して歳は変わらないが。

 「それに……」とクールなお顔に怪しい笑みを浮かべて春樹さんは言う。


「俺が食わせてやらないと、お前はろくなもの食べないからな。まったく、しょうがない奴だな」


 おっしゃる通りでございます。これからもこの “しょうがない奴” を宜しくお願い致します。


 そんな気持ちを込めて深々と礼をすれば、春樹さんは私の頭を何度か撫で去っていった。


 恐らく彼は、私を妹のように接してくれている。

 だが、たまに勘違いしてしまいそうになる。丁寧に扱われ過ぎるのも考えものだなと贅沢なことを思いながら部屋に戻る。


 夏は私が録画していたドラマを真剣な様子で見ていた。顔が外套で見えないのであくまで予想だ。


 最初の方の話は既に消去してしまっていて、7話なんて中途半端な所からだったのだが、雰囲気であらすじを掴んでいるらしい。


「ん? もう帰ったのか、早いな」


「ご近所さんからご飯をいただいたので」


 コンロに火を点け、春樹さんからいただいた肉じゃがを温める。

 タッパーの中身はポテトサラダだった。それを2つの皿に分けて盛り付ける。

 そうしていると、グツグツと鍋の中身が音を立てた。

 火を止めて肉じゃがもポテトサラダと同じように盛り付ける。


 そしてそれらを夏のいる部屋に運び、机に置く。

 電子レンジで温めたごはんをお茶碗によそぎ、箸とともにそれも机に置いた。


 2人分の夕食を用意した後に言うのも何だが、死神はご飯を食べるのだろうか。……まあ、良いか。

 彼が食べないなら明日私が食べれば何も困らない。


「ごはん、一応用意したんですけど召し上がりますか?」


「ん」


 結局夏は人間と同じように食事をした。器用にも外套を汚さず食べきったのである。

 「ごちそうさま」と挨拶をした後、彼は再びテレビの前にかじりつきドラマ鑑賞を始めた。


 本当にコイツ、死神かよ。


 空中に浮いてみせたり、ドアをすり抜けたりと人間には不可能な業を見せてもらったが、こうも人間らしい行動をされると調子が狂う。


 死神の定義とは何ぞや。

 それの答えが分かれば苦労はしない。


 因みに食事はしなくても問題ないらしい。あらやだ奥さん、食費が少なくて済むわ。

 お風呂は実体がないので無理らしい。シャワーを浴びてもお湯が何事もなかったかのように通り抜けるとか何とか。


 それならさっき食べた肉じゃが達は何処に行ったんだよ。

 床にも何処にも落ちてなかったぞ。


 夏の死神としての設定が凄く曖昧だ。

 まるで存在までもが曖昧で、不完全な存在のように。


 春樹さん家の鍋を洗い終えた私は、手に付着した水滴を軽く払った。

 そうして生まれた小さな水滴はシンクを伝い、重なり合うことで大きくなる。大きくなった重みで水滴が流れるスピードは速くなり、排水管に吸い込まれていった。


 こんな水でさえも確かにそこに存在していると証明出来るのに。


 彼は本当に死神なのだろうか。

 何もかもが私の夢で、実際には夏がいないということはないのだろうか。


 その問いに答える術を私は知らない。

イケメンをどう書けばイケメンになるのか。

苦悩する日々です。


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