7.心せよ、戦いは常に強者を蝕む
中央研究所・イソラは、市街地から北東10kmほどに位置している。山をくりぬいた広大な敷地には、航宙物理、鉱物、分子生物などの研究部門と実験棟、そしてシャトル発着場がある。もちろん一般人は立ち入り禁止区域だが、今は更に、ものものしい警備が敷かれていた。アルクたちは知る由もなかったが、この日の人数は通常警備の二倍を超える。
王都の治安悪化は、夜9時でもほとんど人通りがないほどになっている。
その中を6名ほどが夜闇に乗じて密やかにイソラに近づいていた。全身濃い柿色の迷彩、帽子を目深にかぶっている。彼らは敷地の東側の監視塔の死角を縫うようにして、東南角まで30mほどの植込みにたどり着いた。
情報によれば、警備隊の歩哨は1時間半ごとに交代する。目の前の歩哨ふたりは、交代してから20分ほど経っていて、アルクは隙ができるのをじりじりと待った。
歩哨たちが揃って基地内を眺めた瞬間、ルーロンとアルクは、足音を立てずに素早く彼らの背後に忍び寄り、首筋にスタンガンを押し当てた。くたっと声も上げずにふたりは昏倒する。アルクは予備のシュートロープで拘束し、猿轡をかました。
アルクがそのままフェンスに取りつこうとすると、工兵隊の男が首を振って制した。テスターをフェンスに当てると針が右に大きく触れる。
「高圧電流か」
アルクは囁くように言った。
工兵は分厚いゴムの作業用手袋をはめて、絶縁カバーを二重に施した大きめのマイトカッターを取り出した。バイパスをとりながら鉄線の要を着実に切っていく。5分ほどで人がひとり屈んで通れるほどの抜け穴を開けると、手をあげて合図した。
ルーロンが囁くように言う。
「最終確認だ。西側で別働隊が陽動を開始するのが10分後から7分間、北側で陽動を開始するのが20分後から5分間、混乱は長くて15分とみておけ。完全に体勢を立て直す前に西側から脱出、はぐれたら各自判断」
ルーロンが見回すと、皆がうなずいた。
先頭に立とうとしたシエラを制して、アルクは先頭に立った。
「行けっ」
ルーロンの低い号令と共に、アルクは低い姿勢で駆け出した。
イソラの西側では、反乱軍が岩場に隠れながら迫撃砲の最終確認をしていた。ヨーゼフが岩場を伝いながら8門の撃ち込む方向を微調整している。
結局、陽動は必要という話になったが、弾幕を張るのみで突入はしない。アルクの主張が通り、王軍の中でも訓練の行き届いた王宮警備隊に捕まる危険は冒さず、できうる限りの混乱を演出することになっている。
西側で撃ち込む作業が終わったらメンバーは撤収、ヨーゼフだけが今も同様に準備をしている北側の班と合流して指揮を執る。
どうやら調整が終わったようで、ヨーゼフはタイムチェックした時計を一瞥した。
作戦開始まであと1分。
アルクたちは内部に侵入しているだろう。
囁くように言う。
「皆、わかってると思うが、炸裂弾は最後の最後の手段だ。可能な限り施設を狙ってくれ。特にフェンスは撃ち倒しておいてくれよ」
迫撃砲に取りついたメンバーが軽く手を挙げた。
「いくぞ……3……2……1。かかれ」
轟然と爆発音が響き渡った。
放物線を描いて、砲弾がいくつもフェンスに向かっていく。
☆
カザトは壁面いっぱいの無数の警備用モニターを眺めていた。
と、そのふたつほどに赤い火の手が上がる。
「これは!? 西区画に被弾! イソラが攻撃を受けています!」
部下の一人が大声を上げた。
「何? 攻撃!? 砲撃なの?」
副官のルカが大声で返した。
「迫撃砲のようです!」
「位置は特定できる!?」
「いまやってます! 出ました! 西12区画から15区画。複数です! フェンス近くの倉庫に火災が発生しました!」
「第1班から第5班まで至急向かって! 第6班から第8班は消防隊と連動して消火に当たる!」
警備室は騒然となった。副官が矢継ぎ早に指示を飛ばす。人員の割り振り、現場で作業中の人員の有無と点呼、救護隊の配置、延焼を防ぐために必要な隔壁を下ろすまで、わずかな時間しかかからない。カザトの仕込んだ警備隊は、慌てることなく体勢を整えた。
かつてイソラが襲撃を受けたことはない。研究所に武力攻撃を受ける理由はないからだ。しかし、今は違う。740計画の最終段階を邪魔されないよう、警備体制を強化しているにもかかわらず、イソラを目指してくるとしたらユティエスが狙い。大した情報網だ。反乱軍としか考えられない。
カザトは黙ったまま鋭い目でモニターを睨んでいた。
弾幕は分厚く着実に前に進めてくる。砲撃訓練を積んだ指揮官がいる、とひと目でわかった。
だが……妙だ。弾幕を張るばかりで切り込んでくる兵がいない。
なるほど。
カザトは口を開いた。
「東側でフェンスの電圧が落ちてるところはないか?」
部下が怪訝そうに応えた。
「はい? ちょっと待ってください……ええと、はい、あります。東6区画に」
「第12班を向かわせろ。中央管制室まで最短距離を辿れ。ルカ、ここを少し頼む」
「シュートチーム? 隊長はどこへ?」
「東から行くとすると、中央管制室のふたつ手前くらいのブロックか。あの辺りになると、あまり銃が使えないからな」
「……別働隊ですか!」
「いや、こっちが陽動だ。本命はもう侵入してるだろう」
言いざま、カザトは傍らのシュートロープを片手に立ち上がった。
警告音が鳴り響く中、アルクたちは内部を走っていた。
館内放送は攻撃を受けていることを知らせるアナウンスと、人員配備の指令が流れている。まだ混乱中だ。今のうちに中央管制室までたどり着きたい。
銃を抱え上げて走る兵士たちと何度かすれ違ったが、アルクたちは隠密装束を脱ぎ捨て、王軍の制服になっているので咎められることはなかった。
だが、見取り図に沿っていければ到着していい頃合いだったが、管制室に至る道はところどころ封鎖されていて、アルクたちは迂回を余儀なくされていた。
「次はどっちだ?」
ルーロンが折りたたんだ地図を広げ、シエラや皆が覗き込む。
「左……50mほどか」
アルクはそれには加わらず、上を見上げた。先ほどのルートと違ってケーブル配線の点検口がある、ということは天井裏に空間があるということだ。
「ちょっと待ってくれ」
「アルク?」
「向こう側から開放する」
アルクは星錘をかぎ爪に替えた。軽く振って最上部の鉄骨に引っ掛けると、身体を振った反動を利用して、壁を三歩で登った。点検口に取りつく。そのまま壁の向こう側に降り立ったアルクは手動で隔壁を開け始めたが、運悪く走ってきたひとりの兵士に誰何された。
「貴様、どこの部隊だ!? 今、隔壁を開けるのは」
アルクは治具を手の中で星錘に取りかえて脇の下から首筋を狙う。狙いは過たず、兵士は倒れた。
援護のためにハイブリッド銃を構えて、腹這いに飛び込んだルーロンが息をついて立ち上がる。
「よし、行くぞ」
アルクは再び走り出した。
中央管制室まであと300mほど。
角を曲がると、建物の操車場に面した窓からシャトルの発着場が遠くに見えた。
エリアが変わったことを示す青い床に差しかかり、通路が狭まった瞬間、左側から暴風のように敵意が吹き付けた。アルクは考えるより早く斜め下に跳んだ。
目の前をスローモーションのように星錘が過ぎていく。聞きなれた音が聞こえたのはその後。
壁に鈍い音を立ててめり込んだ赤い星錘には見覚えがあった。
そして、このスピード。
一体何度これに打ち倒されたことか。
だが……今のは当てようとしたものでないことは明らかだった。
これくらい避けられるだろう、という問いかけだ。
「久しぶりだな……アルク」
暗がりからゆっくりと歩き出てきたのは、やはりカザトだった。
対人格闘では不敗記録を誇り、チェスのように冷静に理路整然と相手を追い詰める。ついたあだ名は『教授』。しかし、それよりも恐るべきはシュートアーツ<星錘技>の国内一の使い手ということだ。星錘技は使い手の性格が最も出る闘技と言われていて――対人格闘とは裏腹に、カザトのそれは熱く激しい。
会いたくなかった自分の師匠。
「カザト教官……」
アルク以外の全員がカザトの威圧感にあてられて慌てて銃を構えたが、狭まった通路で自由に射線を取れず、フォーメーションも混乱している。アルクは皆をかばうように自分のシュートロープを取り出して構えた。ここでむざむざ負けるわけには行かない。例え負けたとしても足止めはしなければならない。
カザトはアルクの悲壮な表情と構えを正面から見据えた。
「反乱軍に寝返って1年半。鍛錬は怠っていないようだ……イソラに何の用だ」
「740計画を止めます」
「なぜ?」
「……俺は自分の正しいと思うことをやってるだけです」
ふとカザトは手元を見た。それが誘いだとわかっていても、緊張し切っていた自分の筋肉が反応してしまった。
アルクは星錘を放った。
軽くいなされる。
戻りしなにフェイントで左にサイドステップして、星錘をわずかに縦回転に振り替えて放つ。
半身になるだけで避けられる。
再度自分の星錘を手元に戻した時には、カザトはもう詰めの一撃を放ったところだった。
「狐草」――カザトのオリジナル技、彼しか使える星錘使いはいない。屋内対集団戦用の技は幾つもあるが、ふたつに別れた長さの違う星錘を操れるのは彼だけだ。
それがアルクと前方にいたもうひとりの首元を拘束した。
「貴様の言う正しさとは何だ? 王国を乱すことか?」
手首の軽い動きで首が一気に搾り上げられる。息ができない。
「アマトティハトに飲まれる人々に、何もしなかったのは王国のほうでしょう?」
苦しい息でアルクは言い募った。
「論理のすり替えだ。だからこその『740計画』だろう」
「なぜ危険な賭けに出なければならないのですか。なぜ多くの犠牲を」
シュートロープがアルクの喉を搾り上げて、声が消えるように潰れた。
それと同時に、無声のままルーロンが裂帛の気合をほとばしらせてナイフでワイヤーを断ち切った。アルクたちは拘束を失って倒れ込む。呼吸で肺が鳴り、咳き込んだ。
「ここは俺に任せて行け!」
ルーロンはナイフを構えて、カザトを睨んだまま小さく叫んだ。
シエラが応じて、アルクたちの首に巻きついたシュートロープを外す。
荒い呼吸のままアルクは立ち上がった。
「……ルーロンさん、気を付けて……」
よろよろと歩き始める。ユティエスを止めなければ。
カザトは手元に戻ったシュートロープの断面をしげしげと見つめていた。そしてそれを放り捨てもう1本を取り出すと、鋭く笑った。
「反乱軍司令官、いや、元マエナス州軍中尉、ルーロン、だな?」
「名前を憶えてもらってるとは光栄だ、カザト大尉。あんたの弟子は出来がいいよ。あんたの力も推して知るべし、だな」
「いや、君も大したものだ。ナイフでシュートロープを切る人間は初めてだ。しかも断面がなめらか。剣法師範の父君に薫陶を受けたと見える」
ルーロンが反乱軍のリーダーであることは周知の事実だ。彼のもろもろは調べ上げられているだろう。剣法家の父が亡くなった後、母は首都の姉の家に身を寄せているが、姉一家ごと監視下に置かれているのもそのひとつ。
だが、こんな時に剣法の話を始めるカザトに、ルーロンは少し笑った。
「しょせん田舎剣法だよ。中央に認められたわけじゃない」
「謙遜だ。彼は何度も中央に招聘されたが断り続けたのだよ。私の尊敬する人のひとりだ。
その息子が軍属になったことを知って、会えるのを楽しみにしていたのだが……軍人でありながら王国に弓引くとはな」
カザトはギシ、と音を立てるように表情を引き締めた。
「軍人の風上にもおけん! 貴様も、あの馬鹿弟子も!」
カザトの手から星錘が残像を残して飛び出した。
☆
アルクたち5人は、駆けつけてきたシュートアーツ使いの警備隊と小競り合いを続けながら、ようやくイソラの中央管制室にたどり着いた。セキュリティシステムを工兵がハッキングして扉を開け、シエラ以外の男たちが手近な什器を使って扉の前に簡易のバリケードを作る。
その間に、シエラはライフルを天井に向けながら空砲を数発撃った。
「静かに。抵抗しなければ危害は加えない。抵抗すれば撃つ」
カリフが色をなして執務席から立ち上がった。
――よりによってこんな時にか? まだまだ考えなければならないことがあるのに。
「貴様ら、ここはそんなものを持ち込む場所ではない!」
シエラは軽く銃を構え直してカリフを狙う素振りを見せた。
「手荒な事をしたくない、と言った。よろしいですか?」
カリフはシエラを睨んだまま口ごもった。
「全員、頭の後ろに手を組んで。そのまま奥に移動」
スタッフがおずおずと従い始める。
「早く!」
工兵が心得たとばかりに制御システムらしき端末のひとつに取りついた。しばらく首を傾げながらPFSを操作していたが、何か得心がいったのか、一転リズムよく作業をし始める。彼は顔を上げないまま明るく言った。
「ずいぶんとプロテクトかけてるもんだ。バイパスを作るしかない。そんなにスタッフを信用しないのかね?」
最後の言葉はカリフに向けて言われた言葉だ。
「どのくらいかかる?」
「短縮して6分。すまんが持ちこたえてくれ」
工兵は軽い調子でシエラに言った。ずいぶんと人を食った男だ。クリードといい、工兵隊は変なヤツが多い。
シエラはアルクを見た。
扉の前でシュートアーツを構えていたアルクはうなずいた。もたせる、という意味だ。
そのやり取りを見ていたカリフが頭の後ろで手を組んだまま、意を決したようにゆっくりと一歩進んだ。
シエラは機敏に反応して、カリフに銃を向けた。
「反乱軍か。無駄な事をするものだ」
「黙って。誰も殺したくない」
「……ここには、お前らに対抗できる人間はいない。銃などなくてもな。恐らくユティエスのデータを取りに来たのだろうが……お前らにあれは落とせんよ。というか、誰にも落とせん」
「静かに、と言ったはずですが?」
カリフはため息を漏らすように笑った。
「撃っても構わんよ? 私を殺してももはや止まらん。ユティエス制御は自立している。ダミーデータをかませたところで、ユティエス側で拒絶される。
……それとも、破壊するつもりかね? そちらのほうが現実的ではない。超高高度にあるゆえに弾道弾は届かないし、万が一届いたとしても複雑な軌道計算が必要だ。雷流圏の計算なしでは、8万kmの上空では遥か彼方を通り過ぎる。君は、夕立の中、自分の眼だけでここからスロブの大統領府の夕食の皿を撃ち抜けるかね?」
シエラは眉をひそめて銃を構え直した。
カリフは肩を落としたまま呟くように言った。
「わかるだろう……もし、その曲芸を可能ならしめるとしたら、ここ、イソラだけだ。マザー・ダッチのみが唯一できることなのだよ……もう決定したことなのだ。私たちは賭けるしかない」
「……認めません。それでも私は皿を撃ち抜きます。それが必要なことであれば!」
シエラは歯を食いしばった。
「……なるほど……例えば、例えばな……」
カリフは疲れたように首を振った。
「いいのだ……私たちは理解し合えることなどない。恐らく人は、理解し合えることなどないのだ。どんなに親愛に満ちていてさえもな」
「……いいえ、いいえ!」
シエラは首を強く振った。
「……いえ、それも認めません。理解できなければ……理解できなければ、私たちだけではなく、あなたたちもいずれ何もかも失ってしまう」
カリフは驚いたようにシエラを見た。
「ん?」
工兵が声を上げる。
カリフと視線を合わせたまま、シエラは聞き返した。
「何?」
「搭乗者記録? ……ユティエスは無人じゃないのか?」
カリフがわずかに悲痛に顔をゆがめた。
「ちょっと待ってくれ」
工兵がメインモニターに記録を映し出した。
20年ほど前から乗組員の名前が羅列される。ワグナム、オルド、スチュワート――そしてレダ、オルカ、ときて、再びワグナム。
そして。
そして、最終搭乗者の名前。
シエラは目を見開いた。
「アルク! アルク!」
ただならぬ叫び声にアルクが振り向くと、シエラが膝を折って座り込むところだった。
「どうした! シエラ、何やってる!」
アルクが小走りに駆け寄ると、わななくように震えた指でシエラがメインモニターを指差す。
「そんな……どうして?」
アルクはスタッフを牽制しながらシエラの指差す方向を見た。
ユティエス搭乗者記録、という文字が眼に飛び込んできた。同時に、最後に記載された名前。
「な……」
――それは、ふたりが何にもまして望み、何を引き換えにしてもと心を決め。
シエラにとっては生きる理由の半分を占め。
アルクにとっては取り返さなければならない負債であり。
何より、生きていて欲しいと願ってやまない名が、そこにあった。
ラミア・イージス。