6. そは絶望と言うべきなりや
反乱軍では、イソラ襲撃の用意が進んでいた。
壁を隔てた部屋ではブリーフィングが行われていて、時折質問するアルクの声がする。先ほどメンバーを通達したばかりだが、もうあらかたの設定はできている。反乱軍は優秀だ。多くの心あるヤツが反乱軍に合流している。
細い照明の下、ルーロンは研いでいた愛用のナイフを光にかざして、落ち着いた笑いをもらした。
ノエルタがドアを静かに開けて入ってきた。
ルーロンははじかれたように立ち上がり、最敬礼をする。
ノエルタは首を振り、沈痛に言った。
「……ルーロンさん、無茶を言ってすまない」
「いえ……お気にされることはありません。これは俺の戦いなのです」
「そうですね……でも私の戦いでもあるのに、私は非力だ。死地にあなたたちを送っているのに、自分はのうのうと安全なところにいるばかりです」
「……いえ。そうではありません。あなたがいなかったら、反乱軍自体が成立していない。西側の制圧命令はすぐにでも殲滅命令に変わっていたでしょう」
ルーロンはことさら軽く笑って言った。
「正念場です。このやり方でいいのかどうか、いまだ疑問は消えませんが」
ルーロンはナイフをブーツにしまって、傍らのハイブリッド銃を手に取った。
「バスティアをアマトティハトにするわけには行きません。初めて会った時おっしゃったでしょう。私は『百年の祭り』をする、今日がその最初の日だ、と」
「はい。今でも変わりません。誰もが幸せである国を作ります」
「ですね。だから、今もまだ旅の途中です」
「ルーロンさん……」
「まあ、優秀なヤツが多いんですよ、我々は。そんなに気をもまないでどんとかまえててください」
ルーロンは笑いながら肩をすくめた。
☆
「ファーストシークエンス完了。2次コード受信まで待機モードへ移行」
合成音声の甲高い声が制御棟に響いて、コンソールに突っ伏した状態でラミアは目を覚ました。あちこちを蹴っ飛ばしたところまで覚えているが、その後眠ってしまったのか気を失ったのか、いずれにしろそれほど時間は立ってないようだ。
「ライカ?」
「はい」
ライカの声が答えた。
「状況を報告して」
「20時2分00秒に『740計画』の始動コードが発信され、67分後ファーストシークエンスが終了しました。セカンドシークエンスはイソラでスタートし、断続的に12分ごとにシステム構築データが送られてきます。最終コード発令は翌日01:00の予定」
「そう……」
もう猶予と呼べる時間ではない。
「……ラミアは言いませんでしたね?」
「……」
「ラミアは、言いませんでしたね?」
「え?」
「もちろん推論正答率99.99%でした。このユティエスが『紅雷現象』を起こす要であることは、消去法で確実でした。しかし、ワグナム教授はおろか、レダ・オルカチームの誰も、あなたも私に認識させようとしなかった……それは一体なぜなのでしょう?」
ラミアは虚を突かれたように、驚いてライカの落書きを見つめた。
「言わなかった理由?」
「はい」
「……理由はないよ。おじいも、そのレダって人もオルカって人もない気がする」
「気がする、ですか。理解するにはデータが少なすぎます」
「人はデータで生きてるわけじゃないからね」
「しかし、ケーススタディとして、ワグナム教授は統計的にマイナーな人物でした。ぶっちゃけ変人でした」
――ぶっちゃけ? このAIは一体どんな進化をしてるんだろう?
ラミアはまだはっきりしない頭のまま、うわの空で考えた。
「レダ・オルカチームのメンバーも変人でした。あなたは変人ではないにしても、偏りは大きいように思われます。そうしたデータをストックしても、私に対して、『紅雷現象』についての認識をもたらさない論理的整合は見当たりません」
「……ちょっと待って。今、あたしも変人って言った?」
「いえ、変人ではないが偏ってると」
「同じじゃない!」
「偏ってる、というのはこの場合いい意味です」
!! このAIは……。
「例えば、私のデータを超えて掃除好きというのはかなりポイントが高いです。私にとって埃は大敵ですし、そんな細やかな気遣いができると見れば男性の受けはいいでしょう。あなたのストックにあるこの……」
メインモニターに3人の写真が映る。
「アルクという少年など、最終更新の記録は軍属となってますので、当然良妻賢母を求めるわけで」
「ええええええええーっ! ちょっと待って! ライカ、いつの間に」
「あなたの精神状況を把握するのも私の仕事です。アルク・イージスはあなたと共にイージス孤児院で育った少年で」
「ライカ! それ以上言ったら壊すよ?」
「はっはっは、私を壊すのは無理ですよ。こう見えても堅牢な造りですからね。はっはっはっは……てちょっと、冗談ですよ冗談冗談。いやちょっとちょっとー! モップを振りかぶらないでください」
ラミアは赤面したまま、振りかぶったモップを下した。
ライカの性格は、いたずら好きのワグナム教授が仕込んだのだから当然だが、ライカの仕掛ける会話には必ず意味がある。今は恐らく自分を元気づけるためにしているのだろう。
「全くひどい展開です、私はここしばらくこんな目にあったことはありません。あなたの泣き所として、記録に残しておくことにします」
「ライカ……あのねえ……」
「今のタイミングではアルクの話はダメなようだと理解しました。ご心配なく。私の疑問は今度の眠れない夜に考えることにします」
からかうような調子のライカに、ラミアはため息をついた。
「で、どうしますか?」
ラミアは真顔でコンソールデスクに座り直した。
「ライカ、ここ半年の研究データと、R1レベルで関連が推測されるデータを全て出して」
「かしこまりました」
メインモニターに電離物性変化のデータが羅列される。
ラミアは手早くいくつかのデータを呼び出した。自分でも期待するサンプルだ。
「他はR2からR5までファイリングしていつでも呼び出せるようにしておいて」
「かしこまりました」
ラミアは自分に言い聞かせるように言った。
「まだ、終わってない……時間は少なくなったけど、できることはあるはず。私は考えることを諦めてはいけない。諦めたら、ここにいる意味はない」
☆
イソラの中央管制ルームはさながら戦場のようだった。
全てのスタッフが自分の持ち場でフル回転している。雷流圏モデルに変化が出たのだ。幸運ともいえるだろう。修正がきかない直前に出るよりだいぶ助かる。それでも、スタッフは当然のことながらパニックに陥っていて、怒号が飛び交っていた。
カリフは自分専用のモニターに「740計画」の概要と50年前の最終報告を呼び出していた。
スタッフのひとり、国家科学省の航宙部門で最も優秀と言われる副官が、カリフに目を血走らせて伝えた。
「長官! マザー・ダッチの最終予測が出ました! 送ります!」
カリフは無言で手を振り、モニター上のアイコンをかつての最終報告に導入する。
32.15%。
数字は落ち続けている。
――マザー・ダッチとライカを連結して「740計画」をサポートするために、直前までシャトルを打ち上げる予定だった。しかし、パイロットが自殺未遂を起こし、液体燃料の注入まで済んだシャトルは発射場で沈黙を余儀なくされている。
手が届かないほど遠いユティエス。
何もないことを祈るしかない。
カリフは立ち上がってスタッフ全員に声をかける。
「諸君、ファーストシークエンスは大過なく終了した! これよりイソラの真価が発揮されるセカンド・シークエンスに移行する! 君たちの働きに期待する!」
スタッフの間に安堵のどよめきが広がるのを微笑みで受け止めた後、カリフは顔を伏せて座った。
目の前にある、その数字。
様々な思いを込めて目をつぶり、カリフはもう一度目を開いて呟いた。
「……分が悪い賭けだな……しかし、わずかでも上げられるのならば……諦めたらそこで全てが終わるのだから」